7
ある程度クロフォード公爵家での生活が落ち着いたころ、シャロンはエディーに許可を取って王宮へと足を運んだ。
クロフォード公爵邸は王都の一等地にあるので、王宮とそれほど距離もない。屋敷の目の前には大通りが通っていて人通りも多く窓から顔をのぞかせるだけでにぎやかだ。
王宮へは、行こうと思えばいつでも向かうことが出来たし、王族とのつながりをきちんと持っておくことは公爵夫人としてとても有用な事ではあったが、気が重かった。
もとはといえば、シャロンが婚約を破棄されたのが元凶になって実家に帰ることになり、それなりに大変な思いをした。
その婚約破棄の元凶は召喚された聖女だ。
風の女神の加護を受けた聖女は、召喚場所であった王宮の忙しい王太子夫妻の元ではなく、シャロンとカインの新婚生活の場所となるはずだった離宮を一時の住まいとして居た。
その時には、シャロンだって良い事をしているつもりだったし、カインも聖女ユーリにそれほど興味を示していなかった。
しかし、歯車はどこかで狂ってシャロンとの婚約を破棄してユーリと婚約することになった。その選択をしたカインがシャロンを公爵夫人となった今呼び出している。
何を言われるにせよ、この場所に戻ってきた以上は無視はできない。分かっていた事実だ。
手土産をもったまま使用人についていく。
一度は暮らした離宮に他人としてやってくるのはなんだか不思議な気持ちだった。
カインの部屋へと到着すると、常に入り浸っていたユーリは今日はいない様子で、カインはソファーに座っていた。しかし、シャロンを見てすぐにカインは勢い良く立ち上がった。
「シャロンッ」
「……」
シャロンに呼びかけて入口の扉の方へとやってくる。それから金色の王族らしい瞳を罪悪感でいっぱいに染めながら目を伏せた。
「まずは謝罪をさせてくれ。本当にすまなかった」
「やめてください、カイン王子殿下」
すでに婚約者ではない手前、そう静かに口にする。すると彼は、シャロンの手を取って、辛そうに言った。
「どうか、私の事はこれまで通り呼んでほしい。私は其方にだけは敬われることは出来ない」
「……」
「オリファント子爵の件、聞き及んだ。最大限の配慮をしたつもりであったし、それで自分自身も満足してしまっていた。告発して救い上げてくれたクロフォード公爵には感謝の言葉もない」
……たしかに、カインは自分勝手を通した。でもそれに抗わなかったのも事実、ついでにいい経験が出来たって事で。若いころは苦労した方がいいとかいうしね。
ポジティブに考えて少ししっくりきた。それに会ってみるとやはり彼は普通の人間であり、オリファント子爵の元にいた時には、なんだかすごく嫌な人だったような気がしていたが、そんなことないのだと今なら思える。
「クロフォード公爵については思う所は多々あるが、其方が収まるところを見つけられたようで、それだけは今は安心している」
……思う所か……それはそうだろうね。
彼の言い分に納得しつつも、こうして立って、いつまでも低姿勢で話させるわけにはいかない、シャロンは親しみをこめて彼を見た。
「ありがとう。貴方より先に結婚するなんて不思議な気分だけどね」
嫌味なく言ったつもりが、シャロンの言葉にカインは眉間にしわを寄せて「本当に申し訳ない」と謝罪した。
「いや、あ~、っと。カイン、私怒ってないし、それに慰謝料の件は流石にオリファント子爵に非があるから」
「それでも、そこまで考えていなかった私にも非がないかと言われれば答えは否だろう。……安心してほしい、きちんと君の手元にわたるようにオリファント子爵とその家族には返却の義務を課した」
いいつつ、カインの瞳がきらりと光る。報復はきちんとしてくれるつもりらしい。爵位の返上とまではいかずとも、結構な大金を使い込んだのだ、返すのには苦労すると思う。
それに、結局あの舞踏会の場で脅して恥をかかせた後に、エディーはきちんと王家に契約の違反があると告発したらしい。
実際に証言をしたのはベイリー伯爵だ。
何をして、オリファント子爵の友人である彼にそんなことをさせることが出来たのかという闇がまた一つエディーに追加されたが、やってくれたこと自体はシャロンを思いやっての事だろう。
そしてその告発に対してきちんと王家も動いてくれた。
あのままオリファント子爵領から出られずに仕事に忙殺される日々を送っていたら、きっとシャロンは何もできずに死んでいた。
きちんと仕返しが出来たのはカインとエディーのおかげだ。
エディーに関しては手放しに喜んでお礼を言っていいのか微妙なところだが、カインに対してはシャロンは嫌な感情を向けてはいない。
「きちんと対応をしてくれただけで私は何も言うことないよ。感謝してるぐらい」
「だが、シャロン。この間、一目見た時から思っていたが其方……」
「ま、まぁ、とにかく、ゆっくり話そうって。ね。カイン、今日はたっぷり時間があるから」
そういってシャロンの手をとり、優しく握って苦し気にするカインにシャロンは先ほどまで彼が座っていたソファーを示すように見た。
その視線を追ってカインも振り返り、静かにうなづいた。それから二人は向かい合ってソファーに座り、シャロンは手土産のバスケットを自分の隣に置いた。
「改めて久しぶりだね……カイン」
「ああ……ああ、そうだな。シャロン」
シャロンをまっすぐとみて噛みしめるようにカインは言った。目の前にいる彼は半年以上離れていたので、それなりに少し大人っぽくなったような印象だが、相変わらず少し草臥れているような気がする。
高級な服を着て、綺麗に整えられた髪をしていても、カインは決して威圧的ではなく、既婚者のような若い男性らしくない雰囲気がある。
「あんまり変わってないようで安心したけど、きちんと休みはとってる? カインはいつも仕事ばかりだから」
「心配には及ばない……其方に比べれば、私など」
「そんなことないよ。王族は仕事量が多いから……」
だから早く、ユーリに手伝ってもらえるようにならないと、そう言おうとした。
しかし、久しぶりに会った彼に彼女の話題を出すのはどうしても出来なくて、口をつぐむ。
すると、シャロンが何を言いたかったのか分かったらしくカインも気まずそうに目をそらして、使用人に出してもらった紅茶を飲む。
そして口を潤してから、シャロンに向かって難しい表情のまま問いかけた。
「シャロン……其方、その髪は」
指摘されて、シャロンは困ったような笑みを浮かべた。
……やっぱり聞かれるよね。エディーは婚約していた時の私と会ってないから、わざわざ聞いてこなかったけど、こんなに短くなってたら気になるよね。カインが正しい。
あまり言いたいことではなかったが、ポジティブにそう自分を納得させて、リボンで軽く結っている髪に触れた。相変わらずチョンと跳ねるぐらい短い。
昔は格式高い髪結いもできるように、きちんと手入れをして伸ばしていた。
しかし実家に帰った時に荷物はすべて売りに出されたのだが、その時に美しく手入れされたシャロンの金髪も売り払われた。
「……多分、どこかでオジサンの頭を着飾ってる」
「……まさか」
「言わないで、私も思い出さないから」
流石にその時には泣いた。
……でも、短髪も悪くないよね。 なにより労力が少ないし、手入れが楽。
楽観的にそう考えたが、両親や姉が、これも売れるだろうとシャロンの髪を引っ張った時の気持ちは今でも忘れられないトラウマだ。
あの時ほど他人の正気を疑ったことは無い。
「分かった。……本当に私のせいで申し訳ない」
ぎこちなくそう口にするカインにシャロンは上手く切り替えられなくて家族の悪行を思い出した。