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エディーとティーテーブルで向かい合ってシャロンは座っていた。彼は、シャロンの付けている指輪を丁寧に外して、置いてあるクリームの蓋を外す。
「この指輪つけてるって事は、無事にユーリに渡せたんだね」
「……うん」
頷いて返すけれど、やはりなんだか緊張してしまって、シャロンはそのまま黙り込む。彼とは別に気まずい関係でもないはずだし、最近の関係は至って良好。
エディーはシャロンがユーリの家庭教師になりたいといった時にも、止めなかったしむしろ応援してくれている。
彼にはまったく関係のないユーリを大切に思う事を許してくれるどころか、サポートまでしてくれるだなんて、またとない良い人だ。
だからその分、シャロンだって彼とのコミュニケーションを大切にしたいと思っているし、本当なら色々尽くしたいのはシャロンの方なのだが、どうにもその役割を奪われがちだ。
彼が元から距離が近くて、愛情深く、尽くすタイプなのだと分かってはいたのだが、シャロンを捨てないといったあの日から、どんどんと溺愛の度合いが増していっている。
「君たちの仲がいいみたいで俺もなんだかうれしいよ。是非今度、このクロフォード公爵家に招きたいな」
「そう、なの? 私はとてもうれしいけど、まだまだ立ち居振る舞いも他の貴族に見せられるようなものじゃないというか、なんていうか……」
「気にしないよ。それに、普通の貴族の子も経験の為に親戚の屋敷に行ってちょっとしたパーティーを開催したりするよね。でも聖女ユーリにはそういう親戚はないから、練習にするつもりで遊びに来たらいいよ」
「……」
当たり前のようにエディーはそう提案してそれから、そばに置いたネイルクリームの瓶からひと掬い指にとってシャロンの指先に順々につけていく。
……ものすごく嬉しいし、正直なところ社交は場数だから、ユーリには貴族の社交相手が欲しい所だった。でも彼女はいろんな思惑を向けられすぎていて碌に社交に参加させられない。
だからこの屋敷に遊びに来ていいならすごく助かる。助かるけど、助かり過ぎて、逆にエディーに無理させてない?
今だって、何でか知らないが貴族の間で流行っているネイルクリームを買ってきて丁寧にエディーはシャロンの爪のケアをしている。
これも先週から始まった習慣で、最近、料理に凝っているから手の保湿が気になるという話をした途端の事だ。
とにかく何が言いたいかというと、最近のエディーがシャロンに甘すぎて怖い。
「まだ緊張する?」
シャロンがぐるぐると考えながら、焦っているとエディーはそう聞いてきた。
……緊張するというか、変な感覚というか、クリームはすごく効いていると思うんだけど、高かったんだろうな。私の手が保湿されて良い事ってエディーにあるんだろうか。
ポジティブを発動しようとしたが、もう意味が変わらないので素の感想が出てしまう。
それをエディーが読んだらしく「ははっ」と軽く笑った。
「そうだね。君の事、毛艶のいい箱入りお嬢様みたいにするのが俺の当面の目標かな」
言いつつも爪と爪の甘皮になじませていくようにエディーはクリームを塗りこんでいく。
これはハンドクリームにもつかえる物らしく、保湿成分がたっぷりでどうこうという説明をいつだか聞いた気がする。
「それから、俺に触れられるのにも慣れさせて、飼い猫みたいにリラックスできるようにもしたいかな」
……な、何で?
純粋な疑問だった。
ところで爪を指で擦られるというのは不思議な感覚で、爪を触られる分にはそれほどくすぐったさはないのだが、爪の周りのきわを指で優しくもみほぐされながら触られると、気持ちいいんだかくぐすったいんだか分からないような感覚だ。
……毛艶をよくして、人慣れさせて……って、何だろう奴隷市にでも出すつもり以外は思い浮かばない。いや、待って、どうにかポジティブに……分かった。私を怠惰にして肥えさせて笑うつもりか。
って、全然、良くない。それに流石にエディーがそんな風に考えてるわけない!
一応、それだけは知っている。ユーリという小さな子供の為にシャロンをここに置いてくれているし、約束は破らないと思う。
それに多少なりともシャロンの事を好きでいてくれているはずだ。それがここに置くための理由にならないだけで、彼の愛は優しくて本物だ。
今だって、目の前にいるエディーの瞳には優しい色が混じってる。
「君を愛してるから、ね。俺、尽くしたいタイプなんだ。シャロンが幸せそうにしているのが一番俺も嬉しい」
手のひらにゆっくりとクリームを塗り広げられて、優しく指圧するように揉みこむ。滑りが良くてぞくぞくするぐらい気持ちがいい。
……それは多少なりとも知ってるけど……知ってるけどっ。
「だからこうして君のいろんなケアをするのが、好きなんだよね。いつか慣れてすべてを預けてくれたらいいって思うのも自然なことだよね、シャロン」
「……う、ひっ」
じんと響くような手のひらの一部分を強く押されて、情けない声が出た。痛いのと気持ちいいのと丁度半分ぐらいの場所をぐいぐいとほぐされると、たしかにリラックスしてしまう。
「はい、反対側」
言われて差し出すとまた指先にクリームをつけられた。
「君は割と初心で擦れてないからやりがいがあるよ」
「……?」
「それで、どうしてユーリのことまで考えて俺が色々許すのかって話だっけ?」
「え、う、うん」
そんな話していただろうかと考えると確かに、社交の練習に来ていいと彼が言っていた話を思い出す。色々、彼の言い分に対して反論をしたい気持ちだったが、こうして触られているときには分が悪い。
いつか、そんなべた慣れの猫みたいにはならないよ、と言えばいいかと思い、頷いた。
「そうだね。……一言でいえばシャロンが大切にしてる子を俺が邪険に扱う理由は無いし、カイン王子殿下にもとても手間を取らせた。だから、そのぐらいの協力はむしろ恩を返すだけだよ」
言われてみればまっとうな気がして、一瞬頷きかけるが、そういうわけにはいかない。元からエディーがいなければシャロンはこうして今ここにいない。
……エディーに結婚してもらえて、私自身も、ユーリの心の安定の為に必要だった私が帰ってきたことによってカインも助けられてる。
だから貸し借りなしだ。それなのに、エディーは許容しすぎている。
「そう? じゃあ、あまり言うべきじゃないかもしれないけど、俺が君と結婚できるような選択をしてくれたから、俺はシャロンと出会えた。だから、カイン王子殿下にも感謝するし、ユーリにも感謝してる、だからって事なら納得できる?」
……結婚できるような選択っていうと、婚約を破棄した話って事? 確かにそれがなければ私はエディーのそばにいない。
でもそれだって私はただ側にいるだけだ、別に魔法による恩恵を与えているわけでもないし、何の役にも立ってない。
それなのに……やっぱり何か企みがあるとしか思えないようなレベルの優しさっていうか。
……私を養ってくれてなおかつ立場を保証してくれて、きっと社交界では傷ものを娶ったと詰られたりしているはずなのに。
考えれば考えるほど、シャロンはエディーに何もしていない。けれども、逆に害は与えてる気がする。
そんなではいつ捨てられてもやっぱり文句言えないと思うのに、彼は、困ったように笑みを浮かべて「伝わらないね」という。
「はい、綺麗になった。……ねぇ、シャロン。俺は君が好きなものまで、無条件で好きになるぐらいシャロンを好きだよ」
言いたいことはわかる。しかし、実際はあまりありえないというか、いくら優しい彼でもそんなことないだろう。
丁寧にクリームの入った瓶の蓋を閉めてそれから、指輪をシャロンの指に戻す。指を絡めてつないで、自分の方へと引き寄せてから、手の甲にキスをする。
触れる柔らかな感覚に驚いて手を引っ込めようとしたが、そうもいかない。
「今こうして世話を焼かせてくれるだけで幸せなんだから、出会えた原因に何でもしたくなっちゃうのも当然だから、ね。納得しておいてくれないと……そうだ。じゃあ条件をつけようか」
思いついたようにエディーはそういって、どんな条件かとシャロンは首を傾げた。それにエディーは楽しそうに言う。
「手料理を食べてみたい。お菓子でも、料理でもなんでもいいよ。……いつもユーリには作ってあげているんだもんね」
「手料理……そんなことでいいの?」
「いいよ。俺にはすごくうれしい事だし、好きな人の手料理を食べられるなんて幸せだよね」
「……」
……好きな人の料理……。
そうダイレクトに言われるとなんだかむず痒い気がして、本当にずっと口から甘ったるい言葉が出る彼とキスをしたら、きっと砂糖の味がすると思う。
……でも料理なら自信もあるし、少なくとも役に立つ。
「分かった。その交換条件でお願いします!」
「うん。……いつでもいいからね。それにどんなことでも頼ってほしい、君の事、俺は何より大切だし愛してるから」
最後に念押しするようにそういわれて、彼の言いたいことも少しだけわかるような気がしてくる。
エディーの愛情が海よりも深いことぐらいはシャロンだって承知している。ただ本領発揮がこの状態であって、きっと今までの問答を考えると無理はしていないのだろう。
それならいいけれど、シャロンは他人に甘えるというのはどうしても慣れない。
「……うん」
……でもそう望まれるなら、頑張りたい。
そんな風に切り替えて、頷いた。エディーの気持ちはとてもおっきくてシャロンは同じだけを返せているのか疑問があるが、それでもそうなっていけたらきっと彼も幸せだ。
だから、少し頑張って手をつないだまま引いてきて、彼の手の甲にシャロンもチュッと口づける。
「私も……すき、です」
「あれ、何で敬語?」
「う~ん。なんとなく」
羞恥心を捨てきれずにそう言って困り顔のまま笑みを浮かべた。まだまだ先の長い夫婦生活、彼の愛情に慣れていけたらいいと思う、今日この頃だ。




