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シンと静まり返ってから、扉が勝手に開いた。ステイシーとシャロンは両方そろってその先に視線を向けた。
そこには荒く息をしながら、涙を浮かべるユーリの姿があった。
彼女は興奮している様子で、強くドレスの裾を握っている。
「シャロン姉さま。ねねさま。どこに行くのっ」
子供らしい質問にいらだった様子のステイシーは、馬鹿にするように答えた。
「あら、こいつは元の居場所に帰るのよ!! 子供は屋敷に帰って眠ってなさい!!早く馬車を出しなさいよ!!」
「やだッ!!やだ、やだぁっ、シャロねえさま!!! ユーリも連れてって、悪い子じゃないですっ」
癇癪を起したようにユーリは声を荒げる。ステイシーがユーリに手を出さないとも限らない。金の為なら何でもする人間だ。危険だ。ユーリを引き離さなければなならない。
「いい子にするっ、もう泣かない、一緒にいてください」
「何よこの娘! 気持ちの悪い髪の色して、不吉だわ!それにね。なんだか知らないけど、こいつは初めから私たちの奴隷なのよ!! 勝手にしゃしゃり出て文句点けんじゃないわよ!!」
怒鳴りつけるステイシーの言葉を聞いて、ユーリは泣きそうになりながら、シャロンを見た。
ユーリは子供だ。この状況を正しく理解できていないのだろう。攫われるシャロンを止めようとしているのではない。いつもの通りに縋ってこようとしてるだけだ、しかしそれではユーリが危険にさらされてしまう。
ステイシーは頭に血が上っているからまだ気がついていないが、この小さな子が聖女だと気がついたら、シャロンと一緒にさらうかもしれない。あんなところに連れていくわけにはいかない。
「……ユーリ、お願い。屋敷に、入って……お願い。ユーリは連れていけないよ。言う事、聞いて」
だからこそ優しく言った。どうにか屋敷にいる彼らに保護してもらえればシャロンは助からなくとも、ユーリは怖い目に合わずにすむ。心からの懇願だった。
しかし、その言葉に、ユーリは希望をまったく見失ってしまったみたいなそんなくらい瞳をした。それから、感情を失ったような顔をして、呟くように言う。
「ゆうりが、できそこないだから、置いてくの。っ、しゃろねねさまも見捨てるの、そんなの、やだよぅっ」
「ユーリ!!」
「置いていかないでっ!!!」
怒鳴ると同時に風が吹いた。前髪が風に攫われてふわりと浮き上がりブウォンと風切り音がする。
ドンッと衝撃が走って見上げると馬車の屋根が空へと舞いあがり、ステイシーのドレスがひらひらと青空に広がる。
「いやぁぁッッ!!!」
大きな悲鳴がして後ろを見ると、彼女は血を流して頭を抑えていた。纏っていたドレスは、布切れのようになり、しきりに「イタイッ、イタイッ」とわめいている。
ばらばらと床に木材が落ちていくような音がする。しかし、ユーリは目を見開いたまま、微動だにしない。泣くでもなく癇癪を起すでもなく、ぶるぶると震えながら、呟くように言った。
「ねねさまと、いくの。置いていかれないの、ゆうりはできそこないじゃない」
「……ユーリ」
「まほーもつかえるの、役に立つの、ちゃんとできたら、シャロ姉さまはゆうりのそばにいてくれる」
ドンッとまた風が吹く馬車が揺れて、何かが叩きつけられるような音とともに潰れたヒキガエルみたいな声がして、何が起こったのか悟る。それと同時に駆けだしていた。
蹴られた背中も痛むし、足がもつれてうまく進めない。ユーリの後ろから、急いで屋敷から出てくるカインとエディーの姿が見えた。任せてシャロンも彼らに保護してもらうこともできる。
しかしそれでは駄目だ。
「っ、ゆ、ゆー、り」
馬車のステップを踏んで、どうにか転げ落ちるように、足を動かす。
歯を食いしばってステイシーをにらみつけるユーリに手を伸ばした。その小さな体を腕の力で引き寄せて精一杯抱きしめる。
ユーリの体は硬く強張っていて短く呼吸をしている。今とても必死になって頭を使って、シャロンに置いていかれない方法を考えている。無理をしてそれでも理由を見つけて、体現しようとしていた。
しかしそれは正しくない、彼女にはどうしようもない事だ、無理やり答えを見つけても正しく解釈できるわけではない。
それでは歪みが出てしまう。放っておいたらきっとエディーと同じように苦しむ。
「ユーリっ」
自分にできるかぎりの力で彼女が苦しいと思うかもしれなくても、シャロンは抱きしめた。ユーリが悪いわけじゃない、シャロンはいつだってユーリの幸せを祈っている。
これが偽善になるのだとしてもそれでもいい。きっといつか伝わると思うから、だから、いま彼女を大切にしたい。
「置いていって……ごめんね。ずっと会いたかった。私の一番大事で一番大切なユーリにずっとずっと会いたかった」
「っ、」
うまく言えずに彼女を傷つけてしまったらどうしようかと心配していた言葉は、すんなりと口から出てきて、シャロンの言葉にユーリは息をのんだ。
「私は今のままのユーリが一番好き。ユーリが何かいけない事をしたから、居なくなったんじゃない。だから、無理しなくていい、びっくりして怖くて辛かったでしょう? 私がぎゅってしてるから、ユーリはもう頑張らなくてもいいよ」
「ひゃろ、姉さまっ、ねえさま。っ、ほんと? ほんとに、ゆうりをおいてかない?」
「置いていかない。私はユーリと一緒にいたい、ずっとずっとそう望んでる」
ユーリの体からゆっくりと力が抜けていく。エディーとカインは驚いた様子でシャロンの元へとやってきたが、何も言わずにユーリをなだめるシャロンを見ていた。
あまりユーリを驚かせたくないのでその配慮をありがたく受け取って、体が痛むのも気にせずに、ユーリを抱えて立ち上がる。
子供の成長というのは早いもので最後に抱いた時よりずっと重たくなっているような気がして思わずシャロンは顔をほころばせた。
「おっきくなったね。やっと貴方を抱けた。ただいま。愛してるよ」
「っ~、しゃろねえ゛っ、さまっあっうっ、ひっねえさまっ」
「うん。ユーリ」
名前を読んで頬ずりすると、彼女はやっと安心した様子で、泣きながらシャロンの肩口に、ぐいぐいと顔を押し付けて、ぎゅうっとシャロンを抱きしめる。
普段の泣き虫な彼女が戻ってきたことに安堵しつつ、取り合えず屋敷へと向かうことにする。しばらくはこのままだろうから、あまり大衆の目にさらしたくない。
「カイン、後処理を頼んでいい? その人、生きてるなら治療してあげてほしい、ユーリが人を殺してしまったって悔やまないように」
「分かった。しかし、いいのか。ユーリを其方に預けてしまって」
「大丈夫。……もう、大丈夫」
シャロンがそういうとカインも頷いて、すれ違って馬車の方へと向かっていく。残ったエディーにシャロンは少し申し訳なく思う。
「エディー、大切な話の最中だったのに迷惑をかけてごめんなさい。私の実家の事はうまく処理できると思うから、もうしばらくは、ここに置いてくれると嬉しいんだけど」
「……構わないよ」
「ありがとう」
言葉少なにそう返すエディーにお礼を言って、シャロンは屋敷の中へと戻った。カインが諸々の処理をして、ステイシーを王族に引き渡すのには、夕方までかかってしまい、泣き疲れたユーリはシャロンの部屋でぐっすりと眠ってしまった。
仕方がないので一日はシャロンが預かることとなり、さらに迷惑をかけることをエディーに謝罪したが、彼は嫌な顔一つせずにユーリを屋敷においてくれた。




