70 救出
フェイに手伝ってもらって男性を背負い、ゆっくりと歩き出す。成人男性なので私が背負うと足が地面についてしまうが、そこは許容してもらおう。
なお、重さ的には全く余裕だった。
「ええと、出口は…」
「こっちです」
いざ帰ろうとしたら、何か分岐がやたらと目についた。行きと帰りでは見える風景も違う。どっちから来たのか分からなくて首を傾げていたら、フェイが迷わず右の道を選んだ。
…そういえば行きも何となくフェイが道案内してくれてたけど、全く寄り道しないで目標地点に着いたよね。初めて通る道でも迷わないってすごい才能じゃない? 道覚えるのが得意とかそういうレベルじゃないわ。頭の中にGPSでも入ってんのかな…?
完全にフェイ頼りで歩いていると、程無く行く手に光が見えた。
「出口ですね!」
フェイが足を速める中、背後からカサカサと独特の足音が聞こえる。
「──来た! フェイ、ちょっと急ごう!」
「は、はい!」
ここで迎え撃つより脱出した方が安全だ。2人で外に飛び出すと、出口の前にはジャスパーが待っていた。
「お前ら、救助出来たのか!」
「ジャスパー、この人よろしく!」
「はあ!?」
即座に男性を背中から下ろし、ジャスパーに押し付ける。そのままくるりと振り返ると、巣穴からソルジャーアントが2匹、飛び出して来るところだった。
これまで倒した個体より一回り小さく、少し色が薄い。孵化したてということだろう。
女王アリが居ないので統制は取れていないが、多分本能的に巣への侵入者を攻撃しに来ている。
「──ふんっ!」
顔面目掛けて跳んで来た1匹をアッパーカットで打ち上げる。もう1匹は足を狙って来たのでそのまま蹴り飛ばした。
蹴った方は巣穴のすぐ横の土砂の山に突っ込んで動かなくなり、続いて打ち上げた方が降って来て──あ。
「──ッ!?」
ガルシアの頭にクリーンヒットした。
「わあ」
「すげぇ」
…偶然って怖いね。
わざとじゃないぞー。
麻痺毒を受けてろくに喋れなかった男性は、新人の一人、回復術師見習いの少年が解毒魔法を使って回復させてくれた。
「…効いて良かった…」
まだ見習いだから、ちゃんと効果があるかどうかは未知数だったらしい。安堵の溜息をつく少年の肩をバリーが笑顔で叩く。
「助かったぜ、イアン」
「…ありがとう」
「は、はい!」
男性にも笑顔を向けられ、少年──イアンは嬉しそうに頷いた。場の空気がホッと緩む。
「──それで…」
ジャスパーが腕組みして男性を見る。
「もしかしてあんた、南の村の住民か?」
「は、はい、そうです」
男性はふらつきながらも立ち上がり、丁寧に一礼する。
「俺は南の村のロニーと言います。助けてくださってありがとうございました。…この巣を最初に見付けたのは俺で…その、村の方に来ないように見張っていようと思ったら、魔物に見付かってしまって…捕まりました」
南の村の村長、テッドが言っていた『若者』はやっぱりこのロニーのことだったらしい。もう死んでるみたいな口ぶりだったから、生きてるって知ったらびっくりするだろうな、村長。
「そうか。生きていて本当に良かった」
ジャスパーはロニーに笑顔で応えた後、こちらに視線を向けた。
「他に捕まってる人間は居なかったか?」
「ううん、この人だけだったと思う」
「探査魔法でも引っ掛かったのはロニーさんだけよ。…もう食べられていたら分からないけど…」
ぼそり、キャロルが不穏なことを言う。バリーが苦笑した。
「そんな脅かすなよ」
バリーによると、巣の周囲を調べた結果、動物の角や蹄、毛の塊は見付かったが、人間の持ち物は無かったそうだ。
ソルジャーアントは獲物を巣の中や周辺で解体し、食べられない部分は巣の周辺に積み上げる習性がある。そこに人間の持ち物──例えば靴や金属類がなかったので、まだ人間は犠牲になっていないと考えられる。
「…俺が捕まっている間、同じ部屋に居た羊や鶏が解体されて、エサになっていました」
ロニーが暗い顔をする。
彼がソルジャーアントの存在に気付いたのも、自分が世話している羊の数が減っていたからだという。ウルフにしては血痕も争った跡もなく、おかしいと思って周辺を調べた結果、ソルジャーアントの巣を見付けたそうだ。
「…なるほど、家畜を麻痺毒で狩ってたのか。先に捕らえていた羊なんかを優先的に食べていたから、ロニーは早々に殺されずに済んだわけだな」
村の財産である家畜を好き放題狩られていたのは大変な損害だと思うが、そのお陰でロニーは難を逃れた。不幸中の幸いというやつだろう。
一通り事情を聞いた後は、南の村にロニーを送り届けることになった。
キャロルの洗浄魔法でロニーと──ついでに巣の中で土まみれになったフェイと私も綺麗にしてもらい、ジャスパーが引率して南の村へと向かう。
行くのは全員ではなく、代表者としてジャスパー、ソルジャーアントの群れを片付けた私とシャノンとユリシーズ、救出に一役買ったフェイとキャロル、村に帰るロニーの7人だ。他の面子はソルジャーアントの討伐証明部位と素材になる部分を回収し、死体を処理してから先にギルドに帰ることになった。
「…死体って処理しなきゃいけないの?」
「そのままだと腐るし、他の魔物が集まって来る可能性もあるからな。人里離れた所ならともかく、集落の近くだったら焼くか埋めるかの2択だ」
放っておいても消えるのは、小王国の魔物だけだったらしい。
考えてみたら、ソルジャーアントは女王が卵を産んで増えるわけで…魔素から直接出現する小王国の魔物の方が特殊なのだ。
(…小王国では死体の処理が要らないってのは黙っていよう…)
何か色々根掘り葉掘り訊かれて面倒なことになる気がする。
南の村にロニーが帰還すると、大変な騒ぎになった。
「ロニー!?」
「生きてたのか!」
「た、ただい…っ」
挨拶の半ばで、恰幅の良い女性がロニーを力一杯抱き締める。その後からどんどん村人たちが集まって来て、ロニーはあっという間に群衆に呑み込まれた。
「わあ…」
「…まあ、そうなるか」
あっけにとられていると、ジャスパーが苦笑する。魔物の巣に向かったまま帰って来ないというのはわりとよくある話で、冒険者ならともかく、一般人にとっては死と同義なのだそうだ。実際ロニーも、備蓄食料が他に無ければ即日エサになってたんだろうし…本当に運が良かった。
「…みなさん」
暫く待ってようやく騒ぎが落ち着くと、村長のテッドがこちらに歩み寄って来て、深く深く頭を下げた。
「──事情はロニーから聞きました。この村の村長として、そしてあの子の祖父として…心から御礼申し上げます」
何とロニーはテッドの孫だったらしい。声には万感の思いが込められ、頭を下げた細い肩が小刻みに震えていた。真っ正面からの感謝にちょっと動揺していると、顔を上げてくれ、とジャスパーが明るい声で言った。
「ロニーが助かったのは、彼が捕まっても諦めずに声を上げ続けていたからだ。声が聞こえなかったら、俺たちも気付けなかった」
「私もそう思う」
巣穴の入口から声が聞こえたから、私も生きた人間が居ると気付いた。
…考えてみたら、麻痺させられてあれだけ奥に仕舞い込まれてたのに入口まで声が届くってすごいな。本当に必死だったんだなあ…。
あと、タイミングも良かった。巣穴の中にソルジャーアントが居る状態で声を上げていたら、多分ソルジャーアントに殺されていただろう。巣の中の魔物が一掃されるまで大人しく待っていた、その判断力の勝利だ。
私たちの説明を、村長は深く頷きながら聞いてくれた。
そのうち、村の奥から大きな袋を抱えた壮年の男性が走って来て、私たちの前でがばっと袋の口を広げる。
「──あの! これ、良ければみなさんで召し上がってください!」
袋の中にはぎっしりと野菜や果物が入っていた。
今回の救出は依頼ではなかったから、報酬は出ない。純粋に感謝の気持ちとして村の特産品をくれるようだ。
「いや、そんなに気を遣わなくても…」
「ありがとうございます!」
ジャスパーが遠慮するのを遮り、私は男性から笑顔で袋を受け取る。え、と固まるジャスパーを見上げ、
「折角だから、今日頑張ったみんなの夕飯にしようよ。ギルドのキッチン借りてさ」
こういうのは下手に遠慮するより、笑顔で受け取る方がお互いに気持ちが良い。ご近所付き合いのコツだ。
冒険者が依頼以外で報酬を受け取ってはいけないという決まりも無いし、新人と実地研修の講師全員巻き込めばお礼を受け取った責任も有耶無耶に──ゴホン。何でもない。




