4 脱出
アレクシスにこの世界の常識を教えてもらいながら、豪奢な石造りの建物の中を歩く。
この国は通称『小王国』──正式にはやたら長ったらしい名前がついているが、平民は誰もその名前で呼ばないらしい。
なおアレクシスはちゃんと正式名称を教えてくれたのだが、長すぎて私は即座に記憶するのを諦めた。イギリスの正式名称なんて目じゃないわ。
とりあえず、『偉大なる』とか『始原の』とか、そういう無駄な美辞麗句は国名に要らないと思うんですよ。ハイ。
あと個人名を国名に組み込むのはやめた方がいいと思う。今頃あの世で悶絶してるんじゃないかな、組み込まれた人。
──ともあれ。
この世界には『魔力』と『魔素』という、私が暮らしていた世界には無い概念がある。
魔素は世界中のありとあらゆる所に存在し、大気中と大地とをゆっくり巡っている。
その魔素の影響を受けて特殊な能力を持った生き物が、『魔物』だ。
一方、人間は魔素を体内に取り込み、『魔力』に変えて操り、望んだ現象を引き起こすことが出来る。これが『魔法』と呼ばれている。
魔物も魔法を使えるが、人間同様、体内で生成した魔力を使うものと、大気中に存在する魔素を直接利用するものが居るという。
『魔石』は魔素が結晶化したもので、魔素が豊富な土地に産出する鉱物の一種なのだそうだ。環境により、水の魔石や火の魔石など、特定の属性を持っている場合もある。
魔石はランプやポンプ、コンロなど、『魔法道具』と呼ばれる便利な道具の動力として使われる。
ちなみに魔石は魔物の体内からも採れるが、魔物から採れる魔石は属性が混ざり合っているため、実用性はあまり無い。ただし、コレクターが居るくらい希少なものでもあるらしい。
「そういうのって採れたら一攫千金ですか?」
「まあ…種類にもよると思うが。だがそもそも、魔物と戦うのは危険だ」
そりゃそうだ。
もう少し平和にお金を稼ぐ方法を考えなくては。
その他、お金の単位や1年間の日数や時間──驚くことに時間と年月日の概念は日本と一緒だった──、身分制度の話などをしているうちに、外に出た。
「おお」
私は思わず声を漏らす。
深い堀の向こう、跳ね橋を渡った先に広がるのは、白亜の街並み。
夜も間近な今、街全体が夕焼け色に染まっていた。
私がさっきまで居た建物は、小王国の国王の住居、兼、政治の中枢である王城。
振り返ると、その城も全体が真っ白い石で造られていて、大小様々な尖塔が綺麗な茜色に輝いている。
とても綺麗だ。綺麗だが──その地下室でお貴族様たちが雁首揃えて『勇者』と『聖女』を召喚しようとしていたと考えると、何とも微妙な気分になる。
仕事しろよ、政治家。
(…いや、召喚そのものがこの国の大事な儀式だったんだろうけど……だよね…?)
何せ召喚されたのが『アレ』だ。時間と金と労力の無駄だったとしか思えないが。
「──ここから大通りをまっすぐ行った先、最初の十字路の右手前に、大きな宿屋がある」
ここまで案内してくれたアレクシスが、坂道を降りて行く道を指差して言う。
「『アレクシス・ウィルビーの紹介で来た』と言えば、身元不詳でも泊めてくれるはずだ」
城は丘の一番高い場所に建っていて、街並みは斜面から裾野に掛けて広がっている。
その向こうは、夕焼け色に染まる大きな湖だ。港らしき場所に、小さな船がいくつも集まっているのが見える。
基本的に、この丘の高い場所にあるのは上流階級向けの施設や屋敷ばかりだというから、アレクシスの言う城から程近い宿屋も多分かなりの高級宿だ。
…私、金持ってないんだけど。
手に持っていたはずのスマホすら、召喚されたら無くなっていた。所持品は召喚対象として認識されないらしい。
…着ている服はちゃんと一緒に召喚されたのが不幸中の幸いだろうか。
素っ裸であの連中の目の前に召喚とか、普通に精神が死ぬ自信がある。
「──それから、これを」
アレクシスが小さな革袋を取り出した。
受け取ると、ずっしりと重い。
開けてみたら、コインがぎっしり入っていた。
「この国の通貨だ。先程教えた金貨と、銀貨と、──これが銅貨と、小貨だ。今教えた宿は少し高価だから、1泊金貨1枚。一応5泊分くらいは用意したが…」
高級宿がどれくらいの相場か分からないが、1泊1万円として5万円分。
あとこれ、言い方からしてアレクシスのポケットマネーじゃなかろうか。何という太っ腹。
…明らかに恩人だし、『苦労人の匂いがする』とは言わんでおこう。
「良いんですか?」
もう受け取ってるけど、社会人のマナーとして一応訊いてみる。
アレクシスはどこかしょぼくれた顔で頷いた。
「…済まない。私にはこれくらいしか出来ないのでな、受け取ってくれ。…君のような未成年女性を何の後ろ盾も無く街に放り出すのは大変申し訳ないのだが…」
…………うん?
今、『未成年女性』っつった?
「…アレクシスさん、この国の成人年齢っていくつですか?」
「ん? 男女ともに18歳だが」
……なるほど。
私は少なくとも、18歳以下だと思われていると。
いやまあ、日本人って小柄だし、何だったら私は日本人の中でも平均身長以下だし、童顔だし。結婚直後にベリーショートにしたら少年に間違われた実績もあるわけですけども。
……そっかー。実年齢より10歳近く下だと思われてるのかー…。
若く見られて良いじゃない!ってよく言われるけどさ、限度ってものがあるよね。
『若く』じゃなくて『幼く』見られてるって考えると、ちょっと相手のこめかみグーでぐりぐりしたくならない?
やらないけど。この人相手にはやらないけども。
「…ど、どうした?」
「……ちなみにアレクシスさん、おいくつで? …あ、年齢訊くのが失礼に当たるならご指摘ください」
訊いてみたら、アレクシスさんは何故か狼狽えた。
「い、いや、女性が男性に年齢を訊くのは失礼ではないが……いや、迂闊に訊かない方が良いだろうな…求婚と間違われる可能性がある」
「何ですかそれ」
「ちなみに私は35歳だ」
「指摘してから年齢申告するのやめてくれません!?」
そっちのルールに則ったら、まるで私の求婚に応えてるみたいじゃないか。
私は青くなったが、アレクシスさんは真顔で大丈夫だと請け負った。
「私は子どもに手を出す趣味は無い。対象年齢は10歳違いまでだ」
うんそれ、私の実年齢だと十分射程圏内ってことだけどな。私これでも27だし。
…童顔万歳ってことにしとこう。
「左様で」
「…しかし君は、年齢のわりに落ち着いているな…失礼を承知で訊くが、いくつだ?」
私は笑顔で応えた。
「黙秘します」
アレクシスと別れて城を出た後、私は紹介された宿屋に入った。
最初は宿の人に『誰だこいつ』みたいな目で見られたけど、『アレクシス・ウィルビー騎士団長の紹介で来ました』と言ったらすぐに客室に通してくれた。
…明らかに『気の毒な子ども』を見る顔だったが、変に詮索されることも無かったので目を瞑っておく。
童顔万歳ってことだ、きっと。…多分。
夕食は何と宿がサービスしてくれた。
なお、メニューの中にタルタルソース付きの白身魚のフライがあった。マヨネーズがある上、食事の傾向が日本とそんなに変わらないという事実に衝撃を受けた。
…多分、本当に、過去に日本人が居たんじゃなかろうか。
しかし──
(…本当に異世界に来たんだなあ…)
食事を終えて部屋に戻り、卓上の魔石ランプを見て、改めて実感する。
お米ではなくパンだったのが少し寂しいが、食事は美味しかった。
部屋は明るく暖かく、トイレも水洗、お風呂にシャワーもあった。
だがその環境を提供する道具全てが、電気ではなく魔石の魔力で動いている。
壁に延長コードが這っていることもないし、コンセントみたいなものは見当たらない。
当然、街の中には電信柱も電線も無かった。
すっきりした景観が──何故かひどく寂しい。
「…」
その思いを振り切るつもりで、私は頭から羽毛布団を被ってベッドに横になった。
(仕事…やり残しちゃったな)
忘れ物を取りに家に帰ったきり行方不明なんて、みんな心配するだろうか。
…いや…あの会社、前に似たようなことあったな。
確かその時は、行方不明になった社員を探しに行かず捜索願も出さずに『迷惑だよなあ』の一言で片付けてたな、クソ社長。
(…何かどうでもよくなってきた)
スン、と感情が凪いだ。
旦那とは無事に縁が切れたし、親は放任主義だし、最近は友人とも疎遠になっていた。
職場の同僚には少し心配されるかもしれないが、あの会社で働いている以上、日々の忙しさに流されて終わりだろう。
──私は私の心配をした方が良いな。
さっさと思考を切り替え、私は目を瞑る。
──目尻を何かが伝った気がしたが、気にしないことにした。