23 保護? いいえ、スカウトです。
結果、酔っ払いは鼻と鎖骨を骨折。娘のシャノンは後頭部を10センチ近く切る大怪我。ノエルは頬が腫れ上がり口の中が切れていたのと、右手に巻かれた布の中、手の甲には明らかに靴で踏み付けられた跡があり、手のひらの骨複数本にひびが入っていた。
…やっぱり右手、怪我してたんじゃん。しかも大怪我。
ノエルさん、献身も行き過ぎるとただの自己犠牲だよ…。
騎士団から急遽派遣された回復術師の手によって全員の怪我が治ると、兵士たちはようやく事情聴取を開始する。
「…では、何も覚えていないと…?」
「はい…何が何だかさっぱり…」
すっかりしおらしくなったノエルの旦那──キースが、肩を落として呟く。が。
「嘘だね」
「嘘だ」
《嘘だな》
グレナと私とルーンが一斉に否定する。
「な、何を言うんですか! 本当に、私は何も…!」
「じゃあどうして懲りてないんだい」
「目が覚めたら部屋がとんでもないことになってたりとか奥さんと娘さんが怪我してたりとかして、自分が酔っ払ってやったって言われたら、普通は二度とお酒飲まないよね。自分が何しでかすか分からないんだもん。でももう何度もやってるんでしょ?」
《さっき正気に戻ったフリした時、ノエルとシャノンが怪我してるのに心配する素振りすらなかったもんな。覚えてないって誤魔化すのに必死で》
「…っ」
キースが顔を赤くして口籠る。…これは図星だな。
ノエルは愕然としている。そりゃあそうだろう。酔っ払ったら乱暴になるけど『普段は優しい旦那』が、実は意図的に酒飲んで暴れてたってなったら…ねえ。
「…だから言ったのに」
シャノンが厳しい目で呟いた。
「お父さん、絶対おかしいって。覚えてないわけないって」
シャノンは気付いていたらしい。もしかして、それを指摘して激昂したキースに窓に叩き付けられたのだろうか。
シャノンは頭を振り、ノエルに言う。
「お母さん、もうこれ以上ここに居ちゃダメ。出て行こう」
「そんな、シャノン…!」
キースが悲痛な声で叫ぶが、
「兵士さん、お父さんを捕まえてください。証言だったら私がします。このままだと、お母さんが殺されちゃう」
シャノンはキースを無視して、兵士たちに頭を下げた。キースがカッと目を見開いて手を振り上げる。
「お前…!」
私はサッとシャノンとキースの間に割って入った。
「またどつき倒されたい? 止めやしないけど」
「…っ!」
キースが青ざめて後退る。
一瞬見せたその態度こそが、この男の本性ということだろう。弱い立場の者に暴力を振るって悦に入る──それこそ不燃ゴミに出されても文句を言えない人間だ。
兵士が困惑しながら口を開いた。
「…その、良いのか? 旦那を捕まえたら、お前たちの生活が立ち行かなくなるんじゃないか?」
瞬間、グレナの怒気が膨れ上がる。
「それを考えるのはお前たちの仕事じゃないよ! 被害者が訴えてんだ、四の五の言わずさっさと連れて行きな!」
『は、はいっ!』
兵士がようやくキースの腕を掴む。抵抗しようとするキースに、ノエルが静かに声を掛けた。
「あなた」
「の、ノエル!」
キースは身をよじりながら、必死の形相でノエルを見る。
「助けてくれ! 本当に、本当にオレは何も…!」
「──私の夫は、自分のことを『オレ』なんて言わないわ」
「…!」
ノエルは目に涙を浮かべながら、しかし厳しい表情で告げる。
「さようなら、キースさん。後で離婚手続きの書類を送りますので、ごねずにサインしてくださいね」
「………」
キースが一瞬で静かになった。
兵士がキースを連れて出て行くと、ノエルはその場にへたり込んだ。
「お母さん…!」
「シャノン…ありがとう」
娘を思い切り抱き締めながら、ノエルはこちらを見上げる。
「グレナさん、ユウさん、ルーンさんも。…本当にありがとうございました」
「なんの、もののついでさ」
《何とかなって良かったよ》
「おつかれさま、ノエルさん」
私たちが笑い掛けると、ノエルの目から涙が溢れた。
「…っ、はい…!」
ノエルが落ち着くのを待つ間に、グレナとルーンと共に部屋の中を片付ける。
「す、すみません…」
「良いって。ノエルさんは休んでて」
とはいえ、目の前で他人が自分の家の片付けをしていたら落ち着かないのは当たり前か。
そこでノエルには、ノエルとシャノン、2人の荷物をまとめてもらうことにする。
「荷物をまとめる、ですか?」
「ほら、この惨状じゃあ、今夜ここで寝るのは危ないでしょ? それにこの家に居続けるとうっかり『奴』と出くわす可能性があるし」
窓が2ヶ所、割れて使い物にならなくなっているのだ。この街はそれなりに治安が良いらしいが、女性2人がこんな場所で夜を明かすのは危険極まりない。
それにDV野郎は兵士に連行されたものの、あの様子ではすぐに釈放される可能性もある。どうもあの騎士団、信用出来ないというか…余計な気を回して要らんことしそうな気がする。
「あり得るね。あんたたちはとりあえず避難した方が良い」
《でも、どこに? 宿にずっと滞在するのはお金が掛かるだろ?》
「それなんだけどさ」
私は顔の前で人差し指を立てた。
「ギルドの仮眠室はどうかなって」
仮眠室には2段ベッドが4台、計8人分の寝床がある。最近また不用品を貰ったので、寝具も4セットくらいあるはずだ。2人を受け入れるのは造作もない。
《ギルドの仮眠室は、冒険者しか使えない設備だぞ?》
ルーンの指摘が入った。チッ、気付いたか。
「どうせ利用者私しか居ないんだから良いじゃん。場所は空いてるし」
《まあそうだけど…》
制度上問題があるのは分かるが、居合わせた以上、『じゃあさようなら』では寝覚めが悪い。
ルーンと一緒に唸っていると、シャノンがぱっと手を挙げた。
「あ、あの! 私が冒険者になるっていうのはダメですか?」
「シャノン!?」
ノエルが目を見開いて娘を見る。シャノンは真剣な顔をしていた。
「ずっと考えてたの。私が働いて、自力で生活できるようになれば、お母さんもお父さんから離れられるかなって。私、今年で学校も卒業だし、もう働ける年齢だもの」
(…シャノン、14歳じゃなかったっけ?)
ルーンにこっそり訊いてみたところ、この国での法令上の就業可能年齢は15歳。ただし、日本で言う小学校や中学校に相当する義務教育の学校を卒業したらすぐに働き始める者が多いため、実質的には14歳くらいから仕事に就くことが多いのだという。
暇潰しに読んだ冒険者ギルドの規約には、冒険者登録は15歳から可能、と書かれていた。つまり表向きは、14歳のシャノンはまだ冒険者になれない。
が。
「そいつぁ良いね。ウチは万年人手不足だ」
グレナがニヤリと笑った。
「シャノン、お前さんが本気なら、冒険者見習いとして私が推薦してやろう。どうだい?」
冒険者には見習い制度がある。こちらは現役もしくは引退した冒険者の推薦と保護者の許可が必要になるが、12歳から登録が可能だ。
見習いと言っても依頼の報酬はちゃんと出るし、施設や制度の利用制限もない。
危険度の低い依頼を優先してこなして経験を積むことと、魔物の討伐など、危険な依頼を受ける時は必ずベテランの冒険者と行動を共にすることというルールがあるだけだ。
「お願いします」
シャノンはすぐに頷いた。
「シャノン、危険だわ!」
「ノエル、心配しなさんな。シャノンに任せたいのは街の中でのおつかいとか、そういう平和的な依頼だよ。そっちの手が足りてないのさ」
グレナはちらりとこちらを見遣り、あとね、と続ける。
「ついでにあんたもギルドに就職する気はないかい? 書類仕事と、時々冒険者連中の食事の準備、それから掃除なんかをしてくれると助かるんだがね」
「え…」
まさかのスカウトに、ノエルがぽかんと口を開ける。
私は即座に賛成した。
「それ良い! そしたら、私が毎日ご飯作らなくて良いもんね!」
食事作りの依頼、結構オイシイんだけど、毎日だと大変なんだよ…。交替でやってくれるなら本当に嬉しい。こっちの一般的な料理も食べてみたいし。
──そんな感じでグイグイ押したら、ノエルは気圧されたように頷いた。
…脅迫じゃないよ。
勧誘だよ。