198 国境の関所
その後程なくして旅装のライオネルが合流し、私たちは小王国との国境に向けて出発した。
幸いなことに、空は晴れている。
サラが張ってくれた水の膜のお陰で風には当たらずに済んでるし、上空の冷たさも感じない。
ただ──スピリタスのたてがみを掴む指先が、冷えている。
(間に合うか…?)
小王国の首都アルバトリアから国境の関所までは、乗合馬車なら3、4時間。ジークフリードとその取り巻きは長距離用の馬車と騎馬で移動しているらしいから、もう少し速いかもしれない。
スピリタスの飛行はすごく速いけど、ロセフラーヴァから王都まで2時間以上掛かった。
国境はロセフラーヴァよりさらに遠い。間に合うかどうか、微妙なところだ。
ギュッと手に力を込めたら、手の甲にふにっとしたものが押し付けられた。
《まあまあ、落ち着けよユウ。デールとサイラスはサクラたちが止めたし、ジャスパーとキャロルとシャノンはグレナと一緒にちゃんと支部に待機してるって話だ。少なくとも、ウチの連中が巻き込まれることはないって》
ルーンの肉球は温かくて、少しだけ肩の力が抜ける。焦りを見透かされたのが、嬉しいような恥ずかしいような。
「…デールとサイラスを止めたって、どうやって?」
《裏庭に埋めたってさ。首から上だけ出して》
「えっ」
内心を誤魔化すつもりで訊いたら予想外の答えが返って来た。思わず見下ろすと、真顔のルーンと目が合う。
「…埋めるって冗談じゃなかったの?」
《俺はいつでも本気だぞ》
…そういえば、ケットシーはそういう性質だったか。
妙に納得していたら、横でギルド長が嫌な顔をした。
「埋めるなよ。掘り返したり穴を埋め戻したりすんの、大変じゃねぇか」
《そこは抜かりないぜ。掘り返すまでがセットだ。埋め戻しは…埋まってた本人たちにやらせりゃ良いんじゃないか?》
「…それもそうだな」
残念ながらツッコミが不在だった。
「デールとサイラス…確か、小王国支部の冒険者でしたか」
ライオネルが呟くと、ギルド長が頷いた。
「ああ。ウチのメンバーの中じゃ古株の2人だ。つってもユウより年下だし、ユウの舎弟みたいなもんだけどな」
今は城じゃないからか、ギルド長はライオネルにもタメ口で話している。
ちなみにライオネルは敬語が通常状態だそうだ。私も『公の場ではないので、楽に話してください』って言われたけど、流石に大国の王太子様にタメ口きくのは無理だった。
…ギルド長にはタメ口だし、なんだったら小王国の城に乗り込んだ時にはどさくさに紛れて国王にも暴言吐いてたじゃないかって?
まあまあ。アレはアレ、コレはコレ。
…ともあれ。
「舎弟って言うな」
「お前のことを『姐さん』呼びするやつらのことを、他にどう表現しろってんだ」
文句を言ったら肩を竦められた。くそう、あの2人にそう呼ばれるのには慣れたけど、他の人に広まって欲しくないのに。
「それはまた…慕われているのですね」
「慕われてると言うか、初対面のインパクトが強すぎて恐れられてると言うか…」
苦笑するライオネルからそっと目を逸らす。
小王国支部で力量測定器をブッ壊した時、デールとサイラスは真っ青になっていた。あれはどう考えても、尊敬とか、そっち方面の表情じゃなかったと思う。
《…ユウってちょいちょい自己評価おかしいよな》
《やっぱりそう思う? 昔からなのよ》
ルーンとサラが何やら分かり合った表情で頷き合っている。
そうこうしているうちに、ユライト湖の東岸上空に差し掛かった。そこから東方向へ流れ出す川が、小王国とユライト王国との国境だ。
川に沿ってさらに飛んで行くと、程なく関所が見えてきた。
川の両岸にある石造りの建物がそれぞれの国の入出国手続きを行う場所で、その間に大きな橋が架かっている。橋の上はどちらの国でもない場所、という位置付けだ。
《橋の上に何か居るで!》
スピリタスが念話を飛ばしてスピードを上げる。
橋の上、小王国側に、見覚えのある色合いの鎧がひしめき合っていた。時折キラリと日の光を反射するのは、槍の穂先か何かだろう。その後ろにはいかにも高級そうな馬車も見えた。
小王国の騎士団と馬車──本当に完全武装のまま国境を越える気らしい。
が。
「何だありゃ…岩…?」
ギルド長が眉を顰めて言う通り、岩っぽいものが橋の半ばあたりを塞いでいた。その岩を背に人影が一つ、騎士団の行く手を遮るように佇んでいる。
「ひとまずユライト王国側の関所で話を聞きましょう。あの様子なら、今すぐに彼らが越境することはなさそうです」
「分かりました」
マグダレナの指示で、関所の手前に降りる。
幸い、小王国の騎士団がこちらに気付いた様子はなかった。
「スピリタスはここで待機していてください。以前、アレクシスをここに置いて私の所に来たのでしょう? 見付かると面倒です」
《合点承知やで》
1体に戻ったスピリタスが、マグダレナの言葉に即座に頷いた。
アレクシスは私のことを『精霊馬泥棒』呼ばわりしてたらしいし、スピリタスが私の傍に居るのを見たら絶対あることないこと騒ぎ出すだろう。
「ま、マグダレナ様!?」
私たちが関所に入ると、ユライト王国の兵士たちがすぐに駆け寄って来た。
目を見開く兵士の一人にマグダレナが状況を訊くと、壮年の兵士は敬礼して応じる。
「小王国より、王太子のジークフリード殿下、騎士団長のアレクシス様、筆頭文官のケネス様、ならびに騎士団御一行の入国要請が来ておりまして…現在、本国に確認を取っております」
兵士曰く、騎士の一人が先行してこちら側にやって来て、扉を無条件で開けるよう要求してきたそうだ。
いくら友好国の重鎮が来ているとはいえ──と言うか、だからこそ『はいそうですか』と通すわけにもいかず、橋の上で待ってもらうという異例の対応になった。
「小王国側から、事前の通達は無かったのですね」
「はい。そのため、現場では入国可否の判断がつかず…申し訳ありません」
「いいえ、正しい対応です」
小さくなる兵士に、マグダレナが首を横に振る。
「…ジークフリード本人と顔を合わせなかったのは不幸中の幸いだな」
「だね」
ギルド長と私はこっそり頷き合った。
もしジークフリードが直接こちらに来ていたら、私たちが危惧していた通りの『顔パス』状態になっていた可能性が高い。
「…では、あの岩は一体どうしたのですか?」
マグダレナが橋へと続く扉を視線で示した。
鉄格子の向こうに見えるのは、紛うことなく『岩』だ。高さ2メートルを超える岩が複数、橋の上にずらりと並んで、向こう側が完全に見えなくなっている。
壮年の兵士は困惑気味の表情になった。
「小王国の方々にお待ちいただいていたところ、突然あのような岩が出現しました。その直前にこちらから出国した男性が何らかの事情を知っていると思われますが、その男性も岩の向こう側に居りまして…」
「どのような男性ですか?」
「かなり大柄で筋肉質な、金髪の男性です。上級冒険者とのことでした。確か名前は──」
兵士が告げた名前に、私たちは目を見開いた。
「えっ」
「マジか」
「…確かなのですか?」
「は、はい」
マグダレナが訊くと、兵士が頷いた。
その名前には聞き覚えがある。と言うか、滅茶苦茶知ってる。だってつい最近会ったし。
「…なるほど、彼ならこの岩も納得ですね」
マグダレナが鉄格子の向こうの岩を見遣り、そうなると…と呟いた。
「国境の兵士の皆さんは、下手に手を出さない方が良いでしょう。事態がややこしくなりそうです」
「え…」
戸惑う兵士たちをよそに、マグダレナが背後を振り返った。
旅装のフードを被ったまま黙って立っていたライオネルが、落ち着いた足取りで進み出る。
「では、ここからは私が引き継ぎましょう」
ライオネルがマグダレナの横でマントのフードを外すと、途端に兵士たちが目を剥いた。
「ライオネル殿下…!?」
「少々、こちらに所用があり立ち寄らせていただきました。小王国の皆さんは私たちが対応しますので、関所の皆さんは待機していてください」
『は、はっ!』
ビシッと敬礼が揃った。