195 魔法を込めた特別な魔石
その後、書類はマグダレナの魔法で書き換えられ、関税の1割を私に渡すという一文は削除された。
これで協定締結書から私の存在は綺麗さっぱり消えたわけだ。正直ものすごくホッとした。
表向きは何の見返りもないことになるけど、そもそも交易路の整備に私が噛んでたことを表沙汰にしたくないのでこれで良い。
ライオネルが後ろ盾になる件についてはちょっと準備があるから手続きはまた後でと言われ、私たちは再び秘密の通路を通ってギルド本部へ戻って来た。
「ティル・ナ・ノーグ、魔石は完成しましたか?」
地下室のドアをマグダレナがノックすると、勢いよく扉が開く。
「よう! 待ってたぞ!」
ティル・ナ・ノーグは何故か大変上機嫌だった。鼻歌混じりに私たちをソファーに案内して、テーブルの上に置いてあった銀色の箱を開く。
「──というわけで、これが頼まれてた魔石だ!」
その中に入っていた物を見て、
『……』
全員が見事に沈黙する。
いやー久しぶりに良い仕事したぜ、と妙に爽やかな笑顔を浮かべるティル・ナ・ノーグの目元には、よく見ると濃いクマがあった。さては、徹夜でナチュラルハイになってるな…。
そう確信できるのには理由がある。だって目の前の箱の中には、
「……3つも頼んだっけ?」
魔石が3つ、入っていた。
私の記憶が確かなら、作成を頼んだのは腕輪の存在を隠す隠蔽の魔法を込めた魔石だけ。3つのうちのどれかはそれなんだろうけど、残りの2つは一体何だ。
「…ティル・ナ・ノーグ」
マグダレナが深い溜息をついた。
「サラの眷属の力を使いましたね…?」
「バレたか」
「え」
《何ですって?》
瞬間、サラの目が吊り上がる。
深い藍色の目に睨まれたティル・ナ・ノーグは、慌てた様子でソファーの端まで飛び退った。
「か、勘違いするなよ! こいつが『手伝いたい』って意思表示したんだ! 俺は強制してない!」
こいつ、と手で示す先、手のひらサイズの人形っぽい水の塊がテテテとサラに近付く。
ソファーから床に飛び降りたサラが水塊にむぎゅっと肉球を押し付けると、すぐにケットシーと同じくらいのサイズに膨張した。
「…昨日よりかなり小さくなってたな…」
「使ったって、この子の水を錬金術に使ったってこと?」
《まあ魔力たっぷりの水だから、素材としては一級品だろうけどなあ…》
「そんな目で俺を見るなー!」
全員が白い目でティル・ナ・ノーグを見遣る。ビビビと羽根を震わせたティル・ナ・ノーグは、ムスッとした顔でその場に胡坐をかいた。
「なんだよ、人が折角サービスしてやったってのに」
「あーうん、ありがとう…?」
はて、サービスとは。
私が首を傾げながら礼を述べると、ティル・ナ・ノーグはますます不貞腐れた顔になる。
マグダレナが苦笑して、箱の中の魔石を手に取った。
「──隠蔽魔法の魔石はこれですね。ユウ、腕輪を」
「はい」
煙水晶を思わせる薄い黒褐色の石が、腕輪の枠の一つに嵌め込まれる。途端、すうっと腕輪の色が薄れて見えなくなった。
「うわ」
「正常に動作するようですね」
腕輪を嵌めている感覚はあるし、実際右手で触ると確かに腕輪の感触はあるけど、目に映るのは何も着けていない手首だけ。隠蔽魔法ってすごいな。
「ユウ、隠蔽魔法を切ってみてください」
「ええと…?」
「腕輪に意識を集中して、『キャンセル』って呟いてみろ」
やり方が分からなくて困惑していたら、ティル・ナ・ノーグがぼそりと呟いた。
不機嫌な顔のままだけど、視線がちらちらと腕輪のあたりを向いている。自分が作った魔石だから、気になって仕方ないらしい。
「じゃあ──『キャンセル』」
言われた通りにやってみると、色水を流し込まれたように腕輪が色彩を取り戻した。
すごいな、とギルド長が呻く。
「ここまで完璧な隠蔽魔法はなかなかないぞ」
「そうなの?」
「ああ。大抵は、色がなくなっても視覚的に違和感が残る。ガラスとか水みたいに、そこだけ周囲の光景が歪んで見えたりな」
「へえ…難しい魔法なんだ」
魔法と一口に言っても、微調整が難しいものもあるらしい。
ギルド長の感嘆に、ティル・ナ・ノーグがふふんと胸を張った。
「この天才錬金術師に掛かれば、このくらいはお手の物だ」
機嫌が直ったようで何よりだ。
「じゃあ、残りの2つは? そっちも魔法を込めてあるの?」
「勿論だ!」
ティル・ナ・ノーグは残る2つの魔石を両手に取った。まず右手のオレンジ色の石を掲げ、
「こっちは補助系の拘束魔法! 『バインド』って言葉を合図に目の前10メートル四方に居る生き物を拘束する。自分より魔力の高い相手には効かないが、お前の魔力量だったら捕まえ放題だろ!」
さらに、左手の水色の魔石を示し、
「んで、これは『水刃』──『アクアエッジ』の言葉で水の刃を超高速射出する魔法だ。大きさと射程は込める魔力次第。使いこなすには多少練習が必要だろうが、上手く使えば飛行型の魔物にも対応出来るぞ!」
自信満々に言うけど、そのラインナップは…
「…要するに、これを使って珍しい魔物を捕まえて来いって?」
私が半眼で見遣ると、ティル・ナ・ノーグは途端に挙動不審になった。
「そ、そんなわけないだろ! お前は魔法が使えないって言うから、便利そうな魔法を選りすぐってやっただけだ! ホントだぞ!!」
何やら必死に訴えている。
いやでもこれ、どう考えても魔物を生け捕りにするための魔法だよね。水刃で機動力を奪って拘束魔法で捕獲。
死体で良いならわざわざ『拘束』魔法を用意する必要、ないし。
そのままじーっと眺めていたら、ティル・ナ・ノーグは目を逸らしたまま、羽根をしょぼんと垂らして呟いた。
「…俺だって、生きた魔物を見てみたいんだよ。ウチは魔物研究班だってのに、危ないからってなかなか現場に出してもらえないし。最近じゃ、魔物鑑定士にお株を奪われてばっかだし…」
「貴方たちを現場に出さないのは、魔物を見た途端後先考えずに突進する者ばかりでフォローし切れないからですよ」
マグダレナがとても深い溜息をついた。
「あー…」
それはどう考えてもマグダレナの判断が正しい。
目を輝かせて最上位種に駆け寄られたら、どんな凄腕の冒険者でも対処し切れないだろう。
ティル・ナ・ノーグがそういうことしてたら、多分私でも即行ティル・ナ・ノーグを掴んで革袋に放り込むと思う。
…魔物鑑定士のチャーリーが来た時も、阿呆みたいな注文が多くて大変だったもんね…。
「…まあ、事情は分かった。とりあえず魔石は有り難く貰っとく。魔物の捕獲に関しては一応心に留めておくけど…あんまり期待しないでね。正直、こっちもわりと命懸けだから」
私が言った途端、ティル・ナ・ノーグがぱあっと顔を輝かせた。
「マジか! 良い良い! それで良い! 頼んだからな!!」
…その期待に応えられる日は来るんだろうか。
期待に応えたとして、小王国の魔物だと、こっちにトドメ刺せる人が居そうにないんだけど…。