191 小王国の散らかし王子
魔物じゃなくなったにしろ、精霊の眷属なんてそれはそれで珍しいからちょっと調べさせろ、と主張するティル・ナ・ノーグに元アクアゴーレムを預け、私たちは地下室を出た。
当然ながら元アクアゴーレムは大層嫌がり、サラにべったり貼り付いて離れようとしなかったけど、サラの『名前考えといてあげるから、ここで大人しく指示に従ってなさい』という命令によって態度が一変、敬礼してティル・ナ・ノーグの横に立った。
なお、サラが水を追加で与えたので、今の元アクアゴーレムは人間の幼児くらいのサイズになっている。つまりティル・ナ・ノーグより大きい。
いざという時、ティル・ナ・ノーグを弾き飛ばして逃げられるようにだろう。
階段を上がり、3階のギルドマスターの執務室に入ると、満面の笑みを浮かべたフォルクが待っていた。
「よう、大活躍だったな! 見てたぞ!」
《見てたのかよ》
ルーンが突っ込むと、フォルクは豪快に笑う。
「そりゃあ気になるからな! マグダレナ肝入りの特級冒険者に契約精霊にケットシーに小王国の散らかし王子! こんな組み合わせは滅多に見れんだろ!」
…ん?
「ちょっ…!」
「…小王国の散らかし王子」
「ユウ、真顔で呟くな!」
ギルド長が叫ぶと、フォルクがニヤニヤと笑う。
「なんだなんだ、支部の連中には秘密にしてたのか? 若気の至りってやつだもんなあ」
「大丈夫、つい1年前まで小王国支部でその渾名通りのことやってたから」
残念ながら『若気の至り』じゃなくてほぼ現在進行系だ。
私が拳を握って親指を立てると、途端にフォルクの目に呆れが浮かんだ。
「……お前、あれだけ大口叩いておいて…」
聞けば、ギルド長は冒険者だった頃にユライト王国中央支部に居たことがあるらしい。
わずか1ヶ月仮眠室の一室に滞在していただけなのにその部屋と周辺が魔窟と化し、当時中央支部のギルド長だったフォルクは頭を抱えたという。
「その部屋を使ってた連中を呼び出して説教してもどこ吹く風って感じでな。中心人物だったこいつだけ残して『次期ギルド長候補がこんなんでどうすんだ』って詰め寄ったら──」
「ギルマス、それ以上はムギュッ」
話を止めようとするギルド長の頬を適当に押しやり、私は先を促す。
「詰め寄ったら?」
フォルクはニヤリと笑い、
「『長になったらちゃんとする。それくらいの分別はオレにもある』とか抜かしてな」
「へー」
私は平坦な目でギルド長を見上げた。
「フンベツ。へえ……分別ねえ」
《言うはタダってやつだなー》
《立場が変わったからって本質がそうそう変わるわけないわよね》
《大風呂敷広げよったなあ…》
ルーンがくあー…と欠伸しながらコメントし、サラは辛辣に目を細め、スピリタスはぴこぴこと耳を動かす。
ギルド長がぐっと言葉に詰まって呻いた。
「……お前ら、オレのこと嫌いだろ」
「嫌いではないよ。心の底から呆れてるだけで」
「フォローになってねえ!」
元気だな。
私はついでにギルドマスターにご報告申し上げておく。
「ちなみにこの人、ギルド長になってから小王国支部の敷地内全域をゴミ屋敷に仕立て上げて本人も山賊まがいの格好してました。当時一緒に行動してた冒険者2人も。ねえルーン?」
《おう。ゴミだらけだし臭いもひどいしで、依頼人がギルドの中に入って来れなかったよな》
「あっ、こら、チクるな!」
ねー、とルーンと頷き合うと、ギルド長が声を上げる。もう遅いよ。
マグダレナが呆れたように目を細めた。
「…それでよく支部を維持していましたね…」
「他に頼める所がなかったからですよ。もう一つ支部があったら、みんなそっちに行ってたんじゃないですか?」
《俺もそう思う》
それほどあの支部の汚屋敷っぷりは凄まじかった。
…そこでふと、私は一つの可能性に思い至る。
「……ギルド長、まさかとは思うけど、私が居なくなって前と同じ状態に戻ってる、とか言わないよね?」
「…」
見上げた途端、ギルド長がものすごい勢いで目を逸らした。
おやあ…?
「ルーン?」
《ノエルとエレノアが掃除してくれてるから、ホールは綺麗なままだと思うぞ。でも…事務所のこいつの机の上はなあ…》
ルーンは私が小王国を脱出した後も暫くの間はあっちに居たので、私が居なくなった後のギルドの様子もある程度把握している。
訊いたら案の定、ルーンは言葉を濁してギルド長を見遣った。
周囲の視線を一身に受けたギルド長が、じりじりと後退る。
「…な、なんだよ、良いだろ、自分の机くらい」
「どうでしょうね」
「程度にもよるな」
マグダレナが薄らと笑い、フォルクが苦笑する。サラがぱたんと尻尾で床を叩いた。
《そういうこと言う上司って、大抵そのうち隣の机とか空いてる席とかを自分の書類で浸食し始めるのよね》
「!」
ギルド長がギクッと肩を跳ねさせた。流石はサラ、よく分かっていらっしゃる。
机の上に書類を積み重ねると隣の机との境界が見えなくなって、いつの間にか書類が隣まで溢れ出るのがお決まりのパターンだ。
あと、誰も使ってない机に『後で処理する書類』とか『本当はファイリングしなきゃいけない処理済みの書類』とか『参考資料っぽい何か』を置いて私物化するとかね。
…あっちに居た頃、勤め先のパワハラクソ上司もよくやってたなあ…。
──まあしょーもない思い出は置いといて。私は真顔でルーンを見遣った。
「ルーン、『小王国支部のギルド長の机回りは片付けないでそのままにしておいて』って、サクラを通してあっちのみんなに伝えてくれる?」
「んな!?」
《イエス・マム》
ギルド長が目を剥いて、ルーンが即座に頷く。
青くなったところを見ると、一応ギルド長にも『散らかしてる』という自覚はあるんだろう。自覚があるならやるなよ。
(…って言うだけでどうにかなるなら、汚部屋も汚屋敷も発生しないよね…)
「おいユウ、なんで『片付けるな』なんて…」
「他の人に片付けてもらったら、ギルド長、絶対自分で片付けなくなるでしょ? 何も言われないからって当初の約束破って自分が使った食器をテーブルに置いたまま逃げてた前科もあるもんね?」
「ぐうっ…!?」
にっこりと、敢えて笑顔を浮かべて言い放つ。
ギルド長は思い切り言葉に詰まった後、何やら必死の顔で言い訳を並べた。
「それは、その、食器を片付けなかったのは悪かったと思ってる。けどもうそんなことしてないし、机の書類のことはエレノアにもノエルにも、何も言われてないぞ!?」
ほほう。何も言われてないとな。
私は思い切りわざとらしく溜息をつく。
「…ギルド長。一ついいことを教えてあげよう」
「お、おう…?」
「一般的に、後ろめたいことをしてても『何も言われない』っていう状況はね、『気付かれてない』とか『許容されてる』ってわけじゃないんだよ」
「へっ?」
ぽかんと口を開けるギルド長に、私は笑顔で続けた。
「そういう場合は『言ったところで聞くわけないと諦められてる』か、『軽蔑されて黙って評価を下げられてる』か、『そもそも完全に興味がない』かのどれかなの」
「え゛っ!?」
ギルド長が愕然と目を見開いた。流石にそこまでは考えが及ばなかったらしい。
…まあエレノアとノエルのことだから、ギルド長が多忙なのを理解した上で『片付けろなんて言えないよね』って同情混じりに遠慮してるんだろうけど…。それを知ったらギルド長が調子に乗るのは目に見えているので言わないでおく。
《そうね。そもそも『仕事机の上を片付けろ』なんて、いい歳の大人に一々言うことじゃないわ》
サラの目がとても冷たい。やっぱり前世──あっちの世界で色々経験したんだろうか。
《自分の部屋ならともかく、仕事場でしょ? 片付けなんて、して当然じゃないの》
「う…」
吐き捨てるように言われて、ギルド長が怯む。私は笑顔でフォローした。
「散らかすのが習慣として染み付いてるなら、片付けが習慣として身につくまで何度でも経験すれば良いよ。私、いくらでも付き合うからね?」
「………へ!?」
「大丈夫、こういうのは慣れだから」
「全っ然嬉しくねぇ! イイ笑顔で親指立てるな!」
わめくギルド長を眺め、フォルクとマグダレナが微笑ましそうに目を細める。
「いやあ、あのふてぶてしい散らかし王子をここまで御せるヤツが居るとはなあ」
「ええ、とても貴重な人材ですね。小王国支部から所属を変えないで正解でした」
《……エエんか? それ》
スピリタスがそっと首を傾げた。




