190 水風船
アクアゴーレムを処理した後、私たちはそのままギルド本部の地下、魔物研究班の居室へ向かった。
最初はユライト王国中央支部の裏庭に降りようと思ってたんだけど、支部の屋上に冒険者がひしめき合って『未確認飛行物体を目撃した!』みたいな顔でこっち見てたから、ついスピリタスに頼んで着地地点変えちゃったよ、本部の裏庭に。
何か、双眼鏡とか使って私たちの戦い見てたっぽいんだよね。みんな暇なのか。
「──というわけで、はい」
応接スペースのテーブルに例の小箱を置くと、ティル・ナ・ノーグが『ウヒョー!』と奇声を上げて小箱に飛びついた。
「受け取った! 受け取ったぞ! 返せって言われてももう返さないからな!?」
《誰が要るのよ、生きた魔物なんて》
サラがドン引きしてる。
《まあ需要があるのはこういう変態の巣窟くらいだろうな、実際》
ルーンが呆れ混じりにコメントすると、ティル・ナ・ノーグは小箱に抱き付いたまま、くわっと目を見開いた。
「変態って言うな! 変人って言え!」
「え、そこ重要なの?」
変態も変人も大して変わらないと思うんだけど。
私が呟くと、マグダレナが頬に手を当てた。
「どうも彼らにとっては違うらしいのですよ。『変人』だとまだ人間の範疇に含まれるけれど、『変態』だと人外魔境が混ざって来るから…とか」
「分かるような分からないような」
じゃあアレか。マッドサイエンティストは人間だけど、露出狂とかストーカーは半分人外扱いになるのか。
自称『変人』ことティル・ナ・ノーグは、ひとしきり小箱に頬ずりした後、いそいそと白い手袋を嵌めた。
「さて、それじゃ早速──どわっ!?」
蓋を開けた途端、中から飛び出して来た球がティル・ナ・ノーグの顔面に直撃した。
軽々吹っ飛んだ妖精は背中からソファに転がり、すぐに飛び起きる。
「くそっ、活きが良いな! ──…アレ?」
何故か目を輝かせて身構えたティル・ナ・ノーグが、それ以上の追撃がないことに気付いてきょとんと首を傾げる。
それもそのはず。
「…え?」
ぷるんとした透明な球は、どういうわけかサラの真横にぴたりと貼り付いていた。身体にへばり付いてるわけじゃなくて、こう、雛鳥が親鳥に甘える時みたいな感じで。
《………なにコレ》
サラが渋面で呟いた途端、球がビクッと反応して、そろり…とサラから離れた。
見た目本当に透明な水風船みたいなのに、動きが動物じみていると言うか、むしろ人間くさい。
「な、なんだ…?」
ギルド長にも何が起きているのか分からないらしい。
サラが前脚でつつくと、水風船はその前脚にすり寄ろうとして──ピタッと動きを止めて元の位置に戻る。
「なにこれ可愛い」
私が反対側からつつくと、球はころんと転がってサラに触れ、また慌てたように離れた。感触は見た目通りプニプニだ。アクアゴーレムって、コアだけだとこんなに可愛いのか。
「サラに懐いてるっぽいね。甘えたいけど、拒否されたから近付けない、みたいな感じ?」
《魔物に懐かれても嬉しくないわ》
サラが思い切り眉間にシワを寄せた途端、水風船がビクッと跳ね、その後ぺしゃっと潰れた。ソファーの座面にのっぺり広がっている。
《…こいつ、滅茶苦茶ショック受けてないか?》
《魔物よ? そんなわけ…》
平たくなったコアがプルプル震えているのを見て、サラの言葉が尻すぼみになる。
マグダレナがぽつりと呟いた。
「…もしや、『眷属化』でしょうか」
「けんぞくか?」
「精霊は属性親和性の高い魔物を自らの配下に置くことが出来ます。サラは水精霊、アクアゴーレムはほぼ純粋な水属性の魔物ですから、親和性はかなり高いでしょう。──最上位種を眷属化出来るとは聞いたことがありませんが」
このアクアゴーレムのコアを捕獲するのに、サラは『アクアゴーレムの身体を構成する水を自分の魔力で引き剥がす』という荒業をやってのけた。
その時コアにも相当量の魔力が流れ込んだ結果、コアがサラの魔力に完全に染まり、眷属化したのだろうというのがマグダレナの見解だった。
私の魔力も使ってたけど、サラの身体を経由しているので『サラの魔力』扱いで良いらしい。
なお、後半の呟きは聞かなかったことにする。
なにぃ!?と叫んだのはティル・ナ・ノーグだった。
「じゃあこいつ、もう魔物じゃないじゃないか! 折角生け捕りにしたのに!!」
血走った目で睨み付けられた水風船がスススとソファーの隅に移動する。
座面と背もたれの隙間に入ろうとしてるけど、イマイチ隠れ切れていない。ハムスターか何かみたいだ。
そしてサラは、昔から小動物に弱い。
《ちょっと、なに理不尽な言い掛かりつけてるのよ。元はと言えばあんたが『生け捕りにしろ』とか無茶振りしたからこんなことになったんでしょ?》
ソファの上で立ち上がり、鋭い瞳でティル・ナ・ノーグを睨み付ける。
《意図した結果にならなかったからって文句言うなんて、研究者のやることじゃないわ》
「うっぐう…!」
正論をぶつけられて、ティル・ナ・ノーグが気圧されたように後退った。
私はソファーの隅に縮こまる水風船をつんつんとつつく。
「大丈夫、もうサラ嫌がってないよ」
…?
水風船がそろりと動くのと、サラが水風船に向き直るのはほぼ同時だった。ビクッと震える物体に、サラが溜息をつく。
《…突き放して悪かったわ。あなた、私の眷属なのね?》
…!
水球がぽよんと跳ねた。サラは眉間にシワを寄せたまま、前脚でフニっと水球に触れる。
《仕方ないから世話してあげるわ。ちゃんと貢献しなさいよ?》
…! …!
水球が大きく震え、一回り大きくなった。どうやら、サラが水を与えたらしい。
短い手足が生えて何となく二足歩行の人型っぽくなった水塊が、ぺこぺこと何度も頭を下げる。
サラはツンとした顔のままだけど、よく見るとヒゲがぴくぴくと反応していた。
「嬉しそうだね、サラ」
私が呟いたら、ギルド長が目を見開いた。
「は? これで!?」
「そう。これで」
サラは笑顔の安売りをしない。営業スマイルは作るけど、素の状態だと仏頂面がデフォルトだ。
《…そういうのは本人の前で解説するものじゃないと思うわ》
サラが眉間のシワを深くする。前脚が水塊にめり込み、人型がわたわたと両手を振った。
「おい待て、そいつ潰れてんぞ!」
《これくらい平気よ、水だもの。ねえ?》
…っ!
流し目で人型の水塊を見遣るサラと、同意してるんだか抗議してるんだか分からない動作で反応する元アクアゴーレム。
ティル・ナ・ノーグがごくりと息を呑む。
「…こ、これが噂に聞くツンデレ…!」
《………今、デレ要素あるか?》
ルーンが片耳を倒して呟いた。




