183.5 閑話 歴代最速昇格の特級冒険者
その知らせは、まさに青天の霹靂だった。
「久しぶりに特級冒険者が出るらしいぞ!」
「マジか! いつ振りだ?」
ざわつくホールを横切り、俺は逸る気持ちを抑えて掲示板へ向かう。
依頼用とは違う、普段なら誰も見向きもしないギルド本部からのお知らせ掲示板の前には、既に人だかりが出来ていた。興奮と驚きが入り交じる声があちこちから聞こえて来る。
(やっと俺の番が来た…!)
その声の中から『若い』とか『ウソだろ』とかいう単語を拾い、俺は勝手に上がりそうになる口角を無理矢理引き締める。
冒険者になってから8年。最初の1年で上級冒険者まで上り詰め、この支部の歴代最速記録を塗り替えた。賞金首の捕縛なら、大ベテランのハウンドにも引けを取らない自信はある。
『未明の地』でも経験を積んだし、南の亜人種たちの居住区にも出向いた。行く先々で実績を挙げ、功績を積んだ。
このまま行けば、歴代最速で特級冒険者になれるのではないか──そう言われたのも一度や二度ではない。
だからこの告知は、まさに自分のことだろう。
俺は確信を持って人混みをかき分け、掲示板を見上げて──
「……………は?」
間の抜けた声が漏れた。
俺の名前にかすりもしない名称が『特級冒険者昇格のお知らせ』に載っている。
「………誰だ、こいつ…」
本当に知らない名前だった。『小王国支部所属、ユウ』。
小王国というのは…確か、ユライト湖の東岸、ユライト王国の付属品みたいな滅茶苦茶小さい国だったか。そんな所に所属している冒険者が、特級冒険者に昇格だって?
(一体何の冗談だよ)
「あれ、お前知らないのか」
近くに居た壮年の剣士が、訳知り顔で話し掛けてきた。半年ほど前にこの支部に移籍して来た、ベテランの上級冒険者だ。
「1年くらい前に冒険者になった新人で、上級冒険者への昇格の歴代最速記録を大幅に塗り替えたバケモンだ。これで特級冒険者昇格の歴代最速記録も更新だな」
「はあ!?」
1年前は素人だった人間が、特級冒険者になる。全く意味が分からない。
「なんだよそれ、賄賂でも使ったんじゃねーの!?」
「だよなあ」
俺が叫ぶと、周囲の冒険者たちも同調した。
「いくらなんでもおかしいよな」
「聞いた話じゃこのユウってやつ、女で主婦だったらしいぜ」
「は!? マジかよ。そんなんがどうやって」
「枕営業でもしたんだろ」
「最悪だな」
下世話な単語も飛び出すが、それを止めようとする者は居ない。
当り前だ。ユライト王国中央支部は、この国の中でも指折りの実力者たちが集まる場所。初級・中級冒険者も多いが、上級冒険者への昇格も速く、上級冒険者の比率が非常に高い。昔から、この大陸最大の支部として名を馳せてきた。
『小王国支部』なんて、知名度も存在感もない支部とは違うのだ。
「…ったく、お前らは…」
ただ一人、壮年の剣士だけは呆れたように俺たちを見回した。その態度にカチンとくる。
「なんだよ、あんたは何とも思ってないのか?」
「…何とも思わないわけじゃねぇけどな。特級冒険者になるのに、枕営業なんて阿呆みたいな手段が通用すると思うか? ギルドの上層部には、あの『銀の秘蹟』が居るんだぞ?」
『……』
途端、周囲から波が引くように批判の声が消えて行く。
冒険者ギルドサブマスター、『銀の秘蹟』マグダレナ。
見た目こそ銀髪の美少女だが、魔法を極めて不老に至った世界屈指の魔法使いであり、冒険者ギルド創設者の一人だ。ギルドマスターは代替わりするが、サブマスターの席には創設以来ずっとマグダレナが座っている。
確かに、あの魔女には枕営業なんて無効だろうが…
「サブマスターに通用しなくたって、他の上層部相手なら分からないだろ。別にサブマスター個人がお墨付きをくれなくても、特級冒険者にはなれるんだからな」
俺が噛み付くと、壮年の剣士はがしがしと頭を掻いた。
「だからお前は、そういう不遜な発言は控えろって…ったく…」
これ見よがしに溜息をつき、パン、と手を叩く。話を切り上げる時のこの男の癖だ。
「──ここで要らん妄想繰り広げてたって仕方ないだろ。『ユウ』は明日昇格だ。本部に顔を出すはずだから、こっちに来てもおかしくない。その時に見極めりゃいい」
「来なかったら?」
「小王国支部に見学にでも行け。──言っとくがな、小国の弱小ギルドだって甘く見てると、痛い目見るのはお前の方だぞ」
「はあ?」
俺は思わず声を跳ね上げる。
そして気付いた。この男、確か半年ほど前までロセフラーヴァ支部に所属していたはずだ。
ロセフラーヴァはユライト王国東の交易都市で、小王国とも街道で繋がっている。もしかして、この『小王国支部のユウ』に会ったことがあるんじゃないか。
「…あんた、この『ユウ』ってヤツの肩持つ気かよ」
「ンなわけあるか」
半眼で訊くと、剣士は嫌そうな顔で即座に否定し、その場を去って行った。
──だから俺には、続く言葉が聞こえなかった。
「…俺が肩を持とうと持つまいと、あいつなら批判なんぞ秒で蹴散らすだろうよ」
翌日の昼前、受付ホールで待ち構えていた俺の前に、見慣れない2人組がやって来た。
1人は、嫌味なくらい整った顔立ちの黒髪の男。
もう1人は、その影に完全に隠れてしまうくらい小柄な若い女──少女、と言ってもいいくらいか。両肩に黒と灰色のケットシーを乗せている。緑の目が興味深そうに受付ホールを見渡していて、いかにも『おのぼりさん』という雰囲気だ。
2階から降りて来たが、登録手続きを終えたばかりの新人とその付き添いだろう。
女は黒髪の男に促されて依頼掲示板に近寄り、初心者用の依頼の内容を読み上げている。
ネクラコウモリが街の中に出ることを知らないあたり、王都のこともよく知らないらしい。…それでよくここに居るな。
──などと思っていたら、予想外の人物が2人に──いや、女の方に話し掛けた。
途端、パッと女が表情を輝かせる。
「ハウンド!」
「よう、先日ぶりだねユウにサラにルーン」
(……はあ!?)
ベテラン上級冒険者に気さくに話し掛けられ、タメ口でそれに応じる女とケットシー2匹。
いかにも親しげな雰囲気に、俺や、こっそり様子を見守っていた周囲の冒険者たちが唖然と目を見開く。
会話は続き、女はこの場に居ないハウンドの相棒、ラグナの話題まで出してきた。
(…って、待て。今、『ユウ』って呼んでなかったか?)
──そこでようやく気付く。小柄な女の左手首には、細かな装飾が施された腕輪がはまっていた。
その独特の紋様は──見間違えようがない。
(なんでこんな初心者用じみた女が、特級冒険者の腕輪なんか着けてんだ!?)
瞬間、俺は心の底から叫んでいた。
「──どういうことだよ!?」
──数刻後、俺は『ユウ』に突っ掛かって行ったことを心の底から後悔することになる。