178 ユライト王国、王都
その日の午後。
私とルーン、サラ、ギルド長、そしてスピリタスとマグダレナは、ユライト王国王都に居た。
「マジかよ…」
ギルド長がげっそりと呟く。その顔は真っ青で、何か魂が抜けそうな感じだ。
「ギルド長、大丈夫?」
「大丈夫じゃねぇ…なんでお前はピンピンしてんだ…」
声を掛けたら呪詛みたいな呻きが返って来た。でもまあ、仕方ない。
何せ複数体に分身したスピリタスの背中に乗って、王都まで空を駆けて来たのだ。もはやスピリタスが何なのか分からなくなる上に、馬車なら10日は掛かる道程を2時間で片付ける高速移動。強行軍にも程がある。
でも、
「だって私、半年前にスピリタスに乗って戦ったし」
あれに比べたらずーっと一定速度で飛んでるだけなんて大したことはない。そう胸を張ったら、ギルド長がドン引きした。
「…お前絶対何かおかしいだろ。平衡感覚とか」
「失礼な」
まあ実を言うと、飛行機とかで『空を飛ぶ』感覚に慣れてたっていうのもある。現代日本人の特権ってやつだ。実際、サラも平然としてるし。
ちなみに、生身のまま上空の風に晒されてたわけだけど、私とサラとルーンはサラが前方に張った薄い水の膜で守られてたし、ギルド長は真っ青な顔かつ必死の形相で氷の殻みたいなのを張っていた。マグダレナは…髪もなびいてなかったんだけど、あれは一体何をしてたんだろうな…。
私の肩からルーンが飛び降り、ぐうっと伸びをする。
《まあこいつがおかしいのは今に始まったことじゃないだろ》
「…そうだな」
そこで同意するんじゃない。
ジト目で見ていると、ギルド長は深々と息を吐いた後、背中を伸ばして周囲を見渡した。
「──にしても…よくこんな所に降りられたな」
淡い赤褐色とサンドベージュの石材がモザイク状に組み合わさった上品な石畳に、白い塗り壁の土台。そこから1メートルほど上は──重厚な赤褐色のレンガで作られた、城。
そう、城。
…目を逸らしてたんだけど、やっぱりギルド長から見ても意外な場所だったらしい。
「……なんでこんな所に降りてるのかな」
大きな街の近くに降りて行くのかと思ったら、その街のド真ん中にある城壁に囲まれたデカい建造物の一角目掛けて下降を始めたから、まさかと思った。というか、嘘であって欲しかった。
…まさか街に入る手続きも何もかもすっ飛ばして、国の中枢に直接着陸するなんて思わなかったよ。
ギルド長と同じようなことを違うニュアンスで呟くと、1体に戻ったスピリタスが訳知り顔で鼻を鳴らした。
《これが一番手っ取り早かったんや。心配せんでも、ここら一帯はマグダレナの研究棟やから、城のお偉いさんも近寄らんで》
それはどういう意味だろうか。尊重されているのか、恐れられているのか。…突っ込んではいけない気がする。
「今は立ち入り禁止にしていますからね」
マグダレナがさらりと言う。仮にも大国の城で簡単に『立ち入り禁止にしてる』とか言えるあたり、この御方は本当に規格外だ。
《ほんなら、ワイは休憩させてもらうで。レーナ、ワインはいつもンとこやろ?》
「ええ。必要な時には呼びますが、明日までは休んでいて構いませんよ」
スピリタスは慣れた様子で、じゃあまた後でな!と私たちに片目を瞑ると、すぐ近くにある小屋に去って行った。
「──さて…」
マグダレナが、『こちらです』と歩き出す。行く先は、一番近い棟──ではなく、その脇の細い塔。マグダレナが手を翳すと、勝手に扉が開いた。
「おお」
「特定の魔力に反応して扉が開く仕掛けです。扉を閉めると勝手に鍵が掛かるので、取り残されないように気を付けてください」
塔の中は石造りで、上に続く螺旋階段があった。マグダレナは階段には向かわず、正面の、階段の軸になっている柱っぽい部分に手を伸ばす。
「ああ、少し後ろを向いていてもらえますか? 機密に関わることなので」
「ハイ」
ただでさえいきなり中枢に入り込んでいるのに、これ以上ヤバい情報に近付きたくない。私は即座に後ろを向いた。
マグダレナが何やらごそごそする気配がした後、ひんやりとした風が流れて来る。
「もう良いですよ」
振り向くと、柱が柱ではなくなっていた。ちょっと左右に広がって、真ん中に人が通れるくらいの穴が開いている。
「うおお…」
ギルド長が圧倒されたように呻いた。なんだか目が輝いている。…こういうの好きな人って結構居るよね。私もだけど。
「地下通路ですか?」
入口の向こうは下り階段だった。覗き込むと、数段真っ直ぐ降りた後、直角に折れ曲がっている。地上の螺旋階段とは造りも材質も違っていて、この秘密の階段の方がかなり古く見えた。
「大昔の避難路です。今はただの便利な通路ですが」
マグダレナが錫杖の先に光の魔法を灯し、階段を降り始める。サラとルーンを肩に乗せて私が続き、ギルド長も中に入ると、入口が音もなく閉じていった。
「うわ、暗い」
《ちょっと待ってろ》
マグダレナの明かりがあるけど、数段下は真っ暗闇だ。思わず呟いたら、ルーンが魔法の明かりを浮かべ──ギルド長の頭にくっつけた。
「オイ」
《良いだろ、そこだったら誰も眩しくないし》
確かに高さは丁度いい。見た目かなり間抜けだけど。
(ソルジャーアントの巣に潜るとき、私もやったなあ…)
あの時はキャロルが明かりの魔法を使ってくれたのだったか。今となっては懐かしい。
「そういえば、ギルドのみんなは元気にしてる?」
マグダレナについて階段を降りながらギルド長に訊いてみると、すぐに返事が返って来た。
「まあな。お前がユライト王国に脱出してすぐの頃はアレクシスとケネスがうるさかったが、ケットシーたちに追い払われて、今じゃすっかり静かなもんだ。魔物は相変わらず湧いて出るし、依頼もそこそこ来るけどな」
《なんだ、あいつら諦めたのか》
ルーンが拍子抜けしたように呟いた。多分、ルーンが居た頃はそれこそうるさく騒いでいたんだろう。ちょっと安心した。
「まあ、デールとサイラスはことあるごとに『姐さん大丈夫ですかね』とか呟いてるし、シャノンとノエルとエレノアとイーノックは時々溜息ついたり遠くを見てたりするし、グレナ様はそれを見て苦笑いしてるし…ジャスパーとキャロルもそんな感じか。とにかく、心配してるのは確かだろうよ」
「わお」
その様子が思い浮かんで、嬉しいようなこそばゆいような照れくさいような、何とも落ち着かない気分になる。心配かあ…そっかあ…
「…お前がどんなことをしでかしてるか、誰か巻き込んだりしてないか、ってな!」
「……分かってたけどさ!」
言うと思ったよ、畜生め!
私が叫んでいると、マグダレナが小さく笑った。
「小王国支部はみな、仲が良いのですね」
「あーまあ、同じ釜の飯を食った仲間というか、家族…みたいなもんですから」
ギルド長が頭を掻いた。自分で言っといて照れるなよ。
《まあみんなユウに餌付けされてるのは確かだよな》
《…ユウならやりそうね》
「どういう認識」
ルーンのコメントにサラが即座に頷き、私は思わず突っ込む。すると、自覚ないの?とサラが呆れた目になった。
《昔、ご近所さんとバーベキューしてた時に、みんな焼肉してる中でいきなりホイルに包んだリンゴ熾火に突っ込んで、『焼きリンゴはちみつバター添え!』とか言ってみんなに配ってたじゃない。あれ以降、ご近所中のバーベキューのデザートの定番が焼きリンゴになったのよ?》
「え、何それ知らない」
《仕掛け人がそれかよ…》
ルーンに突っ込まれて目を逸らすと、マグダレナとギルド長が胡乱な顔でこちらを見ていることに気付いた。
「………バーベキュー? ホイル?」
「昔……?」
「あっ」
そういえば、ルーンとレディ・マーブル以外はサラが転生者だとは知らない。
「ごめん言い忘れてた」
掻い摘んで事情を説明すると、ギルド長は呆れた顔になる。
「姉も姉なら、妹も妹か」
《それはどういう意味かしら》
サラが目を細めた途端、ギルド長がスススと距離を取った。逃げたところで空間には限りがあるし、サラはどっちかっていうと遠距離型だからあんまり意味ないんだけど。
「道理で、簡単に契約が結べたわけですね」
マグダレナは何やら納得の表情を浮かべていた。
「ですが、元人間となると、精霊になって色々不都合もあったのではありませんか?」
《そうね、初めは身体の動かし方が分からなくて苦労したわ。レディ・マーブルが保護してくれなかったら、どうなっていたか》
「恩人だよね」
サラと深く頷き合っていると、距離を取ったままのギルド長がぼそりと呟いた。
「…つまり、今後そのレディ・マーブルに危害が及んだら、お前ら2人が同時にブチ切れるんだな?」
え? やだなあ。
当たり前だよ。




