173 引き籠りと夜の森
夕食を終えると、マグダレナはすぐに洞窟を発つ準備を始める。折角スピリタスという足があるので、できるだけ早く動きたいそうだ。ハウンドもついでに移動することになった。
スピリタスはすっかり酔いが醒めたようで、何か不満そうにしてたけど。
「王都で待機している間、私の友人が経営している酒蔵を見学出来るよう計らいましょうか」
《それを早く言ってぇな》
マグダレナの一言であっさりやる気になるあたり、わりと単純だと思う。
…でもねスピリタス、気付いてるかな。
マグダレナは『酒蔵を見学』とは言ったけど、『酒の試飲が出来る』とは言ってないんだよね…。
「…マグダレナ様も人が悪いよね」
《そこは年の功って言っとけ》
《それはそれで失礼よ》
洞窟の入口まで出て、本来のサイズに戻ったスピリタスとその背に乗ったマグダレナとハウンドを見送りながらぼそぼそと言葉を交わす。
外に出るのはこの洞窟に来て以来、久しぶりだ。夜の樹海はひたすら暗く、星空がとても綺麗に見える。
洞窟の中は意外と快適だけど、こうして外に出るとやっぱり開放感がある。深呼吸したら、ヘンドリックたちも同じように伸びをしていた。目が合って、お互いに苦笑する。
「──さて、明日からは忙しいぞ。お前ら、今日は早めに休めよ」
「はい」
「ええ」
「分かりました」
ヘンドリックとフェイは言わずもがな、レナはマグダレナから例の白い石材を作る魔法を教わっていたし、クレアは回復術師の『魔力譲渡』の魔法でレナをサポートすることになっている。
ちなみに、レナは材料が揃っていないと白い石材を量産するのは厳しいそうで、マグダレナがユライト湖の泥を、ベニトが石英と大理石をそれぞれ届けてくれるまでは、レディ・マーブルが作った白い石材の壁や床や天井の微調整をする予定だ。『足りない材料を魔力で補うって、どれだけ魔力使うと思ってるのよ…』と、大変恨めしそうな顔で呟いていた。
同じ『魔法使い』でも、基準が違うもんね、あの御方。
…その理屈で行くと、そのマグダレナに当たり前の顔でついて行けるレディ・マーブルも色々おかしいってことになるか…。
《…》
そんなレディ・マーブルは、不思議そうに夜の森を見渡している。
「レディ・マーブル、何か気になることでもあった?」
《ええ、その…》
ちょっと恥ずかしそうに、
《…夜の森ってこんなに騒がしかったんだなって、ちょっと驚いて…》
「騒がしい?」
確かに虫の声とか風で木の葉が擦れる音とかはするけど、騒がしいだろうか。
首を傾げる私の肩の上で、ルーンがヒゲを震わせた。
《まあ洞窟の奥の奥に比べりゃ騒がしいよな。レディ・マーブルの住まいのあたりじゃ魔物もろくに居ないし、音なんかほぼ無いだろ》
「あっ」
考えてみたらレディ・マーブルは呼吸もしてないから、じっとしてたらホントに音を立てることがない。
人間が来てくれることを期待しつつも隠れて暮らしてたわけだし、サラと出会う前は誰かと話す機会もなかったはずだ。ほぼ無音がデフォルトのレディ・マーブルにとっては、風の音すら新鮮に聞こえるんだろう。
《…レディ・マーブル、街に行くことにならなくて良かったな》
ルーンがちょっと遠い目をする。
《この程度を『騒がしい』と思うんじゃ、ロセフラーヴァの街に行ったら騒音で気絶するぞ》
《えっ!?》
「あー…」
「確かに、賑やかよね…」
「お祭りの時とか、住民でも大変な思いをしますもんね…」
《なにそれ…》
ロセフラーヴァの冒険者たちのコメントに、レディ・マーブルが引く。
人口規模でも経済規模でも小王国を軽く上回る大きな街だ。良く言えば活気がある、悪く言えば騒がしい。それでもこの国最大の街ではないあたりがユライト王国の恐ろしいところだ。
「王都だったらもっと大変?」
「ああ。俺も一度だけ行ったことがあるが、まず人の密度が段違いだし道も複雑だしで、普通に迷子になりかけた。どこに行っても騒がしいし、犯罪者も多いしな」
「えっ、そうなんですか?」
フェイが首を傾げると、ヘンドリックは頷いた。
「王都はこの国の西の方にあるだろ? 自由国家グロリアスが近いからな。あっちから無法者が流れて来るんだ」
またグロリアスか。ベニトも嫌な顔してたし、何かものすごくクセがある国っぽいな…。
「グロリアスって無法者が多いの?」
小王国のギルドにあった資料には、北と南を繋ぐ商業国としか書かれてなかった。そう言うと、ヘンドリックが苦笑する。
「そりゃあ、本には下手なこと書けないだろ。──あそこは商人が政治と経済の中心で、法律なんてあってないようなモンなんだ。カネ掴ませりゃキナ臭い仕事を請け負うようなやつだっていくらでも居る。良くも悪くも自己責任ってやつでな、食うに困って犯罪に走るやつも多いらしい」
「うげえ」
それでも『商人の国』の異名を取る通り、商取引を行う人間にとっては大変魅力的な国だ。
何せ大陸の北側の国々にとっては、南の『フィオレンティーナ多種族経済共同体』と繋がる唯一の玄関口。ここを経由することでしか手に入らない商品も多い。
例えばパン作りに欠かせない粉末状の乾燥酵母は妖精が作っているものだし、エルフたちが栽培する様々なハーブは、食材としても薬の材料としても貴重な品だ。ドワーフたちの作る武具や金属製品や宝飾品は言わずもがな。
「あと、北側に『未明の地』があるってのも大きい。そっちを目指して冒険者やら訳アリの人間やらも集まって来るんだよ。で、あの国とか未明の地で色々あって、新天地を目指すってなったら大抵一番近い他国の大都市──ユライト王国の王都に向かうわけだ」
グロリアス界隈で色々揉まれてスレた輩は、わざわざユライト王国まで来て王都の治安を悪化させる。普通に賞金首になったりもする。
王都のギルドに所属する冒険者は、そういう賞金首の捕縛を専業にする者も多いそうだ。
「確かハウンドも、賞金首狙いの冒険者の一人だったと思うぞ」
「あー…何か想像できるかも」
ハウンドは拳闘士。ウチのサイラスほど筋骨隆々じゃないけど身長も高いし、対人戦闘に向いている気がする。そこら辺のゴロツキだったら片手で伸せそうだ。
そんな人が何でこんな洞窟に来てたんだろう…って、相方の借金返済のために確実に収入が欲しかったんだっけ。冒険者自体元々不安定な職業だけど、賞金稼ぎじゃ、まず賞金首がそこら辺に居ないと成立しないもんね。大変だなあ。
「すごい人だったんですね…」
「格好良いわね」
私がハウンドの苦労に思いを馳せていたのに対して、クレアとレナは素直に感嘆の声を上げていた。
「多分お前らが想像してるような『格好良い』仕事じゃないと思うぞ」
ヘンドリックは苦笑しているので、多分私の想像の方が現実に近いはずだ。私の思考が変に斜に構えてるわけじゃない。多分。きっと。
…でも…
(最近ちょいちょい自分の心が汚れてるような気がするのは何故だろう…)
…深く考えてはいけない。
気持ちを切り替えようと見上げた夜空の闇はとても深く、いつも満月の方の月が、憎たらしいくらい綺麗な青白い光を放っていた。