156 変異個体
その後全員で、ハウンドたちが作ってくれた夕食をいただく。
メニューは鶏肉と野菜の具沢山スープだ。ちょっと硬くなったバゲットを浸して食べると美味しい。
レディ・マーブルとサラは食べなくても平気なんだけど、折角だからと一緒にテーブルを囲んでいる。ガーゴイルも精霊も、食事自体は可能らしい。
《…何だか懐かしい感じがするわ》
スプーンを口に運んだレディ・マーブルが、不思議そうに呟いた。
「懐かしい?」
《記憶にあるような、無いような…。人間の食事なんて、食べたことないはずなんだけど》
「ああ…そりゃそうだよな」
「たくさんの人間と話すのも初めてって言ってましたもんね」
確かに、それでスープを『懐かしい』と感じるのは不思議だ。
…そういえば、レディ・マーブルはガーゴイルなのに、スプーンの持ち方や食事の仕方が人間と変わらない──と言うか、下手な冒険者より上品な気がする。
私が首を傾げていると、鶏肉の炙りを咀嚼していたルーンがじっとレディ・マーブルを見詰め、片耳を倒した。
《もしかしたら、レディ・マーブルは変異個体なのかもな》
「変異個体?」
どっかで聞いたことあるような……あ、ギルドの資料室にあった本に載ってたな。
「…魔素の影響を受けて別の種類の生き物になった個体、だっけ?」
《おう、それそれ》
首を傾げながら呟いたら、ルーンがピンと耳を立てる。
通常、生き物の種類は生まれ落ちた時から死ぬ時まで変わらない。魔素から生まれる魔物でも同じだ。
でもこの世界では、特殊な条件を満たした場合、別の生き物に変化することがある。そうやって変化した生き物が『変異個体』だ。
変異する条件は、大まかに2つ。
1つ目は、『変異前に、個体としての自意識が限りなく希薄になっていること』──精神崩壊寸前とか瀕死とか、そういう状態が該当する。
2つ目は、『一定濃度の魔素が周囲に存在していること』。魔素が身体を変化させるので、これは必須だ。
これだけ聞くと条件を満たすのは簡単そうだけど、実際にはそうでもないらしい。
魔素濃度が低すぎるとそもそも変異は起こらないし、高すぎると今度は『魔素嵐』──魔素を含まない物質を軒並み分解する大変迷惑な自然現象が発生するので、魔素濃度は高すぎても低すぎてもいけない。条件が結構シビアなのだ。
ちなみに資料室にあった本によると、その昔、どっかの国で人為的に変異個体を作り出す実験をしたらしいんだけど──魔素濃度と『瀕死状態』の条件を満たした100例のうち、90例は変異途中で死亡、9例は変異直後に異常行動を取って死亡。
残り1例は変異後も生きてたけど、研究員に襲い掛かって研究施設も根こそぎ破壊して散々暴れ回った後に討伐されたそうだ。
人間の探求心って、間違った方向に発揮されると恐ろしいよね…。
──閑話休題。
しかしレディ・マーブルが変異個体だとすると、元の種族は──いや、スープを『懐かしい』って言ってたよね? まさか…
「…人間がガーゴイルになるって、有り得るの?」
ボソッと呟いたら、ヘンドリックたちがぴたりと食事の手を止めた。
みんなの視線がレディ・マーブルに集中する中、ルーンがあっさりと頷く。
《なくはないと思うぞ。まあ変異個体自体レアだし、確証はないけどな》
《で、でも私、人間だった記憶なんてないわよ?》
当人は困惑顔だ。
《変化前のこと覚えてる方がおかしいだろ》
ルーンは当然だと返し、さらに踏み込む。
《レディ・マーブル、覚えてる中で一番古い記憶はどんなだ?》
《え? ええと…何もない荒野で何か赤黒い液体の中に倒れてた、かしら》
「赤黒い液体…」
「…ガーゴイルって、出血するもんでしたっけ?」
うん、その時点でもうほぼ確定な気がする…。
赤黒い液体って、多分出てから大分時間が経った血だよね?
しかも液体の『中に』ってことは、血だまりのど真ん中に倒れてたんじゃないの?
「荒野なあ…この辺、荒野なんてあったか?」
ヘンドリックは違うところに着目していた。
ロセフラーヴァ界隈は緩やかな丘陵と平原が広がっていて、『荒野』とは言えない。辺り一帯、草原かちょっとした茂みか林か、あとはだだっ広い畑と牧草地って感じだ。
そうだねぇ、とハウンドが顎に手を当てる。
「荒野って言うなら、西の『未明の地』じゃないかい?」
ユライト王国よりずっと西、この大陸の北西には、起伏の激しい荒野が広がっている。冒険者ギルドでも有名な未開の地の一つだ。
どこの国にも属してなくて、全容が明らかになっていないから、その名も『未明の地』。
長年ギルド主導で探索が行われてるけど、調査が進んでいるとは言えない。とにかく何もないし気候は厳しいし出て来る魔物は狂暴だしで、そもそも長期滞在が難しい土地らしい。
調査拠点を作ろうにも、地面が滅茶苦茶強固な岩盤なもんで建物を建てるのが難しいし、テントくらいじゃ地吹雪で吹っ飛ぶ。当然、作物なんか育たない。
極め付きは水の問題だ。
まず、地上を流れている川がない。ものすごく頑張って井戸を掘っても、地下水は馬鹿みたいな量の魔素を含んでいるか未知の毒物を含んでいるかで、人間が飲むと高確率で体調を崩す。実際に死人が出たって話もある。
正直、探索なんかしないで放置しといた方が色々平和な気がする地上の地獄。それが『未明の地』だ。
《そういえばレディ・マーブルって、この洞窟を作る前はずーっと西の方に棲んでたのよね?》
サラは昔の話を聞いたことがあるらしい。ずーっと西の方…『未明の地』も西だなあ…。
《ええ、そうよ。人恋しくて放浪してたの》
「ガーゴイルが放浪…」
「…大変ね…」
「その過程でマグダレナ様たちに出会ったってわけか」
ヘンドリックたちはすっかりレディ・マーブルに同情的になっている。
まあ見た目筋骨隆々の石像だけどね。ルーンにからかわれていじけて小さくなってるのとか見てたら、何か親近感というか、変な庇護欲も湧くよね。
《西から来たなら、その『荒野』ってのは未明の地の可能性が高いな。あの辺は魔素濃度の濃淡の差が激しいって聞くし、行き倒れた人間が変異を起こしても不思議じゃない》
ルーンが訳知り顔で言う。
『未明の地』には人は住んでないけど、探索目的の冒険者とか、逃亡中の罪人とか、その他訳アリの人が入り込む地域でもあるそうだ。…碌な準備もなく入ったら、十中八九死ぬけど。
…そういう意味でも、変異個体が発生する条件を満たしやすいってことかな…うええ。
「レディ・マーブルが他のガーゴイルとそりが合わなかったのも、人間に興味があったのも、スープを懐かしいって思うのも、元人間だったら説明がつくね」
嫌な想像を無理矢理振り払って、話題を戻す。
「確かになあ」
ヘンドリックが頷く。
元人間なら、普通のガーゴイルと感覚が違っても、人間に惹かれるのも仕方ない気がする。
みんなも頷いていたら、レディ・マーブルがホッとしたような情けないような顔になった。
《…じゃあ、私は他のガーゴイルと違って当然…なのね》
《だと思うぞ。確証はないけどな》
「マグダレナ様に調べてもらえば、もっと詳しく分かるかもね」
《えっ》
その名前を出した途端、レディ・マーブルが本物の石像みたいになった。…あれ?
「ん?」
「レディ・マーブル、大丈夫?」
《………マグダレナ?》
「え? うん。だってほら、どうせ会うし、ついでに聞けば良いんじゃないかって…」
《会うの!?》
レディ・マーブルが悲鳴を上げた。
「ど、どうした?」
《マグダレナって、あのマグダレナよね!? 銀髪で見た目美少女の悪魔!》
「え、悪魔なの?」
《悪魔かどうかは知らんけど、見た目銀髪の美少女ではあるな》
ケットシーの美的感覚でもマグダレナは美少女の区分に入るらしい。
ルーンの言葉を聞いたレディ・マーブルは、即座に立ち上がってものすごい勢いで後退った。
壁にびたりと張り付いて、
《私はここに居ない…居ないったら居ない……》
何やら念仏みたいに唱え始める。
顔色はマーブル模様のまま変わらないけど、人間だったら真っ青になっていそうな表情だ。
《ここに居ないところ悪いけどな、もうマグダレナにはお前のこと伝わってるぞ》
《っ!?》
「あ、そうか。レディ・マーブルに会った時、マグダレナ様に問い合わせたから」
《うそでしょ!?》
《マジ》
ルーンがとどめを刺しに行く。
《『会えるのを楽しみにしています。ちゃんと連れて来てくださいね』って言ってたぜ。しっかり覚えてるらしい。良かったな!》
《良くない!!》
あまりの反応にみんなが固まる中、レディ・マーブルが泣きそうな顔で叫ぶ。
……あの御方、一体どんなトラウマ植え付けたんだろう……。




