151 謎の水塊
《ちょっ…何やってるの!?》
《おい放せ! 溺れてるぞ!》
水に覆われた視界の向こう、慌てふためくレディ・マーブルとルーンの姿が見える。
念話って水越しでも聞こえるんだなぁ…とか思ってる場合じゃない。私はわたわたと両手をばたつかせた。
両手は水の外に出ているのに、顔──というか身体の前面は水の中だ。後退っても水はそのままついて来るし、手で引き剥がそうにも水は水なので掴めもしない。何だこれ、新手の拷問?
(立ったまま溺れるとか勘弁…!)
ゴボッと大きく息を吐き出したところで、視界の隅がチカっと光った。
《放せっての!》
瞬間、体に纏わりつく水の温度が急激に下がった。パキパキと、奇妙な音がする。
というか──
「冷たっ!?」
叫んだら普通に声が出た。
波が引くように、水が離れて行く。目の前に落ちた水塊の所々が白く凍り付いていた。多分、ルーンの魔法だ。
「…凍らせるって相当チャレンジャーだと思うよ…」
《助かったんだから文句言うな。雷撃じゃないだけマシだと思え》
まさかの2択だった。そんな、処刑方法選べみたいな…。
まあでもとりあえず助かった。安堵の溜息をつきながら自分の身体を確認すると、不思議なことに服も髪も濡れてない。溺れかけたのは確かなんだけど…?
《うう…》
水塊が呻きながらもぞりと動いた。レディ・マーブルが慌てて駆け寄る。
《ちょっと、大丈夫?》
《大丈夫じゃないわよ…なにこれ動けない…》
《半分凍ってるからよ》
《ええ? …うわ、ホントだ》
するすると氷が解けていく。
すっかり水に戻ったところで、水塊は改めて人の形を取った。その姿は──やっぱり見間違えじゃない。
「……………沙羅?」
私の妹の、沙羅だ。──でもなんで?
私が呆然と呟いた途端、薄い藍色の目がこちらを向いた。ムッとしたように眉を寄せ、
《気付くのが遅いわ、お姉》
「いやどんな無茶振り」
思わず昔の調子で突っ込む。
大体、顔を認識した瞬間に襲い掛かって来たのは向こうだ。第一声も『おそーい!』だったし、理不尽な言い掛かりもいいところだと思う。
(変わってないなあ…いや、何かものすごく変わってはいるんだけど)
私の記憶が確かなら、沙羅は水じゃなかったし、髪も青じゃなかったし、目も藍色じゃなかった。そもそも、こっちの世界には居ないはず。
《あら、2人とも知り合い?》
「ええと…」
《身内よ。これ、私の姉》
《…ユウ、水精霊の妹が居たのか?》
「は? 水精霊? …ちょっと待って。どういうこと?」
ルーンに訊かれたけど、むしろ色々訊きたいのはこっちだ。
私は必死に頭を働かせて──一つの可能性に思い至った。
「……沙羅、もしかして、転生…した?」
途端、人型の水塊──沙羅は、得意気に頷いた。
《そうよ。あっちで死んで、水精霊として生まれ変わったってわけ》
「死んだ…」
《あ、勘違いしないでよね。私はちゃーんと寿命まで生きたから。シワッシワのおばあちゃんになって、曾孫の顔まで見たから》
「えっ」
私の感覚じゃ、夢で沙羅に会ってから半年くらいしか経ってないんだけど。そう言ったら、沙羅は平然と頷いた。
《転生する時『姉に会わせろ』ってゴリ押ししたから、多分そのせいだわ》
「ゴリ押しで通るんだ…」
《それが条件だったんだもの》
沙羅曰く、夢で私と会った後、『巫女として仕えるかわり、死後に姉の居る時代のあの世界に転生させる』ことを土地神と約束したんだそうだ。
「…待って。私に直接会うために人生棒に振ったってこと!?」
《そんな投げ遣りな話じゃないわよ。巫女って言ってもただ神社に神職として就職したってだけの話だし》
「いやでも、あの神社ものすごく寂れてたよね? 神主さんとか常駐してなかったはずだけど」
《もっと大きい神社の兼務社だったのよ、あそこ。当時付き合ってた相手の実家がその大きい神社の神主やってたから、結婚するついでに神職の資格も取って、あの神社に常駐する許可を貰ったの。ついでよ、ついで》
「ついでで神職…」
さらっととんでもないこと言い出した。
『兼務社』というのは普段神主さんが居ない神社で、行事がある時は別の神社の神主さんがやって来て、儀式を執り行うんだそうだ。神主さんが神社を掛け持ちしてる感じか…大変だな…。
その兼務社のうちの一つを嫁が管理すると言い出して、先方はかなり喜んでくれたらしい。
《私が神主として常駐して広報活動を頑張った結果、『必ず看板猫に会える全国でも指折りの猫神社』として名を馳せるまでになったわ》
「なんだそれ羨ましい」
《ちなみにその『看板猫』の何匹かは土地神とその眷属神だったんだけど》
「…神様に何やらせてんのさ…」
《努力なくして参拝客は来ないのよ》
いや、だからって神様に接客させるのは何か違うんじゃ…
(当事者が納得してれば『有り』なのか…?)
沙羅があまりにも平然としているせいで、何が常識なのか分からなくなる。
──ともあれ。
何だかんだで沙羅はそれなり以上に充実した人生を送り、唯一の心残りだった『姉』、つまり私に会うためにこちらの世界に転生して来た。
『人生を終えた後で転生する』という形になったのは、土地神の能力では肉体ごと異世界に飛ばすことが難しかったから。
あと、姉に続いて妹まで突然失踪するのはダメだろうと思い、天寿を全うすることに決めたらしい。
普通の人間ではなく精霊になったのは、土地神の影響を長年受け続けたせいで、魂が人間の身体に見合わなくなっていたからだそうだ。
《つまり私は、なるべくして水精霊になったってわけ。ふふーん》
「ええ…」
沙羅がものすごく偉そうだ。
《…魂が見合わないって、要するに『服のサイズが合わない』ってのと大体同じ意味だけどな》
ルーンが大変失礼なことを口走る。沙羅が反応しないところを見ると、多分この念話、私にしか聞こえないように調整してるな…。
《なるべくしてなったわりには、まだまだ魔力制御が甘いわよねぇ》
《レ、レディ・マーブル!》
頬に手を当てて溜息をつくレディ・マーブルが沙羅の頭に軽く触れた途端、沙羅の偉そうな態度が崩れ去る。
同時に、沙羅の身体がバシャンと地面に落ちた。
一瞬でただの水たまりになった沙羅は、数秒後、ぬるっと頭だけ形作り、恨めし気にレディ・マーブルを見上げる。
《…いきなり魔力流さないでよ》
《練習よ、練習。外から魔力をぶつけられても形を保てるようにならなきゃ、街になんて行けないわよ?》
《…》
沙羅がむすっとした顔で押し黙った。図星をさされて言い返せない時の顔だな、これは。
《レディ・マーブルに魔力制御を教わってたのか》
《ええ、そうよ。この子この洞窟にいきなり現れたんだけど、精霊にしちゃ魔力制御がてんでダメで、見てられなかったから》
《…仕方ないじゃない。前の身体と全然勝手が違うんだから》
ゆっくり人型に戻った沙羅が、ぶすくれながら呟く。
ちなみに転生した直後は完全に『たまにふるふる震える水たまり』で、移動することすらほとんど出来なかったそうだ。
レディ・マーブルは魔力の気配で気付いて、そのまま保護してくれた。精霊を好んで喰らう魔物も居るらしいし、保護してもらえたのは本当に幸運だったんじゃないだろうか。
「沙羅を保護してくれてありがとう、レディ・マーブル」
私が丁寧に頭を下げたら、何故か沙羅がとても不満そうな顔をした。
《……こういう時ばっかり姉っぽいんだから……》
そこ、普段は姉っぽくないみたいな言い方するんじゃありません。




