144.5 閑話 うちの父は心配性
ルーンの娘、サクラ視点。
『ルーンはどういう経緯でユウに合流することになったのか?』という話です。
冒険者ギルド小王国支部。柔らかな日差しが差し込む、窓際の棚の上。
パタン、パタン。
《うーん…》
ピコピコ。
《ぬぅー…》
パタン、ビタン。
《…にゃあああぁ…》
ビッタン、ビッタン。
《お父さん、うるさい》
《にゃっ!?》
ビクン!
全身を震わせた途端、尻尾がビビビと振動する。
顔の前でそれをやられて、私は咄嗟に顔を背けた。
《…あれ? え?》
目の前の真っ黒い毛の塊から、にゅっと顔が突き出す。
きょとんと周囲を見渡す様子を見て、私は確信した。──これは、絶対、自覚がない。
《お父さん…》
頭痛を覚えながら、私、ケットシーのサクラは、父──ルーンに改めて声を掛けた。
《ちょっとは落ち着いてよ。ここで悶えてたって何も変わらないんだから》
《へ? サクラ、どういうことだ?》
《さっきから、ずーっと、尻尾がパタパタしてる》
《うえっ!?》
父はがばっと身を起こし、信じられないという顔で自分の尻尾を見遣った。当然、意識すれば尻尾の動きは止まるので、今は静かなものだ。
首を傾げる父に、カウンターで書類仕事をしていたエレノアが苦笑した。
「確かに、ずっと動いてましたよ。あと、ずーっと唸ってました」
《ええ……》
マジか、と呻いた父は、立ち上がって伸びをする。
──ユウさんが小王国を脱出してから、数日が経った。
ロセフラーヴァの街に居る父の兄弟──アルからの情報では、ユウさんは無事に冒険者ギルドロセフラーヴァ支部に到着して諸々の手続きを終えた後、マグダレナの勧めに従って、ロセアズレア大洞窟という場所に向かったそうだ。
ロセフラーヴァの街から馬車で1時間ほどと比較的近い場所にありながら、未だ全容が判明していない巨大な洞窟。
奥へ進めば進むほど魔素濃度が上がり、出現する魔物も強力になって行くため、調査の難易度がかなり高いらしい。
洞窟だから武器を振り回せる場所も限られているだろうし、下手に高威力の魔法を使ったら自分が生き埋めになる恐れもある。地上とは全く勝手が違うだろう。
そんな場所だから、父が心配するのも分からなくもない。
(ユウさんに恩義を感じてるだろうし…)
あまり知られていないけど、ケットシーは結構律儀な生き物だ。
父は以前からギルドとその周辺を自分のナワバリにしていて、ゴミ屋敷と化しているギルドの惨状と冒険者の少なさに頭を悩ませてきた。ユウさんに声を掛けたのも、1人でも冒険者を増やしたい父の苦肉の策だった。
…ユウさんは異世界から召喚されたばっかりで小王国支部の惨状を知らないから、あざとく甘えて丸め込めば何とかなる、っていう打算もあったらしいけど…。
結果、ユウさんは冒険者になったついでに小王国支部のゴミを一掃し、見違えるほど綺麗にしてくれた。
ユウさん本人は掃除に協力した私たちにすごく感謝してくれてるけど、感謝したいのは私たちの方だ。私たちケットシーは鼻が利くから、以前のギルド周辺はちょっとした地獄だったんだもの。
その後もユウさんは色々なところで活躍して、手伝ったケットシーたちに美味しいおやつを振る舞ってくれた。
ケットシーは気紛れで人間を手伝うことがあるけど、ちゃんとお礼をしてくれる人は珍しい。それだけで好感度は爆上がりだ。
それに私は、あの首都防衛戦でユウさんに命を救われている。父も首都防衛戦の少し前に同じようなことがあったらしい。
その時のお礼をきちんと出来ないまま、ユウさんはユライト王国へ行ってしまった。父がこうして悶々とするのも無理もない。
恩義云々を抜きにしても、付き合いも結構長いし、もう身内のようなものだ。
《そんなに気になるなら、ユウさんのところに行けば良いのに》
《へっ!?》
私がぼそりと呟いたら、伸びをしていた父が固まった。
ごく当たり前のことを指摘したつもりだったけど、父はぽかんと口を開けている。考えたこともなかったって顔だ。
数秒後、父はぶるぶると首を横に振った。
《いやいやいや、ダメだろ。俺はこっちとあっちの連絡役なんだから》
私にというより、自分に言い聞かせているような口調だった。
…そういう態度になってる時点で、もう色々ダメな気がする。
(変に頑固なんだから…)
頑固ついでに、思考も固くなっているようだ。連絡役なんて、あっちと繋がりさえすれば父である必要性はない。
《連絡役なら私が代わるわ。私とお父さんは遠隔念話が出来るんだから、お父さんがあっちに行ってれば何も問題ないじゃない》
私と父、父とアルの間で遠隔念話が繋がるから、父を経由すれば小王国支部の情報をマグダレナの所まで送れる。
何より、父がユウさんの所に行けばユウさんが今どうしているのか、マグダレナもこちらも把握できるようになる。
何も問題はない…と言うか、そっちの方が良いと思う。
《………へ》
父が今度こそ固まったところで、カウンターの奥からギルド長のカルヴィンが出て来た。
「エレノア、この書類を本部へ送ってくれ」
「分かりました」
書類の束をエレノアに渡し、カルヴィンが父をジト目で見遣る。
「あとルーン、オレもサクラの意見に賛成だ。お前はさっさとユウのところへ行け」
《にゃっ!?》
「ことあるごとに思考がどっか行ってるだろ、お前。昨日は水魔法と火魔法間違えてサイラスを火あぶりにするところだったし、階段でコケて転がり落ちそうになってたじゃねぇか」
カルヴィンに淡々と指摘された父が、ぶわっと尻尾を膨らませる。でも、反論は出来ないみたいだ。膨らんだ尻尾をビタンビタンと棚の天板に打ち付けている。
あとな、とカルヴィンが続けた。
「正直ウチのギルドとしても、ユウのところにお目付け役を派遣したくてな」
《お、お目付け役?》
「お前らケットシーが気付いてるかどうか分らんが…あいつ、ケットシーが傍に居るか居ないかで結構周囲への対応が変わるんだよ」
《……あっ》
私にはいまいちピンと来なかったが、父には思い当たる節があったらしい。短く呻いて、遠い目になった。
《……》
「想像してみろ。──あの王太子のせいで緊急かつ不本意に国外脱出して、全く未経験の洞窟の調査依頼を受けて、何か色々問題があるらしい洞窟に向かったんだ。ケットシーも同行しないで、1人でな」
カルヴィンが噛んで含めるように並べ立てて行くうち、父の尻尾が徐々にしぼんで行く。
数秒の沈黙を挟んで、カルヴィンは若干乾いた笑いを浮かべた。
「…あいつが何をしでかすか、正直全く想像がつかんし悪い予感しかしない。分かるだろ?」
《……とても、よく、分かった》
父の表情が、スン…と冷静さを取り戻している。
それは良いんだけど、余計に不安になるのは気のせいだろうか。
《サクラ、お前の言う通り、俺は今からユウのところへ行く》
私の内心をよそに、父は改めて伸びをして、キリッとした顔で宣言した。
ケットシーなので、旅の準備は特に必要ない。思い立ったが吉日、即行動。それがケットシーだ。
《こっちのことは任せるから、よろしくな》
《うん。任せて》
《カルヴィン、サクラのこと頼むな》
「おう、任せておけ」
普段は父親らしい言動をしないのに、こんな時だけちゃんと父親っぽい。
スタッと軽やかに床に降りた父は、じゃあ行ってくる!と外へ飛び出して行った。
その尻尾が、今までにないほどご機嫌にピンと立っていたのは、見ないことにした。
「…お前も苦労するな、サクラ」
《いつものことです》