141 病は気から? 食生活からでしょ。
私の予想は、数日後に現実のものとなった。
「……エルドレッドさん、すみません」
朝、真っ青な顔をした魔法使いの青年──ラッセルが、出発の準備をしていたエルドレッドに頭を下げる。
「ちょっと調子が悪くて…」
エルドレッドは面倒臭そうに片眉を上げた。
「お前も魔素酔いか。気合いで何とかしろ」
この洞窟内は魔素濃度が高い。その魔素に当てられて乗り物酔いのような症状が出ることがあるらしい。
でも──特に魔素濃度の高い奥の方から帰って来た夕方ならともかく、今、朝だぞ?
「い、いや、気合いでどうにかなるもんじゃ…」
「どうにかしろ。今日は新しいエリアに行くんだからな」
どうやらラッセルは、エルドレッドと一緒に行動する予定だったらしい。
でもあの顔色、どう考えても無理だと思う。体調が悪いまま調査に出て魔物にやられたら目も当てられない。
「む、無理で」
「無理じゃねえ。早く支度しろ、命令だ」
「出たなパワハラクソ野郎」
「…あん?」
エルドレッドがこちらを向いた。
おっと、口に出てたか。…わざとじゃないよ?
「ユ、ユウ」
クレアが焦った表情で声を上げる。でも、言ってしまったものは仕方ない。
そう、仕方ないのだ。
(いい加減ぶん殴りたいし)
男性陣が食べ散らかしたテーブルを手早く拭き終え、私はスタスタとエルドレッドたちに歩み寄った。
ラッセルの顔を覗き込むと、顔色が悪いのに肌は乾燥している一方、額には脂汗が浮いている。不幸中の幸いか、熱はなさそうだ。
「咳は出る? のどの痛みは?」
「い、いや…ない」
私の問いに、ラッセルは首を横に振った。予想の範囲内だ。
だって多分、これは風邪とかじゃない。
「身体は怠い? 動きにくいとかある?」
「…結構、ある」
「最近野菜食べてないでしょ」
「あ、ああ…」
「最後に日光を浴びたのはいつ?」
「…確か、1ヶ月以上前だ」
「ちょっと暗いところだと目が見えにくいとかない?」
「え…」
図星だったらしい。目を見開くラッセルの前で、私は確信を持って言い放った。
「典型的な栄養失調。それで調査になんて行ったら倒れるよ」
「え、栄養失調?」
倦怠感や肌の乾燥はビタミンC不足。暗い所で目が見えづらくなるのは確かビタミンA不足。
あと、日光に当たらないでいると何かのビタミンが不足して、骨が脆くなるとか…そういう症状もあったはすだ。
野菜を食べずに引き籠もってると、こうなる。
「ここで休むだけじゃダメだからね。街に戻って医者にかかった方が良い。…下手したら、死ぬよ?」
「しっ…!?」
これは冗談でもなんでもない。長期間航海をする船の船員が、野菜を食べられなかったせいで病気になって次々倒れていたというのは元の世界では有名な話だ。
この洞窟は街から近いし食材を手に入れるのだって難しくない。
本来ちゃんと健康的な食生活を送れるはずなのに、どこぞのワンマン指揮命令者のせいで栄養失調なんて目も当てられない。
私が渋面を作ったら、ラッセルはさらに青くなる。
エルドレッドが眉間に深いシワを刻み、こちらを睨みつけて来た。
「オレのせいだってのか」
「それ以外に何があるっての?」
私が応じた途端、エルドレッドの顔に怒気が浮かんだ。
「…おいチビ、ここの責任者は誰だと思ってやがる」
「勝手に名乗ってるだけでしょ。ギルド側が指示したわけでも、許可したわけでもない。違う?」
残念ながら、この程度の威圧じゃ効かないな。
周囲はみんなこちらに注目している。『あのチビ、エルドレッドさんに逆らうとか命知らずだな…』とか冷笑してるのはエルドレッドの取り巻きたちだ。
命知らずなのは、自分の健康にも気を使わずに盲目的に阿呆に従ってるそちらさんの方だと思うけど。
「手前ェ…」
ほほう、怒った怒った。
「ここに来たからにはオレに従え。それが出来ないなら出て行け」
「嫌だね。私はギルドから依頼を受けて来たんだから」
お前に従う義理はない、と遠回しに言ってやる。
全身に怒気を昇らせたエルドレッドがずいっと身を乗り出して来たので、ラッセルを背後に、一歩前に出た。
「毎日毎日肉とチーズと酒だけじゃ、体調崩して当たり前でしょ」
「北方の狩猟民族はほぼ肉と酒だけで生きてんだよ。そんなことも知らねぇのか」
「あっちの人たちは血も内臓も骨の髄も全部食べる上に肉の生食文化があるし、そもそも体質が違う。野菜を食べないのだって、寒すぎて作物が育てられないからでしょ。野菜が嫌いだからって丁寧に血抜きした肉だけをよーく加熱して食ってるわがまま野郎と一緒にすんな」
無駄に博識な屁理屈をスパンと切り捨てる。
この大陸の北の果てには、狩猟生活を送っている民族が住んでいるらしい。
小王国支部にあった資料を読んだ限り、生活様式や文化は元の世界の『イヌイット』に近い。
ただしこっちの世界は魔法ありきなので、犬ぞりの代わりにウインドサーフィンみたいな帆の付いた板に乗って魔法で風を起こし、雪原を高速移動するそうだ。やべぇな。
曰く、『大陸最速の狩人』とか何とか。
そんな彼らは肉が主食で、生肉を食べる文化がある。これは元の世界のイヌイットも同じだ。生食することで、加熱すると壊れるビタミンを効率的に摂取できる──とてもよくできた仕組みだと思う。
が、野菜も穀物も十分にあるこの地方で、その生活を中途半端に真似る必要はない。
「わがままだと…!?」
「わがままでしょ、間違いなく」
気色ばむエルドレッドに、こちらも負けず劣らず鋭い目を作って応じる。
「人間は肉食じゃなくて雑食。肉だけ喰う生活を送るのは勝手だけど、周囲を巻き込むな。はっきり言って迷惑だ」
噛んで含めるように言ってやる。
視界の端で、ヘンドリックが黙って天を仰いでいた。その隣のフェイは、こっそり親指を立てている。多分、ほぼ肉だけの食生活に嫌気が差してたんだろうな。
他の面子は、冷笑してたり青くなってたり…あ、ハウンドがすごく楽しそうにこっち見てる。レナは焦ってるし、クレアは何か泣きそうな顔してるけど。
ついでにもう一つ指摘してやろう。
「あと、自分では気付いてないかも知れないけど、あんたら──」
ぐるりと男性陣を見渡し、私は腰に手を当てた。
「──クサイよ。ものすごく」
『…!?』
周囲に動揺が走った。
肉だけ食べて野菜を食べないでいると体臭が濃くなる──噂では聞いてたけど、ここに来て実感した。
マジで臭い。
何か、体臭なのか便臭なのかよく分からなくなるレベルなんだよね…特にここでの滞在期間が長い人は。
私が淡々と言い放つと、咄嗟に自分の腕や服の匂いを嗅ぐ者が数名。男性陣の一部はハウンドやレナたちに何か聞きたそうな目を向けたけど、女性陣は思い切り目を逸らしていた。
──さて、お分かりだろうか。
滞在期間が長い、つまり肉を主食にした食生活を長く続けている人間は、体臭が濃くなる。
よって、一番臭いのは──
「…………」
スッと平坦な表情で向き直ると、それに釣られたように周囲の視線も私の正面──エルドレッドに集まる。
注目の的になったエルドレッドは、わなわなと肩を震わせていた。
「……なるほど、よく分かった」
声が低い。
「命は惜しくないらしいな、チビ」
うむ、概ね狙い通り。
私は口の端を吊り上げて応じた。
「腕力に物言わせるつもりなら受けて立つよ、野菜嫌いの父つぁん坊や」
健康的な生活はバランスの取れた食事から…という話。
なお肉だけ食べ続けてると体臭とか便の臭いがきつくなるのはマジらしいです。
美味しいですけどね、肉。何事もほどほどにってことですね…。