133 ロセフラーヴァへ
気を取り直して、ロセフラーヴァへ向かう街道沿いを走り出す。
夕日はとっくの昔に沈み、紺色になり始めた東の空には2つの月が浮かんでいる。
──この世界には、月が2つある。
一つは、元の世界と同じように満ち欠けする白い月。と言っても、昇る時間も沈む時間もいつも同じだから、元の世界の『月』とは違うんだろうけど。
もう一つは、柔らかい光を放つ、淡い青の月。こっちは常に満月で、光の強さが時々変わる。太陽とは違うけど、どうも自分で発光しているらしい。その正体は巨大な魔石だとか何とか。
…まあこの世界、『惑星』とか『衛星』とか、そういう概念が通用するかどうかも怪しいけどね。果てまで行くと崖になってるテーブル状の世界だって言われても驚かないよ。
ちなみに、そういう世界の『かたち』は今まで誰も確認したことがないらしい。いくつかある大陸の周囲は広大な海で、進んでも進んでも行き着く先がないと言われている。
その前に、外洋は海棲の大型魔物がやたら多いから、冒険するにはあまりにリスクが高い。
(いつか誰かがやってのけるのかね…)
世界の『果て』を証明すれば、確実に特級冒険者になれるだろう。流石に挑戦してみるつもりはないけど。
私は程々の場所でそれなりの実績を残してさっさと特級冒険者になって、大手を振って小王国支部に帰るのだ。
ちょっと締まらない決意を胸に走り続けていると、上空から声が降って来た。
《あっ、おったおった! ユウ!》
「…?」
緊張感のない似非関西弁。
少し減速すると、軽やかに空中を駆け降りて来た薄緑色の巨大馬──のような生き物が、すぐに並走を始めた。
《なんやなんや、お急ぎやなユウ》
「おたくの騎士団長殿がうるっさいんでね」
《ウチのやない! 仕方なく連れて来ただけや! 見捨てて関所に置いて来てやったしな!》
どうやらこの精霊馬、わざわざアレクシスを乗せて関所まで来て、そのまま自分だけこっちに来たらしい。
なんだそりゃ。
「…スピリタス、なにやってんの…」
思わず足を止めて、呆れた顔で精霊馬のスピリタスを見遣る。
スピリタスはちょっと行き過ぎて、すぐに駆け戻って来た。
《ふふーん、もう乗合馬車もないしな。ヤツを徒歩で帰らせれば、ユウが国外に出たって城の連中に知られるのがちょっと遅くなるやろ? 今のうちに距離を稼げばエエ》
胸を張り、得意気な顔でこちらを見下ろす。
《目的地はロセフラーヴァっちゅーか、レーナんとこやろ? 褒めてくれてもエエんやで? ほれほれ》
「否定はしないけどさ…スピリタスがアレクシスを乗せて来なければ、ヤツと関所で顔を合わせることもなかったんだけど」
《……はっ!?》
「あと、関所にも普通の馬は居るはずだから、徒歩では帰らないと思う」
《うっぐう…!》
淡々と指摘したら、スピリタスはダメージを受けたように2、3歩後退った。
まあ、普通の馬はスピリタスより遅いのは確かだろうけど…。
私が溜息をついていると、スピリタスは首を大きく横に振った。
《……そ、そしたらワイがレーナんとこまでユウを乗せてったる! 走るよりは速いハズやで!》
「うんまあそれは確かに」
促されるままスピリタスの背中に飛び乗ると、すぐに固着魔法で体が固定される。スピリタスは迷わず空に跳び上がった。
《飛ばすでぇ!》
「事故を起こさないようによろしく」
スピリタスの背に乗るのは首都防衛戦以来だ。
月光に照らされた草原や灌木が、どんどん後ろに流れて行く。私の走りもそれなりに速いはずだけど、スピリタスが空を駆けたらそれ以上だ。
顔面に当たる風は思いのほか冷たかった。
確か、一年中ユライト湖からの風を受ける小王国より、こっちの方が夏は暑いし冬は寒いんだっけ。
ユライト王国も湖沿いの立地ではあるんだけど、少し標高が高いし気候は大分違うらしい。
ほぼ湿地帯で主要作物が稲の小王国に対して、ユライト王国の農業の中心は小麦。ロセフラーヴァより少し西の地域には、一大穀倉地帯が広がっている。
《にしても、大変やったなユウ》
「現在進行形で大変だけどね」
《せやな》
私が仏頂面で応じると、スピリタスがケラケラと笑う。くそう、他人事だと思って…。
《あの甘ちゃん王太子に知られたのが運の尽きやな。勅令を受ける前に逃げたー言うて、ケネスが怒髪天やったで》
「怒髪天」
その表現、こっちの世界にもあるんだ。
スピリタス曰く、私にまんまと逃げられたケネスは激怒して、すぐに城に戻って追跡の指示を出したそうだ。
それに即応したのが、ケネスと同じく『カリスマ』の魅了状態に陥っているアレクシス。スピリタスを使えば関所まではすぐだと言い出したらしい。
《ワイを『使う』とか、ポンコツ騎士団長がよう言うわ》
吐き捨てるスピリタスは、その一言でアレクシスに愛想が尽きたそうだ。まあ多分、それまでの積み重ねがあったからだろうけど。
『建国の勇者コテツ』とスピリタスが交わした『召喚される勇者たちを支える』という約束は、半年前に召喚魔法を破棄したことで無効になった。本当はその時点で、スピリタスが小王国に縛られる理由はなくなっていた。
その後もこの精霊馬が城に居続けたのは、何だかんだでアレクシスたちを心配していたからだ。
スピリタス自身は、『城に居れば美味いエサ食べ放題やからな!』とかわざとらしく言い訳してたけど。
そんな義理堅い精霊馬に感謝することもなく道具のように扱えば、見捨てられるのは当然だろう。たとえ魅了状態で思考がおかしくなってたとしても。
《一応最後の仕事としてポンコツ騎士団長を乗せてやったんや。後は、ワイの好きにさせてもらうで》
「好きにするって、例えば?」
《レーナんトコで世話になるとかな!》
「え、養ってもらうつもりなの?」
《ヒモやない! ちゃーんと働くで!》
伝令役とか見回り役とか、いくらでもやれることはあるやろ!と必死に主張するヒモ──もとい、精霊馬。
まあ冗談はさておき、これからも人間と関わることを望むなら、精霊馬の能力を欲しがるやつはいくらでも居るだろう。
そこら辺をフラフラしてたら権力者に狙われる可能性もあるし、マグダレナの所に行くのは正解だと思う。
しかし…
「人里離れた場所で悠々自適に暮らす、とかいう選択肢はないの?」
《ないな。ナイナイ。そんなんつまらんやろ》
訊いてみたら即答された。
スピリタスにはスローライフは無理っぽいな。性格も向いてなさそう。
…私も無理だな…。あれ、絵面は魅力的だけど実際は相当大変だと思うんだよね。そっちに特化したスキルとか持ってたら話は別だけど。
《あっ、せや。ルーンから伝言預かって来てるで》
「えっ、ホント?」
一応ルーンとは出発の時に話をしたけど、何か伝え忘れたことでもあったんだろうか。
《『城の阿呆どもが変な動きを見せたらアルに伝えるから、当面はマグダレナの近くに居ろ』、あと『土産は他国の美味いものでいい』だとさ》
ルーンの兄だか弟だかのアルは、マグダレナと行動を共にしている。ルーンとは離れていてもテレパシーのような魔法で会話出来るらしいから、情報伝達にはうってつけだ。
私は思わず苦笑した。どっちの伝言もルーンらしいな。
「分かった。ありがと、スピリタス」
《これくらい朝飯前やで》
スピリタスがふふんと鼻を鳴らす。
そのまま空を駆けること暫し。辺りがすっかり暗くなった頃、前方に街の明かりが見えてきた。