131 動き出していた事態
武具工房からギルドへ戻ると、ギルド長とルーンが難しい表情で顔を突き合わせていた。その隣では、エレノアが何やら真剣に書類を作っている。
「ただいまー…どうしたの?」
「あ、ユウさんおかえりなさい!」
エレノアがパッと顔を上げ、安心したような顔で挨拶を返してくれる。ギルド長とルーンもあからさまに表情を緩めた。
「良かった、カチ合わなかったか」
《連中、足遅いもんな》
「…え、何? 何かあった?」
とても嫌な予感がする。
私が身構えると、ギルド長は眉間に深いしわを刻んで頷いた。
「ケネスがここに来る」
「え」
ケネスはこの国の城で文官長を務める貴族だ。ケネスの家は、今まで私に求婚して来ていない。
他の貴族たちが一斉に退いたこのタイミングで来る、ということは──
「…待って。来訪予告、なかったよね?」
「ああ。こっちには何の連絡もない。城を見張ってたケットシーたちが気付いて知らせてくれたんだ」
ますますキナ臭い。いつもだったら『感謝しろよな!』とか言って胸を張りそうなルーンも、ヒゲをぴくぴくさせながら窓の外を見ている。
「ケネスのやつ、間違いなく魅了状態になってるって話だ」
「…魔力、そんなに高くないんだ…」
《魔力が高かったら魔法師団に入ってるだろ》
なるほど、一理ある。…感心してる場合じゃないか。
「それで、お城のお偉い文官長殿が何の用で?」
「王家の封蝋が押された書簡を持って来るらしい。中身は、ユウに向けた勅令だ」
話を戻したらとんでもない単語が出て来た。
勅令。つまり、この国のトップからの、断ることの出来ない命令書。
一体どんな中身なのか──聞かなくても予想はつくし、正直聞きたくもない。
「……そこまでやる……?」
私が顔を引き攣らせて呟いたら、ギルド長が溜息をついた。
「…正直、オレも予想外だ」
頭を抱えそうな勢いだが──そんなことをしている暇もなさそうだ。
ギルド長はすぐに表情を切り替え、真面目な顔でこちらを見た。
「ユウ、出発の準備は出来てるか?」
「半分くらいは」
元々、出来るだけ早くユライト王国へ向かうつもりではあった。だからこの3日間、依頼もあんまり受けないで家の片付けとか買い出しとかで走り回ってたんだけど…城の連中の行動は予想以上に速かった。
召喚魔法の破棄に同意するだけで10日掛かってたくせに、なんで3日で勅令の書簡作って来るんだよ。
「家の中の片付けは途中だし、借家の契約とかはまだ何も手続きしてない」
「分かった。そっちはギルドで何とかしておく。あとは──」
ギルド長が視線を巡らせると、イーノックとノエルがバタバタと奥から出て来た。
「お待たせしました!」
「良いタイミングだ」
ギルド長がノエルからベルトポーチを受け取り、こちらに差し出してくる。
「当面、必要な物が入ってる。自分で用意した物と被ってたら売り払って資金にしろ」
「え…」
私がぽかんと口を開けると、イーノックが笑って頷いた。
「干し肉とかお米とか、保存がきく食材と調味料を入れました。こっちのポケットにおにぎりとお茶が入ってるので、それは今日中に食べてくださいね」
「野営用のテントと寝袋はここ。調理器具とかランプとかはこっちに入ってるわ」
ノエルもすらすらと説明してくれる。
野営に必要な物はジャスパーとキャロルが教えてくれて、みんなで手分けして集めたそうだ。足りないものはベイジル経由で調達したらしい。
「ほらよ、受け取れ」
ギルド長に促されるまま、ベルトポーチ型の圧縮バッグを受け取る。
ポケットが多く備わったこの型の圧縮バッグは、小王国支部で保有する貸出用アイテムの中で一番性能が良いもののはずだ。
テントと寝袋なんてそもそもウチの支部にはなかったし、この街じゃ店頭にもなかなか置いてないのに、まさか用意してくれてるなんて。
手持ちのウエストポーチ型圧縮バッグのベルト部分にベルトポーチを取り付けると、最初からそこにあったようにピタリと収まった。
…どうしよう、嬉しい。こういう時、どう反応したら良いんだろう…。
私が言葉に詰まっていると、エレノアが勢いよく顔を上げた。
「──ギルド長、出来ました!」
「よし!」
エレノアが書き上げた書類にギルド長が即座にサインして、それもこちらに差し出してくる。
「いいか、お前はこれからオレの指示で長期遠征する。目的は、固有種以外の魔物との戦闘方法を学ぶことと、探索の経験を積むこと。どっちもこの国じゃ出来ないからな。最初の目的地はロセフラーヴァ、それ以降はお前の自由。ただし──」
わざとらしく真面目かつ厳しい顔を作って、ギルド長は続けた。
「あくまでも、『長期遠征』だ。籍は小王国支部に置いたまま、移籍は許さん。そのベルトポーチも貸し出すだけだからな。──必ず戻って来い。くれぐれも、ウチの所属だってことを忘れるなよ!」
それは──『ユウはあくまで小王国支部の仲間だ』という宣言だった。
「ギルド長…」
厳めしい顔をしているギルド長の横で、エレノアが笑っている。ノエルとイーノックも良い笑顔だ。
ベルトポーチの中身を用意してくれたデールたちも、城を見張ってくれていたケットシーたちも、きっと同じ気持ちなんだろう。
(──私の居場所は、ここにあるんだ…)
じんわり、胸の奥が熱くなる。
受け取ったベルトポーチと書類が、ズシリと重さを増した気がする。でもその重みは、決して不快なものではなかった。
心の隅に残っていた、『私はこの世界の人間じゃない』というどこか宙に浮いたような気持ち。それがゆっくりと消えて、地に足がつく。
──『腹が決まる』とは、こういう感覚を言うのかも知れない。
「──分かった」
目の奥が痛い。
それを悟られないように、私は笑顔を作った。
「長期遠征、思いっ切りやって来るよ。で、さっさと特級冒険者になって帰って来る!」
「頑張ってきてください」
「お帰りをお待ちしてますね、ユウさん!」
「無理はしないでね」
イーノックとエレノアとノエルが、笑顔で応じてくれる。
一方、私の勢いに怖気付いたのか、ギルド長は若干顔を引き攣らせた。
「…やり過ぎるなよ」
失礼な。
《そこは『良いぞ、オレが責任を持つ!』って言うところだと思うぞ》
私が半眼になると、ルーンの呆れ混じりの突っ込みが入った。こんな場面で中途半端に現実に戻るなよ、と、捉えようによってはギルド長と同じくらい失礼なことを呟いている。
ギルド長がガシガシと頭を掻いた。
「──…あーもう、分かった! オレが責任を持つ! 思いっ切り暴れて来い!」
吹っ切れた声に、私は大きく破顔する。
「了解!」
その時、ルーンがぴくっとヒゲを震わせた。
《──連中がもうすぐ来るぞ! ユウ、見付からないうちに出発しろ!》
「うん! ──ルーン、みんなのことよろしくね!」
《おう、任せとけ!》
「おい待て、それはオレに頼むところだろ!?」
ギルド長が叫ぶと、エレノアたちが小首を傾げて顔を見合わせる。
「…ルーンさんに頼みますよね?」
「まあ、色んなところで頼りになりますし…」
「そうよね…?」
「オイお前らー!?」
私はブフッと噴き出した。いやあみんな、分かってるね。
「あはは! ──じゃあ、行ってきます!!」
『いってらっしゃい!!』
湿っぽいのは似合わない。
明るい声に背中を押されて、私はギルドの扉を開ける。
──こうして私は、慌ただしく小王国支部を発った。




