126 とても嫌な予感がする。
《よう、今日も不景気な顔してるお前らに朗報だぜー》
ご機嫌な足取りで入って来たルーンは、テーブルに飛び乗って胸を張った。
《何と、周辺国に遊学に出てた王太子が帰って来るんだってよ。やったな!》
おうたいし。王太子…次期国王様か。私は会ったことないな。
魔物大量発生事件の時とかに城に殴り込みに行っても出て来なかったのは、そもそも国内に居なかったから。噂では聞いてたけど…。
念話の口調は楽しげなのに、ルーンがどことなく投げ遣りな感じがするのは気のせいだろうか。何か目線が遠くを見てるし。
「……マジかよ」
ギルド長が思い切り顔を引き攣らせた。ルーンが作り物めいた笑みを浮かべる。
《マジ。今、ユライト王国だってよ。数日中には国境を越えるんじゃないか?》
「うげえ…」
何かすごい顔になってるな。
「…王太子って、ギルド長のお兄さんだよね?」
「…………ああ、一応な」
やたら沈黙が長かった気がするが、突っ込まないでおく。ルーンがもっと気になることを口にしたからだ。
「お兄さんってことは、ギルド長より年上だよね?」
「そうだな」
「……『遊学』? その歳で?」
ギルド長の年齢は、確か30代半ば。その兄だったら30代後半、下手したら40代だ。
王位継承者でその年齢ならもう政治に関わっていてもおかしくないと思うんだけど…『外交』じゃなくて『遊学』って、一体何やってんだろ…。
私が首を傾げると、鋭いな、とギルド長が乾いた笑いを浮かべた。
「名目上は『友好国との関係を強化するための諸外国巡り』、つまり外交の一環ってことになってる」
ただし、政治的なやり取りが行われるわけではなく、あくまで文化的な交流──という名の観光と言うか、物見遊山と言うか、まあそんな感じらしい。『遊学』ですらないじゃん。
「友好国をおおよそ1年掛けて巡って来るっつー長旅でな。本人の希望だ」
「…そんな希望が通るんだ…」
王位継承者が観光目的で1年間も国を留守にして許されるっていうのがちょっと信じられない。
いい歳こいた大人だし、将来的には為政者になる人というか、現時点で為政者の一人のはずだよね? 遊ばせといて良いの? 警護だって相当大変なんじゃないの?
何より一番解せないのは、
「確か王太子って結婚してて子どもも居るよね? 妻子放っぽって自分だけ外国に行ってるの?」
「…そうなんだよな…」
ギルド長は物凄く長い溜息をつく。
え、ちょっと待って、半分冗談だったんだけど。まさか本当に、奥さんと子どもこの国に残して自分だけ丸1年も国外観光してたの?
「…この国の王太子は、お前と同じ特殊スキル持ちだ」
兄のはずなのに、妙に他人行儀なのが気になる。…ああでも、実兄じゃなくて異母兄なんだっけ。王太子は王妃の実子だもんな。
その兄上殿は、どうやら特殊な人間らしい。
「スキル『カリスマ』──自分より魔力が劣る相手を、問答無用で魅了状態にする」
「えっ、なにそれ!?」
自分自身ではなく、周囲に影響を及ぼすスキル。私の『剛力』と全然違う。
驚いていると、ギルド長はフッと遠い目をした。
「昔は王太子もその周囲も普通だったんだが、王太子が15、6歳くらいの頃から急に周囲の態度が変わってな。多分、その頃からスキルが常時発動するようになったんだろ。幸い、本人の魔力は王族としてはそれほど高くないんでオレには効かないんだが…今でも城の人間の半分以上はヤツの影響下にあるはずだ」
当の王太子自身は、それほど我儘な性格ではないという。ただ、ポロッと呟いた個人的な願望を周囲の人間が積極的に拾って叶えようと動いてしまう、らしい。
「多少の無茶でも、ヤツの希望だったらまず間違いなく通る」
「うええ…」
ここ1年ほどの『遊学』も、本人の呟きを発端として実現してしまった可能性が高いんだそうだ。
何だそれ、気持ち悪い。とても正直な感想が浮かぶ。
『カリスマ』による魅了は、接触時間が長ければ長いほど精神に深く根を下ろし、本人との接触を絶っても持続するようになるそうだ。
問題は、魅了状態の人間は『カリスマ』持ちの言うことを全て正しいと信じ、命令を遂行することに至上の喜びを見出すということで…そこに他者に対する配慮や気遣いの入る余地はなくなる。
つまり、魅了状態ではない人間にとっては迷惑この上ない。
ギルド長が妙に嫌な顔をしているのも、ルーンが遠い目をしているのも、その辺りに理由があるようだ。
「何でそんな面倒なのが」
「初代国王が『カリスマ』持ちだったって伝承もあるからな。まあスキルは遺伝しないし、眉唾だとは思うが…」
いやそれ、本当なんじゃない? だって魔素嵐が吹き荒れる土地を『俺の国の首都にする!』って強行したの、初代国王だよね? 普通はそういうの、周囲の人間が止めると思う…。
(…で、その伝説の『初代王』と同じ能力を持った人間が、帰って来る…と)
…何だろう。とても、ものすごく、嫌な予感がする。インフルエンザ発症一歩手前みたいな寒気が…。
《王太子がユウの今の状況を知ったら、『自分がユウを嫁にするのはどうか』とか言い出したりしてな》
「ヤダー!!」
ルーンの笑えない冗談に、ほぼ条件反射で叫ぶ。ギルド長も、私に負けず劣らず嫌な顔をした。
「おい変なこと言うな。あいつとだけは関わりたくないんだよ」
《お前ホント兄貴嫌いだな》
「お前だって散々兄貴と喧嘩してるじゃねぇか」
《あれは兄じゃなくて弟!》
ルーンが思い切り毛を逆立たせる。相変わらずその話題は地雷らしい。
《ああもう! とにかく、ヤツが帰って来るのは確実だからな。関わり合いになりたくないなら、対策打っとくとか、せめて心構えぐらいはしとかないとマズイんじゃないか?》
「そうだな…」
ギルド長が深刻な顔になった。
王太子が冗談でも『嫁に』とか言い出したら、周囲は確実に全力でこちらを囲い込もうとするだろう。
相手は国家権力だ。最悪、『国からの命令』という形を取るとか、適当な罪をでっち上げて捕らえに来る可能性もあるという。
「え、そこまでする?」
「そういう分別がつかなくなるのが『カリスマ』汚染の恐ろしいところなんだよ」
ギルド長の声が重い。
「本人に悪気はないんだろうが、後先考えずに思い付きを口にするタイプだからな…。お前のことを知ったら、確実に『会ってみたい』くらいは言うだろ」
そうすると、それを拡大解釈した周囲が暴走する可能性は大いにある。『嫁にする』とか言い出さなくてもこっちが迷惑を被る可能性、大。『本人に悪気はない』ってあたりが余計に性質が悪い。
…ただでさえ、招かれざる訪問客が多くて嫌んなってるのに…。
「……国外逃亡一択?」
先日と同じような台詞をぼそりと呟いたら、ギルド長が溜息をついた。
「それも一つの手だな。お前が抜けるのはこの支部としてはちょいと痛いが…上級冒険者になった今なら、国境越えもそれほど面倒じゃない」
《けどそれ、根本的な解決にはならないだろ? あっちが『会いたい』っつったら追っ手が掛からないか?》
ルーンがとても嫌なことを言い出した。何だそれ、犯罪者じゃあるまいし。
ギルド長が乾いた笑みを浮かべる。
「まあ否定はしない」
「ええ…」
何かもう、目をつけられる前に最初から国外脱出しといた方が良いような気がしてきた。
私が呟くと、ギルド長が苦笑した。
「まあ待て。まだヤツがお前に興味を示すと決まったわけじゃない」
「でもギルド長的には十中八九そうなると思ってるんでしょ?」
「…九分九厘くらいは」
「ダメじゃん」
確率を上げてどうする。
あと、確率を『パーセント』じゃなくて『分』とか『厘』で表す文化、こっちにもあったんだね。…歴代勇者に野球好きでも居たかな。
ひたすら嫌な予感しかしないせいで、思考が明後日の方向に飛んでしまう。
まあ落ち着けよ、とルーンが首を横に振った。
《とりあえず、城に怪しい動きがないか、俺らが見張っててやるよ。ケットシーはヤツの『カリスマ』の影響を受けないからな》
『カリスマ』は、同族にのみ効果を発揮するスキルなんだそうだ。
対象が無差別じゃなくて良かったよ。ケットシーたちがみんな王太子に魅了されたら、私ショックのあまり城を打ち壊しに行くと思う…。
「おい、また変なこと考えてるだろ」
「ヤだな気のせいだよ。想像だけだから大丈夫だって」