120 じゃあね、豚野郎ども。
ぽかんと口を開ける阿呆2人に、私は懇切丁寧に説明する。
送還魔法は、召喚された人間に対してのみ作用すること。
召喚された人間でも、一度でも国外に出たことがあると対象外になること。
「私は仕事の関係で数ヶ月前に隣国に行ったから、送還魔法の対象外。だから、帰れない」
「……そ、そうか」
淡々と告げたら、『勇者()』は戸惑いがちに頷き──オイ、口元がにやけてるぞ。
(まあいいけど…)
どうせ『これで邪魔者が居なくなる』とか思ってんだろうな。脳みそお花畑野郎め。
「ユウ、起動の準備を。ここに立ってください」
「はい」
マグダレナの指示に従って、魔法陣の一角に立つ。マグダレナとギルド長も、私を挟んで等間隔に並んだ。
「──では、行きますよ。カルヴィンとユウはそのまま立っていてください。多少動いても構いませんが、魔法陣の外に出ないように気を付けて」
「了解」
「分かりました」
魔法陣に直接触れなくても良いらしい。
マグダレナがシャランと錫杖を鳴らすと、足の裏からものすごい勢いで何かが流れ出て行く感覚があった。多分、魔力を吸い出されているんだろう。負担は感じないけど、何かぞわぞわする。
ウオン、と部屋全体が微かに振動した。
「おお…」
紋様が薄らと青白い光を放っている。その中心、阿呆2人が居る円からは白い光が立ち昇り、半透明の膜のようなものが現れた。これで円の中はこっちの世界から切り離されて、送還魔法で送られる対象が確定したわけだ。
マグダレナが頷いたので、私はにっこり笑って口を開く。
「じゃあね、浮気野郎ども。あっちに帰ったら相当大変だろうけど、まあ頑張れ。まずは職探し──いや、家探しからかな?」
『……は?』
2人がぽかんと口を開ける。やっぱり『帰ったらどうなるか』、分かってなかったか。
「召喚されてから半年経ってるんだよ? あのアパートの家賃も払ってないし、契約切れてるに決まってるでしょ? 仕事だって、半年以上無断欠勤してるんだからとっくの昔に解雇されてるはずだし」
「え゙」
割と新しい建物だったわりに、あのアパートの家賃の支払いはクレジットカード払いでも銀行口座からの引き落としでもなく、オーナーの銀行口座への振り込みだった。
毎月給料日の翌日に振り込んでたけど、私が居なくなったら当然、家賃の支払いは滞る。
家賃を払っていない人間に部屋を貸し続けるほどお人好しではないだろう。
多分とっくに、保証人になっている私の父に連絡が行って、私たちが行方不明だということが発覚して、アパートは解約されてるんじゃないだろうか。
つまりあっちの世界に帰っても、契約の切れた空き部屋もしくは新しい住民が住んでいる部屋に、ファンタジーな服装で不法侵入することになる。帰った瞬間犯罪者だ。ワオ。
仕事の方は…確かうちの職場の規約に『14日以上無断欠勤が続いた場合は会社都合で解雇可能』とか書いてあった気がするから、まず同じ職場だった『せいじょ』はアウト。
『勇者()』の方は召喚時点で半年近く欠勤し続けていたし、そこからさらに半年無断欠勤を重ねてるんだから、考えるまでもない。
「ちょっ…え!? ど、どういうことだ!?」
私ちゃんと、『半年後の世界に帰ることになる』って言ったんだけど…何で気付かないんだろうな、こいつら。
「法律やら契約やらでガッチガチに縛られてる現代日本が、そんな甘々なわけないでしょ? ──行方不明者と離婚するのも大変だろうけど、頑張ってね?」
「……はっ!?」
そう。私が帰らないということは、阿呆が希望している──と言うか、当然来るべき未来と想定している離婚も、かなり困難になる。
だって離婚って、離婚届に本人が書かないと成立しないもんな。署名を偽造したら犯罪だもんな。
何か、相手が行方不明の状態で離婚する方法もないわけではないらしいけど…役所での手続きとか税金の支払いとか全部私に丸投げしてたこいつに、どう考えても面倒な手続きが果たしてできるかどうか。
弁護士とかそっち系のプロに任せるにしても、貯金、ほとんどないだろうしな。
…それ以前に、ほぼ確実に行方不明で捜索願が出されてるだろうし、『行方不明の3人のうち2人だけ帰って来た』ってなったら、『残りの1人はどこだ』って警察が捜索に来るよね。取り調べとかもあるんじゃない?
どうやって言い訳すんのかな。『異世界に行って、優だけ帰って来られなかった』なんて証言、警察が信用すると思う?
(やばい、楽しくなってきた)
出来るだけ平静な表情を保ちながら並べ立てると、真っ青になった『勇者()』──いや、空人がこちらに駆け寄って来ようとして、顔面から結界にぶつかった。ぶへっと間抜けな声が上がる。
「…ゆ、優、お前も来い!」
「だから私は帰れないんだって」
「俺たちがどうなっても良いのか!?」
「うん」
私が即座に大きく頷いたら、空人は結界に両手をついたまま、愕然と目を見開いた。
…いや、何で私がお前に同情すると思ってるんだよ。
「正直、心底、地獄に落ちろと思ってるよ? 浮気野郎ども。拳一発で水に流すことにしてやったんだから、殺さないだけマシだと思って欲しいね」
その拳一発で殺しかけたことは頭の隅に仕舞っておく。
「向こうの世界に帰れば私からの慰謝料請求もないし、お互い二度と顔を見ることもない。万々歳でしょ?」
「な、何が万々歳だ!」
「ひどいわ、騙したのね!」
「ちゃんと『半年後の時間に帰る』って言ったのに、想像できなかったお前らが悪い。大体、私を騙してたのはそっちでしょ」
『せいじょ』──美海には、軽蔑の視線を投げておく。
自分たちの浮気を棚に上げてこっちを責め立てるなんて、この期に及んで面の皮が厚い。まあそれくらいでなきゃ、自宅で浮気なんて出来ないか。
「こっちで散々周囲に迷惑かけて良い思いしてたんだから、あっちで苦労すればいい」
私の言葉に、マグダレナとギルド長とケネスが大きく頷いた。
まあ、空人の実家に頼れば何とかなるかも知れないけど──あの実家が『行方不明になったと思ったら嫁と全然違う女を連れて帰って来た。なお嫁は行方不明のまま』なんてドラ息子を受け入れるとも思えない。
(…義両親はともかく、あっちの家に居るお義姉さん一家は結構な常識人だし)
あちらの実家には空人の姉とその旦那さんと子どもたちも居る。援助を求めれば逆にガッツリ絞られるだろう。そしてそれが予想できるからこそ、この阿呆が実家に頼るとも思えない。
適当な嘘をつくにしても、どうせすぐボロが出るだろうし。
あと、この阿呆どもは気付いてないだろうけど──『優だけ行方不明のまま』なんて状況で、ウチの両親と妹が黙っているはずがない。
特に妹。あの子、優しそうな顔して結構苛烈と言うか…敵と見做した相手を『社会的に抹殺する』とか笑顔で言っちゃうタイプだからね。関係各所に噂を流してこの阿呆2人の立場をなくすくらいのことは平気でするでしょ。いやー、ヤバい相手を敵に回すことになるね。
「そ、そんな…!」
「ああ、あと」
空人が絶望感に満ちた顔になったところで、私は改めて美海に視線を向けた。
「──会社の次期社長殿によろしくね」
「…へ?」
突然ピンポイントでお願いされた意味が分からなかったのだろう、美海が目をしばたいた。
私はにっこりと笑みを深める。
「婚約者なんでしょ? 火遊び相手と一緒に半年以上失踪して、愛想尽かされてないと良いね?」
「…!!!」
「なっ…!?」
美海の顔から血の気が引き、空人が目を見開いた。
「火遊び相手だと…!?」
「あれ、知らない? この子『次期社長の婚約者』だよ。まあ他にも多少顔が良いとか金払いが良いとかいう相手と複数関係を持ってたみたいだけど。婚約者殿はそれを知った上で『火遊びなら許容範囲』とか言ってたけど…流石に『火遊び相手その1』と半年以上失踪してたら…ねえ?」
「──」
空人がバッと美海を振り返る。
──これが、私が美海に切れる『とっておきのカード』だ。
美海の異性関係の『幅広さ』は、職場でも有名だった。それを承知で婚約者に指名する社長の息子も息子だけど、婚約者公認だと言って異性関係を改めない美海も美海だ。『サキュバス並みの魔性の女』は、確かにこいつの本質をついた言葉だと思う。
「どういうことだよ!?」
空人が美海に詰め寄ると、美海はハッと表情を改めた。わざとらしく悲し気な顔をして、
「ち、違うわ! 私には貴方だけよ!」
「そういや、婚約者殿から貰った指輪、ウチで浮気してた時は外してたもんね。職場ではこれ見よがしに着けて自慢してたけど。確か、時価100万以上するダイヤとサファイアのフルエタニティリングだっけ?」
こいつの指輪は職場に着けて来るにはあまりにも派手なデザインだったのでよく覚えている。たまに外してる時があったけど、あれ浮気する日だったんだな。
「お前…!」
私が言っていることが本当だと察知したのだろう。空人が激昂すると、美海がキッと眦を吊り上げた。
「──あなたこそ、私と浮気してるじゃない! 何で私だけ責められなきゃいけないのよ!」
「いや、どっちもどっちだろ…」
ギルド長が心底呆れた顔でぼそりと呟いた。
つまり両者とも、『浮気』だったわけだ。まあ空人は半分以上本気で、美海は半分以上遊びだったみたいだけど。
馬鹿だなあ…。
「前はちょっとだけ格好良かったのに、ブクブクブクブク太っちゃってさ! 何なの、ブタなの!?」
「なんっ…!? ブタはお前の方だろ!!」
結界の向こうでは、大変不毛な豚2匹の罵り合いが繰り広げられている。
マグダレナがちらりとこちらを見た。
「──…もうよろしいですか?」
私が言いたいことを言えるまで待っていてくれたのだ。
私はすっきりした気分で頷いた。
「はい、ありがとうございました、マグダレナ様」
「…ま、待て!」
罵り合いを続けていた空人が、ハッと表情を変えてこちらを見る。
結界にべったりと両手をつけ、必死の顔で、
「ゆ、優! 俺が悪かった! やり直そう!」
「はあ!?」
美海が全身に怒気を昇らせているが、一切振り返らずに作り笑顔で続ける。
「今度からちゃんと家事も手伝うし、ちゃんと働くから!!」
家事を『手伝う』って時点でアウトなんだけど、こいつは一生気付かないんだろうな…。
私はとびきりの笑顔で拳を掲げ、親指を上向きにグッと立てた。
サムズアップの仕草に、空人がぱあっと顔を輝かせたところで──拳を180度回転させ、親指を下に向ける。
「地獄に落ちろ、クソ野郎」
「…!?」
阿呆が愕然と目を見開き、その顔が大きく歪んだ。
「い、嫌だ、いやだ、いや──!!!」
マグダレナが錫杖を振り上げ、シャラン、と音がしたと同時、部屋は真っ白な光に包まれた。