113 仕事と休みの境界線
首都防衛戦と宴の翌日。
「ユウさん、体調は──良くなさそうですね…」
私の住まいに顔を出してくれたシャノンは、こちらの姿を見るなりそう呟いた。
「…うむ…」
ベッドに突っ伏したまま、私は呻き声を上げる。それだけで、顔面と喉と胸に痛みが走った。
何のことはない、身体強化魔法の反動、つまり筋肉痛だ。ただし、本当に、『今まで感じたことのないレベルの、地獄のような全身筋肉痛』だけど。
「ちゃんと仰向けで寝た方が楽なんじゃないですか?」
「呼吸はそうなんだけど…今、背中が滅茶苦茶痛くて…」
動こうとすれば動かした筋肉が痛いし、どこかに体重が掛かればそこも痛いし、何だったら安静にしてても痛いし怠いし呼吸するだけでも痛い。つまり、寝ててもただただ痛い。
昨夜は平気だったのに、今朝起きたらもうこの状態だった。
あまりの痛みにトイレに行くだけで力尽きて、ベッドに突っ伏したのがつい先程のこと。様子を見に来たルーンにその惨状を目撃された結果、こうしてシャノンが派遣されて来た…んだろう、多分。
「イーノックさんがご飯作ってくれたんですけど、食べますか?」
「た、食べる…!」
決死の覚悟で顔を上げ、ぐぎぎぎぎぎ、と変な声を上げながら何とか立ち上がる。痛い痛い痛い。
ベッドで食べた方が、と言われたが、根性でテーブルにつく。
別に意地を張ってるわけじゃない。皿を持ち上げられる自信がないし、スプーン落としたり食べこぼしたりして布団を汚したくないだけだ。
イーノックが作ってくれたのは、醤油味のおじやだった。今は噛むのも修行みたいになってしまうので、大変ありがたい。
「いただきます」
作ってすぐ持って来てくれたんだろう。おじやはまだ温かかった。火傷するほどではないほっこりした温度とやさしい風味が身体に沁みる。ちょっとだけ酸味があるのは、多分お酢が入っているからだ。流石はイーノック、すごく疲労回復に効きそうな気がする。
痛みと戦いながらスプーンを進めつつ、シャノンに話を振ってみる。
「シャノンは大丈夫?」
「はい。魔力はまだ戻り切っていませんけど、普通に動く分には問題ありません」
魔力増幅の魔法は、厳密には魔力の『前借り』みたいなもんなんだそうだ。その状態で限界以上の魔力を使った場合、魔力が回復するまで数日掛かり、人によってはひどい頭痛に悩まされる。今回キャロルは見事そうなって、ギルド長の屋敷の客間で寝込んでいるそうだ。
身体強化組はというと、
「ジャスパーさんたちもデールさんもサイラスさんもギルド長も、一応動けはするみたいですよ。朝、ギルドに顔を見せてくれました」
ひたすら痛いヤバいと呻き、歩き方もおかしかったらしい。ゾンビかな。
「ユウさんはこの際だからちゃんと休めってギルド長が言ってました。体調が完全に回復してから、さらに2、3日休むように、だそうです」
「えっ!?」
ゾンビに仕事禁止令出された。どういうことだ。
私が声を上げると──うぐ、痛い──シャノンは苦笑した。
「ユウさん、ずーっと毎日働いてるんですよね? 依頼は毎日のように受けてるし、依頼がない日はイーノックさんと一緒に料理してるって聞いてますよ」
「そんなに働いてないよ? 料理してるのは休みの日だし…」
「えっ?」
「えっ?」
お互い顔を見合わせる。何か今、話が噛み合ってなかったような…?
シャノンが大きく首を傾げた。
「…料理は、お仕事、ですよね…?」
「いや、手伝ってるだけだから………あれ?」
私は首を傾げると痛いので、視線を明後日の方に向ける。
…そういえば、私がメインで料理をしてた頃は依頼を受ける形でやってたけど。イーノックとかノエルを手伝う時は、『手伝い』であって仕事じゃないみたいな感覚になってたかも…?
「ユウさん」
「はい」
とても静かなシャノンの声に、思わず背筋を伸ばし──いだっ。
「手伝いだろうと仕事は仕事です。そう教えてくれたのはユウさんですよね?」
「ハイ」
「自分の働きを過小評価しないでください。でないとそのうち、みんなタダ働きが当たり前になっちゃいます」
「…ハイ…」
返す言葉もない。私が肩を落とすと、シャノンは腰に手を当てて続けた。
「ユウさんは自分が働き過ぎだって自覚を持ってください。で、ちゃんと休んでください。分かりましたか?」
「……ワカリマシタ…」
…シャノン、怒り方がマグダレナに似てき──いや何でもない。
──3日後。
ようやく普通に動ける程度まで回復した私は、暇を持て余してギルドにやって来た。
「お前、何で出て来てるんだよ。早すぎるだろ」
「だって暇だから」
受付ホールのテーブルでダラダラしてたら、奥から出て来たギルド長に文句を言われる。まあ『回復し切ってから2、3日休め』って言われてたのに3日で出歩いてたら流石にバレるか。さっきエレノアにも突っ込まれたし。
「家に居てもやることがないんだよ、切実に」
今の家に入居から3ヶ月くらいしか経ってないし、毎日ちょこちょこ掃除してたので、大掃除をするほど汚れていない。料理もそんなに時間が掛からない。寝るのも飽きた。そう並べ立てたら、エレノアが苦笑して、ギルド長が呆れた顔になる。
「普段、休みに何やってたんだよ、お前」
「…イーノックの手伝いで、料理とか?」
「…ユウさん、それは仕事では…?」
「シャノンにも突っ込まれた。でも私の中の感覚じゃ、あれが休みだったんだよね」
「…休み…」
理解できないという顔をするエレノアの横で、ギルド長が溜息をつく。
「…聞いたオレが馬鹿だった。じゃあ、こっちに来る前はどうしてたんだ?」
「…溜まった家事片付けたり、仕事の日用に料理の下ごしらえしたり、買い出し行ったり、たまーに昼寝したり…」
「それ休みの話か!?」
「昼寝は休日の特権だよ?」
「それ以外全部仕事に等しいだろ!」
…あれ? おかしいな。でも、
「家事に休日なんてないよね?」
人間が生きている限り家事はなくならないし後回しに出来ないものはどうしたって発生する。よって、休日に家事をすることは何らおかしいことではない。
そう主張したら、ギルド長がドン引きした。
「いやそうかもしれんが…休日っつったら普通、街に美味いモン食べに行くとか、観光するとか…」
「あ、そういうのもあるね。そういえば」
「…そういえば……」
何でそこで可哀想な生き物を見る目になるかな。
観光なんて、お金と時間と心に余裕がある人だけが辿り着ける境地なんだよ。
子どもの頃は純粋に楽しかったけどね。大人になると、自分で準備しなきゃならないし、あと何より帰って来てから片付けして後回しにしてた家事もやって疲れが取れないまま次の日仕事じゃん…って考えると途端にゲッソリするよね。
そもそも、休日出勤ばっかでまとまった休みなんてほぼ取れなかったし…。
「でも、休みがないって点ではギルド長とエレノアもいい勝負だと思うよ」
『へ?』
「だって2人とも代理になれる人が居ないし、毎日出勤してるじゃん。私以上に休んでないでしょ。自分で気付いてないの?」
私が突っ込んだら、ギルド長とエレノアが顔を見合わせた。
「…エレノア、お前最後に丸一日休んだのって、いつだ?」
「……ええと、今年…あれ? …えっと……昨年の年末…です…ね」
「………オレもだ」
まさかの半年以上前。お互い思い切り目を逸らす。
ほらやっぱり、と私がドヤ顔で呟いたら、ギルド長が何だか悔しそうな顔をした。
「…クソ、無自覚仕事人間に言い返されるとは…」
無自覚って言うな。
家事は立派な仕事だと思うんですよ…。




