106 それぞれの戦い(5) マグダレナの場合
別視点、最後はマグダレナ様です。
──恐れていたことが起きた。
アルから小王国の魔素の流れが急に変わったと知らされた時、胸中に浮かんだのはそんな言葉だった。
小王国は非常に特殊な場所だ。
私が開発した魔素消費装置とトラジが追加した制御装置が奇跡的なバランスで噛み合ってやっと、平和な土地として成り立っている。
その均衡が崩れたら、異変が起きるのは必然。私は小王国支部からの支援要請を待たずに動き出すことを決め、ロセフラーヴァ支部の上級冒険者に招集を掛けた。
冒険者たちは最初は懐疑的だったが、小王国支部のユウたちが極小人数で魔物を足止めし、村人たちを避難させているのを見て考えが変わったようだ。今朝改めて集まった時には、皆真剣な目をしていた。
小王国支部の冒険者たちは確かに強い。けれど、『ユライト』系の3種以外の魔物との戦闘経験は殆どない。
どんな魔物が出て来るか分からない状況で、ロセフラーヴァの皆がやる気になってくれて本当に良かった──そう思う。
「さて…」
初撃を終えて防護壁を降りると、私は足早に城へと向かう。
今まさに、城では国王と関係者たちが街を覆う結界魔法を使っている。攻城戦級魔法にも耐える強力な結界で、その分魔力の消費も激しい。だから建国当時、複数人で扱う前提で私が城の地下に魔法陣を作った。
(その存在すら忘れられていたというのは、少々残念ではありますね…)
結界魔法があるから、城の魔力持ちで協力して使えば良い──昨夜城でそう提案した時、返って来た反応は散々なものだった。
『そんなものがあるなど聞いたことがない』と存在自体を疑う者。『誰が使うのだ?』とまるで他人事のような顔をする者。『貴族に働けと言うのか!?』と、貴族の心得を根本から問い質したくなるような発言をする者。
魔法陣が牢屋にあると分かったらその勢いはさらに増した。どうして犯罪者でもないのに牢屋に行かなければならないのだと夜に開かれた緊急会議は紛糾し、魔法の一発でも撃ち込んだら多少は静かになるだろうかと、一瞬本気で考えた。
直後、カルヴィンが『本当に牢屋にブチ込まれたいなら好きに文句垂れてろ。国民を守る義務を放棄するようなやつは、当然貴族じゃいられないだろ』と皮肉に笑い、ユウが『牢屋が嫌だって言うなら、今から原型を留めないくらい壁と天井に風穴開けてくるけど』と笑顔でウォーハンマーを構え、場は一瞬で静まり返った。
その後ようやく国王自らが命令を発し、王族と貴族、城の関係者の魔力持ち全員で結界魔法を使うことになった。
──それでも魔力が足りず、結局私もこちらに回ることになったのだが。
「──ああ、やっていますね」
見張りの居ない門を抜け、勝手知ったる城の地下に降りると、開け放たれた扉の向こうで貴族たちが思い思いの体勢で床に手をついていた。
この魔法は大人数で使う前提なので、魔法陣に魔力を供給出来るなら姿勢や配置に決まりはない。
強いて言えば、魔力の供給量を急に増減させないこと、継続して一定以上の魔力を流し続けることが求められる。
「ま、マグダレナ殿…!」
微かに光を放つ魔法陣の中心で魔力を流していたのは国王だった。発動してそれほど時間は経っていないはずなのに、もう汗だくになっている。
「そのまま魔力を流し続けてください。今から私も加わります」
「あ、ありがとうございます…!」
国王たちがあからさまに表情を緩めた。周囲に待機している交代要員たちもホッとした顔をしている。
私が杖で魔法陣の端に触れて魔力を流し始めると、すぐに手を引こうとする者が居た。昨日散々文句を言っていた貴族の一人だ。
「手を抜いてはいけませんよ」
『!』
私はすかさず釘を刺す。
「あくまで貴方がたが主力で、私は補助をするだけです。そちらが手を抜いたら、私はその時点で魔力の供給を止めます」
「な…!」
「そんな滅茶苦茶な!?」
「滅茶苦茶なのはそちらでしょう。この国の人間がこの国を守らなくてどうするのです? 私は昔関係者だったというだけで、本来はこの城の人間を手助けする義理などないのですよ」
この国で通用する今の私の肩書きはあくまで『冒険者ギルドのサブマスター』だ。
カルヴィンが支援要請を出すのを見込んで先行してこの国に来たが、それはあくまで『冒険者ギルドの支部同士の助け合い』のため。当初は国そのものに対して働き掛ける予定などなかった。
この国の上層部があまりにもアホ──こほん、反応が鈍かったので、昔の肩書きを使って警告したにすぎない。こうして魔力を貸しているだけでも感謝して欲しいくらいだ。
(『勇者』に頼るのが当たり前になっているせいで、自分たちで何とかしようという意識が希薄なのでしょうね)
その昔、初代王にも忠告はした。召喚魔法は優れた人物を異世界から喚び出す非常に便利な魔法だが、それに頼り過ぎてはいけないと。本来、この世界のことはこの世界の住民が何とかしなければいけないのだと。
──結局その忠告も、都合よく忘れ去られたようだが。
(コテツが見たらどう思うでしょうか…)
それ見たことかと嘲笑うか、同郷の者を巻き込むなと憤るか、それとも嘆くか。
かつて、私が魔法研究の一環で作った召喚魔法陣をセオドリックが勝手に使い、召喚されてしまった青年。それがコテツだ。召喚直後は私がこの世界の常識や文字を教えて世話を焼き、仲間として行動を共にした期間は決して短くはなかった。
…初代王が私の見た目を好んでいたせいで私だけ傍に置きたがり、特にやつが小王国の建国を本格的に始めてからは、まともに話をする時間も取れなかったが。
セオドリックは特殊な能力の持ち主だった。
スキル『カリスマ』──自分より魔力の低い者を一種の魅了状態にする、大変性質の悪い能力だ。私やコテツは平気だったが、側近や臣民は皆、やつの熱狂的な『信者』になっていた。
だから、私たちがその意向に反対しようものなら大変な勢いで責め立てられ、結局全てセオドリックの希望通りにことが進んだ。
──あの頃、ぶん殴ってでもやつを止めるか、本腰を入れてあの能力を無効にする魔法を開発していたら、この国も変わっていたのだろうか。つい、そんなことを考えてしまう。
「街の外では冒険者たちが戦ってくれています。ですが、取り零しがないとも限りません。『勇者』が仕事をやり遂げて安全が確認されるまで、結界は維持してください」
「い、一体いつまで…!」
「それは『勇者』次第ですね」
あの体格では、あの『勇者』が制御装置に辿り着くまで最低でも1時間近く掛かるだろう。途中で魔物に襲われればもっと掛かるかも知れない。あちらにはグレナが向かっているはずだから、全滅することはないだろうが。
しかし──『勇者』と口にすると、コテツでも当代の『勇者』でもなく、ユウの姿が頭に浮かんでしまう。
名前が『ユウ』だから、というしょうもない理由もあるにはあるのだが──雰囲気があまりにもコテツに似ているのだ。
スキル『剛力』持ちという共通点もある。だが何より、気配が似ている。ほぼ同じと言ってもいい。
(あの推測は、当たっているかも知れませんね…)
元々黒髪黒目だったユウは、こちらに召喚された翌日に紺色の髪と緑色の目に変化していたのだという。
恐らく、この世界からの『祝福』だ。かつてコテツにも同じことが起こっていた。
異世界から迷い込む者はそれなりに居るが、こちらの世界の祝福を得られる者はそれほど多くない。人為的に召喚された者ならなおさら。それなのに祝福を受け、しかもコテツと同じ色彩になるということは──
──転生者。
頭の中に浮かんだ単語に、一瞬、魔力が揺らぐ。
ユウがコテツの転生した姿だというなら、色々と辻褄は合う。
『勇者が欲しい』という漠然とした目的を持って行われた召喚魔法で、この世界に引っ張られて来たこと。
共通するスキルと世界からの祝福。
武器こそ違えど、バーサーカーのような、コテツを連想させる戦い方。
時折不自然なほど粗暴になる言動。
何より、本人が証言した『最初からこの世界の文字が読めていた』という事実と──書く文字の癖。
確証はないし、確かめる術もない。でも、偶然の一致で片付けるには重すぎる。
(…同じ魂が二度も召喚されたのだとしたら、謝っても謝り切れませんね…)
この国の為政者の他力本願な思考といい、もう召喚魔法そのものを廃棄した方が良いのかも知れない。
この異変を収めたら、ユウやカルヴィンたちにも言ってみよう──私はこっそり心に決め、改めて魔法陣に向き直った。