105 それぞれの戦い(4) シャノンの場合
続いてシャノン視点です。
グレナ様とマグダレナ様に続いて私も階段を降りると、オフィーリアさんがみんなに指示を出しているところだった。
「街の外側には結界が張られていますから、外の魔物が中に入って来ることはありませんわ。ですが、街の中で魔物が直接発生する可能性があります! おかしな生き物を見付けたら、近くのケットシーか、この赤い腕章を着けている者に教えてくださいませ! 特に灰色のゼリーのようなものを見付けたら絶対に近付いたり触ったりしないこと! 触れると髪の毛一本残さずに喰われますわよ!」
「そ、そんな魔物が…!?」
「アビススライムっていうらしいわ。外には居るから、街の中で出てもおかしくないの。他の魔物も出るかも知れないから、警戒するようみんなに伝えて頂戴」
「分かった。任せときな!」
カーマインが補足すると、酒屋のおかみさんが大きく頷いて駆け出した。続いて、下町の顔役と、行商人のおじさんも了承して走り出す。釣られたように、集まっていた見物人も散って行った。
これだけの人数が知らせに走ってくれるなら、街全体で情報共有出来るだろう。ホッとしていると、視界の端に予想外の人物が見えた。
(えっ…!?)
「──シャノン!」
こちらの視線に気付いたのか、その人物は嬉しそうな顔で駆け寄って来る。少し頬が痩けて薄汚れた格好をしているけど、間違いない──父、キースだ。
「父さん、どうして…!?」
父は暴行と器物損壊の罪で騎士団に捕らえられ、その後牢屋でもたびたび酒を飲んで暴れて刑期が延び、まだ収監されているはずだった。なのにどうしてここに居るのか。
「緊急事態だからと保釈されたんだ。お前が無事で良かった」
そういえば街を守る結界を発動させるための魔法陣は、今牢屋として使われている場所にあるとマグダレナ様が言っていた。でもまさか、父が保釈されるなんて。
動揺する私の前で、父はこちらを安心させるように微笑んだ。
「さあ、父さんと一緒に逃げよう」
「……」
当たり前の顔で手を差し伸べる父に、一瞬思考が停止する。
数秒後、ようやく何を言われたか理解して、胸中に浮かんだのは苛立ちだった。
ユウさんの口調を借りるなら──何言ってんだこいつ。
「…今は緊急事態なの」
低く呟いたら、父はさもありなんと頷いた。
「ああ、騎士団からも聞いている。だから、一緒に逃げよう。父さんが守ってやるから」
そう言うが──私には分かる。
父は私を守ろうとしてるんじゃない。私が冒険者として魔法攻撃に加わっていたのを見て、自分を守る盾として私を使いたいがために声を掛けて来たのだ。
その証拠に、目が若干斜め上に泳いでいる。父が都合の悪いことを隠そうとしている時によくやる動きだ。
(ふざけないで)
この場に母さんが居なくて良かった。怒りに満ちた頭の隅で、少しだけ安堵する。
母──ノエルもこちらに来たがっていたけれど、魔物との大規模な戦闘になる可能性が高くて危険だからとマグダレナ様が却下した。流石は師匠、本当に英断だったと思う。
もし母が居たら、この男は親切な顔をして母を連れ回し、いざという時の盾に使おうとしただろう。
…最近は母さんも強くなってるから、情に絆される可能性は低いけど。
「──今は緊急事態で、私は冒険者なの。街を守らなくちゃいけないの」
「そんなこと、大人に任せておけば良いだろう? 助っ人もたくさん居るじゃないか」
大人に任せておけと言うならあなたが行けばいい──出掛かった言葉を、何とか喉の奥に押し込める。
父は戦いに関しては素人だ。絶対に邪魔になるし、そもそもこんなところで押し問答している暇はない。
グレナ様もマグダレナ様も自分の持ち場についたし、キャロルさんたちももう外に出ている。回復術師の私が行かなくてどうするの。
「私は、その助っ人の一人なの。冒険者の一人として、誰かに任せるなんて有り得ない。だから──父さんとは行かない。あなた一人を守っている暇はない」
「…!」
はっきりと言い放ったら、父は目を見開いた。
そして、その顔に朱が昇る。
「お前っ…優しくしてればつけ上がりやがって…!」
右拳を握り締め、こちらに突っ込んで来る──私の予想通りに。
(つけ上がってるのはどっちよ)
半年前はあんなにも恐ろしかったのに、今は激昂した父がひどく滑稽に見える。
殴りかかって来た右拳を冷静に弾きながら腕に手を添え、つんのめった胸倉を反対の手で掴んで、流れに逆らわずにくるりと体勢を入れ替える。
──ダァン!
石畳の上に背中から叩き付けられた父は、息を詰まらせた。
「邪魔をしないで」
「…!」
マグダレナ様みたいに冷静に、でも冷ややかに。
意識して低い声で告げたら、父はそのまま硬直した。まさか私にこんなことが出来るなんて思っていなかったって顔だ。
…エレノアさんに護身術を習っておいて良かった。
マグダレナ様にも『魔法使いでも、魔法を使わないで身を守る手段は大事ですよ』って言われてたから、毎日の鍛錬は欠かしていない。半年前の私とは、きっと別人だ。
「シャノン、大丈夫!?」
カーマインさんが駆け寄って来た。私は父を解放して頷く。
「はい、大丈夫です」
「何なのこいつ。いきなり絡んで来て」
「…私の父です…」
「…えっ」
申し訳なくなって、思わず声が小さくなる。カーマインさんは一瞬固まり、その後まじまじと父を見遣る。
「…全っ然似てないわね」
「はい」
昔はよく、お父さんにそっくりね、とか言われていた。似てないと言われて嬉しく思う日が来るとは思わなかった。
「…」
父はその場にへたり込んだまま、ショックを受けたように固まっている。
その肩を背後からガシッと掴む人がいた。オフィーリアさんだ。
「元気が有り余っているようですわね」
笑顔が怖い。
「丁度人手が足りないところでしたの。貴方、西の街区の見張りをしてくださいな」
「み、見張り?」
「いつ魔物が現れるか分かりませんもの。ああ、私の腹心のルドルフとペアを組んでいただきますから心配は要りませんわ。多少強い魔物が出て来てもどうとでもなります」
「…」
横につくルドルフさんが無言で頷いた。その目が、やっぱり怖い。
オフィーリアさんは凄みのある笑顔で父に迫った。
「この非常時に、街の防衛に参加している実の娘に殴り掛かる度胸があるのですもの。見張りくらい余裕ですわよね?」
「……」
父が口をパクパクさせるが、言葉は出ない。見るからに上流階級のお嬢様が細剣を片手に圧力を掛けて来るなんて、初めての経験だろう。
「ルドルフ、あとは任せますわ」
「承知しました、お嬢様」
ルドルフさんがキビキビとした動作で父を立たせ、西街区へ向けて歩き出す。
去り際、ルドルフさんは私に向けてパチリと片目を瞑った。私はハッと我に返る。
「あ、あの、オフィーリアさん、カーマインさん、ありがとうございました!」
「どういたしまして」
「ま、助けなんか要らなかったかもね。格好良かったわよ、シャノン」
「ええ、素晴らしい身のこなしでした」
頭を下げたら、笑顔の2人に褒められた。自分のことが認められたようで、ちょっと──かなり、嬉しい。
「では──みなさま、持ち場につきましょうか」
「ええ」
「はい!」
オフィーリアさんが一つ手を叩き、私たちはそれぞれのやるべきことのために走り出す。
戦いは、まだ始まったばかりだ。




