103 それぞれの戦い(2) 勇者()の場合
続いて、『勇者()』視点。
──どうして俺がこんな目に。
いつもならまだ寝ている時間、鬱蒼とした森を見上げ、俺は内心で悪態をついた。
(それもこれも全部、あいつのせいだ)
この世界に来て、最初はとても順調だった。勇者と呼ばれ、聖女の美海と共に城の貴賓室でメイドや従僕に世話をされながら悠々自適の生活を送る。今まで頑張ってきた自分へのご褒美──いや、当然の報酬だと思っていた。
なのに、これは何だ。
勇者の剣は剣ではなく、小難しい装置の鍵。俺は勇者ではなく『勇者(ある意味で)』。美海は聖女ではなく『サキュバス並みの魔性の女』。馬鹿にしているにもほどがある。
それを突き付けた優は、ここには居ない。
自分は冒険者だから魔物の殲滅に向かうとか言っていたが、どうせどこか安全な所に隠れているのだろう。あいつはきっとそういうやつだ。
召喚される前も『仕事が忙しい』とか言ってやたら帰りが遅かったが、どこかで飲み歩いていたに決まっている。実際美海はほとんど残業していなかったし、『今日は接待があるから』と言って会社のお偉方の会食に参加することがよくあった。
美海は気立ての良い美人だから、秘書の中でも社長や会長のお気に入りだったらしい。取引先の覚えも良く、美海のお陰で取引が成立したこともあったそうだ。
けれどそれを鼻にかけることなく、『でも一番はダーリンだからね?』と言ってくれる。
そんな美人で優秀で優しい美海──いや、マリンが『魔性の女』などと、よく言ったものだ。俺の『勇者(ある意味で)』といい、一体何を根拠にそんな分類をしてくるのか。
一晩考えたが、あのギルド長とか言う男の鑑定魔法は国王の鑑定魔法とは全く違ったし、あの男が間違っているに決まっているという結論に達した。
「勇者殿、行きましょう」
「!」
背後から声を掛けられ、俺はビクッと背筋を伸ばした。
騎士団長のアレクシスは、昨日までとそれほど変わらない厳しい表情をしている。声も硬いのは、今まで入ったことのない禁足地に足を踏み入れるからだろう。後ろに揃った騎士団と魔法師団の精鋭も、緊張で強張った顔をしている。
アレクシス以外、事態の詳細は知らされていない。騎士と魔法使いたちには、国王が『地下の魔素の乱れを整えるため、勇者と聖女が禁足地に向かうので、その護衛をするように』と命じていた。
「ダーリン…」
マリンがいつものようにしなだれ掛かって来た。腕に抱きつき、不安そうな顔をする。
「どうしても、私も行かなきゃダメ?」
俺たちはマグダレナとかいうあの若作りのババアに『必ず2人セットで行け』と言われている。
街を囲う結界魔法の維持に専念できるよう最低限の人員しか残さないので城そのものの警備は手薄になるし、迂闊に街に出れば『勇者』と『聖女』に過剰に期待する民衆に囲まれる恐れがある。
俺が禁足地に入った時と同じルートを辿り、人知れず鍵を返すこと──それが俺たちに押し付けられた仕事だった。
そのために、騎士団と魔法師団からは選りすぐりの精鋭が派遣されている。
「大丈夫だ、ハニー」
ほらやっぱり。聖女のマリンが頼るのは、勇者であるこの俺だ。
苛立ちも恐怖も抑え込み、俺はマリンに自信満々な笑顔を見せた。
「これだけの人数が居れば、そこらの魔物なんか雑魚同然だろう。いざとなったら、俺の剣のサビにしてやるさ」
背中に斜めに括り付けた黄金色の『鍵』の他に、今日は長剣も持って来た。騎士団の武器なので少々無骨で切れ味は悪そうだが、少し前まで使っていた模造剣と同じ大きさなので、取り回しには苦労しないはずだ。
いよいよ俺の訓練の成果を見せる時が来た。そう考えれば、今の状況も悪くないんじゃないか?
──という考えは、禁足地に入ってものの10分で粉々に打ち砕かれた。
「ま、魔物だ!」
「くそっ、く、来るな!」
「ぎゃあああ!?」
狼に似た魔物を前に動揺をあらわにする魔法使い。無茶苦茶に剣を振り回す騎士。そのうち1人が腕に噛み付かれて絶叫する。
血の匂いと共に、護衛たちに動揺が広がった。
「なんでこんな所に魔物が!?」
「早く倒せ!」
「魔法はどうした!?」
「む、無理だ! 当てられない!」
一体どうなってるんだ。こいつらは城の精鋭のはずだろう? どうして狼もどき1匹にこんなに手こずっている?
アレクシスが剣を抜き、焦燥混じりの声を上げる。
「落ち着け! 訓練通りに動け!」
「ですがこんな狭い場所では…!」
そういえば、城の中にある訓練場は遮る物のない平坦な場所だった。あそことこの森ではあまりに違いすぎる。
「くっ…!」
何とか狼もどきを倒す頃には、騎士たちも魔法使いたちも疲弊し切っていた。
足を噛まれて歩けなくなっている者、腕を噛まれて剣を握れなくなっている者、魔法を乱発しすぎて魔力切れを起こし倒れている者──たった1匹の魔物相手に、何という惨状だ。
「…立てない者はここでしばらく休み、城へ帰れ。歩ける者は行くぞ」
アレクシスが深く溜息をついて号令すると、何人かが顔を歪めた。
「帰れって…帰り道に魔物に襲われたらどうするのですか!?」
「自分の身は自分で守れ」
「そんな…!」
…こいつら、精鋭なんだよな?
何でこんなに狼狽えてるんだ? こういうことはざらにあるんじゃないのか?
マリンが不安そうに寄り添って来る。俺は咄嗟に虚勢を張った。
「騎士団長、怪我人の護衛役を何人か置いて行け。ここから先は見通しも悪い。人数が居てもかえって邪魔になる」
「…承知しました」
アレクシスは渋々といった様子で頷いた。何だ、俺の判断が不満か?
その後、『誰が残るか』でまた一悶着あった。仲間を守るのは大事だからと、動ける人員の半数以上が怪我人の護衛役に志願したのだ。最終的にアレクシスが指名したが、指名されなかった騎士や魔法使いは明らかに不満かつ不安そうな顔をしていた。
そうして怪我人と護衛役を残し、俺たちは先に進む。
あの時騎士が切り拓いた道は、ひと一人やっと通れるくらいの細さだ。たった数日前の話なのにもう下草が生い茂り、うっかりするとどこに道があるのか分からなくなる。
「くそっ…」
先頭を行く騎士が悪態をついた。アレクシスに『何があった』と問い掛けられ、前に進みながら慌てた様子で振り向く。
「い、いえ、クモの巣が顔に掛かっただけです。申し訳ありません」
半ば後ろ歩きをしながら誤魔化し笑いした、その姿が──
──ゾンッ!
『!?』
奇妙な音と共に、突然灰色に染まった。
灰色の影のようになった騎士は、ピタリと動きを止め──そのまま、シュンと縮む。
「え………」
まるで手品のように、騎士が消えた。
周囲を見渡しても、どこにも居ない。
慌てて騎士が消えた地点に駆け寄ると、地面に灰色のゼリー状の物体が落ちていた。その表面が、ふるふると小さく波打っている。
…何だ? これは。
「これは…?」
魔法使いが灰色の物体に恐る恐る杖を差し伸べた。素手で触りたくないから、杖でつついてみるつもりだろう。
ハッとアレクシスの表情が変わった。
「待て、触れるな!」
「え?」
──ゾンッ!
またあの音がして、今度は魔法使いが灰色に染まる。
杖で灰色の物体に触れた姿勢のまま、数秒もしないうちにまた縮んで…居なくなる。
灰色の物体の表面に、ぞろりとさざ波が立った。
「アビススライムだ! 触れると一瞬で分解吸収されるぞ!」
俺とマリンを腕で押して強引に下がらせ、アレクシスが警戒と恐怖が入り混じった声で言う。
…分解吸収? では、先程の騎士と魔法使いは──
「火魔法を使える者は居るか!」
「は、はい! ここに!」
「小さな火球で良い! これに当てろ! 絶対に自分では触れるな!」
アレクシスが厳しい表情で命令すると、魔法使いは震える手で杖を掲げ──たっぷり十数秒も掛けてビー玉ほどの火球を生み出した。
「火球!」
火の玉はボールを手で投げた時よりもゆっくりひょろひょろと飛んで行き、灰色の物体の表面に触れる。途端、ジュッと音がして灰色の物体の表面が割れた。
水風船を針で刺した時のように小さく弾け、中の液体が地面をどす黒く変色させながら染み込んで行く。
「え…」
あまりにもあっけなく、灰色の物体──アビススライムは地に還った。
魔法使いが唖然として口を開け、ハッと周囲を見渡す。
「あ、あの2人は…?」
アビススライムを倒しさえすれば、居なくなった騎士と魔法使いが戻って来るのではないのか。
そう問われて、アレクシスは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「…言っただろう。一瞬で分解吸収される、と。…あの2人は、アビススライムに喰われて死んだ。戻っては来ない」
「──」
死体も痕跡も残らない。そんな死が、今、目の前にある。
ようやくそれを実感して、身体の芯が冷えて行く。マリンも口元に手を当てて真っ青になっている。
アビススライムを倒した魔法使いが、ゆっくりと、本当にゆっくりと目を見開き、自分の手を見下ろした。
「…お、おれ、あの2人を、殺し……?」
「違う。お前は先に殉職した2人の仇を取った。それだけだ」
「ころし、て……」
アレクシスの否定の言葉は、魔法使いには届いていない。
魔法使いの顔から血の気が引いて、わなわなと唇が震え始めた。
「…い、嫌だ…」
ざ、と一歩後退り、周囲を見渡して──そこで俺も気付いた。
木の枝の間に、下草の中に、岩陰に。
あらゆるところに、灰色の物体が──アビススライムが、居る。
「…囲まれてるぞ…!?」
騎士の一人が動揺もあらわに叫んだ。火魔法使いがヒッと息を呑み、杖を投げ捨てる。
「──いやだ! おれは、おれは──!!」
──ゾンッ!!
あらぬ方向に駆け出した火魔法使いの姿が灰色に染まり…消えた。
恐慌状態だった叫び声が唐突に途切れ、辺り一帯が不気味な静寂に包まれる。
(なんで…)
ガタガタと震えながら抱き付いて来るマリンを抱き締め返しながら、俺は内心で叫んだ。
──なんで、俺が、こんな目に…!!




