99 『勇者()』と『せいじょ』の勘違い
一度言い出したら止まらなかった。
「旦那が体調不良で連日仕事休んで、必死にならないわけないでしょ? 私の収入で生活費全部賄わなきゃいけないんだから。私が倒れたらもうどうしようもなくなるって、毎日ぶっ倒れそうになりながら必死にこなしてたんだよ。仕事も、家事も、全部」
「で、でもお前、俺を心配する素振りも見せなかったじゃないか」
「最初心配して『病院連れて行こうか』とか訊いたのに、『寝てれば治る』の一点張りで全部拒否したのはそっちでしょ。…それとも何? そうやって拒否した上で、『じゃあ私が看病してあげる』って、仕事休んでベタベタ甲斐甲斐しくゲロ甘に甘やかして世話焼いて欲しかったわけ?」
冷たいかも知れないが、それは無理だ。少なくとも私には。
最初は、結構迷った。病院に行くほどでもないと言っているから大丈夫だろうと自分に言い聞かせて仕事に行っても、やっぱり半休取ってでも病院に連れて行くべきかと悩んだし、仕事が終わって帰った時に家の明かりが点いていないと『何かあったのか』『家の中で倒れてるんじゃ…』とドキッとした。
…毎回ただ寝てただけだったけど。
先行きの不安だってあった。旦那が無収入である以上、自分が生活費を稼がなければいけない。でもいつまで? 自分が倒れたらどうなる? 毎日残業だし休日出勤も毎週のようにあるから、自分の体力がもつとも思えない。でも、現状を変えようにも転職活動をする時間なんかない。仕事をして家事を片付けたら余裕で日付が変わるから、睡眠時間の確保すら一苦労だったのだ。
体力と精神力が少しずつ、でも確実に削られて行く日々。当時はほとんど自覚がなかったが──それがどれほど苦痛だったか。
そう淡々と告げたら、阿呆は顔を歪めた。
「そんなの…お前、何も言わなかったじゃないか」
「仮にも病人に、ネガティブな言葉なんてぶつけられるわけないでしょ」
まあ実際には『仮にも病人』じゃなくて、『ただの仮病』だったんだろうけど。
今思うと、あの頃の自分がどうしてあんなに我慢して一人で頑張ろうとしていたのか不思議でならない。
多分、半分は正気じゃなかったんだろう。ある意味、悲劇のヒロインぶっていたとも言える。…不毛だな。
とはいえ、そんな状態の私がこの阿呆に何も言わなかったのには、『病人を気遣った』以外にもっと直接的な理由がある。
「大体、朝は私が丁寧に優しーく何度も起こさないと起きて来なくて、朝食終わったらすぐに『頭痛い』とか言って寝室に引っ込んで、夜は夜で私が残業して帰って来るまで確実に寝てて、起こしても夕飯出来るまで部屋から出て来なくて、夕飯食べたら食器も片付けずにさっさと風呂入って寝るような人間と、一体、いつ、話が出来るって?」
「そっ…」
阿呆が見事に言葉に詰まった。うわあ…とギルド長が呻く声が聞こえる。
ちなみにこの阿呆、休日は昼過ぎまで寝ていて、起きて来たと思ったら『気分転換に散歩してくる』と言って家を出て夕飯時まで帰らなかった。よって、平日だけでなく休日も、話が出来るタイミングなど無かった。
「挙句、体調不良のフリして仕事休んで真っ昼間からそこの肉食系女子自宅に連れ込んでヨロシクやってんだから良い御身分だよな。私の名義で契約してるアパートで浮気するのは楽しかったか? クソ野郎ども」
ゴミを見る目を向けたら、『せいじょ』はキッとこちらを睨み返して来た。
「なによ! 浮気されるような態度を取ってるそっちが悪いんでしょ!?」
「同僚の結婚式に呼ばれてよりによって新郎に目ェつけて意気揚々と寝取るようなモラルの欠片もない節操なしに言われる筋合いは無い」
いつ親しくなったのかは知らないが、この肉食系女子がこの阿呆に狙いを定めたのは私たちの結婚式の時だろう──カマを掛けたら、『せいじょ』はギョッとした顔で固まった。図星だったらしい。
ちなみに私はもう一つ、この『せいじょ』に突き付けられるカードを持っているのだが…それを切ったら今後の行動に支障が出るので黙っておく。
今は魔物を何とかするのが先だ。
「しゅ…主婦殿」
青い顔の国王が、何とか言葉を絞り出した。
「そ、そこまで言わずとも…」
折角思考を目下の危機に切り替えようとしたのに、余計なことを。
私は即座に冷ややかな目で国王を見遣る。
「側妃だ妾だ愛人だなんて文化に馴染みがあると分からないかも知れませんけどね、私たちの故郷は法律で『一夫一婦制』が定められてるんですよ。婚姻関係を結んだ配偶者以外と関係を持つのはれっきとした浮気。離婚原因にもなり得ますし慰謝料請求も出来ます。そもそも──」
スッと目を細める。
「この国でも、複数人と関係を持って許されるのは、お相手全員を扶養出来る程度の金銭的余裕があって、お相手全員が納得している場合に限られるんじゃないですか? パートナーに黙って別の人間と関係を持つのは、この国でも非難の対象になるはずですが。違います?」
「…う、うむ…だが…」
相手は勇者と聖女じゃから…とか何とか呟いているが、
《なあ、前から不思議やったんやけど》
スピリタスが首を傾げる。
《何でそこの2人、何の功績も無いのに『勇者』『聖女』言われとるんや?》
『は?』
「ああ、私もそこが疑問でした」
マグダレナも同じことを言い出した。ケネスとアレクシスの視線が国王に向けられ、ビクッと肩を揺らした国王がしどろもどろに答える。
「それはその…召喚した時、私の鑑定魔法で『勇者』と『聖女』と出たからで…」
途端、スピリタスがブハッと噴き出した。
《初日にそんな結果が出たんか! 有り得んて! どんだけ適当なんや!》
「て、適当?」
「…普通、鑑定魔法でそんな結果は出ません」
マグダレナが頭痛を堪える表情で呻いた。
「『勇者』も『聖女』も、一定の功績を挙げた者が自然とそう呼ばれるようになる、いわば称号の一種です。鑑定魔法で表示される基本項目は、『職業』、あるいはその人となりを示す端的な言葉。歴代の勇者でも、『勇者』と鑑定された者は居ません」
《コテツは『バーサーカー』、トラジは『建築士』、マサオは『植木屋』やったな。その意味じゃ、おかしくないのはユウの『主婦』くらいやな》
「えっ…」
待って、建国の勇者が『バーサーカー』ってどういうこと?
突っ込みを入れたいところだが、とりあえずもっと重要なところを補足しておこう。
「厳密にはあの鑑定結果、『勇者』の後に何かカッコ書きみたいな記号が入ってたし、『聖女』は平仮名で『せいじょ』だったから、両方意味が違うと思うよ」
勝手に勘違いしていただけで、本当にそのまま『勇者』と『聖女』と書かれていたわけではない。そう指摘すると、国王は目を剥いた。
「な、なに!? では翻訳間違いか!?」
「…それ以前に、鑑定魔法の結果が1項目だけ、それも鑑定魔法を受けた側の母国語で表示されること自体、おかしいのですが」
マグダレナの眉間の皺が深い。
「カルヴィン、試しにこの2人を鑑定してみてください。ついでにユウも…ユウ、構いませんか?」
「はい」
私が頷くと、ギルド長はまず私に手を翳した。ヴン、と魔力が身体を通り抜け、以前見たとの同じパネルが表示される。
「…ユウは…『主婦』じゃなくて『冒険者(元主婦)』になってるな」
「まあこいつとの婚姻関係、もうあってないようなモンだからね」
職業が変わったらしい。ちょっと嬉しい。
よく見ると他の項目もちょいちょい違うが、ギルド長はそれ以上読み上げずにパネルを消した。
次に『勇者()』に手を翳すと──
「……『勇者(ある意味で)』だな…」
「ある意味で!?」
「思い込みで突っ走れるあたりが勇ましいっつーか、『勇み足』、って意味じゃない?」
「そ、そんな…!」
阿呆と国王たちが愕然と目を見開く。残念だったな。全く同情出来ないけど。
そして最後、『せいじょ』は、
「………『サキュバス並みの魔性の女』、だとよ」
「はあ!?」
『…』
声を上げる『せいじょ』に対して、周囲は『ああ…』という顔で『せいじょ』を見遣る。思い当たる節は色々とあるらしい。
「冗談じゃないわよ! 何よ『サキュバス並み』って! 私は『聖女』よ!?」
「魔性の女、略して『性女』だと思うよ。良かったね略して『魔女』じゃなくて」
「……」
残念極まりない結果に、阿呆2人が絶句する。
つまり2人とも、勇者だ聖女だと周囲に持ち上げられて調子に乗っていただけで、どこまで行っても『ただの人』だったわけだ。まあそこでつけ上がらずに努力してれば結果は違ったかもしれないけど。いやはや。
鎮静剤を打たれたブタのような風情の2人に、私はにっこりと笑い掛けた。
「じゃあそんなわけで、鍵、頑張って戻してこい」
「な…! 一般人を危険に晒す気か!?」
「あの鍵は他の人間には触れられないし、散々特権階級の権力振りかざしてたんだから非常時に自分が動くのは当たり前だろ。最低限、手前ェのケツは手前ェで拭け」
きっぱり言い放ち、アレクシスを見遣る。
「心配しなくても、城の連中が守ってくれるだろうよ。ねえ騎士団長?」
「!?」
「一般人を守るのは、騎士団の、仕事ですもんね?」
「そ、それは…」
「街の外の魔物の殲滅も大事だけど、元を断つのも、大事なお仕事ですもんね? ──冒険者ギルドは街の防衛で手一杯なんで、そっちに関わる暇はないんですよ。こいつの暴走を黙認するどころか助長して放置して国の危機を招いたのは間違いなくこの城のミナサマなんだから、そっちで何とかしてください。よろしい?」
「………ハイ………」
アレクシスは白い顔で頷いた。




