98 遅すぎる危機認知
「──うるせェ黙れ、勘違い野郎ども」
静まり返る部屋の中、私の地を這うような声だけが響く。
「何度言ったら分かる? それは『剣』じゃなくて『鍵』だっつの。このまま放置したら、魔物が溢れて対処出来なくなるんだよ」
私が手をついた場所から一気にひびが広がり、ガラガラと音を立てて壁が崩れ落ちた。
背中を支えられなくなって無様に転がる2人の首根っこを掴み、私はバルコニーに続く大窓に向かう。
意図を察したギルド長が、黙って窓を開けてくれた。
「な、何だ、放せ!」
「ちょっと、服が伸びるじゃないの!」
言われなくても解放してやる。
引きずって来た2人を、私はバルコニーに放り投げた。
ぎゃん、と間抜けな声を上げて転がった後何とか立ち上がった2人の頭をそれぞれ掴み、強引に外──湿地帯の方を向かせる。
「──街の外で今何が起きているか、見てから文句を言え」
2人は抵抗しようとしたが、私の握力を振りほどけるわけもなく。
視線が外に向いて数秒もすると、途端に大人しくなった。
「な、なに──よ………」
「………は………?」
夜の闇が迫る湿地帯に蠢く、大小様々な無数の影。
その全てが、赤く光る眼を持っている。
この距離で視認できる異様な光景に、阿呆2人も流石に言葉を失った。
──それは魔物の群れ。
制御装置が機能しなくなったことで生み出された、種類も数も多種多様な魔物の、混成群だった。
「…な……」
釣られてバルコニーに出て来た国王とケネスとアレクシスの顔から、音を立てて血の気が引いて行く。
多くは小型の魔物のようだが、中には街の防護壁に迫る高さの魔物も居るようだ。
「──ああ、来ましたか」
マグダレナの呟きが、妙に耳に残る。
「あ、あれは、何──」
「魔物の群れに決まってんだろ」
目を泳がせて呻く国王に、ギルド長が現実を突き付ける。
現実逃避したところで、目の前の魔物が消えてなくなるわけではない。既に門は閉まっているはずだから、街の外に出現した魔物がそのまま街に侵入することはないが──通用門を狙われたら一巻の終わりだ。ただの木戸に、魔物の攻撃に耐えるほどの強度は無い。
「第1波、というところですね。農村の避難が完了しているのは不幸中の幸いでしょう」
あの水牛たちは大丈夫だろうか。そんな心配が頭をよぎる。
その前に、こちらが魔物に蹂躙されたら元も子もない。
「だ、第1波…?」
「あれは序の口ということです。地下を流れる魔素の量には、波があります。多くなれば地上に現れる魔物の量も増え、少なくなれば小康状態になる。とはいえ、一度出現した魔物は倒さない限り消えないので、放置すれば基本的には増える一方ですね。共食いでも始まれば個体数は減りますが、代わりに強い魔物だけが生き残って、最終的に上位種が大量生産されます」
マグダレナの淡々とした声に、国王たちが震え上がった。顔を引きつらせて『勇者()』に詰め寄る。
「ゆ、勇者殿! その鍵を元の場所に戻してくれ! 戻しさえすれば、魔物の出現は抑制できるのだ!」
「…はあ!? 俺に街から出ろと言うのか、この状況で!?」
その通りだ阿呆。
「そんなこと、騎士にやらせれば良いだろう! ──ほら、そこの奴! 俺と一緒に禁足地に入ったんだから、お前の責任だ! お前が返しに行け!」
「え!? ゆ、勇者様がどうしても行くとおっしゃったのではないですか!」
突然話を振られた良い身なりの兵士──いや、騎士が、盛大に狼狽える。この状況下で街の外に出るのだけは避けたい──両者、思いは同じらしい。
苛立たし気に顔を歪めた阿呆は、ハッと何かに気付いたようにこちらを見た。
「…そうだ、優! お前この剣の正体を偉そうに説明できるってことは、あそこに入ったことがあるだろう! お前が代わりに行け!」
どこまでも自分本位だなこのド阿呆は。
──スパァン!
『!?』
一応なけなしの理性で加減したつもりだったのだが、平手で頬を張ったら阿呆はバルコニーの端まで吹っ飛んで行った。手すりにぶつかって止まり、一瞬で赤く腫れあがった頬を抑え、涙目を大きく見開いてこちらを見詰める。
「ゆ、勇者を引っ叩くなんて不敬だぞ貴様……っ!?」
「…」
私が黙って目を細めると、阿呆は途端に挙動不審になった。な、なんだよ、と呻く阿呆の頭を再度掴み、魔物の群れの方へ向けると、
「じゃあ私たちの代わりにあの魔物の群れ、何とかしろよ? あんたと、『せいじょ』と、騎士団とで」
『………は?』
「代わりに行けっつーんだから、当然私たちの仕事はそっちが肩代わりしてくれるんだよな?」
湿地帯に見える大量の赤い眼。冒険者ギルドはアレと、これから出現してくる魔物とを全て片付けるつもりだったが、鍵を返しに行くならその役目は騎士団と勇者と聖女に任せなければならない。
懇切丁寧に説明したら、阿呆2人と騎士団員は見事に顔面蒼白になった。
「…な、なななな何言ってる。べ、別に全員で行かなくても、剣を返すくらい、お前一人で十分だろう?」
「道中で魔物に襲われたら一巻の終わりなんだから、万全を期すためにパーティ組むのは当然だろうが。魔物の中には物理攻撃が効かないやつだって居るんだから」
『えっ』
…知らなかったっぽいな。
呆れ混じりに『勇者()』の頭を開放したら、マグダレナが溜息をついた。
「他の人間に肩代わりさせようとしても無駄ですよ。あなたが引き抜いたその『鍵』は、引き抜いた人間以外触れられません。本人が返しに行くしかないのです」
「…そ、そんな馬鹿なことが…」
阿呆は助けを求めるように周囲を見渡すが、国王もケネスもアレクシスもあからさまに目を逸らす。
私は試しにと、ベッド脇に置かれていた金色の『鍵』に近付き、手を伸ばした。
──バチィッ!!
激しい音と共に、青白い雷光が弾ける。なるほど、防衛魔法というのはこういう感じか。
私に続いてギルド長も触れようとするが、同じようにバチッと弾かれた。
「うん、無理だな」
「…」
私たちはただ確認しただけだが、阿呆は愕然とした顔で固まっている。
そして数秒後、突然がっくりとその場に崩れ落ちた。
「………なんだよ…」
恨みがましい、絞り出すような声がする。
「…何でオレばっかり……いつもいつも…」
は? いつも?
どう考えても自業自得だろうが。
私はぴくりと眉を跳ね上げ、何とか怒鳴りつけるのを堪える。何でいきなり被害者面しているのか、意味が分からない。
「…お前はいつもそうだ!」
涙ぐんで顔を上げた阿呆は、怒りの表情でソーセージのようにぱつんぱつんに太った指を私に突き付けた。
「オレが体調が悪いと言ってるのに心配する素振りも見せずに、平然と仕事に行って! 帰って来ても何も言わない! 今だってそうだ! そうやって平気な顔で、どうせオレのことを馬鹿にしてるんだろう!」
過去のことをほじくり返して理不尽に責めて来るとか、メンドクサイ彼女か。
案の定、ギルド長や国王たちはぽかんと口を開けている。どういう繋がりでこの発言が出て来たのか分からないのだろう。正直私も理解出来ない。
理解は出来ないが──言いたいことはある。
「平然と? 平気な顔で? ──ずっと必死だったけど」
「………へ?」
私の平坦な声に、阿呆がぽかんと口を開けた。