5-37.起死回生(1)〈グラノス視点〉
〈グラノス視点〉
帝国の火山から帰還中、王国へと入るための山脈に入る手前で、見覚えのあるライオンが近付いてきた。
「チリ? どうしたんだ?」
ロットがチリ達に囲まれ、走るのを止めた。
ロットから降りて、近付いてきたチリ達を撫でる。餌を強請っているクロゴマとシロゴマに餌をやりつつ、周囲を確認する。チリ達はルナと共に風のドラゴンへと向かったはずだ。
少し離れた先からシマオウが駆け寄ってきて、ルナとリュンヌを下ろした。
「グラノスさん! 私、ここです!」
「ああ……何があった?」
「わかんない……サンフジちゃんが合流して、この手紙……それで、シマちゃんが乗せてきてくれたの」
手紙はおっさんからだった。クロウが攫われたことがわかる。やはり、何かが起きたらしい。
「これはいつ受け取った?」
「昨日の夜。そこで引き返したというか、シマ君がこっちに連れてきてくれたの……あの、予知をして……クロウさんに危ないことは伝えたんだけど、ダメだったみたい」
ルナが予知した内容はクロウに伝えられ、対策を取っただろう。それでも、何かが起き、おっさんが対処に困ったから、こちらに合流させた。
ここから開拓地までは急げば半日かからない。状況はわからないが、すぐに戻った方がいいだろう。
「ねぇ、大丈夫だよね?」
「わからん。おっさんがこんな走り書きを寄こすくらいにはあちらが混乱しているということだろう。だが、戻らないわけにもいかない」
「危険があるのか?」
ルナとリュンヌ双方から責め立てられるが俺も何が起きているかを知っているわけではない。
ただ、クレインがクロウに危険がある可能性を示唆したときから、王家が動くだろうとは予測していた。
きちんと伝えていないだけで、「クレインを登城させよ」「クロウを献上せよ」という内容の書簡が王家から届いていた。
どちらも丁重にお断りをする文書を作成して、対処はカイアに任せていたが、日増しにこちらに探りを入れたいという動きがあった。
俺らが留守にすれば動くというのも、予測していた。だが、おっさんが手を焼くほどの事態になるのは予想していなかった。
「俺が安全だと確認するまで、君達は野宿して待つかい?」
「……一緒に行きたい。おばあちゃんが無事か、確認したいから」
「私としても、こちらの国で放置されても困るのでな」
ルナ達を連れて帰った先で待っていたのは、お師匠さんが危篤状態と言う事実だった。
顔色も悪く、息も絶え絶えという状態で、わずかにこちらに視線を送るだけで、声も出ないようだった。そのまますぐに寝てしまったお師匠さんをディアナとルナ達に任せて、おっさんのもとへ向かう。
「何があった?」
おっさんから話を聞くと、お師匠さんが倒れたこと、クロウが攫われたこと。対処が間に合わない状態だったらしい。ルナ達を俺に合流させたのは、現状で相手をする余裕がないということだった。
「おっさんにも伝えたし、ラズのところから人も借りたのにな。どういう状況だ?」
「ああ。俺の落ち度だ。迎賓館で二人、小隊長を名乗る騎士とその副官の相手をしていた。俺らを迎賓館で足止めして、その間に部下たちを大工の手引きで侵入させたらしい。スフィノがばあさんが倒れたことを呼びに来ている隙に隊長も逃げた」
代表者と門の外で話し合いしている間に、中に侵入か。こちらの意図を見抜いて、人手不足もしっかりと把握していないとできない芸当だな。
「大工を野放しにするべきじゃなかったな」
俺が帰ってすぐにしたことは大工を全員追い出すところからだった。
多少のことは見逃すつもりだったが、わざわざ門を作り、外で対面をさせるようにしていたのに、大工が中に手引きしたことでお師匠さんは倒れた。全体の問題として、まずは仕事を打ち切り追い出した。
今後、再度依頼をするにしても、信用できる大工のみ。代表して、棟梁のカーペンターだけ、危篤状態のお師匠さんを見舞う許可を与えたこともあって、大工連中も悲しそうにはしていたが解散した。ただし、ファベクだけは残った。
作業をこのまま放置すると危険になること、腕は未熟だが元冒険者として護衛などもできるため、残してほしいと懇願されたためだ。
「何をしているんだ?」
「ここは作業場だぞ? 薬を作るにきまってるだろ、おっさん」
倒れたお師匠さんを治すことは不可能であっても、少しでも良くなってもらうためだ。入手したドラゴンの血で、クレインが研究していた霊薬・ドラッヘンを作成する。
これは少しでもお師匠さんの体に負担がないようにしたもので、本来の効果よりは効能を下げて、体に適したはずの薬。
持っているドラゴンの血を使い、作ってみたが、流石に難易度が高い。5本作り、そのうち2本は失敗し、完成品として3本。文句なしに超級の薬だった。
何もしないと、製作者はメディシーアと登録されるが、俺が作ったことがわかるようにわざと製作者を変更しておく。
材料もだが、これをクレインやクロウに作るように依頼が来ても困るだろう。いや、あいつらなら作れはするが、色々と面倒事がおきる。
一応、ドラゴンの血は残っているため、保管をしておく。あの子が戻れば、よりお師匠さんに適した薬を作れるだろう。
そして、もう一つ。ドラゴンハート。
ドラゴンの心臓を使って、より強力な本来の効能をもつ薬。これは素材が一つで失敗できないが、無事に成功した。
これは刺激が強すぎて、お師匠さんに飲ませるとどうなるかはわからない。
徹夜で作業をして薬を作り、朝方、目が覚めたというお師匠の元へと駆け付けた。
「お師匠さん、入るぞ」
「すまないね……クロ…う…を……たのんでいいかい?」
「ああ……お師匠さんがこいつを飲んでくれるならな」
俺がもってきた薬を見ると、困ったように微笑んだ。
もう、薬でどうにかなる段階ではないと本人が一番よくわかっているらしい。
そして、俺に頼んできたのは、クロウの救出だった。
「それは……?」
「クレインが必死に研究していた、霊薬・ドラッヘンだ。ドラゴンの血を使っているものとドラゴンハートを使ったもの。お師匠さん、どっちにする?」
「……ドラゴンそざいはきちょうなもんだよ。のこしておきな……あんたたちがあぶないときにつかいな」
「クロウを救出して戻ってくるまで、生きててもらわないとな。安心して出発できないだろう? 俺の分はちゃんと作ってあるさ」
「グラ坊……あんたも薬師のはしくれさね……わたしのからだがもたないのはわかっているだろう?」
「……そうだな。この薬がお師匠さんの苦痛を長引かせるだけなのは承知している。それでも……あの子が帰ってくるまで、頑張ってくれないか? きちんとした別れをしないと立ち直れないだろうからな」
お師匠さんは少し迷った後、俺の言葉に従い、ドラゴンの血で作った薬を飲んでくれた。
スプーン一杯分の赤い液剤を飲むと眠気が襲ってきたようだ。体力を少しでも回復させようとしているのだろう。残った物を起きるたびに飲んでもらうようおっさんに伝えておこう。
「心配はわかるが……そんなに弱い子じゃないよ…………まったく……何かしっているのかい?」
「いや……お師匠さんが聞いてやってくれ。俺はクロウを助けてくる」
「……仕方ないこだね……きをつけて、いっておいで……かえりをまってるよ」
王都までおおよそ1週間。往復で2週間はかかるだろう。ごたごたに巻き込まれればさらに長い時間を拘束されるだろう。
正直、生きていてほしい……それでも、それがとても厳しいことだともわかっている。名残惜しいが、それでもやるべきことがある。
もし、お師匠さんの症状が落ち着いているからとドラゴンの件を、狭間を封じる作業を早めに処理しようとしなければ、こんな結果にはならなかったのだろうか。
クレインが嫌がるのを尊重してやればよかった。後悔しても遅い。だが、誰も俺を罵らないのだろう。それが想像できるだけに、歯痒い。
部屋を出るとおっさんが腕を組んで、待っていた。
「おっさん……行ってくる。薬を必ず、最低で1日1回飲ませてくれ……できれば目覚めるたびに」
「その前に一度、手合わせをする。ついてこい」
真剣な表情のおっさんについていく。
「どうしたんだ?」
「言っただろ? 手合わせをする。クロウを助けに行きたいなら、俺から一本取るんだな」
おっさんが盾を構えて、俺と対峙する。
……1時間。
……2時間。
時間が経過していくが、なかなか厳しい。
正直、近付いていたはずの実力は、〈刀の極み〉を手放したことで遠のいている。正攻法で一本を取れるはずがない。体術や風魔法を駆使してもしっかりと応戦してくる。
しかし、それ以上に、今までの感覚で刀を振るっても違和感が大きく、次の動きに支障をきたす。感覚になれるまで、わざわざ相手役を買って出てくれたようだ。
「はぁ……これで、どうだっ!」
渾身の一撃を盾に放つとおっさんの持っている盾が割れた。
ようやく、俺の一本ということだろう。感覚も掴めた。……実戦でも十分に戦える。
「ようやくか……自分の実力を把握できていないと下手なところで命を落とすぞ」
「わかってる。すぐに力を取り戻せるように努力するさ。まあ、おっさんのおかげで、今の実力も把握できた。行ってくる」
「クロウのことは悪かったな。任されたのに……何もできなかった」
「俺もクロウも、お師匠さんを放り出していたら、怒ったぜ? 俺が間違っていたんだ。判断をな。おっさん……後を頼む」
「……ああ、任せろ」
おっさんと軽く挨拶をして、ルナ達にはおっさんの指示に従うように伝えてから、シマオウに乗る。
「今回もすまんな……よろしくな」
「ぐる~」
王都に直接向かうか、クロウの後を追うか……。
夏のこの時期、大河は増水していることが多く、渡れない。ショートカットすることも難しいだけに、出来る限りの最短ルートで王都に行くしかないだろう。
シマオウに頼んで、出来る限り休憩なしで走ってもらい、王都へ向かった。
王都に入ると宿に入る前に声をかけられた。
「んふっ……一足遅かったですね。あなたの目的の人物ですが、朝一で王宮に入りましたよ」
「くそっ……というか、ネビア。何でいるんだ?」
「王都の動きが変わりやすいから直に調べていたんですよ……あなたのとこの奴隷、王は奪うつもりですよ。あなたでは謁見もできないでしょう」
「ああ……カイアに頼んでいる。元々こちらに向かっているらしいからな。行程を早めてもらって、明後日には到着する」
「なるほど……では、王宮に忍び込んで伝えてきましょうか?」
「頼めるか? 君が王宮に出入りできるなら、ついでに頼みたいことがいくつかあるんだが」
「ふむ……依頼料を弾んでいただけるなら」
「……こいつでどうだ?」
俺が自由にできる金の一部と小瓶に入った赤い液体薬を渡す。
「これは?」
「霊薬ドラッヘン。お師匠さんのために作った物の残りだな……怪我でも病でも、強力な効果をもたらす伝説の薬だな。まあ、末期だとわずかな寿命しか伸ばせないがな、病気で弱ってる体で効果が発生するようにアレンジしてある」
「おや……残り物が豪勢ですね。いいでしょう。それで、依頼は?」
「こいつを預ける……俺に何かあったら、飲ませてくれ」
先ほどの薬と瓶だけが違う薬を渡す。ドラゴンハートで作ったドラッヘン。飲むようなことにならないといいが、死を偽装するには必要な可能性がある。
「ふむ……こちらは?」
「俺用にカスタマイズされてるがドラッヘンだ」
「んふっ……いいでしょう。命を狙われているなら、死んだふりも有効でしょうからね」
「まあ、保険だ。まだ使うことにはならない。さっさとクロウを救出して帰らないとだが……そいつを手元に置いておくのも危険なんでな。預けておく」
ネビアはどうやっているのは知らないが、王宮の出入りが出来るというのでクロウとの連絡係を頼んだ。
ついでに、俺の命の保険をかけておく。王都での様子を探りつつ、異邦人達の情報や貴族たちの動向を探る。
やはり、カイアの呪い以降は、貴族達の腹の探り合いが激しくなっている。疑心暗鬼。特に、魔導士を排出している家は怪しまれているようだ。
関係ない魔導士や騎士が職を辞しているが、増員されているということは……まだ、人望があるらしいな。騎士も含め、未だに王家を見限る動きがないことは少々驚きだ。
王都滞在の二日目、ネビアが俺の宿に侵入してきて渡されたのはクロウの首輪だった。
「……こちらを」
「……早かったな」
明日、王弟殿下の到着を待って、クロウを救出するつもりだったが、予定が変わってしまった。
まだ、逝くには早いだろうとクロウの救出だけを優先するつもりだった。お師匠さんが生きている間であれば、事を大きくせずにクロウを助け出して帰るつもりだった。
事を起こすつもりは無かったんだが……。
話が変わってしまった。
「お師匠さん……」
「知っていたのですね」
クロウが奴隷ではなくなった。お師匠さんが亡くなったということだろう。
あの子は最後の時に間に合っただろうか。
散々世話になって、最後は苦痛を長引かせる提案をした俺を……笑って、仕方ないと言ってくれた人はもういない。
目を瞑り、しばらく哀悼を捧げる。
この世界で真っ当に生きる機会を与えてくれた人だった。
あの子とは別の意味で大切な人だった。家族の情を思い出させてくれた人だった。
「……安らかに」
神など信じていないながらも、それでも死後の彼女の眠りが安らかであることを祈り、ネビアに視線を戻す。
「大丈夫ですか?」
「ああ……報酬に渡しただろ? 飲んでも、1か月くらいだとわかっていた。苦痛を延ばすだけでも、最後にあの子が立ち会えるために……無理に飲んでもらってな。でも、俺とクロウが帰るまで待っててくれると……願っていた……俺の腕じゃ、1週間しか伸びなかったか…………」
クロウを助けて、戻って……お師匠さんを見送りたかった。本気で、願っていた。
だが、所詮、中途半端な俺の薬師の腕では、お師匠さんに最も適した薬は用意できなかったということだ。
「どういうことです? クロウという奴隷は攫われ、もう一人の雇い主が未だ帰っていないというなら、あれを誰が?」
「俺だが? 言っておくが、作るだけなら……まあ、失敗する確率も俺が一番高いとはいえ、一応作れた」
「……いい薬でしたよ。少なくとも、僕の方は助かりましたから、んふっ」
慰めたいのか、からかいたいのか……読めない笑顔で笑いつつ、視線を反らされた。
「頼んでいた王家を糾弾する資料は?」
「こちらに……まあ、十分に。お気をつけて。あなたは一番邪魔でしょうから……僕以外にもそれなりの武闘派連中が王都に潜んでいますよ」
「……ああ、知っている」
俺を殺したい連中が雇った暗殺者がいる。ただ、まだ早いはずだったんだがな。
大勢の見ている前で、死んで見せる。ここでその機会を使うか。否か。
王を激昂させて、殺されるふりをして、クロウを逃がす。ネビアが協力してくれるのであれば、出来ないことではない。
だが、王弟殿下もまだ足場固めであり、ここで一気に動くのは早いだろう。
「メディシーアとしては、たたみ掛ける好機だが、後が続かないか」
「そうですね。ですが、機会を逃せばせっかくのカードも無駄になります。何か優先すべきことが?」
「お師匠さんが生きているなら……あったんだがな」
お師匠さんが生きているなら、優先事項は決まっている。愚王の相手をして、死んでいる暇なんかない。だが、亡くなったことがわかっているなら、これは王を攻める絶好の機会だ。
戸惑い、機会を逃すくらいなら、ドラゴンの元へ行くことなどなかった。
今更チャンスを捨てることなどできない。やるしかない。
「詮無いことを言った……ネビア、俺の命預けても?」
「ええ。構いませんよ」
明日の謁見に忍び込んでおくこと。俺に何かあれば回収し、預けてある薬を飲ませること。そして、クロウに最後の伝言を頼む。
ネビアは最悪の場合、俺と心中する可能性もあるはずなんだが、あっさりと構わないと言ってのけた。
「君がそこまで王を憎む理由も、王宮に簡単に出入りできる理由もわからないな……いいのか? 下手をすれば、君も大変なことになる」
「んふふっ……僕は自分の慧眼に感謝してますけどね……出会って、半年ですか。あなたのお陰でこれほど早く事が進みました」
出会ったときから、伯爵家を潰すために尽力し、カイアが存在を知っているほどの裏側でも優秀な男だ。
目的が叶ったあとも、いい関係でいられればいい。クレインにラーナ達を預けるくらいには気に入っているようだから、関係がバッサリ切れることはないだろう。いや、いっそ引き込むのもありだな。
「しかし、俺が言うことでも無いが……よくこんなのを王にしたもんだ」
「んふっ……人の力を奪う邪法を使って、見せかけの優秀さを手に入れ、支える者の手を振り払う。ですが、露見しなかったことを考えれば、同じような醜悪な者達を集める才能はあったのでしょうね。この後、支持する者は減るでしょうが」
「そうだな……忙しいところに悪いが、いつでもお師匠さんの死の真相を流す準備をしておいてくれ」
「すぐには流さないのですか?」
「ああ。俺の死も含め、一番良い時を判断できるだろうから任せる。クレインから依頼があれば、最優先に頼む」
「なるほど……んふふっ。それでは、また」
ネビアが部屋を出た後、身支度をして俺も宿を出て王弟殿下の別宅へと向かった。王弟殿下達は、まだ王都に到着していないが、俺の名前を名乗り、パメラ・メディシーアが亡くなったことを急ぎ報告として伝えてほしい旨と、手紙を置いてきた。
ゆっくりと話し合いを持つ時間はない。明日の謁見にて、メディシーア家として王家を糾弾することをしたためておいた。
あとは、宿に戻って、呼び出されるのを待つだけだった。
深夜、王弟殿下の到着とともに、すぐに訪問するようにと連絡があり、向かった。
「随分と急なことだね。こちらとしては、準備が整っていない」
「手紙にも書いているが、パメラ・メディシーアの死亡と原因、これを追求しない訳にはいかない。クロウを攫ったこともだが、これ以上の機会はない。メディシーアの爵位の返上も含め、動く」
「……本当に亡くなったのかい?」
「これが、証拠の首輪だな……クロウは名前も刻まれているし、書面もある。お師匠さんが亡くなると奴隷身分ではなくなると記載されている」
出立前に、奴隷としてはクロウ自身が判断できないようにクレインが対策していたが、俺とお師匠さんは何かあった場合には逆に自由になれるようにも手を打っていた。
今回、クロウは奴隷の身分で連れ去られているが、今は、奴隷ではない。個人の意思で動ける。
書面とクロウが付けていた首輪もここにある。
「……こちらが手助け出来ない以上危険だ。死ぬつもりかい?」
「グラノスとしては死ぬだけだ……生きるさ。新しい身分が用意されていないのであれば、身を隠そう」
「止めても無駄なようだね。……シュヴェルト。70年前まで子爵家だった家だが、不祥事を起こして爵位を失った家の名前だ。名前は、君が決めてくれて構わない。すぐに用意できる」
「そうか……では、ツルギ・シュヴェルトと名乗ろう」
少し考えたが、他に思い付かなった。前世の名前をそのまま名乗ることにした。
「手配しておこう。これが、その証だ。シュヴェルト家が与えられた紋だ。そのうち、君の祖父とも面談をしてもらおう。……私とカイア、どちらに仕えるかな? ラズでもかまわないけれどね」
「カイアが個人的な騎士にと言ってくれたんでな。しばらくは、その予定だ……状況さえ落ち着けば、ラズにつけてもらっても構わないが、セレスタイトは勘弁してもらいたい。生真面目過ぎて合わなそうなんでな」
すでに用意されていた身分が書かれた書面を確認する。
元貴族という身分であり、騎士となるにも問題はない経歴が用意されている。
「穏便な解決が望ましいが……どうなるかな?」
「さぁ……俺が死ぬだけならいいが、最悪は殿下にも危険が及ぶかと」
「そうだね。覚悟しているよ……命を奪うほどの度胸はないだろうしね」
危険があるということにあっさりと頷きつつ、「ラズと彼女がなんとかするだろう」と言葉にするくらいには、信頼を得ているらしい。
「準備不足だったのでは?」
「パメラ殿の病状が思わしくないとは聞いていたからね。彼女の死によって、グラノスの死も決まることを考えると、年内ではなく1,2か月以内を想定していたよ。ここから私が幽閉された場合でも、ひっくり返せるように手は打ってある」
より盤石にするための時間であって、今、ここで事が起きても問題はないというあたり、流石の手腕ということだろう。
殺されることがないとも確信しているようだ。
「……メディシーア家への厚遇に感謝申し上げます。どうか、妹であるクレイン・メディシーアに変わらぬ庇護をお願い申し上げます」
「うん。君の働きに感謝するよ、グラノス・メディシーア。明日もよろしく頼むよ」
明日が大一番の勝負。
うまくやらなければ、メディシーアの進退が変わる。上手くやらないとだな。




