5-29.厄介事(1) 〈クロウ視点〉
〈クロウ視点〉
あいつらが出発するまえ、グラノスに呼び出されて、俺の身が危険な可能性を説明された。
超級の薬が作れる薬師は貴重であり、それが奴隷であれば是が非でも手に入れたいと思う者はいる。
グラノスには、俺を買い取りたいという貴族達からの手紙を見せてもらった。何十枚とある手紙には、俺の買い取り金額が書かれていて、足りない場合、どこよりも高く買い取るという言葉ばかりだった。
奴隷であれば仕方ないことだとも思うが、元々の借金の額よりは数倍の額になっている。
最近の調合で稼いだ額を考えると大した金額には感じないが、これが借金に上乗せされるのはおかしいだろう。
「こんなはした金で大切な仲間を売ると思うのかね」
「俺の借金額の数倍だからなぁ……もとは取れるという意味だろう。俺の貯金はこの買い取り額の数倍だがな」
「買い取り額も超級の薬1個の値段にも劣るけどな。君の成長の結果だ。メディシーアの当主との契約書だ。読んで、サインしてくれ」
契約書の内容は俺の借金はすでに働きによって返却済みであること。本人が恩があると奴隷のままでいることを希望しているが、当主が変わった時点で借金返済とし、以後はメディシーアの薬師として雇用していることの証明。
婆様の遺書という形式で書かれ、次期当主のグラノスもそれを認めている。
婆様が死んだ瞬間から、俺を売る、売らないという範疇にはない。奴隷ではなく、俺の意思で働いていることになるらしい。
また、なぜか婆様だけでなくグラノスも含め、二人に何かあった場合、クレインではなく顧客は俺が引き継ぐことも書かれている。
「何のつもりだぁ?」
「君は借金返済のために奴隷をしてるんじゃない、メディシーアに恩があるからここで働いている。君の意思で働いていることをはっきりと主張してもらおうと思ってな」
「当主はあんたじゃないだろう?」
「ああ。だから、お師匠さんが死んだあと、君は自由だ。君が望む限り、メディシーアで働くことができる」
「意味がわからん。クレインがわざわざ俺の判断で依頼を受けられないようにしたのに、なぜこんなことをする?」
「お師匠さんが亡くなった後、爵位をメディシーアに渡す代わりに奴隷を献上しろと王に命じられた場合、その場で断れると思うかい?」
NOだろうな。
それを断れば、メディシーア自体が反逆者になる可能性がある。
婆様が生きている間は、俺を献上しろと命じるだけの根拠がない。だが、グラノスに爵位と交換で命じる可能性が充分にあり得るのか。
「クレインが気付いていない理由は?」
「こういう心理戦は得意としていないのと、命の危険はないからだろうな。別に断って、全員で亡命したっていいからな。だが、平穏に生きるなら君は奴隷ではないと断る方がいい」
これを用意したのが、クレインではない。
クレインの名前が一切ないということは、知らないということだろう。おそらく、これを伝えれば、また行動を戸惑い決断が鈍る。それを見越して婆様と話し合った結果なのだろう。
「当主が亡くなったら、今までの働きを認め、奴隷から解放だ。その首輪が自動で外れる……異邦人であることを理由に拘束しようとする可能性はあるが、メディシーアが後見することを届け出ているから下手には手を出せないはずだ。そもそも、ティガとレウスは共和国に行くので奴隷から外したしな」
「俺だけ奴隷のままにしたのは囮か。だが、上手くいくか?」
「……そもそもが何も起きなければいいんだがな、一応、保険だ。急いで帰ってくる」
クレインが気になると口にしたら、大方が何か起こるんだろうと予測はできる。
俺が死なない程度の危険があるのはすでにクレインから聞いている。だが、死なないだけと考えたとき、俺の身を拘束されて、良い様に使われる可能性はあるのだろう。
「危険、ねぇ……俺の身を狙うと思うかぁ?」
「ああ。俺らがいない間に君から了承を得て、自分たちのものにする。それくらいはするだろう。……メディシーアに一泡吹かせたい連中が沢山いてな。機会を窺っている……俺らがここを離れれば餌に食いつく」
餌は俺。犠牲にするつもりはないだろうが、多少はやむを得ないと考えているだろう。
もし、俺がここで餌にならない場合、十中八九、ふらふらとマーレに定期報告に行くクレインが狙われるだろうしなぁ。
婆様が薬を作れないため、誰かが残っておく必要もある。戦力としては俺が一番低いことも理解している。
「攫われたら早いところ助けに来てくれ」
「捕らわれた姫を助ける役は構わないんだが、君だとな」
「別にあんたでなく、姫が助けに来てくれてもいいんだがなぁ」
「それはそれで腹が立つから俺が行く」
俺に何かあったなら、クレインが救出に動くだろう。それはグラノスもわかっている。だが、それを許すとせっかく危険に巻き込まれないように手を打ったのに意味が無くなる。
できる限り、グラノスと俺で片をつけるということだろう。
国家の中枢でのことに片足突っ込んでいる状態なのもよくないんだがなぁ。
それなりに覚悟をした上で、ここに残ったつもりだった。
グラノスやルナの話から、狙いは自分であると伝え、出来る限り一人でいるように心掛けていた。
「クロ坊。なんでわたしを避けているんだい?」
「婆様。いきなりそれかぁ……色々とあるんだ」
予知ができるルナから、危険と聞いていたから、あの夫婦に全てを伝え、俺自身は婆様を二人にならないようにと気を付けていた。
ただ、婆様には俺が攫われるか、婆様に命の危険があると、はっきり言えなかった。巻き込みたくないことも……。
結果は婆様がディアナさんの目を盗んで、作業場にやってきてしまい、見事にその時を迎えた。
「しくじったな……」
メディシーアに対し、余程、腹を立てていたのだろう。婆様が斬られるというルナの話から、相手を逆撫でしないようにしたつもりだったが甘かった。
「メディシーアはすぐに王宮へ出頭せよとのご命令だ! 直ちに従うように!」
本来、この開拓地側には入ってこれないはずの人間が、作業場に現れた。
案内してきたのは、大工の一人。グラノスから貴族の紐付きだと聞いていた人物で、大工連中の中ではおべっかが上手いだけの小物と思っていたやつだった。
全身にアーマーを身に着けた騎士が3人。じろりとこちらを見てくるので、婆様の側で庇おうとするが、婆様は首を振って前に出てしまった。
「すまないが、すでに引退した身だよ。手が震えてしまって、薬を満足に作ることはできないよ。もう、王都まで旅行に行ける体力もないさね」
「逆らう場合は強制的に連れて行く許可が出ている! 大人しく連行されるように」
「待ってくれ。婆様はすでに引退をしたと言っているだろう。婆様ではなく、俺が行こう。大抵の薬は作れるはずだ。婆様、婆様の代わり作るように命じてくれ」
「クロ坊……いきなり王宮に口頭で出頭を命じるはずがないよ。勅命書もだしていない。行かなくていい」
婆様が言うことはもっともだ。
メディシーアは家の名前だ。婆様はもちろんだが、グラノス、クレイン、ナーガは正式にその姓を名乗っている。
誰を指すのかも、何をさせるのかもわからないまま、こんな形で連れ出す許可が出ているはずがない。
それでも、婆様を危険に晒すわけにはいかないため、前に出て庇う。
「奴隷か……人の前に立つなど生意気な」
「がはっ……」
婆様の前に立ったのが不快なのか、騎士に腕をグイっと引かれてよろけた瞬間に鳩尾に一撃がはいり倒れ込む。
「そうやって、膝をついていろ。人間様の会話に口を出すな」
「クロ坊! メディシーアは子爵だよ、許されると思ってるのかい!」
「言わなかったか? 国王陛下の命令だ。たくっ……どうしても行きたくないってんなら、怪我をして作れないってことにしてやるよ」
婆様の腕を取って、机の上に置かせ、手の甲ごと机にナイフを突き立てた。
「ぐっ……」
「婆様! 誰かっ! 婆様が!!」
俺が大声をあげたのが気に食わないのか、頬を殴られて、そのまま吹き飛ばされる。さっきまで黙っていた部下らしき騎士が俺の上に乗って、サンドバックのように俺を殴る。
婆様も騎士に拘束されているが、視界の奥でこいつらを案内した大工が走り去るところを見え……俺は意識が飛んだ。
その後、気付けば馬車に荷物のように積み込まれていた。
頬や鳩尾……肩関節やら、他にも殴られた場所が痛むが、どうやら先ほどの騎士に追加で二人加わり、俺を連れて王宮へと向かっているという。
寝ているふりをして盗み聞いた話では、あの後、ディアナさんが助けに来たようだが、婆様が発作で倒れた。
逆らった婆様が悪いといいながらも、殺してしまうとまずいという認識があるらしく、俺を連れて引き上げ、今は王都へと向かっているらしい。
彼らは口々にメディシーアのせいでと言う。どうやら、メディシーアのせいで、家が没落したようだ。国王陛下から許可をもらっているから、こちらへの暴力ももみ消せると考えているようだ。
死なないとは聞いているが、ここまで痛い目に合うとはな……婆様が心配だが、拘束されていて逃げ出すことも出来ない。
予定通り、グラノスの救出を待つよりほかはないだろうな。
王都までの道のりは馬車で1週間。怪我したままで、拘束をされて、1日1回だけ犬のように水と食料を与えられる。排泄すら、拘束されたまま、奴らに見られながらするしかない有様だった。
わざと屈辱を与えるような言動が見えることから、これらも指示を受けている可能性がある。
漸く、王都に着き、翌朝、朝一番に王宮に納品されると聞いた時、奴隷は物なんだなと実感する。
本当に、クレインといると不自由がなかっただけに、本来の奴隷というものを今更ながらに理解した。
俺を納品した騎士達は褒美をもらい、団長と呼ばれている騎士が俺を拘束している紐を引きながら、王宮の中にある部屋に連れて行かれる。
その部屋は、随分と豪奢な部屋で、調合器具なども置かれている。奴隷を通す部屋ではないが、拘束を解かれ、「自由に過ごせ」と言って、団長は出て行った。
「ご丁寧に傷薬や調合薬の素材を置いて、自由に過ごせねぇ……」
俺の意思で調合をしたことにでもしたいのか、他に意図があるのか……。
痛みは辛いが、薬を作って、わざわざ相手の思惑に乗ってやる必要もないだろう。
何をするでもなく、部屋に備え付けられていた椅子に座り、目を瞑る。
することがない。起きていても何もないなら、寝て待っていた方がいい。
「んふっ……お久しぶりですね」
「ああ……ネビア、だったかぁ? うちのが世話になっているなぁ」
前にキュアノエイデスにて会ったことのあるうさんくさい情報屋がどこからか現れた。いつの間にとも思ったが、そんなことよりも伝えることがある。
「ええ。こちらも大変お世話になっていますので。伝言です。『俺も王都についた。王宮にはすぐに入れない、救出は明後日以降。お師匠さんは危篤状態』とのことです」
「危篤? どういうことだ?」
「大きな怪我を治療するのは体力を消耗します。御老体にはきつかったのと、精神的なショックもあるようですね……王弟殿下が明後日には王都に到着しますので、彼はおそらくそれを待って、あなたを取り戻すつもりのようですよ」
俺を追いかけてきたが、間に合わなかったということだろ。仕方ない。帝国に行って、帰ってくるまでの日程を考えるともっと遅いと予想していたくらいだ。
「……そうか。他に指示は?」
「いいえ……そうですね、僕のアドバイスとしては、耐えてください。あなたから言質を取ろうとするでしょう。甘い話には乗らない方がいいですよ?」
この部屋にある物を使えば、それはすべて対価が発生するのだろう。
何もせず、救出を待てということだ。
「……俺を連行した騎士達の名前、グラノスに伝えてくれ。ついでに、褒美を与えていた団長の名もな」
「んふっ……もちろんです。その者達の素行も含め、報告しておきますよ」
俺が攫われた経緯や知った情報を全て伝えると、部屋に来たのと同じように一瞬で気配が消えた。
その後、「手違いで」という俺への暴行をしたことの詫びの品が運ばれてきたり、奴隷から解放するなど、懐柔するためのうまい話を持ってきたが、全て無視をし続けた。
夜には、女が部屋に忍び込んできて、俺に覆いかぶさってきたが、残念ながら全く反応せず、女はしばらく頑張っていたようだが諦めて帰って行った。
安眠を妨害されるのも困るが、あの手この手と次々に現れ懐柔しようとする。
面倒だと、鍵だけではなく、ドアが開かないように板を使って塞いだ。
しかし……。
翌日の昼過ぎ、俺の首輪が取れた。
婆様が亡くなった。
奴隷ではなくなった。
自由の身になったことをグラノスに伝えなくてはならない。
あの情報屋が部屋に来ることに賭けるしかない。誰とも会いたくはないが、ドアを開ける必要が出てきた。
ただ、意外なことに開けるとすぐに情報屋が現れた。
「早くないかぁ?」
「んふっ……こちらにも事情がありまして。それで、何か伝えたいことが?」
「……婆様が亡くなった。これを渡して、そう伝えてくれればわかる。急いでくれ」
「おや……わかりました。伝えましょう。明日の午前には王弟殿下からの謁見があります」
「……ああ」
あっさりと姿を消した男に、後はグラノスが動くのだろうと目を瞑る。
ゆっくりと婆様を追悼したくても、ドアを解放したせいで、鬱陶しい懐柔の繰り返しになった。
今日は第二王子を名乗る人物まで現れたが、何も答えることなく傍観していたら一通り騒いで帰って行った。
深夜になり、ようやく収まった頃に、待ち人が現れた。
「遅くないかぁ…………グラノスは?」
「明日、共に参内すると。『何が起きても黙っていてほしい』、『俺らを拘束しようとした場合、囮になるから君はバルコニーから飛び降りて逃げろ』とのことです」
グラノスからの伝言に頭を抱える。簡単に言うが、王宮に入るときに見たバルコニーの高さは、通常のビルの4階くらいに相当するはずだ。
そこから飛び降りるのは無理があるだろう。
「んふふっ……顔色が悪いですね。謁見の間は、バルコニーに繋がっていますので、そこから逃げることは出来なくはありませんよ。風魔法をお使いであれば、なんとかなるかと」
「……わかった。逃げた先は?」
「彼が虎に乗ってきているので、呼べば来るようにするのでは? 逃げる先は彼女の元でしょう」
シマオウを呼んで、クレインがいる地までの逃避行。グラノスのことは考えるなということか。
「危ない橋はわたりたくないんだがなぁ……」
「僕としては成功を祈っておきましょう。これが最後の機会ですが、他に伝言は?」
「必ず逃げて、クレインには伝える。あんたも無茶をすると泣かれるぞと伝えてくれ」
「ええ、わかりました。それでは、御機嫌よう」
逃げ出すとなると、体の打撲などは治しておいた方がいいか。
いや、一切使うべきではない……傷を治さない方がいいんだろうな。ネビアから事情を聞いていても、情報のやり取りだけでポーションや薬の差し入れがない。
俺の怪我についても、相手の非を訴えるのだろう。痛みには耐えるしかない。




