5-18.望み 〈一部、クロウ視点〉
「師匠……少し、話をしてもいいですか?」
「ひどい顔をしてるね……ひよっこに戻ったのかい?」
そんなにひどい顔をしているのだろうか。
体調が悪いとはいえ、最近は師匠は安定している。だから、今のうちに面倒事を片付けることに決まった。
それでも、心が整理できずに、話し合いを終えた後、まっすぐ師匠の部屋に来た。私が来たことに師匠は寝ていた体を起こす。
「……そうかもしれません」
「困った子だね」
師匠は、困ったように私の頭を撫でる。
師匠には何も心配せずに過ごしてほしいと願っているのに、自分が辛くて来てしまった。
「あんたがそんなに不安になってどうするんだい。見送るのが初めてじゃないだろう」
「……いえ」
「おや、大切な人を無くしたもんだと思ってたよ。出会った頃のあんたは一生懸命な中で、たまに暗い目をしていた。わたしやレオ坊があの子を失ったのと同じ目だったからね」
「当時は思い出してなかったんですけど……そんな目をしてました?」
「ああ、必死に居場所を作る反面、大切な何かを探していた。だが、最近は落ち着いたから安心していたさね」
最初の頃よりも落ち着いてきたのは、師匠のおかげだろう。
地に足をつけて生きる術を身につけられたこと、家族のように安心できる環境を作れたのは師匠のおかげだった。
「ひよっこ。前の世では何があったんだい?」
「そうですね……」
夫と幼い子供と……。
3人でドライブに行き、事故に合い……私が目覚めたときにはもう全て終わっていた。
葬式どころか、納骨も終わっていて……墓に案内された。
死んだという実感はなかった。ただ、いなくなってしまった。
「気づいたら、いなくなっていたんです。大事だった……大切だった……。残ったのは、お金だけ。それだって、義両親と両親に巻き上げられました」
私だけが生きていることを責められた。
事故の賠償金として、多額のお金が手に入ったけど……それすら責められるのが嫌で言われるままに渡して、仕事、仕事、仕事……何も考えなくていいように逃げた。
いい職場、いい上司じゃなかったことは今ならわかる。
でも、その時の私には救いだった。家に帰らない理由があるだけで良かった。
「そういうことかい……」
「生きたかったのだと思います。でも……とっさに私がハンドルを切らなければ……二人が生きてたかもしれない……私もそう思います。でも、それを口に出されると辛かった。自分だけが生きる判断をしてしまったんです」
「それを責める奴が馬鹿さね。あんたはそのときの最善を尽くそうとしただけだよ。結果なんて、誰もわからないよ」
あの時、どうすれば良かったのかはわからない。
ただ、私は奇跡的に目覚め、後遺症もほとんどなく……社会復帰しても、上手く生きていくことができず、人を恨んで死んだ。
こんな世界滅びればいいと思って、死んだことを覚えてる。
異邦人はみんな……そんな思いを抱えて、この世界に来た。私が覚えていなかったのは、黒の神の思惑だけでなく、自己防衛。覚えていたら、生きようとしなかった。他の人達も多かれ少なかれ、そういうことなのだろう。
「前と今、違うのはわかるかい?」
「……はい」
「あんた達は敵が多いことは否定できないさね。でも、味方もいる。利害関係であれば、切り捨ててくる可能性もあるさね。でも、ここにいる連中は違う。あんた達がわたしを愛し、ここを用意してくれたように……あんたも愛されているんだよ」
「師匠……」
「何でも怖がるんじゃないよ……愛することも愛されることも……同じだよ……逃げなくていい」
師匠にぽんぽんと頭を叩かれる。
大丈夫だと言って、手を握られる。
失って、戻らなくても……また、大切なものを作ることは出来る。
「自分で切り拓いていく力があるくせに、怖くなるとすぐ逃げ出すのはあんたのいいところでもあり、悪いところでもあるさね……踏ん張ることも必要だよ」
「でも……」
「あんたは最愛の弟子だよ。だから、幸せになって欲しい……そのためには逃げるだけじゃ駄目さね。やるべきことをやるんだよ……」
「師匠……」
弱っていく師匠を置いて、ドラゴンの元へ赴くことを躊躇った。
それは、私がやらなくてはいけないことから逃げているということなのか。
この地に来てから、用がない限り、出かけずにここに留まっていることを指しているのか……。
「ひよっこ。あんたは後悔して、同じように生きないと決めたんだろう? 身内を助けたいと思うなら、わたしのことで立ち止まるんじゃないよ」
「……」
「そんなに心配せずとも、まだお迎えには早いよ。あんたたちが1か月いなくても、何も変わらないさ……それでも心配なら、ドラゴンの血でも持ち帰っておいで」
「師匠?」
「滋養強壮にいい薬が作れる……寿命が一年延びるさね」
「霊薬……ドラッヘン」
「あんたなら作れるだろう? 行っておいで……弟子の成長を見届けさせておくれ」
師匠が優しく微笑む。
私が作れると確信しているように……。
ドラゴンの血を使って作る伝説級の薬。師匠だって作ったことはないかもしれないくらい……貴重な国宝級の薬。
でも、作れる。師匠が少しでも良くなるなら……作って見せる。
「師匠。準備をしてきます! すぐじゃないですけど、ちゃんと行ってきます」
「期待しているよ」
師匠のレシピはあくまで、師匠が作った物。
ドラッヘンは、たしか資料はあるけど、レシピとしての登録はしていないはず。他に何が必要かも調べて、準備をしておかないといけない。
〈クロウ〉視点
「婆様、入っていいかぁ?」
「入っておいで……どうしたんだい、クロ坊」
「何、久しぶりにやる気を出してるみたいだから、何があったのかと思ってなぁ」
「お題を出しておいたよ。あの子も名前だけは知っていたみたいだけどね」
「いいのかぁ……貴重な薬だろうと、作るぞ? 何も考え無しになぁ」
考えが足りないところがあるのは、今更だろう。
婆様の容態が悪いというだけで考えがブレる。ティガとグラノスが修正をしていたが、危ういと思っていた。
それが、婆様の部屋から出てきて、顔つきが変わっていた。
「最近、燻っていたからね」
「聞いたと思うが、ドラゴンに会いに行くそうだ」
「おや、他人事のように言うさね」
「俺は留守番だとさ……厄介ごとが起きるようだ」
俺の身に何か起こる可能性を感じていても、残すという結論は変えなかった。
ここが本拠地であり、メディシーアとして、いつでも薬を提供できる場所であることを示すために必要という判断はできる。
一方で、婆様のことには冷静でいられない。
「あんたも大変さね」
「全くだ……希望を与えるのは残酷じゃないかぁ?」
「心配ないよ……ちゃんとあの子達が帰ってくるまで生きるさ」
「ああ、そうしてくれ」
ファンタジーのような世界だが、万病に効く薬なんてもんはない。
すでに限界になっている体に、ドラゴンの血なんて劇物をいれても……無駄だろう。
それは、俺もグラノスも気付いている。クレインだって、本当なら気付かないはずがない。ただ、その微かな希望に縋りたいという気持ちで暴走している。
「あんたの目は、寿命も見えてるのかい?」
「まさか。それは専門外だなぁ……婆様の体が薬でも痛みを緩和するぐらいで、すでにぼろぼろってことくらいだ」
視えたところで、どうにもできない。それを歯痒く思うくらいには、世話になったと思っている。
「あんた達の過去はみんなつらいものなのかね」
「どうだろうなぁ……人によって、何が辛いかなんて違うからなんとも言えん。レウスとグラノスは割と吹っ切れているが、俺も含め、他の奴は引きずってるだろうなぁ」
「君、記憶なかったんじゃないのかい?」
「グラ坊、盗み聞きは行儀が悪いさね」
ドアの方からグラノスの声が聞こえて振り返る。
鍋に粥が入っており、どうやら食事を持ってきたところのようだ。
「すまんすまん、聞こえちまったからな。聞かれたくない話なら、ドアを閉めておくべきだろう」
「女性の部屋で二人きりになるなら、ドアを開けておくのは礼儀だろう」
「なるほど、そういうもんか。そういえば、クレインと二人で調合してるときもドア開けていたな」
「過保護な兄弟が気にすると思ったのもあるがなぁ」
お互いに一切、その気がないのに勝手に邪推されても困る。面倒事は出来る限り避けておくだけだ。
「お師匠さん。粥を作ったんだ、食べれるかい?」
「ああ、ありがとう。いただくよ」
「美味そうだなぁ。俺のは?」
「希望があるなら作ってもいいが、君は何を差し出す?」
ギブ&テイクということだろう。
俺が渡せるもんなんて、特にないんだが……。
「特に渡せるもんもないな」
「わたしはあんたの過去を知りたいがねぇ……こんなばばぁにまで気を遣うくせに、なんでそんなに女が嫌いなんだい?」
「そいつはいいな」
「……そうだなぁ。信じていた親しい人に裏切られた。まあ、そういう点ではクレインに近いのは俺なんだろうなぁ」
ティガも共に会社を立ち上げた奴に裏切られて、事実無根の噂を流されて会社を倒産させたという点では近いのかもしれんが、身内ではなかったようだしな。
「妻に裏切られたか?」
「まあ、そうだなぁ……托卵に気付かなかったことも間抜けなんだが、娘にまで『おっさんが帰ってきたから本当のパパと少ししか会えなかった』なんて陰口を聞かされるとなぁ……気付いたら、電車に飛び込んでいたなぁ」
身についている癖。
娘と話すときすら、二人きりなら部屋のドアを開けるようにと言い聞かせていた妻は、俺が娘と血が繋がらないことを知ったら手を出すとでも思っていたのだろうか……なぜ、あんな女を好きだったのか。
あの後、どうなったかは知らない。
ただ、妻と娘に請求が行くことになっただろう。遺書も書いていたが、示談せずに借金を背負うことになっていることを望むくらいには……破滅を望んでいた。
「婆様が楽しめる話じゃないだろう?」
「そうさねぇ……でも、話したら少しは楽になることもあるさね。老い先短い身だよ……つらい過去を吐き出して楽になっておきな。グラ坊も聞くよ?」
「ははっ、俺はもう吹っ切れてるからな。あとは手に入れたいものが手に入るように頑張るだけだ」
「俺はもう二度と恋愛なんてもんは無理だなぁ。女自体が信じられん」
いまだに人を信じることが出来るのは、男女の差なのか。
持ち前の性格なのか。
恋愛感情を捨て去った俺と違い、クレインは考えないようにしているだけだろう。
目の前の課題が無くなって、状況が落ち着きさえすれば、恋愛を考える余裕も出てくるだろう。
手に入れるのが目の前の男かはわからないがなぁ。
「おや……その気があるなら、見たかったねぇ」
「婆様が長生きすればいいだけだなぁ。まあ、人様の恋愛なんて傍で見ている方が楽しめる。婆様には定期的に報告に行くと約束しよう」
「そうかいなら、墓はあの大樹の近くに建てておくれ」
「……君なぁ。お師匠さんも、まだ早いぞ」
婆様の食事を見届け、グラノスと共に部屋を出た。
互いになんとも言えない空気が流れる。
異邦人が手に負えないことなんて、自分達でわかっている。
破滅を願う一方で、真実を知ることができる目を欲したのは俺だ。
ユニークスキルを最初に選ぶ……それほどにその能力を求める過去があった。
噂話で全てを失ったティガが願った耳も、雁字搦めに縛られたレールから抜け出して自分の宝を探したいと願ったレウスも……過去が起因してる。
「あんたは何で刀を選んだんだろうなぁ」
「さてな……破壊衝動か、力が欲しかったのか……少なくとも、ナーガやアルスのように英雄になるための力ではなく、物理的に欲しているよな。ただ、特に理由があったわけでもなく選んだな」
「自覚があるなら、何も言わないがな」
アルスとレウスがもつのは英雄となることを望むもの。それが過去を乗り越える強さのためなのか、理由はわからない。
ただ、グラノスの求めた力は偶像による力ではなく圧倒的な物理の力。
はっきりとその強さがわかるだけに、暴走したときの怖さがある。
「心配ないさ。俺は今の生活が気に入ってるからな。さて、暴走しているクレインをフォローしに行くか」
「止めないんだな」
「止める必要があるかい? 何事も無駄にはならないさ……多分な」
それはそうだろう。
どうせ、やることもないのであれば手伝うくらいはするか。
伝説の霊薬なんて、使いどころは無いほうがいいと思うが……考えても無駄だろうな。




