5-6.貴族
ナーガ君からの手紙で帰還することはわかったけど、行程としては2週間くらいかかるらしい。獣王国に入るのも1週間かかるので、当然ではあるけど。
ナーガ君たちがキュアノエイデスに到着するのに合わせて、あちらに向かうことにして、日々を過ごす予定だったのだけど……。
「貴族のお客様のようだよ。門の前で騒いでいるね……貴族の使いかな。ずっとぼやいて煩い御仁のようだから気を付けて」
「えぇ……」
「わかった、行ってくる。こっちに入らせるつもりはないが、一応、警戒するように伝えてくれるかい?」
ティガさんが門の外に人がいることに気付いて、私と兄さんを呼びに来た。牧場で動物たちの世話をしつつ、癒されているところだったのに、気が重くなる。
「君はゆっくりしててもいいぞ?」
「う~ん……行く」
師匠にはゆっくりと過ごしてほしい。私と兄さんで対応すれば師匠まで呼ぶことはないはず。貴族の対応のために仕方なく、南にある門へと向かう。
「遅い! 貴人を待たせるとは何事だ!」
「やれやれ。こっちは何も聞いていないんだがなぁ。貴族間では、事前に使いを出すのが礼儀だと思うんだがな……グラノス・メディシーア子爵代理だ。そちらは?」
「バナグロリア伯爵家の使いである! パメラ・メディシーア殿に薬を取りに来たと伝えればわかるのである」
家の名前を聞いた瞬間、兄さんは眉間に皺を寄せた。
師匠の顧客リスト……ラズ様に見せてもらった中にあった家だったはず。
というか、この人は貴族本人でなく、使い……しかも、名前を名乗ってない。
「いやぁ、それは無理だろう。お師匠さんは薬師を引退した。それに、バナグロリア伯爵家から以前は薬の調合依頼を受けていたが、2の月の納品後、一方的に薬の依頼は切ったはずだ。わざわざ薬師ギルドの方に我が家を訴えてまで、決別した家じゃないか」
兄さんの言葉に、相手は苦虫を噛みつぶした顔をした。
図星ということだろう。兄さんが師匠の顧客は引き継ぎ情報を教えてくれていないけど、いくつか、元顧客で今は嫌がらせをしている家の名前は聞いている。
正直、関わりたくない。師匠には絶対に会わせない。
「それはそちらの落ち度である。薬を調合するのは薬師の仕事であるのに、作れないというから悪いのだ」
「素材がないのだから、当たり前だろう」
兄さんが当然のように即答した。
素材がないと作れないのは当たり前。それ以外の理由で師匠が作れないと言うはずがない。
「むむむっ、いいからパメラ薬師を出せ」
「師匠は持病の発作後、手が震えてしまい、細かい作業が出来ないため引退しました。顧客には全て手紙で知らせたと聞いています。お引き取りください」
兄さんが代筆して経緯を知らせた上で、師匠も震える手で今までの贔屓してもらった礼などを書き添えて送ったと聞いている。兄さんは一応、取引があった家全てに送ったため、知らないはずがない。
使者に無理だと伝えるが、相手は納得していない。薬をさっさと渡すようにと言っているが、どうしようもない。
「やれやれ。べつに素材さえあれば、俺が依頼の薬を作ることは出来るが、お師匠さんには無理だ。どうしても、お師匠さんから説明を受けたいというなら、連れて来るが……返答は同じだと思うがな」
「その小娘に作らせて、早く持ってくるのである」
ムカッとする言い方に言い返そうとするが、ぐいっと腕を引かれて兄さんに庇われる。
「悪いが、妹はラズライト様の専属薬師だ。妹に製作を依頼するなら、王弟殿下の依頼書かラズライト様の依頼書を持ってきてくれ。お師匠さんの顧客は全て、俺が継いだが……バナグロリア家は、すでに顧客契約が切れている。改めて、契約を結ぶというならこの金額だな」
兄さんが取り出したのは、契約書だった。
薬の製作依頼については、きちんと契約を結んでおかないと揉めることがある。……材料もらって、失敗することがありえるからね。
「な、なんだこの値段は! だいたい、素材を持ち込みとはどういうことだ!」
「別におかしいことじゃないだろう。薬の製作難易度に応じて、金額が変わるのは当たり前だ。素材も用意してもらわないと作れるはずがないよな?」
「そちらが用意するべきものだろう!」
「いや? そう言われても手元にないからな。この契約内容で嫌なら、他を当たったらどうだい?」
「こちらで調べはついている! 安らぎの花蜜の代替素材は貴様らが作り出した物だろう、それを使い、いつもの薬を用意せよと言っているのだ! 値段も高すぎる! パメラほどの腕がないくせに値段を釣り上げるなど許されない!」
高圧的にこちらに指示を出してくるけど、嫌なら他を当たればいい。こちらは全て同じように価格を設定している。
薬の製作難易度、素材費用、市場価格から割り出しているため、理由もしっかりと説明できる。
値段が上がっている理由は、単純に、闘病期間が長くなれば前よりも症状が悪化して、薬をカスタムしないといけなくなる。その分、薬の値段は上がるが、それはお得意様ということで師匠が値上げをしなかった。
ついでに、市場価格が引き受けた当初よりも上がっていることも理由にある。
「もともと、この薬の市場価格は近年上がっている。作れる薬師が不足しているからな。さらに、バナグロリア家の薬は、体調悪化が見られるため、薬に特殊加工を入れているため、製作難易度も通常よりも上がっている。価格は適正だ……ちなみに、マーレの薬師ギルドにも査定してもらったが、あちらで作る場合にはこの額の1割から2割増しだそうだ。もちろん、素材は持ち込みでな」
薬師ギルドでの査定価格もきちんと考慮していたらしい。
レカルスト様が協力体制になったおかげで、お互いに情報のやり取りが出来るから助かっている。
「ついでに、そちらの言う代替素材だが、手元にはない。王弟殿下の依頼で作成はしているが、全て渡している。製作するときも、キュアノエイデスに出向いて、そちらで製作してその場で全て預けている。管理はすべて王弟殿下が行う……そういう契約だ」
「そのようなはずがない! こちらは確かに、王弟殿下が管轄する以外の素材があることを把握している」
私が不用意にネビアさんに渡した奴だよね……。
色々とまずいことにならないように、試作中に盗難があったということにした。
試作品が出来てキュアノエイデスに向かい、戻ったら試作品が無くなっていたため、盗難届を出した。
これは兄さんの指示で、そういう処理をしている。裏にだけ流通しているのは、私たちを調べていた裏の人が盗んで持ち帰ったということで、ネビアさんには悪いけどそういうことにすると伝えている。
ただ、裏で流れているのを知っている時点でも色々アウトなんだよね。普通に、闇ギルドでの情報が入手出来ている時点で、色々後ろめたい情報持ってるんだろうな。
ネビアさんが、これを餌に探りをいれるって言っていたから、情報持ってる時点で、ネビアさんの餌に食いついてる。
「えっと……それ、盗まれた試作品です」
「ああ、留守中に調合素材を盗む奴が後を絶たなくてな。お師匠さんのところも被害にあっている。まったく、薬師の家から素材盗むなんて奴らがいるから、あの町で暮らすのも出来なくなるし、客側に素材を用意させるしかないんだよな」
兄さんの言葉にこくこくと頷いておく。
あの町で、私の家も師匠の家も不法侵入されているし、盗まれた素材もあるので全てが嘘な訳ではない。
「そのようなこと!」
「もう一度言う。素材の加工・製作は行っているが、王弟殿下に管理はすべてお任せしている。ここには素材がない。素材が無ければ作れない」
実際、最初から面倒ごとになる可能性が高いと思っていたので、素材はここにない。
緊急用ということで、師匠の薬にするための素材は持っているけど、それだって王弟殿下に許可を得た上で、用途が変わる場合の使用はできない。
「素材が手に入らない緊急状態だから、出来たばかりで危険性をまだ調べている段階の物を使用する。その責任をもつために、王弟殿下が管理し、許可があって使用できる。何度も言うが、ここにはない」
使者は「ぐぬぬ」と言って、こちらを睨んでいるが、どうしようもない。
「さっさと帰れ」と口には出さずに念じてみるが、いきなりこちらを見てにやりと笑った。
「ならば、そちらで申請をせよ。こちらは薬さえあれば、良い」
「俺らがわざわざそんな手間をかけてまで、薬を作らなくてはいけない理由もない。申請までこちらでやると手間が増えるだけで何もいいことがない。素材があれば作る、無いなら作らない。わかりやすいだろう?」
わなわなと唇を歪ませて、屈辱に耐えるような顔をしているけど……。無い袖は振れない。
ラーナちゃん経由でネビアさんにも追加の場合、用意する時間がかかると伝えている。今のところ、最初に渡した分で十分らしいけどね。
「子爵位を貰ったとはいえ、貴様らは成り上がりの庶民だろうが! 許されると思うなよ!」
「そう言われてもな……そもそも、素材が盗まれたからお師匠さんの薬が作れず、発作が起きて、引退を余儀なくされた。国家的損失だと思うんだが、盗んだ犯人を調べようとしても何故か動かないんだよな」
「ラズ様が調べてるのにね、何故か他から圧力かかるんだってね」
「まあ、ラズのところが駄目なら、王弟殿下に申請し直すけどな」
ひくひくと口の端を歪ませている使者は、漸く、諦めたように帰っていった。
もう来るなと思うけど、ああいうのはしつこくまた来るんだろうな。
師匠には一応伝えたが、「そうかい」としか返ってこなかった。おそらく、他の家は動かないはずだと師匠が言うので、それを信じて対処を考える。
兄さんの方で、カイア様には報告するらしいので、私もラズ様には報告しておく。あの家が、絶対に盗んだり、嫌がらせしている気がする。
面倒な貴族の客が帰った、2日後。
また、貴族らしい人がやってきた。今回は貴族本人がここまでやってきたらしい。上等な馬車で、身なりも良く、高貴な人だと一目でわかる。年齢は50代後半くらいだろう。眉間に皺を寄せるのが癖になっているのか、神経質そうな顔をしている。
ただ、すごく丁寧にこちらに接している。貴族がどうのとか、馬鹿にするような態度は全くない。連れている従者も含め、この前とは雲泥の差だった。
「パメラ殿にお会いしたいのだが……」
「調合の依頼かい?」
「いや。体調が悪いとお聞きして、このまま会えなくなる前に一度お会いしたいと思いまして」
「名前は?」
「ヴィジェアと申します。家名は伏せさせていただきたい」
ヴィジェアという名前に私は心当たりはないけど、兄さんはあからさまに眉間に皺を寄せた。知っている名前らしい。私の方は全然わからない。
「クレイン。お師匠さんに伝えてきてくれ」
「わかった」
兄さんの言葉に従って、師匠のところに行き、来客とその名前を伝える。
「おや、まぁ……」
師匠は名前を聞いて、少し困ったように苦笑をして、準備を始めた。
王弟殿下に会う時のような正装だった。ついでに、私にも同じように着替えるように言うので着替えた。
兄さん、土木工事用の動きやすい恰好で対応しているけど、いいのだろうか。
師匠と共に、客人の元に戻る。
兄さんと客人はなんか腹に一物という雰囲気で話し合いをしているのがちょっと怖い。
「すまない、待たせたね」
「いえ、突然の訪問で申し訳ない。先ぶれは出したのですが、3男がここにはいないと断ってきまして。こちらの都合で勝手ながら、押し掛けさせていただいた」
「ラズ坊もどうも最近は過保護でいけないね……久しぶりだねぇ、宰相」
師匠が客人を宰相と言ったため、思わず凝視をする。
その後、兄さんに視線を送るとこくりと頷き、宰相と言われた客人が苦笑をしている。
「こんな僻地までくる余裕があるのかい?」
「今、王都では奇病が流行っておりまして……私は対応から外され、領地に帰れと命令されたのですよ。ああ、宰相位も置いていくようにと」
「奇病かい……そんな話は薬師ギルドからもラズ坊からも聞いてないさね。本当に病だとしたら……」
「ああ、パメラ殿。今回の奇病はどうしようもないのでお気になさらず。以前の流行り病とは違いますので、お力を借りに来たのではないので」
奇病と聞いて、師匠が顔色を変えたが、あっさりと師匠の力はいらないと否定されてしまった。
それなら、何故ここに来たのかと思うが……兄さんを見ると首を振ったので、特に聞き出せてもいないらしい。
「王都で何があったんだい? 症状は? 本当に必要ないのかい?」
「ええ。便宜上、病と言っていますが、呪いの類です。私も知らなかったのですが、陛下が随分と前から呪術に入れ込んでいたようで……被害はそれなりに。私に陣頭指揮をさせたくないのか、罷免されましてな。せっかくなら楽隠居をと考え、ついでにご挨拶に伺いました」
「……呪いは異邦人、かい?」
「確かに、闇魔法など希少である故に、彼らをと考える気持ちはわかりますが、もっと以前から仕組まれておりました。今回、公になったきっかけは異邦人のようですが」
宰相さんがちらりと私のことを見た。
ここで私を見るってことは、私が関係してる? 呪いって、もしかしなくても、カイア様の件だったりする?
「えっと……」
「申し訳ない。つい、余計な世間話をしてしまったようですな。今回の用件は、こちらを渡そうと思いまして」
取り出したのは、10センチくらいの書類の束が5つ。
そして、書類が飛ばないようにするためなのか、文鎮のようにどんどんと書類の上に置かれる金塊が5つ……え、ナニコレ、買収?
「なんのつもりだい?」
「今までお世話になりました、孫娘の治療費になります。孫が生まれて、5年。ずっと薬を調合していただいてきましたが、この度、快癒しまして。その礼としてお受け取りいただきたい」
「快癒? 魔力硬化症がかい?」
師匠が驚きのまま、聞き返した。その反応に、顎に手をやって私と兄さんを見据える宰相。
何が言いたいのか、ちょっとわからない。
「兄さん……」
「俺もカイアに確認しないとわからん。カイアがクロウに「口外するな」と命じたから、詳細を知らないんでな。あっちで調査後、知らせてもらうつもりだったんだが」
ああ……巻き込むなって言ってた、アレか。
あの件で、奇病扱いになって、大事になっているってこと?
「何も知らないと?」
「いや。カイアが病気でなかったことは知っている。うちの奴隷が視てしまったんでな。ただ、カイアが直接口止めしたこともあり、俺らは事情を知らない。もちろん、お師匠さんもな」
「ふむ……」
宰相が少し悩んだ後、金塊をどけて、書類の一部を引き抜いて、再び、上に金塊を置く。書類については渡すと不都合なものなのだろう。
呪い関係の書類を渡すのを止めたとかだろうか。
むしろ、他の書類はなんだろう?
「王弟殿下の次男とは仲が良いようですな」
「ああ、失礼した。つい、気安い態度を取ってしまったが、不快であれば謝罪いたしましょう」
「いやいや。友人関係に口を出すつもりはないので、気にしないでいただきたい。ただ、あの子がここまで生きて来られたのはパメラ殿のおかげ。礼として受け取っていただきたい」
「大したことはしていないさ、自分の仕事を全うした、それだけさね」
頼まれている薬を調合した。それだけということだろう。
「それでも、幼子のために通常よりも難しい調合であったはずです。それに、お渡しした素材をご自身の薬には使わなかったそうですな。そのせいで、発作が起きたと聞いていますが?」
「貴重な素材になったからね……自分達が前の月に用意した素材だと主張して持ち帰ってしまった馬鹿がいる。それだけだよ」
実際に、師匠は消費期限のある素材については、しっかりと管理はしている。ただ、預かった素材ですぐに作るよりも、定期的に取引がある場合には先に作っておいているからややこしくなってしまったのだろう。
それでも奪うってあり得ないけどね。
「ご不便があるようなら、我が屋敷にてお過ごしいただこうかと考えていたのですが、いかがでしょう?」
「あんた達には不便に見えるかもしれんがね、私は満足してるんだよ。可愛い弟子たちの成長を楽しんでいるというのに、悪口ばかり聞かせに来る奴らが多くて辟易していたからね……ここでの余生を楽しんでるよ」
「そうですか。バナグロリア家に対し、要望はありますかな?」
「貴族のやったことを罪に問えるのかい? あの家に対する訴えは握りつぶされてるんだがな?」
「我が家の素材を勝手に強奪したということで、証言を貰えればすぐにでも。幸い、仕事を失ったばかりで暇でしてな。出来れば一筆いただきたいのですが」
「ああ、これでいいかい? 王弟殿下の方に任せるつもりだったんだが」
近いうちにキュアノエイデスに行くので、師匠の件について、改めて訴えるつもりで用意していた訴状を宰相に渡す。
「確認しても?」
「ああ」
兄さんに渡された書類を見ながら、「こちらでも処理しておきます」という確約をもらう。
王弟殿下にも改めて書類を作ると言っていたので、宰相と王弟殿下が動くのか。
国王派も終わりじゃないだろうか……。
手紙で今日あったことを知らせるのも微妙なので、ラズ様のところに直接伝えに行こう。
「やれやれ。本当に面倒な貴族が多いな」
「あれ、兄さんも行くの?」
「ラズのところなら、直接、王弟殿下に知らせる伝手があるからな。早いうちに知らせておいた方がいい」
そういえば、通信機みたいなアーティファクトがあるんだっけ。
便利だし、欲しいところだけどね……とりあえず、ラズ様に報告して丸投げしよう。




