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新婚夫婦

 あれは一九〇三年九月初旬のある日のことだった。ベルが鳴り、若い女性が私たちの部屋に通された。


「エディスと申します。ポームズ様、どうか私を助けて下さいませ。このままでは私、気が参ってしまいます」

「どうなさったのです?」

「夫のベネットのことなのでございます。私たちは一年の同棲をへて先日結婚致しました。それまでは幸せな日々を過ごしておりましたが、一ヶ月ほど前のことです。夜中にふと目が覚めて居間に行ってみると、床に何か大きな動物が這いつくばっていました。よく見るとそれは、夫だったのです。私は驚きましたが、夫は私を見ると怯えたように、四つ足で自分の部屋に戻りドアを閉めてしまいました。

 その晩私は一睡もできませんでしたが、翌朝夫は何事も無かったように私と話をするのです。そしてこれはこの時だけではなく、ある時はテーブルの上に四つ足で乗っていたり、またある時は壁に張り付いていたり、またある時は天井にぶら下がったりしているのです。

 私はどうしたらいいでしょう?こんな事は誰にも相談できませんし、本人にこのことを尋ねて傷つけてしまうのは嫌なのです。ポームズ様は思慮深く、色々な変わった事件を解決されてきたと伺いました。どうぞお願い致します」

 私は開いた口が塞がらなかった。

「ワトソソ君はどう思う?」

「これは事件というよりも病気なんじゃないかな?」

「ふむ、これはもしかしたら••••••ベネットさんは今家に居ますか?」

「夫は馭者の仕事で出ていて当分帰りません」

「お住まいはこの近くですか?できればこれから伺いたいのですが?」

「この近くです。どうぞお越し下さいませ」

「では行きましょう」


 私たちは新婚夫婦の部屋に着いた。

「ベネットさんのお部屋を調べさせていただきたいのですが?」

「どうぞ、こちらです」

 エディスさんを居間に待たせて私たちは部屋に入った。

「どうだい?」

「注射器でも出てくるかと思ったんだが、出てこないね。これといって怪しい物もない」

「ねえポームズ。これは奥さんには内緒だけど、もしかして奥さんの方が夜中に夢か幻覚でも見てるんじゃないかな?」

「フフフ、面白いね。あるいはそれが正解かもしれないよ」

 私たちは居間に戻った。

「最近になってベネットさん宛てに小包みなどが届くようになりませんでしたか?」

「いいえ」

「ベネットさんが急に活力に溢れるようになったとかは?」

「特にそんなことはありません」

「ベネットさんの行動の習慣が変わったりとかは?」

「変わりありません」

「奇行はある曜日だけとか、何日おきとかの規則性はありませんか?」

「続く日もあれば、しばらくないこともあります」

「夜中以外は至ってまともなのですね?」

「はい」

「一ヶ月ほど前から何か新婚生活に変化したことはありませんか?」

「いいえ」

「本当ですか?よく思い出して下さい。どんな小さなことでも構いません」

「そうですね••••••しいて言えば成人したことですし、二人で晩酌をするようになりました。でもお酒はみなさん飲まれますでしょう?」

「奥さん、それですよ!」

 ここで予期せぬことが起きた。玄関のドアが勢いよく開き、ベネットさんが帰ってきたのである。

「エディス、何をしているんだ!」

「あら、あなた、今日は早かったのね?」

「さっき仕事中に部屋に入っていくのを見たのだ。あんたら二人は何だ?返答次第ではこの場を去らせはしませんぞ!」

 ポームズはこうなったら仕方がないというように、紙に何か書いてベネットさんに見せた。

「なぜ、これをあなたが?あなたは一体何者ですか?」

「やはりそうでしたか。あなたは気づいていないかもしれませんが、あなたは夜中に奇行を行っていたのですよ。それを奥さんが案じ、あなたを傷つけまいと私たちに依頼したのです。ですがこのままですと奥さんは心痛のあまり身体を悪くするかもしれませんよ?ここは私の口から言うよりも、奥さんのために、あなたから本当のことを伝えた方がよろしいのではないですか?」

「妻のために、本当のことを••••••ならば致し方ありますまい。私は幼少期、猿に育てられたのです」

「何だって!」

「私はもともとインドにいました。物心ついた時には猿と行動していましたが、私が人里に近づいた時、ある老夫婦に保護されたのです。それから老夫婦は私が真っ当な人間になるように育ててくれました。

 自分が何歳かわかりませんが、私が人間生活に慣れ、大きくなると老夫婦は私を連れて思い切ってロンドンに移り住みました。周りが私を気味悪がり、虐めるので私の将来のことを考えてそうしてくれたのかもしれません。やがて老夫婦は亡くなりましたがその代わり、今エディスとこうして暮らしているのです。エディス、こんな自分だけどついてきてくれるかい?」

「もちろんよ、愛してるわベネット」

 二人は熱い抱擁を交わした。この瞬間の二人は我々とは別の世界に行っていたに違いない。


 ベーカー街に帰ってきてからポームズが語り始めた。

「僕ははじめ別のことを考えていたんだ。ローエンシュタイン氏の研究で、尾長猿の血清を注射器で投与することにより、全身の作業能力を亢進するという新聞記事を読んだ覚えがあった。そしてこの副作用として尾長猿のように木登りをしたり、匍匐前進をしたりすることがあることを噂で聞いていた。しかしそれは主に不老若返りを期待したもので、若いベネットさんがそれをするかというと疑問がある。その他質問をしていくうちにこの考えはどんどん否定されていった。

 そこでもう一つの考えに光が当たった。ベネットさんの節くれだった指の関節からいよいよこれだと思った。イギリスには猿はいないが、植民地であるインドには猿がいる。あり得ないことではあるが、そもそもこの結果自体があり得ない以上、このあり得ない原因は充分に有力であり、消去法によってこれだという結論に達したのだよ」

「まさかこんなことがねえ」

「事実は小説より奇なり、だね」

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