事件
◇事件
涼太が通っていた中学校で生徒が飛び降り自殺した。
学校の校門の前には報道陣が詰めかけた。
3日後、学校で記者会計が開かれ遺書と他の生徒への聞き取り調査からいじめによる自殺と校長が報告した。
学校側の早い発表で報道陣はさっさと引きあげて自殺が起きた以上の報道はなく大きな騒ぎにならずに収まった。
週末、涼太は泰司の喫茶店にいた。
「全く嫌な事件だな」
泰司がテーブルを拭きながら言うと涼太も「そうだな」と軽く答えて雑誌を開いた。
「そういえば昨日、戸川がコーチをしている瀬尾高のバスケ部がテレビに出ていたな」
「戸川? ああノッポの……」
「あいつがコーチになってから瀬尾高のバスケ部は県内で強くなったな。大したもんだよ」
「あいつ嫌いだった。運動が苦手だった俺を馬鹿にしてさ」
雑誌を読んでいた涼太は眉間にしわを寄せた。
「ああ、そういう所あったよな。まあプロのバスケ選手になりたくて必死だったんだろう」
泰司がカウンターに入って食器を棚に整理した。
「必死なら他人に当たってもいいのか。当たられた側は迷惑だけどな」
「まあそういうもんじゃないか。何かに一生懸命だと思い通りにならなくてイラつく事もあるだろ」
「確かにそうだがなあ……」
涼太は釈然としないままコーヒーを一口飲んだ。
「しかし几帳面だな。さっきからずっと掃除しているし」
「そりゃ店が汚いと客が来なくなるからな」
「そういうものか?」
「そういうもんだよ。自分の店を持つと色々わかる事があるからな」
「大変だな」
「半分は好きでやっているからいいけどな。あとは売上が伸びたら言う事は無いがなあ」
泰司は笑いながら言ったが涼太は「そうだな」と流した。
(そうだな。自分で全部やらないといけないから大変だろうな。こいつも色々あったんだろう)
ふと涼太はどこか張りつめていた気持ちに小さな穴が開いた気分になった。
「おばさん、今日は取りに来ただけですか?」
「ああ、近くに寄ったからね。また後で持って来るよ」
「ありがとうございます。気をつけて」
中年の女の客に博志は洋服が入ったビニール袋を手渡してガラス戸を開けて見送った。
店に戻ってカウンター席で雑誌を読んでいると由紀子が入って来た。
「またお客さん持ち帰りだけなの?」
「何でだろうな。持ってくる客がいないな」
博志はため息をついた。
「あっ太一、冷蔵庫にプリンあるから食べてね」
店から聞こえる由紀子の声に太一は階段を下りながら「は~い」と答えてそのまま台所に向かった。
週明けの夕方、部活で賑わう体育館の一角で雅也と顧問の池田が話していた。
「すまないね。今、いじめの調査をしているんだ。里見中の件があってうちは大丈夫かって校長から調査するように言われたんでね」
池田は禿げた頭をかきながら言った。
「生徒達の様子を見る限りではうちの部はそういう事はないと思いますよ。無いように見せているかも知れませんが」
「おいおい。心配になるような事は言わないでくれよ」
「いいえ一般論ですよ。私は部活の指導をしているだけですから生徒同士の人間関係まではわかりませんよ」
困惑する池田に雅也は笑いながら言った。
「まあ、確かにそうだな」
「いじめがあったか匿名のアンケートは取らないのですか。よくニュースでやっているじゃないですか。その方がいいと思いますよ。直接訊いても答えられませんし」
「一応、それもやる予定だけどね。ありがとう」
池田は小さく手を挙げて体育館を出て行った。
「面倒くさいな」
雅也は投げやりに呟いて舞台の前で指導を始めた。
自動車工場の更衣室で智明は着替えていた。
「自殺した子の親、役所勤めだってさ」
「へえ、そうなんだ。面倒にならなければいいがなあ」
「ああ、議員の人気取りに使われそうだな」
更衣室で二人の男が話していた。
「あいつら絶対に人気取りに使うな。それでいじめた奴の親は何やっているんだ」
智明が着替えながら会話に入った。
「噂は聞かないから地元の奴じゃないかもな」
中年の男が言うと、
「駅の近くの赤いマンションにマスコミが集まっていたって誰か言っていたぞ」
もう一人の中年の男が答えた。
「へえそうなんだ。じゃあ知らないな。あそこに建ったのが5年位前だったか」
智明は答えてしばらく雑談して更衣室を出た。
「まあいいか関係ないし。ああ疲れた」
智明は腕を回しながら工場を出た。
仕事を終えた涼太はコンビニで弁当を買っていた。
「すみません」
女が涼太に話しかけた。
「何ですか?」
涼太は弁当を片手に女を見た。痩せた女は「初めまして記者の新田和沙です」と名刺を差し出した。涼太は「はあ」と名刺を片手で受け取って見た。
「新田さんですか。何か?」
涼太は不審な表情で女の顔を見た。
「里見中で起きた自殺の件でお話を伺いたいのですが?」
「ああ、取材ですか。すみません。俺、よそから来た人間なんでよくわからないんです」
涼太は軽く答えると女は「そうですか。失礼しました」と店を出て行った。
「まだマスコミがいたのか。何を調べているんだ」
涼太は小さく舌打ちして弁当をレジに持って行った。
「もう心配性ね。由奈なら大丈夫よ」
自宅で美晴はスマホで前夫の武彦に笑いながら話した。
「変わったところ? そうね、小学生と言っても年頃の子だからね。でもパパに会いたいってたまに言うわ。電話で話したりしないの? そう……」
武彦と話した後、美晴は居間に入った。
居間では父の隆史がテレビを見ていた。
「随分楽しそうだったな」
「いやねえ。それ嫌味?」
「ああ、すまん。そういう訳じゃないんだ」
隆史の口調が緩んだ。美晴は思わず「えっ」と言った。
「何だ。何か変な事を言ったか」
「お父さんが謝るって滅多にないし何かあったのかなって」
美晴は笑った。
「俺はいつでも悪い事をしたら謝っているつもりだが」
「はいはい。お茶煎れるね」
美晴は台所の棚から茶碗を取り出した。
隆史は黙ってテレビのクイズ番組を見ていた。
美晴が「はいお茶」と茶碗を差し出すと隆史は「すまない」と答えて自分の近くに茶碗を置いた。
「なあ、由奈は大丈夫か?」
「もう、お父さんも由奈がいじめられていないか心配しているの?大丈夫よ。さっき武彦さんからも何度も訊かれたわ」
「そりゃそうだろう。自分の子供を心配しない男なんかクズだからな。そんな男だったら俺がぶん殴ってやる」
「お父さん。心配してくれてありがとうね」
美晴が穏やかな表情で答えた。
隆史は茶を一口飲んでため息をついた。
「自殺した子の親は昔、俺の部下だったんだ。残念だよ。何もしてやれなくて」
「そうだったの。葬儀はどうするの?」
「いや行かない。マスコミがいたら面倒だしな。後で線香をあげに行くよ」
「その方がいいわね。私も何か訊かれたら黙っているわ」
「しかしな。市議会の連中はそいつに会いたいらしい。次の選挙に出る理由をいじめ根絶にしたくてな。本当に汚い連中だよ」
「ひどいわ。それこそ人間のクズだわ」
美晴は呆れた口調で言った。
「まあ政治家だからそんなもんだろうって割り切ってはいるが、今回の件はなかなか身にこたえてな」
「お父さん、そんなに悩まなくてもいいのよ。ごめんね。私も心配かけて……」
父の滅多に見せない弱気な姿に美晴は隆史の肩に手を乗せた。
「ああ、そう思うならさっさと結婚でも復縁でもして俺を安心させてくれ」
「ああそう、そうよね。とっとと家を出て行かないとお父さんの苦労が絶えないもんね」
いつもの口調に戻った隆史に美晴は小さく微笑んで立ち上がった。
「じゃあお風呂入るから。寝るなら茶碗そのままにしておいてね」
居間を出ながら言う美晴に隆史は「ああ」とだけ答えてテレビを見た。