殺人罪
「そうそう! 良い感じだよ!」
ゴブリンからの攻撃をあしらいながら避けていると、後方からそんな声援が聞こえてくる。
かれこれ10分は避け続けていた。最高記録だ。
が、ゴブリンの方は息があがっている様子は見えない。僕は死にそうになっているというのに。
例え弱くても、魔物は魔物ってことなのかな。
「痛っ!!」
余計なことを考えていると、ゴブリンのパンチをモロに食らって後ろに倒れる。
その隙を逃さず、マウンティングされた。
「はい、そこまでー」
そのゴブリンにすかさず、蹴りを入れる。
中学生ほどの大きさを誇るゴブリンが壁に吹っ飛んでいく光景は、何度見ても奇妙だった。
「うん。避ける方は、大分上達したかな?」
「そ、そうですか? ありがとうございます」
息も絶え絶え、そう返事する。持久走を全力で走り切ったみたいな疲労感があった。
「日下部君って、血とか大丈夫な人?」
「はい?」
「いやね? 免許を取るのに必須てわけじゃないけど、魔物に襲われたとき避けるだけじゃなく、倒せるようになっていた方が良いからさ」
そう言うと、壁に衝突して気を失っているゴブリンを無理矢理起こし、羽交い締めにする。
「刺してみて?」
む、無茶振りが過ぎる! 血がどうとかいう問題じゃない!
「あ、え?」
「安心して。気は失ってるし、目覚めても抑えておくから」
そういう問題では、決してない! シーカーっていうのは、人の心を無くしているのか?
「ま、無理そうならそれで良いよ。免許に必須でもないし」
でも! シーカーになるって決めた! 決めたのは僕だ!!
「……いえ、やります」
「ほんと? 酷い顔をしてるよ?」
「……悪口ですか?」
「ハハッ! 君、面白いことを言うね」
呼吸を整える。
当たり前だけど、人を刺すなんて経験はない。相手が例え魔物だとしても、生きているのは事実なんだ。
今になって、スライムが楽だという理由がいたいほどわかった。
これほどまでに、命を奪うという行動に拒絶感を覚えるなんて。
「あーーーーっ!!!!」
獣のような叫び声とともに、腹部にナイフを突き立てる。
ドロリと途絶えなく流れる血液が手を汚す。その冷たい血液が、手の震えに拍車をかけた。
「このっ! このっ! このっ!!!」
それでも躊躇うことはなく、最初の勢いのままナイフを何度もメチャクチャに突き立てる。
ここで止まると、これから一生、命を奪えなくなったはずだ。
その数回後、短く断末魔をあげたかと思うと、ゴブリンは完全に沈黙してしまった。
さっきと同じダランとした格好だけど、その中身が消えて無くなっているのは、奪った僕自身よくわかった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「……驚いたよ。まさか、殺せるなんて」
称賛とも軽蔑ともとれる発言を無視して、僕はゴブリンの命を奪った両手をじっと見ていた。
文字通り僕は手を汚した。戻れなくなるぐらいに。
「僕の経験上。ここで『刺せる』やつと、『刺さない』やつにハッキリとわかれる。僕は刺せなかったし、あの『麗姫』も刺せなかった」
その名前を出されて、顔を上げる。
その表情は、咎めてるわけでもなければ、褒めているわけでもなく。ただ、僕のことを羨んでいた。
「一番シーカーに向いてないのが、ただ刺しただけのやつだとすれば、最も向いているのはキチンと殺せたやつだ。おめでとう。誰かなんと言おうと、君自身がどう思おうと、君はシーカーに向いているよ」
その言葉に、僕はどう反応すれば良いかわからなかった。
◇◇◇
「どうしたよ、浮かない顔して。寝不足なのか?」
「……快眠だったんだ」
東雲君が不思議そうな顔をする。
僕自身、命を奪ったというのにあんなにグッスリと眠れたのが信じられなかったし、少しショックだった。
魔物とは言え、ゴブリンの姿形は人間に限りなく近い。
そんなヤツを殺したんだから、当然トラウマになっているもんだと思っていたけど、そんなことはなかった。
今だって浮かない顔はしてるけど、今日の夕飯のことを考えるぐらいには余裕があったりする。
虫も殺さなかったはずなんだけどな……
「もっとテンション上げてこーぜ!」
「……近藤さん」
落ち込んでいると、後ろからバシッと力強く叩かれる。僕とは対照的に、今日も今日とて太陽みたいな笑顔を浮かべていた。
東雲君は東雲君で、口をパクパクと動かすのみだった。
「近藤さんは、ゴブリン殺せた?」
自分でも馬鹿みたいなことを聞いていると思った。近藤さんに聞いたところで、仕方ないだろうに。
「うん。殺せたよ」
「え?」
「じゃ! 今日も一日、元気出してこーぜ!」
こっちの質問の意図を汲み取ってそう答えると、嵐みたいに目の前から過ぎ去っていった。
「仕方なくは……なかったかも」
スッとした胸の中、一人そんなことを考えるのだった。
◇◇◇
「今日は、自分に合った武器を探していこうか」
「武器……ですか?」
それは免許を取る上で必要なのかな?
そんな考えを読み取られたのか、付け加えてくる。
「勿論、免許にはあまり関係ないよ。でもここは一応、シーカーも育てているからさ。有望な若者には、速いうちから仕込んどかないとね」
「過大評価ですよ」
まだ僕はシーカーになるとも言ってないのに。いや、勿論なるつもりではいるんだけど。
「まずはロングソードかな。一番スタンダードな武器で、あの『麗姫』も愛用している」
傘入れに無造作に入れられていた中から、一本のロングソードを選び渡してくる。
刃は潰されているみたいだけど、それ以外は本物で、物凄く重い。持ち上げるだけでも一苦労だった。
「初心者なら槍とかもお勧めだね。ロングソードよりも安全に魔物を倒せるし。間合いも結構自在だから」
そう言って、傘入れにあった一際長い得物を渡される。重心を理解して持つのが大変だった。
「変わり種で言ったら、弓とか? コストはかかるけど」
同様に渡された弓の弦に手を引っ掛ける。重さは問題ないけど、扱いの難しさで言ったら群を抜いて上だろう。
「他にも銃とか、爆弾は……流石に無理かな」
常識として、ダンジョンに出る魔物にはダンジョンで採れた鉱石でしか傷をつけれないというものがある。
銃火器はその弾一つ一つに、爆弾は中に詰める金属に鉱石を使う必要があるので、矢尻のみの弓矢以上にコストがかかってしまう。
「他に実用的なところで言うと、ショートソードとかかな? 盾と一緒に持って、前衛でヘイトを集めたり」
なるほど、盾か……良いかもしれない。
少女たちの後ろに隠れているより、よっぽど良い。
「おー、盾が気に入ったの? 渋いねー」
「両手で扱う感じの盾ってあったりしますか?」
「し、シールダー? 渋すぎて、逆に難しいよ?」
教官の説得に負け、片手で扱える程度の盾を持つ。重いは重かったが、動けないほどではなかった。
「盾で大事なのは、攻撃を避けることじゃなくて受け止めること。ダンジョンに潜って練習してみようか」
「はい!」
ガキンッ
ゴブリンがやたらめったら振り回してくる木刀を受け止める。そのことにムカついたのか、更に攻撃に激しさが増す。
「慌てないでね! ゆっくり、冷静に対処してね」
「はい!」
アドバイス通り、ゴブリンからの攻撃を一つ一つ丁寧に対処していく。自分で言うのもなんだけど、初めてにしては上出来だった。
「そこで心臓を一突き!」
「はー!」
手にしたショートソードをガラ空きの心臓にぶち込む。
それが致命傷になり、ヨロヨロとよろめき、手にした木刀を落として、ゴブリンは後ろへと倒れる。
その木刀を回収しながら、教官は褒めてくれた。
「うんうん、避ける練習が活きてるね。相手の動きを見れてる」
「ありがとうございます」
「いやいや、手にして初日とは思えない動きだよ」
そう言うと、新たに現れたゴブリンの近くに、今度は鉄製のロングソードを放り投げた。勿論、刃は潰してある。
それを手にしたゴブリンは、新しい玩具でも手にしたみたいにブンブンと振り回し、満足そうな顔をした。
『知能も低いんで、近くにある武器っぽいものなら手にしてなんでも武器にしちゃうんだよ』
その言葉通りロングソードを肩に担ぎ、仕切りに辺りを見渡す。
「今度は重さのある攻撃も体験してみようか」
「もうちょっと木刀で慣らしたいんですけど」
「大丈夫! 君ならできるって!」
そう煽てられ、ゴブリンの前に躍り出る。
僕と目が合って、手にしたロングソードを高く掲げた。
「うおっ!!」
重みのある一撃を受け止める。左手が痺れるぐらい痛い。
「まだまだ来るよ!」
ガキンッ、ガキンッと受け止める。
一撃でも当たってしまえば、終わり。その恐怖心が、余談の許さない状況を作り上げていた。
「キシャ!」
不細工な声を上げ、鉄の棒を振り回しているみたいに、両手で持って真上から叩き潰してくる。
一番重い衝撃が、頭のてっぺんから足の爪先まで通り抜けた。
「こいつ……力強っ!!」
それだけ言うのが精一杯だ。僕だって、まだロングソードは上手に扱えないのに!
「ぐっ!」
ガラ空きの腹を蹴られ、後ろに後退る。
その隙をつかれ、ショートソードを持っている方の腕の下から、脇腹に一撃を通されそうになる。
が、ショートソードを捨て、咄嗟にそのロングソードを持っている腕を掴んだ。
そして、ゴブリンを押し倒し、盾を使って体重をかける。
それだけでも首の骨は折れ、ゴブリンは絶命した。
「やるじゃん!」
クナイのような物を手にした教官が走って近づいてくる。一撃を受け止めなかったら、あれをゴブリンの手の甲に投げ刺すつもりだったんだ。抜け目がない。
「伊達に何回も倒してませんよ」
「でも、あの機転は中々できないよ! センスある!」
興奮気味に詰め寄ってくる。顔が良いだけに思わず一歩、引いてしまった。
「これで盾とショートソードの扱いはバッチリだね。じゃあ次は一つ、ステップアップしようかな」