前兆
「ご、ごめんなさい! ほら、ハル君も!」
「……すいませんでした」
「いや、良いよ。こっちも悪いところあったから」
そうか、と僕は目の前で謝る二人を前にして一人納得していた。
どこかで見たことある顔だと思ったけど、フロンティアで僕たちと一緒に免許を取っていたあの二人組。
前に中学生くらいだとは思っていたけど、うちの高校に入学していたのか。
「あの、顔になんか付いてますか」
「ああ、いやごめん。なんでもないよ」
二人は僕のことに気づいてないらしい。当たり前か。
「ほら、行くぞ。チナ」
「でもまだお礼が」
「良いから良いから」
去っていく二人を、笑顔で見送る。そんな僕の袖を引っ張る何か。
「あの女性の方、結構やり手ですね」
「いきなり出てきて、いきなりだね」
やっぱり勝手に出て来れるんだ。
「安心してください。下手人の方はモミジさんが向かってます」
「安心……安心ってなんだろうね」
というか下手人って。下手人って。
「それよりどうしたの? 急に現れてさ」
「いえ、その………」
言葉を濁すアッシュちゃんの視線の先には、コンビニが……。
「ああ……そうだね。スイーツ、買って帰ろっか」
「……!! 良いんですか?」
遠慮している様子だけど、口から涎が垂れている。こういう子どもらしいところが、可愛いかったりする。
◇◇◇
「大丈夫、杏香ちゃん。入院してたって聞いたけど」
「ああ、うん。恥ずかしい話だけどね」
あのときのことを思い出そうとすると、未だに頭に痛みが走る。まるで、自分自身あの日の記憶を封印しているみたいに。
実際、なぜこうして生きているのかも謎だったりしている。
私の最後の記憶では、私の心臓は剣に貫かれていた。なのに、今もこうして動いている臓器はいったい何なのか。
「どしたの? 杏香ちゃん」
「ううん。なんでもない」
そのとき、携帯に着信があった。
その発信先を見ると、私は思いっきり顔を顰める。
「誰から?」
「ん」
「あー、夏目さんか……。杏香ちゃん、苦手だもんね」
苦手、なんて可愛いものじゃ無い。もはや、憎んでいるから。
でもあの人の頼みを断るわけにもいかない。それが私にできる譲歩で、彼女の願いでもあるから。
それを理解している節があるから、私は嫌い。
「で、やっぱり行くんだ」
「そりゃね。瞳にも久しぶりに会いたいし」
本当は行きたく無いけど、という言葉は心の中にしまっておく。
私があいつを嫌っている以上に、あいつは私に苦手意識を持っている。だというのに、わざわざ連絡を寄越して応援を求めた。
東京で何が起きているのか、考えるだけで気が重くなった。
◇◇◇
「『ビスケット』か」
「なんでも、食べるだけで超常的な力を得れるらしいわよ。抗うつだとか集中力アップだとか、そういう効果もちゃんとおさえてるから、シーカーだけでなく中高生の間でも人気だとか」
「人気、人気ねー……」
そう言いながら、サンプルとして渡した『ビスケット』をマジマジと手に取り見つめる長官。
「……美味しいから人気があるわけじゃないわよ」
「冗談じゃない、冗談」
と、言ったそばから長官様のお腹が大きな音を立てた。随分と説得力にかける言葉だった。
が、当の本人は私の疑惑の目線も気にすることなく話を続ける。
「販売元は特定してるの?」
「一応ね。大元は、大貫組の奴らよ」
「大貫組? アンタのイロが壊滅させたところじゃなかった?」
「べ、別にイロってわけじゃ……」
と、小さく否定しようとしたところで、長官様から呆れの入ったため息が聞こえてきた。
(話を振ったのは、アンタじゃない!!)
そういう思いを込めて強く睨む。
「……そうよ、組織は前にアイツが壊滅させた。今せっせと頑張っているのは、多分その組織の残り滓ね」
「残り滓……にしては、過ぎたオモチャね」
長官様は暗にバックに何かいるのでは、と問いかけてくる。
『ビスケット』の製造から販売。
ビスケットの材料の主成分であるそれは、日本国内のダンジョンから採れるためコストはあまりかからない。リスクもかなり抑えられる。
が、東京を含む周りの都市からそれを採れるダンジョンは発見されていない。
最低でも、それを入手するためには何県か跨ぐ必要がある。それでいて、結構の量の『ビスケット』を売り捌いているのだから、しっかりしたルートを幾つか持っているに違いない。
それこそ、北海道から沖縄まで、日本全国の。
だとすれば、何かが手を貸していると考えるのが妥当だ。
「買い与えてるヤツらは、私の方でも調べてるわ」
「そ。なにかわかったら、また教えてね」
興味が無さそうに局長は言う。事実、興味は無いに違いないけど。
机に広げられたピザの広告を見たら、それは明らかだった。
◇◇◇
「色々と、嗅ぎ回られているらしいな」
「ええ。既に輸送ルートのいくつかが被害を受けています」
「毒蛇どもが、調子に乗りやがって」
とある事務所の一室。
筋肉質で強面な大男と、眼鏡をかけた怜悧そうな男が二人、互いに顔を突き合わせている。
人に聞かれたらマズイ、センシティブな会話だと言うのに、防音設備すら碌に整ってない場所で交わされていることを考えると、彼らの財政状況はあまり芳しくはないのだろう。
それでも、彼らの胸につけられている高価そうな銀のバッジは、過去の栄光とでも言うべき代物だった。
「運び屋の質が、低いのも問題ですね」
「それは奴らの責任だろ。上がりの半分も持って行ってるんだ。俺らには、どうしようもねーよ」
「……それで、納得はしないでしょうね」
ドンッ!! と、机を力一杯に叩く音が、部屋中に響き渡る。
それぐらいしか、怒りを発散させる方法が無い。無鉄砲な彼と言えど、彼らに楯突くほど命が惜しくないわけではなかった。
「クソが! いい気になりやがって!!」
「それも仕方がないかもしれませんね。傘下になっているという噂ですし」
「……所詮、噂だ。ただのチンピラを使うほど、向こうが人材難に陥ってるわけがねえ」
自分に言い聞かせるようにそう言うも、そのチンピラを裏切ろうという思考には至れない。
万が一で、自分たちの命が綿毛みたいに吹き飛んでいく。
裏切れるはずが無かった。
「昔は、良かったですね」
怜悧そうな男が、過去の栄光を噛み締めるように言う。黙ってはいたが、大男の方もそれを裏付けるかのように頷いた。
ビスケットが一枚、床へと落ちる。
男は何も言わず、それを踏み潰した。
◇◇◇
「おわっ!?」
「……どうしたの?」
「いや、『ビスケット』に混ぜてた盗聴器が壊されたからさ。もしかして、バレちゃったとか?」
「…………偶然」
「いや、まあ、そう考えるのが妥当か」
「そんなことよりさっき」
「ああ、電話? 妹からだよ。久しぶりに声聞きたいって」
「いたの?」
「ああ、うん。今は関西の方に住んでる」
「写真とか……見たい。気になる」
「ほら。可愛いでしょ」
「……………義妹?」
「まさか。血は繋がってるよ」
「……………近い」
「そうかな? 普通だと思ってたけど。それに距離感で言うなら、今のこの状態の方が近くない?」
「それはそれ」
◇◇◇
「どうした主人よ。ニヤついているぞ」
「いや、なんでも無い」
家に帰ったら、美幼女がいて主人と呼んでくれる。こんな漫画みたいな展開、ニヤつかないって方がおかしいだろ。
振り返れば、今までの人生クソみたいなものだった。
親ガチャの失敗から始まり、小、中、高とクソみたいな教師にクソみたいなクラスメイトと、関わる奴ら全員クソで。
差別が好きな無能と、レッテル貼りが好きな無能どものせいで、俺の価値は虐げられ貶められてきた。
本当の実力はこんなものじゃ無い。まだ本気になってないだけ。
だと言うのに、見てくれとか言う何の価値もない要素一つで、あのクソどもは俺を下と軽んじ、馬鹿にしてきた。
クズが! クズが!
俺の容姿を馬鹿にしてきたヤツらは全員クズだが、俺をこんな見た目に産んだ親もクズだ。
そして、実力ではなく容姿を重要視するこの社会もクソだ。
が、そんなクソみたいな毎日も、今のこの状況のためにあると思ったら、感謝の念すら湧いてくる。
「……主人よ。やはりこの服は色々と薄いと思うのだが」
「どこが? 似合ってるよ」
「そ、そうか?」
今だって、嫌々ながらも俺が買ってきた服を着て、恥ずかしがる美幼女を拝めることができた。
今すぐにでも、誰かに自慢してやりたい。
それに、この幼女はただ可愛いだけじゃ無い。
「お、本当に来たよ」
玄関のチャイムが鳴ったので、窓から外の方を見てみると、白浜が玄関の前に立っていた。
髪の毛を弄りながら、頬を紅潮させどこか緊張している様子の彼女は誰かを待っているみたいで。
その誰かとは、当然俺のことを指しているんだが。
「お、お待たせ」
「あ、三橋君。一緒に学校行こ!」
俺に対して、嬉しそうにそう話しかけてくる白浜。一年前までは、絶対に考えられない光景だった。
それもこれも、全てエレクシアのおかげだったりする。
エレクシアが白浜に対して、何か一言二言、話しかけたらこんな風な態度を取るようになった。
他にも、色んなヤツと『お話し』したおかげで、今ではクラスで俺を虐めるようなヤツはいなくなった。
むしろ、今までの俺に対しての行動に、泣いて謝ってくるようなヤツばかり。
ま、大抵は許していないが、白浜みたいな一部は許してやった。
「どうしたの、三橋君? 嬉しそうな顔をして」
「いや、なんでも無い」
何もおかしいところはない。
むしろ、今までがおかしかった。これが普通。
これが、正しい世界なんだ。




