糸を引く
「……どういうことですか、父上。なぜ、私に兵を使う許可を認めてくださらないんですか」
男は自分の息子の悲痛な訴えに、耳を傾けようともしない。
「九葉様。葛様は食事中ですので」
「お前らは黙ってろ!!」
分を弁えず、忠告をしてきたゴミを怒鳴りつける。
自ら温厚だと自負していたはずの、彼の姿はどこにもない。耐えられない怒りから、子どものように癇癪を起こしていた。
「なぜ、『麗姫』の元へと兵を出す許可をくださらないんですか!? 私の付けられたこの傷を見て、父上はどうも思わないんですか!!」
そう言って、全身についた無数の切り傷を見せつける。
あの『麗姫』を追い詰めたときに付けられたその傷は、時間が経った今でも色濃く痕として残っており、見るも痛ましい姿となっている。
この傷のせいで、彼が外出することもめっきりと減った。
「……お前が、間抜けだっただけだ」
「………な!?」
その顔が驚愕の色に染まる。
父親が口にした言葉が、自分を否定するものだったからだ。
「お前自身、出向くことは無かった。違うか?」
「わ、私が悪いとでも言うんですか!!」
「そうだ」
キッ、と実の父親のことを睨みつける。ハッキリと自分に非があると言われたのも、初めての経験だった。
「……それに、『麗姫』はその傷と直接的な関係はない。お前がやろうとしている行為は、ただの八つ当たりだ」
「いえ、違います!! あれは、間違いなく『麗姫』の差金で」
「くどい」
ピシャッと切って捨てると、『あの動画を見せろ』と背後に控えていた男に言った。
「な、なんだこれは」
「あのときの、一部始終の動画です。現在は削除済みですが、この動画が動画投稿サイトに投稿されていました」
「な、な、」
その者の言う通りその隠し撮りされていた動画には、自分がザ・悪役な言葉を使って『麗姫』を脅しにかけているところから、その後無様に風で吹き飛ばされるところまで、バッチリと映っていた。
顔を真っ赤にして、反射的にその媒体を弾き飛ばす。
そこで初めて、自分がデジタルタトゥーを刻まれていたことを理解した。
「このような物、私は知らなかったぞ!!!」
控えていた者たちに、そう怒鳴りつける。
誰も伝えなかったのは当然のことだった。
この動画を直接九葉自身に見せるという行為は、間違いなく九葉の不興を買う。
「この動画を撮ったものに、即刻制裁を」
「ならんな、それをしてどうなる。ただお前の鬱憤を晴らすためだけに、我が連家が疑われるような行為を許すはずがない」
淡々と葛は言う。
そう言われて、九葉が取れる手段など一つとして無かった。父親の命令で兵も出さなければ、圧力をかけることも不可能。
ただその傷が癒えるまで、大人しく閉じこもっておくことしかできなかった。
「未だ、下手人の足取りも掴めん。我が家の面目は丸潰れだ、お前の浅慮な行動のせいでな」
ネチネチと、自分の非を突きつけてくる。
それは九葉にとっても堪らない苦痛であり、今すぐにでもストレスを解消しようとその場を立ち去ろうとする。
「……栞菜のもとに行くのは許さんぞ」
が、自分の行動が先読みされたかのように釘を刺される。
「ど、どうしてですか!!」
初めての経験に、九葉は焦った。
自分が妹を虐める行為を咎められるのも初めであれば、父が自分の娘の名前を呼ぶのも初めてのことだった。
「顔に傷でもついたらどうする」
九葉は口をパクパクとさせる。
その自分の娘を心配するような父親の発言は、自分が見限られているということを指し示していた。
九葉は逃げるように、その場を去る。その目からは大粒の涙が、溢れていた。
◇◇◇
「姉御! ガキが泣き止みませんぜ!?」
「あんたの顔が怖いからだよ」
「もう無理です姉御! 捨てに行きましょう」
「馬鹿言うなよ。もう少しの辛抱だ、我慢しな」
その姉御と呼ばれた女はタバコをふかしながら、社員たちが寝付きの悪い少女たち相手に悪戦苦闘している姿を眺めていた。
このビルは無駄に広く、スペースが有り余っていたのでそのスペースを子どもたちの就寝場所として有効利用している。
こんな生活も、もう1ヶ月は続いていた。
「もうすぐって、それはいつになったら来るんですかい!?」
「さぁね。私にもさっぱりだよ」
そこに眠らされている少女の数は、日に日に減ってきてはいた。
ツテやコネを使って、少女を引き取って貰っている。事実、残っている少女の数は最初に比べて4分の1程度に減っている。
結構な手腕だった。
「で、小太郎。そのガキたちはどうするつもりだい?」
「すいません、姐さん。離れろとは言ってるんですが」
困ったような顔を浮かべる腹心の部下の足元には、2人の少女が両方の足に引っ付いている。
残念なことに、この野蛮人に懐いてしまったらしい。2人揃って男を見る目は皆無だった。
「……あんたら、この男といると苦労するよ」
「いえ、大丈夫です。私が小太郎さんの面倒を見ますから」
「私もー!」
姉妹であるらしい2人は男の好みまで似通っているらしく、どちらも最後まで小太郎と添い遂げる気満々だった。
「はー……諦めな、小太郎」
「何がですか?」
「そいつらは覚悟が決まってる。何言っても、無駄だよ」
「いやいやいや。歳の差考えてくださいよ」
このアホは何もわかっていない。
覚悟を決めた女にとって、そんな障害無いに等しい。例え、子どものような見た目であっても女であることに変わりは無いんだ。
「……あんたら。浮気とかされたら、きちんとその相手まで後悔するような目に遭わせるんだからね」
「うん!」
「わかってます」
添い遂げる女性の心得を説くと、元気の良い返事が返ってくる。
2人とも、このバカよりよっぽどしっかりしている。
「2人とも、そいつを連れて行きな。たっぷりと、あんたらの覚悟を教えてやるんだよ」
「え? え?」
私に見放された小太郎が、周りに助けを求めるように視線を送る。も、当然それに応えるようなヤツはいない。
結局どうすることもできず、自分より幼い少女2人に引き摺られていく。
「これで、悩みの種が一つ減りましたね」
「……まあね。ただ、1番の悩みの種はまだ残ってるが」
そう言って、あいつに引き取らせたあの眠そうな目をしていた少女のことへと、思いを巡らした。
◇◇◇
「㬢さん。㬢さん?」
「……ん? 何よ」
「いえ、ぼーっとしてらっしゃったので」
「そんなわけないじゃない」
嘘だった。
自分でも自覚している、今日の自分は身が入ってないと。
「はー……」
「何か悩み事ですか?」
思わず出てしまったため息に、何事かと問いかけられる。
誤魔化すのは簡単だけど、他人の意見も聞いておきたかった。
「……例えばの話よ。自分の好きな人に、子供がいたら……あなたは、どうする?」
「は? こ、子ども?」
予想外の質問だったのか、目に見えて戸惑う。私自身、こんなことを誰かに相談するとは思わなかった。
ただ、誰かにこの不安を打ち明けなければ、私の胸の内は張り裂けそうなほどに痛みを増す。
こんな、乙女のような思いを抱くのは人生で初めての経験だった。
「子どもって……ーーさんって、ご結婚されてたんですか?」
「な、なんであいつの名前が今出てくんのよ!?」
珍しく慌てふためいている私に、可哀想な者を見るような目で見てくる。そんな目を向けられるのも初めてだった。
「バレバレですよ、㬢さん」
「もう良いわ。この話はお終いにしましょう」
顔を赤くしながら、話を無理やりに打ち切る。こんな話をしている場合じゃない。
「で? ラグナロクの動向に、気になるものって?」
「はい。確かな情報ではありませんが」
そう一言断ると、用意していた資料を見せてくる。
さっきまでの様子と凄い変わり身。彼女が優秀な人材だというのをハッキリと窺い知れる。
「どうやら、各地で人を募っているようですね。うちに何件か、怪しい男に声をかけられたという通報がありました」
「ふーん……その声をかけてるのが、ラグナロクの誰かって?」
「はい。提供された情報の中に、ラグナロクの一員を示す特徴と酷似しているものがありました」
思わず顔を顰めてしまう。
犯罪組織の中でも、格別に厄介な存在。それが私たちが彼らに持つ、共通認識だった。
「で、声をかけられた人に共通点とかあるの?」
「性別や年齢には特に。唯一共通しているのは、シーカーであることぐらいですかね。それも、前科持ちの」
意外な共通点だった。
「詳しくは追って調べます」
「そうね。何かわかったら、すぐに伝えて」
そう言うと、彼女は目の前から去っていく。
私は受け取った資料に再び目を通すと、新たに生まれた頭痛の種に頭を悩ませるのだった。
◇◇◇
「で、健治。アンタが進めてた計画はどうなってんの?」
「うん? 順調だよ、順調」
その男の軽い調子に、私は呆れた目を向ける。
「アンタの言う言葉は当てになんないのよ」
「はっはっは。まるで僕の上司みたいなことを言うね」
「事実、上司なのよ。新人」
立場をハッキリとわからせてやると、『酷いなー』と言って、ショックを受けたような表情をする。
どうせそれも、嘘なんだろうけど。
「わかってるでしょうね。ラグナロクに失敗は許されないのよ」
「わかってるよ。君なんかよりもよっぽどね」
一々癪に触る言い方をする。
確かに前科がある分、私よりもわかってるだろうけど、それは上司に向かってする態度じゃなかった。
「前、失敗したこと。忘れてないでしょうね」
「大丈夫だって、今回はちゃんと選んだから」
あっけらかんとそう言い切る、健治。
それもまた嘘だった。前回の計画、こいつはもとより遂行する気なんて、更々無かった。
でなければ、こいつが失敗するなんてあり得ない。
「随分と自信満々ね。それじゃ勿論、『麗姫』への対策もちゃんと考えてるんでしょうね?」
「『麗姫』? 何それ?」
そんなヤツに興味は無いとばかりの演技を披露する。
演技には見えないほど自然だったけど、演技に違いなかった。
知らないはずがない。
なにせラグナロクのリストの中でも、数少ない特Aランクを付けられている人物なんだから。
「僕が興味あるのは、釘抜君だけだよ」
「誰よそれ」
そう尋ねるも、『秘密だよ』と言って取り合ってくれない。
その顔は、恋する乙女のように熱に浮かされていた。




