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うん、と返事を返すと、安心したような笑顔を浮かべて栞菜ちゃんは意識を失った。
猛るボロボロの3人をなんとか落ち着かせて、気絶している栞菜ちゃんの容態を確認する。
まだ、呼吸はしている。
も、次第に弱くなっており、安心なんかできるはずもなく。命の灯火は、目に見えて減っていってた。
命の瀬戸際だった。
後、十数分の間に適切な処置をしなければ間違いなく死ぬ。そう確信できるほどに、その身体は弱り、体温は失われている。
かと言って、応急セットなんて持っているはずもなく。
今の疲れ切ったモミジちゃんたちに、時間内に取ってきてと頼むのも不可能で、僕が行ったところで確実に間に合わない。
怪我をしている栞菜ちゃんを軽率に動かすこともできず、救急セットを今から取りに戻るのも無理。
端的に言うと詰んでいた。
このまま、衰弱し続ける姿を見届ける他はない。
「………それ、なんて拷問?」
レインちゃんも一応は使えるという治癒魔法も、今の魔力が切れた状態では使えないし、使えたとしてもあまり期待できないと言ってくる。
その言葉には嘘が無かった。何より僕が、そう命令をしたから。
「栞菜ちゃん……栞菜ちゃん……」
どうすることもできない理不尽さから、涙をしているとハンカチを手渡してくる。
僕は感情のままに、それを振り払った。
今のこの状況で、そんなことをする神経が許せなかった。
「あら……ごめんなさい」
初めて聞く、透き通るような声。
その声からは森の静けさや、清潔さを感じさせた。
「良かれと思ってやったのだけれど……迷惑だったかしら」
「だ、誰?」
「あら? 私は誰かしら?」
その返答でわかった。
鬱蒼と茂る木々のように、ウェーブした緑の髪。トロンと垂れた目に、おっとりとした喋り方は安心感を与えてくれて。
3人と比べて、比較的高い身長とふくよかな身体つきは、もはや少女と呼べるものじゃなかったけど、間違いない。
3人が、4人に増えた。
久しぶりのことなので戸惑う。
いつもと同じく、何が原因かはわからなかったけど、何か条件を達成したみたいで、新たな子を獲得することができた。
ただ、嬉しいとかいう感情は微塵も湧かなかった。
むしろーー、
「ねえねえねぇ? 私の名前は?」
大人びた雰囲気と違って、子供っぽい仕草。今はそれが、たまらなく鬱陶しかった。
思わず、『後にしてくれよ』と、ぶっきらぼうに言ってしまう。
今は、少しでもできることをしなくちゃ
「あら? その子を助けたいの?」
「今は僕に構わないでよ!!」
苛つきから、かけられる声に怒声で返してしまう。
自分でも最低だと思う。けど、どうしようもなかった。ただの八つ当たりとは言え、明るく話すその彼女がどうしても気に入らなかった。
少しは、僕の気持ちも汲んでほしいと願うけど、僕に叱られたのを構うことなく彼女は話しかけてくる。
「良いわよ。ホルダーちゃんの頼みだもんね」
「良い加減に……良い……良いって?」
その言葉の真意を問いただそうとする僕を無視して、彼女は栞菜ちゃんに手をかざす。
「『主よ。汝に幸福を』ってね」
簡単そうに呟くと、彼女の手から現れた光の粒が栞菜ちゃんの身体を優しく包み込む。
その傷は塞がり、呼吸も安定して、顔色も良くなる。
まるで巻き戻したみたいに、栞菜ちゃんの身体は快復していく。
たった、10秒間の出来事だった。
「な! い、今、何を?」
その僕の焦りからの問いに、優雅な笑みを浮かべて答える。
「私が示すのは、タロットの3番目。『女帝』のカード。あなたが望むのなら、なんだって叶えるわ」
僕を胸に抱きしめて、諭すように言う。
春の日差しのような、暖かさを感じた。
◇◇◇
「異能力の発現ですか?」
「ええ。そうみたいですね」
僕と顔を合わせるのが申し訳ないと言ったらしく、目覚めた栞菜ちゃんの代わりに、あの女性のSPさんがことの顛末を教えてくれた。
異能の発現。俄かには、信じがたいがたい話だった。
勿論、異能自体の発現は誰にだってできる。僕にだって、できたぐらいなんだから。
ただ、栞菜ちゃんは僕と同じく条件を満たしていない。
魔石の取得を。
一応、僕たちの前で魔石を使っているのは見ている。ただ、あんな低階層に現れる、弱い魔物の魔石で……となると、話は違う。
そんな雑魚魔石で、異能が発現したなんて報告例は、未だかつて皆無だったはずだ。
僕たちの見てない間に……とか、そういうわけでもないらしいし。
そもそも、その異能自体も大分特殊だ。
栞菜ちゃんの話を信じるなら、ダンジョンを作り変える能力らしい。現れる魔物やトラップどころか、その気になればダンジョンの構造そのもの。
果てには、普通のダンジョンを超常型ダンジョンにまで、変化させることができるという。
ま、当然今の段階では無理らしいけど。
これもまた信じられない話だけど、こちらの話はモミジちゃんたちの報告。そして、僕の囚われていた状況を考えると、信じないわけにもいかなかった。
正しく、異質の能力。使い方によっては、規模も範囲も、何よりも最強な能力に思えてしまう。
これはSPさんたちも同感のようで、栞菜ちゃんの能力については僕たちの間で緘口令が敷かれた。当然だね。
「あなたには……本当に感謝してるんですよ」
唐突に、本当に唐突に声を震わせながら、感謝の意を述べてくる。
「お嬢様が……あの子が、あんな風な笑顔を見せたり、こんな風な感情的な行動を取ったり……全部が全部、以前では考えられませんでした」
「ずっと、見てきたんですね」
「はい、幼い頃からずっと。ですからあの子の、虐げられてきた過去や排斥され続けた過去も、全部見てきました」
懺悔するように、彼女は言う。それは、後悔だった。
「……あの子の、お母さんについて聞かせてもらえませんか?」
「……はい」
ずっと気になってたことを聞いてみる。
今までの栞菜ちゃんを見てきたと言うのなら、きっと知っているだろうと思ったからだ。
SPさんは迷いながらも、ポツリポツリと話し出した。
「あの子の母、連 桔梗はとても優しい方でした。いつも誰にでも誠実で優しくて、私たちのような女中にも分け隔てなく接してくださり、常に笑顔を絶やさなかった人でした」
「でしたってことは……」
「はい。お察しの通り、あの子が生まれて5年ほど経った頃、お亡くなりになってしまいました」
……別段、驚きはしなかった。
栞菜ちゃんの受けてきた境遇を考えれば、自然と読めてしまう。悲しいことに。
「ストレスによる自殺……ということになってますね」
「なっている?」
「……殺されたんです。当主である、葛様に」
唇を噛み締めながら、SPさんは言う。
その態度からこの人も、その葛って人を恨んでいるんだと窺い知れた。栞菜ちゃんのことを思えば、当然の反応でもある。
「理由は、なんだったんですか?」
「端的に言えば、不貞の疑いです。そんなこと、あろうはずもございませんのに……!!」
感情的なその発言に、今栞菜ちゃんが虐げられているという理由もなんとなくだけど、わかってしまった。
でも、それってーー、
「はい、思い描いている通りです。お家では今、栞菜様は別の男の子として、扱われています。一応形式的に、連の苗字を賜ってはいますが誰一人、本人も含めて、あの子を連の家の人間として扱っているものはおりません」
言いながらも、SPさんは涙ぐむ。
「今回、栞菜様が別荘へと来ているのも、半強制的に家から追い出されたからです。私兵やお金さえも栞菜様のためには割かず、自分の側室が産んだ子に割いている始末。もはや、どちらが正当な血を引く娘か、わからないほどです」
「そんなの……許されるんですか?」
「今の、貴族社会では許されます。むしろ、葛様に憐憫の目を向けられる方もいらっしゃるほどですから」
あの、気高い少女の過去は思った以上に過酷で、想像につかしがたいものだった。
きっとあの子は、ずっと人の温もりを求めていたんだ。だから、僕なんかに傾倒してしまったんだろう。
「その、不貞の疑いって、原因はなんだったんですか?」
「……私も詳しくは知りません。いつの間にか邸宅内でそういう噂が流れるようになり、それを葛様は信じてしまいました」
愚かしいことに、と続ける。
不敬だとか、なんとか考えてはいない。ただSPさんは感情のままに罵っていた。それだけ、桔梗様とその娘の栞菜ちゃんへの愛が深いということなんだろう。
「今では、栞菜様の側に仕えているのは、私どものような桔梗様を慕っていたはみ出しものばかり。そんな私たちにも、栞菜様は一度として心を開いてくださったことはありませんでした。ですから、ですから……」
遂に、涙は決壊する。
僕の目も憚らず、彼女は泣いた。
今までの不甲斐なさを嘆くように。彼女の受けた始末に心を痛めるように。そして、僕へと感謝の念を込めるように。
ただその、流れる涙を見守ることしかできなかった。
◇◇◇
「すみません。まともなお見送りもできず」
別れの朝、結局船着場に居たのはあのSPさん一人だけだった。
後の全員は、見送りにはいかないと意地を張ったは良いものの今になって泣き出してしまった栞菜ちゃんを、宥めているという。
「最後まで傍迷惑なお嬢様だな」
東雲君のいつもの軽口に、厳しい目を向ける。
SPさんも黙っていないと、そちらに視線を戻すと。
「全くでございますね」
そう言いながら笑う、SPさんの姿があった。
「お名前、聞いても良いですか?」
「はい。神田 奈々と申します」
名残惜しくなって、名前を聞くと最後に答えてくれる。
ちゃんと、覚えておこう。
「あ、後。栞菜ちゃんに伝えといてもらいます?」
「はい? なんでしょうか」
「ーーーーーー、」
「……承りました。きちんと伝えておきます」
耳元で、伝言を伝えると親指を立てられる。
こういう、お茶目なところもあるんだな。
「おい。何を伝えたんだよ」
「秘密」
2人でそう会話しながら、帰りの船に乗り込む。
「それではまた、お元気で」
「はい、また」
「あのガキンチョにも宜しくな」
船は動き出す。
岸を離れて、ゆっくりゆっくりと島から遠ざかって行く。
そのとき、遠くから走ってくる少女の声が聞こえた。
涙でぐちゃぐちゃの顔になりながらも、懸命に走る姿は、最初会った時には考えられないもので。
「またねーーー!!!!!」
その叫びに、僕たちは手を振って返したのだった。




