誘拐、再び!?
それから順調に日々は過ぎていく。
ダンジョンに潜ったりとか、海で泳いだりとか、テレビゲームなんかもしたりした。
それが仕事だというのも忘れるくらいに充実した毎日だった。
「ま、それは昨日までのことだけど」
「あー、くそ。課題なんて持ってこなきゃよかった」
「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさとやるわよ」
旅行先とかで、ついでに課題を持って行ってやれるときやろうと考えていたら、結局一度も手をつけなかったとかいう黄金パターンを歩んでいると、目敏く栞菜ちゃんに課題を見つかってしまった。
栞菜ちゃん自身、課題についてSPさんたちから口煩く言われていたらしく、どうせやるなら道連れは一人でも多い方が良いと考えたらしい。
浅はかな考えだ、全く。
勿論、あの子たちに手伝わせればこんなに頭を悩ませないでも良いんだけど、流石にそれは人として終わっている気がする。
彼女たちの存在意義が、僕を手助けするためだとしてもだ。
「もー、なんでこんなに量が多いのよ。最近の小学生を過信しすぎなんじゃない?」
子どもらしく、ぶつくさ文句を言いながらも夏休みの課題を進める栞菜ちゃん。
去年までより遥かに進歩していると、女性のSPさんは言ってた。
一応小学校には通わせてもらっているとは言え、境遇が境遇なだけに、あまり真面目に通ってはいなかったらしい。それを叱る親もおらず、悪循環は形成されていたとか。
課題なんかも、今まで一度も手さえつけたことがないとも。
そんな子が、文句を言いながらではあるけど課題に向き合っている。それで、涙を流さない理由はなかった。
課題を進めている最中に寝落ちしている東雲君の顔に、落書きをしようと敢行する栞菜ちゃん。
その顔は何よりも無邪気で、純粋に今の時間を楽しんでいた。
確かに以前よりは遥かによくなってる、と浅い仲ながら思った。
そんな中でも、時間は無常にも過ぎていく。
バイト期間は、残り5日を過ぎていた。
◇◇◇
(喉、渇いたな……)
私は一人、部屋を出て階段を降りる。
どれも一人では、する気力さえ湧いてこなかったことだ。しょうもないところで、私の成長を感じてしまう。
(……明日は、何しようかな)
思わず、頬がにやけてしまう。
人生史上、一番楽しい夏休みで、こんな日がずっと続けば良いなんて子どもながらに思っていた。
心に入った翳りを見ないふりして。
「ーー、しなくちゃ」
「ーー、で、ーー、だからよ」
リビングから2人の会話が聞こえてくる。
丁度良い、明日行くダンジョンの打ち合わせをしようと、リビングに入ろうとする足が止まってしまう。
縫われたように、その場から動くことができなかった。
「明日で終わりだろ? この生活も」
「うん。ちょっと名残惜しいけどね」
「スマホが使えなかったとは言え、そんな退屈しなかったよな」
私はその場に尻餅をつく。
口をパクパクと動かし、呼吸することもままならなかった。
這いながら、逃げるようにその場から離れる。
これは悪い夢だと、よろけながら立ち上がり自室へ逃げ込もうと階段の手すりへと手をかける。
そこで、気づいてしまった。
彼らを帰さないようにすれば良いだけ、ということに。
その最悪な発想を実行させるため、少女はただ力を使った。
◇◇◇
「釘抜が……いなくなった」
慌てて部屋から飛び出ると、これまた焦ったように向こうから彼女が走ってきたので、その最悪な事態を告げる。
すると、その顔色を一層悪化させた彼女は、『栞菜様も、消えてしまわれました』と、考えうる限り最悪な事態が起きていることを教えてくれた。
「私が……目を離したばっかりに!!」
失意のどん底に落ちた彼女は、その目をドロっと濁らせて、後悔するように過ちを告げる。
お嬢様が成長したことにより起きた、不幸なすれ違いだった。
「他の奴らはどうしてる?」
「既に伝えて、全員捜索に出ておられます」
わかったと頷くと、俺もその人たちに倣って部屋から飛び出る。
今のこの状況で一番あり得る可能性としては、あのお嬢様が釘抜を誘拐したということだろう。
一番考えたくないことだけど、無視できるほどに薄い線では決して無かった。
「なんでだよ……チクショウッ!!」
どこにもぶつけようのない怒りを、小さく吐き出す。
事態は、一刻を争っていた。
◇◇◇
「このダンジョンですね。誘拐犯と思しき少女の思考を推察すれば、ここが一番可能性が高いと思います」
「うん、私もそう思うよ。匂いだってするし」
「それに、魔力の力場も不安定です」
三者三様の方法で、主人が連れ去られたであろうダンジョンを探し出す。
少女たちが主人のベッドで目覚めて、自分たちの主人がいなくなっていることに気づいた30分後のことだった。
寝ている間に連れ去られた。少女たちにとって、これほど屈辱的なことは他にはないだろう。
基本的に、タロット化している彼女たちには睡眠も食事も必要としない。そのため、昨日の夜もタロットの状態でさえいれば、このような事態は避けれていたはずだった。
ただ、不幸なことに昨日は主人のベッドで寝てしまっていた。
ここ最近ベッドで眠れていなかったことへのストレスや、今日でこの眠れない生活も終わるという開放感。そして何より、一緒のベッドで眠っていれば、安全だという油断。
原因を上げたらキリはない。だから彼女たちはそんな非建設的な思考をしない。
3人して、これからのことを考えていた。
「行くよ」
赤い髪の声に従うように、2人は少女に続いてダンジョンに入る。
躊躇いやひよりなんて、一切存在していなかった。
「……オーガ?」
自分が今、首を落とした魔物のことを見て、首を傾げながら疑問の声を上げた赤髪の少女。
勿論普通のシーカーが簡単に倒せるような相手ではなく、こんなゴブリンやコボルト程度の魔物しか現れないダンジョンの、低階層にいて良い存在では無かった。
「多分、自然に発生したものじゃないと思います。生態系的に考えてあり得ませんし、誰かが意図的に連れ込んだ魔物かと」
青い髪の少女が他の2人にそう忠告する。
その言葉の真意は、このダンジョンが昨日までのまともなところではなくなってしまった、ということだった。
しかし、そんな情報で怯むようなこともなく。
青い髪の少女を含めた3人とも、そんなくだらないことでこのダンジョンから引き上げる気なんて、到底無かった。
むしろ、喜ばしいとすら思っていたことだろう。
この先に、ホルダーがいる可能性が更に高くなったのだから。
「……なんか、臭くない?」
赤い髪の少女は感じた異変を、2人に共有する。
最初はキョトンとしていた顔の2人も、臭いの発生源の方に近づくに連れ、その顔を歪ませ曲がった鼻を押さえていた。
勿論、2人よりも嗅覚に優れた赤い少女の様子は更に悲惨で、もはや近づくことすら躊躇っている様子だった。
「……オークの、焼死体ですね」
そんな2人が離れゆく中、灰色の少女だけはその臭いの元となる黒焦げの塊に、ハンカチで口元を覆いながら近づいて、冷静にそう分析する。
その検死結果に、2人は首を傾げていた。
「こんなダンジョンで焼死体って」
「ダンジョンで焚き火でもしてたんですか?」
少女は見当違いの考えに首を振ると、周りの床や壁をよく見るように促した。
「全体にわたって、焦げたような痕があります。それもおそろしく広範囲に。こんなことができる生物なんて、一つしか知りません」
「そ、それはあり得ないですよ!!」
怒ったように否定する。
正しくは、信じたくないだった。
なんせ、その戯言が正しかったなら、自分たちとホルダーがここから生きて帰れる確率が、結構低くなってしまう。
だから少女は、その言葉を否定する。
「……ねぇ? 何か聞こえてこない?」
しかし、赤い少女が伝えた情報は、そんな甘さを根底からぐちゃぐちゃにするもので。
「………………ドラゴン」
そう一言、呟くことしかできなかった。
◇◇◇
目覚めると、広い繭の中にいた。
意味がわからない。僕はベッドで眠っていたはずなのに。
「起きた?」
そう言われて振り向くと、素肌を晒した栞菜ちゃんがいた。
一瞬にして目を逸らす。
少女の身体に興奮したわけでは決してない。彼女のためを思ったからこそ、僕は目を逸らした。
そんな僕の思いを知ってか知らずか、少女は嬉しそうに笑う。
なぜだか、そんな栞菜ちゃんが少し怖く見えた。
「ここは?」
目を逸らした状態でそう尋ねる。
栞菜ちゃんならここを知っていると思った。というより、栞菜ちゃんが僕をこの意味不明な場所に連れてきたとも。
事実、その予感は当たっていたようで、栞菜ちゃんは何もわかっていない僕に丁寧に教えてくれた。
「ここはダンジョンの最下層。ボス部屋の中よ」
「どうしてそんなところに」
「ここが私の、ダンジョンだから」
意味不明なことを言う。
私のダンジョンとは比喩的な意味かと考えたけど、直接的な意味合いの場合の可能性も!考えていた。
だとすると、栞菜ちゃんがダンジョンボスになったと言うことになる。考えたくもないことだった。
「どうして僕をこんなところに?」
「過ごすためよ。ここで一生、2人でね」
率直な疑問を伝えると、簡潔な回答が返ってくる。
冗談でもなんでもなく、僕を一生ここに閉じ込める気みたい。
「あなたが悪いのよ? 帰るなんて言うから」
口を尖らせながらそう言うと、衣服を身に纏っていない状態で僕の方にしなだれかかってくる。
栞菜ちゃんの方を見ないようにしてる僕の、背後から首に手を回すと、耳に囁くように言ってきた。
「ね、良いでしょ? 2人で愉しいことをしながら過ごそ? ここに居れば、飢えも痛みも感じることはないし。私たち以外、この世界には必要ないよ」
その囁きから逃げるように、少女を突き放そうとするも、それを許してくれるはずもなく。
繭は栞菜ちゃんの意思に従って、小さくなっていき、強制的に僕の逃げ場を消していく。
そして遂に、密着するほどまで近くなってしまう。
「ここから出して」
「だーめ♡ ね、こっち向いて♡」
強い力ではない……けど、不思議と抵抗ができなかった。
まるで繭に、力を吸い取られているような。
抵抗できない僕の体勢を無理やり変え、栞菜ちゃんと向き合う形にすると、繭の中で僕に馬乗りの形になる。
「一生、離さないから♡」
目をハートマークにしながらそう言うと、僕の方へ顔を近づけてくる。逃れようとするも、僕たちを包んでいた繭の糸が四方八方からとんできて、僕たち2人をまとめて包む。
絶望しかけたその時、光は差した。
◇◇◇
(……嫌だ)
私たちを包んでいた繭は消え、その暖かさは感じれなくなる。
繭が消えたことにより、私の身体は酷い傷を負ってしまった。もはや目を開けることもできず、指の一本たりとも動かせない。
自らを伝う冷たさが、流れる血なんだとなんとか理解できた。
(……嫌だ)
痛みが私の身体を蝕む中、私の脳内はそれ以上の苦しみに支配されていた。
(離れたくない……嫌だ)
今までの幸せが崩壊していく音がする。
きっと私は、嫌われてしまった。自分が、人生で初めて好きになってしまった人に。
それを思うと、胸が張り裂けそうなほどに痛くなる。
自然と目から涙が溢れる。
そんな涙を優しく拭うと、私の思い人は壊れないように、優しく優しく抱きしめてくれた。
「………許して、くれるの……」
「ーー、」
もはや、声すら聞こえない。
ただ、その返答はなんとなくだけど、わかる気がした。
この人は、優しすぎるから。
二度と、目覚めないであろう意識を徐々に手放していく。
最後に……触れられていて良かっ……た……
そこで、私の意識は途切れた。




