コロッセオ!?
「おい。階段の前に、門番が立ってるぞ」
「ここからは、会員制だから」
ボロ布を見に纏うという、なんとも怪しげだけど周りには馴染んでいた格好で闇市を抜けた先に、下への階段があった。
いかつい二人組が通せんぼをしていて、そこを来る人来る人に、何かの提示を求めている。
遠目からではっきりとはわからないけど、恵南さんの言うことを信じるなら、会員カードみたいだ。
「どうすんだよ、ぶちのめすか?」
「……延壽。これをあいつらに見せてきて」
そう言われ、恵南さんから数字だけが書かれた黒塗りのカードを渡される。気のせいかもしれないけど、あの門番の人に提示していたカードと同じ物のように見えた。
「止まれ。カードを提示しろ」
階段へと近づいた僕に、高圧的な口調で会員カードの提示を求めてくる。勿論、そんなものは持っていない。
「あの……えーっと」
「チッ、早くそれをこっちに手渡せ」
どうすることもできず戸惑っている僕に、苛々した口調で詰め寄ってくると、恵南さんに渡されていたカードを奪い取ってくる。
これが会員カードで合ってたみたい。
「番号は、3025……3025番だと!?」
番号を読み上げると、顔色がみるみるうちに蒼白になっていく。
悪魔の数字かの如く、その番号を恐れていた。
「これは『麗姫』の番号……っ!! お前! この会員カードをどこで拾った! 速く答えろ!!」
そう叫ぶと、肩を掴んでぐわんぐんと揺らしてくる。
もう一人の方も油断なくこちらを見据えていて、既に臨戦体制をとっていた……うっ、吐きそう。
「7層で……7層で、拾いました」
ますます悪くなる顔色。それは僕も同じだった。
「ま、まさかもう既にここへ? お前は、すぐに下に行って応援を呼んで来い!! 速く!!」
「は、はい!! 兄貴はどうするんですか?」
「ヤツらと協力して、ここで『麗姫』を捕まえる!」
何が何だかさっぱりわからないまま、2人は門番の持ち場を離れて別々の方向に走って行ってしまった。
つまり、今階段はガラ空きになったってことで。
「いやー。すげー、馬鹿だな」
「ともかく今がチャンス。さっさと下に行こ」
「さっきから、というかずっと前から気になってたけどよ。お前ってここに来たことが……つか、会員なのか?」
「…………」
階段を降りている途中、東雲君が気になってたことを聞いてくれる。どうにも彼女は、色々と詳しいように思えていた。
ただ恵南さんにとって、答えたくない質問だったらしく。ムスッとダンマリを決め込んでは、チラチラとこちらを見てくる。
これはあれかな?
答えたくないという思いと、隠し事はしたくないという思いが脳内で葛藤しているんだと思う。
暫く、そんなことを繰り返していたと思うと、覚悟を決めたのか立ち止まって、僕の方を真っ直ぐ見る。
「前ね。私の友達が、ここに売られたの」
売られた?
現代日本にはそぐわない単語に、頭がパニックになる。
「それを取り戻すために、ここの会員になる必要があった。ただ、それだけの話」
それはいつの頃の話なのか。
恵南さんがシーカーになったのは、大体中学2年生のとき。
3年の夏休みにもなると、シーカーとして実績を積んで各地を飛び回っていたので、その時の話だろうか。
当たり前だけど、幼馴染と言えども知らないことはたくさんあるんだと、改めて実感した。
「で? 会員様。この先には何が待ってんだよ」
「……黙ってれば、すぐにでもわかる」
東雲君の皮肉めいた言い方に、眉根を顰め、ぶっきらぼうな答えを返す恵南さん。未だに、二人の仲が良くなる兆候は無かった。
恵南さんに従って階段を降りていると、光が見えてくる。人工的なもののような、眩い光だ。
「「は?」」
僕と東雲君は揃って目の前の光景に、疑問符をあげてしまう。
降りてすぐに目に入った、デカい建造物。
そこがダンジョンであることを思わず忘れてしまうような立派なドーム状の建物の正面には、『COLOSSEUM』という文字が刻まれていて。
一際大きい歓声が、その建物から漏れ聞こえていた。
「まるで街だな」
路地裏にひっそりと佇むバーの中での、東雲君の8階層への一言に深く同意する。
この階層にはドーム状の建物だけではなく、飲食店やカジノ、大人のお店と言ったものが歓楽街を形成しており、ダンジョン内とは思えないほど賑わっている。
ここの層には、会員の人しか入れないのだけれど、それでも街中が人で溢れかえっているんだ。
まるで日本の悪徳を全部、煮詰め込んだみたいな場所だった。
「地形すら変えてるなんてな……呆れを通り越して感心するぜ。もはや、ダンジョンの面影すらねぇじゃねぇか」
「トラップとか魔物とかはどうしてるの?」
「トラップは一部を除いて撤去。魔物に関しては、湧き潰してたらいつの間にか湧かなくなってたとか」
それって、ダンジョンとして認められなくなったってことかな?
そんな現象、起こり得るんだね。
「でよ、あのデカい建物は何なんだよ。コロッセウムとか、書いてあったけど」
話題はあのドーム状の建物の話に移る。
このバーの窓ガラスからも見えるそれは、この8階層を象徴するかのようにピカピカと光っていた。
「コロシアム、闘技場よ。腕に自信のあるシーカーやらグラディエーターたちが、命を賭けて殺し合うところ。それにお金を賭けたり、見せ物として楽しんだり……ろくな場所じゃない」
小さい声で、『本当に、最悪な場所』と呟く恵南さん。
拭えない因縁があるみたいだった。
「何より最悪なのは、アレがこのダンジョンの巨大な砂地獄の上に建てられていることね。場外になったら、ほぼ全て砂地獄に呑まれて生き埋めになる。その嗜好が、たまらなく良いんだってさ」
「聞いてるだけで、吐き気を催すな」
確かに胸糞悪い話だ。もしかしてだけど恵南さんも、その闘技場とやらに参加させられたことがあるのかな?
なんて不安が顔に現れたんだろう。
恵南さんは心配ないとばかりに、僕の手を握ってくれる。
「安心してよ、私はそんなものに参加してないから。あくまでも私は買い戻すために会員になっただけで、お金の方はシーカーで稼いだお金を使ったし。心配させて、ごめんね」
その言葉に、ホッと安心する。良かった。
「あー……今度は砂糖吐きそう」
◇◇◇
「なに? 『麗姫』が現れただと?」
「はい。彼らの話では、間違いないそうです」
「うむむ……どうして、今更?」
「まさか、人攫いが探索者協会にバレたのでは」
「だから反対だったんだ! そのような危険な行為は!!」
何を今更と、集まった全員が激昂している禿頭に侮蔑の視線を送る。最初に賛成していたのは、彼だった。
「もうすぐだからといって、功を焦ってしまいましたね。今まで通り、バレないよう秘密裏に攫っていれば良かったのです」
「時間が無いと焦らせたのは、貴殿の方であろう?」
「皆さん、過ぎたことは諦めましょう。大事なのは、これからどうするかの方です」
脱線する会議を、リーダー格の男が取りまとめる。
「これから? 入り込んだネズミはたった一匹なんだろ。『麗姫』だなんだ知らんが、小娘一人どうってこともない」
「いえ、『麗姫』を甘く見てはいけません。曲がりなりにも、二つ名持ちですよ。万全に期して、憂いはないかと」
「……なっ!? 貴様のような分際で、私に反論するのか!!」
「議長は私です。退出をお願いしても宜しいのですよ」
「……チッ!!!」
悔しそうに舌打ちをすると、思いっきり円卓に手を叩きつける。
その野蛮な行いを気にも留めることなく、議長と名乗った男は他のメンバーに意見を促した。
「例え二つ名持ちとは言え、我々は何度か同じような二つ名持ちを撃退したことがあります。そこまで、気にかけなくても」
「いえ、『麗姫』の恐ろしさは私が一番よく知っています」
そう言って、議長は腕についた大きな傷を見せる。
その傷跡に合わせて未だ凍らされた状態のままの右腕は、あの時から使い物にならなくなっていた。
腕利きと恐れられ二つ名まで持っていたシーカーが、たった一人の小娘に廃業まで追い込まれたときから。
「もはや恨んではいませんが、あのとき対峙したときのことを思い出すと、今でも冷や汗が止まりません。それほどの相手なのです」
その普段は冷静な男の必死な叫びを聞いて、全員が意識を変える。
「ここで『麗姫』は殺します。必ず」
その男の言葉に、その場にいた全員が頷いた。
◇◇◇
「お父様」
「九葉か。入れ」
「失礼します」
その部屋には、硯で墨を作る音だけが静かに響いていた。
この時間、この家の当主、連 葛が、自室で書道をしているときは、何人たりとも入室を許されない。
そのルールを無視してまでその男、葛の息子である連 九葉が父の自室に入ったのは、余程のことだった。
「で、用はなんだ」
「栞菜のヤツが、別荘地で誘拐されたそうです」
その報告に、硯が折れる音がする。
勿論、ショックからではない。
その忌々しい名前を出されたこと、そしてそんなことを聞くために自分の時間が取られたこと。
両方から来る、苛立ちからだった。
「そんなくだらないことを伝えるために、お前は私の部屋に入って来たのか?」
実の娘が誘拐される。
葛にとって、それはくだらないことであった。
「お父様はまだ耳に入れられてないと思ったので、わざわざ伝えに参った次第であります」
九葉の言う通り、葛はその情報を知らなかった。
周りのものたちが努めて、栞菜の名前を出すことを避けているのである。耳に入らないのも、当然であった。
「私が、それをお前に頼んだか?」
「いえ。ですが、妹が攫われたのです。伝えるのが筋でしょう」
九葉も心にも無いことを言う。
自分と同じく見てくれは良いものを、実の兄である自分に身体を許さず、剰え傷をつけられたことから、彼にとって妹とは必要のない存在となった。
「用件はなんだ?」
「……お父様には、敵いませんね」
自分の息子の心情を見透かしたような言葉に、九葉は肩を竦める。
「下手人の始末、私に任してもらえませんか?」
「……どういうことだ?」
「妹を誘拐した一員に、あの『麗姫』が絡んでいるんですよ」
その言葉を聞いて、葛は納得したような声を出した。
「程々にしろ」
「心得ています」
九葉はそれだけ言うと、部屋から退出する。
その顔は、醜く歪められていた。




