地獄!?
「不覚だった……まさか、私が眠らされるなんて」
悔しそうに爪を噛みながら、恵南さんはそう言った。
凄腕のシーカーは、様々な面で人間を超越している。それは耐性に関してもそうで、基本的に毒や薬といったものは効きはしない。
更に言えば、店全体に及ぶほどの被害。
この店の中で、異能が使われたのは間違いなかった。
「やべーな……ついに、狙われたのか」
「いや。多分だけど、栞菜ちゃん……あの子が攫われたのは、偶然なんだと思う」
そう言える、確信があった。
なぜなら、僕たちの後ろの席に座っていたモミジちゃんたちの姿も、全員綺麗さっぱり消えていたから。
多分だけど、
「他のテーブルの反応を見る限り。この店にいた子どもだけが、狙われたみたい」
「……まるで、ハーメルンのアレみたいだな」
東雲君が不吉なことを言う。
確かあの話は、攫われた子たちは帰ってこなかったはずだ。
「取り敢えず行こうぜ釘抜、警察だけには頼ってられねぇ」
「うん。僕たちも居場所を探しに行こう」
そう立ち上がる僕たちを、東雲さんが手で制す。
「闇雲に探す必要はない。多分だけど、あそこにいるから」
「……あそこ?」
「この大阪にあるもう一つの、超常型ダンジョン『地獄』。そこに多分、連れて行かれてるわ」
◇◇◇
『地獄』。
そのおどろおどろしい異名を持ち、世界で最も危険なダンジョンに数えられるそれは、大阪城の下に位置している。
危険と言われる理由は、ただ出てくる魔物が強いとかトラップが凶悪だとか、ダンジョン的な要素だけではない。
治安が悪いらしい、物凄く。
恵南さんの話では、大阪を拠点とするいくつもの犯罪シンジゲートが、そのダンジョンを根城としているらしい。
勿論そんなこと、警察や探索者協会が許すはずもなく。何度か手入れにも入っているらしい。
がダンジョンの中ということもあってか、その尽くが失敗に終わり、損失の方が大きいと考えられ、いつしか国家の手が及ぶことも無くなった。
今では立派な無法地帯となり、いくつもの犯罪組織が縄張りを決めて日々のシノギに勤しんでいるらしい。
勿論、権力を怒らせない範囲で。
「でも、今回の件はそれを大きく越えているよね」
「間違いなくね、能力を使って一般人を襲ったんだし。今頃ここの探協が、シーカーを招集してると思う」
「でも、それを待ってる時間はない」
僕がそう言うと、2人も頷く。
あの3人が一緒に連れて行かれたなら、安全は保証されてるかもしれないけど、早いに越したことはない。
「行こう」
そう言った恵南さんを筆頭に、ダンジョンへと潜っていった。
『地獄』。
その不穏な異名が嘘みたいな光景が、ダンジョンの一層に降りてすぐに広がっている。
視界いっぱいに広がる、一面の花畑。
どこまでも続くそれを、ぼんやりとした青白い光がそれらを照らしていて、一言で言うと壮観だった。
「地獄というには、随分と生温いところだな?」
魔物の姿すら見えないことに、東雲君は不思議そうにそう言う。
「今はね」
も、恵南さんはそんな疑問にまともに取り合うことなく、良いから着いてこいと言わんばかりに花畑をズンズンと進んでいく。
「………俺、あいつのこと嫌いかも」
「はははっ……根は優しい子だから、嫌わないであげて」
やり慣れた感じで、フォローに入る。
彼女はその堂々とした振る舞いで、昔から反感を買いがちだった。
「それで? あのガキンチョを攫った奴らはどこにいるんだ」
「多くの犯罪組織が根城にしているのは、7層から10層の間。そして多分、犯人は10層にいるやつら」
「そんなことまでわかんのかよ」
東雲君の純粋な疑問に、渋い表情をする。
「確定では無いけどね。でも、誘拐だなんてラインを超えた行為、ヘッドが許すはずがない。なら、こんなことをしたヤツらはヘッドの中のどれか以外、考えられないから」
恵南さんの口から、聞き慣れない単語が飛び出す。
「ヘッドってなんだよ」
「ここを牛耳っていて、住み着いている他の犯罪組織を仕切っている四つの組織。『ヘラ』、『エンドルフィン』、『アンダー20』、『デッドリーカンパニー』のそれぞれの頭文字をとったもの。それらの組織は全て、ここの10層に住み着いているの」
その厨二病設定みたいな話に、思わず笑いそうになる。
「アンダーなら、Uじゃねぇか」
東雲君は、東雲君でどうでも良いことに気になっていた。にしても、まあまあ頭の良いことを言っている。以外だ。
「その中に、ラグナロクはないの?」
「ラグナロク? 聞いたこともないけど」
僕も気になることを聞いてみたけど、結果は空振りだった。
と言うより、恵南さんが知らないってどうなんだろう。
恵南さんが知らないぐらいかなり秘匿されているのか、それともあの2人の話が全て嘘だったのか。
判断に迷うところだった。
「……聞いて未だによくわからねぇけど、取り敢えず俺たちは10層に向かえば良いんだな」
「そういうこと。でも、多分一筋縄じゃいかないから」
確信をもってそういう恵南さん。
わざわざ他のヤツらより、下の階層にアジトを構えているところを考えると、そういうことなんだろう。
今一度、気合いを引き締める。
「この川の先に、下への階段があるの」
恵南さんが指し示す先には、川幅7、8メートルで、結構流れの早い川が流れていた。泳いで渡るのは、厳しそう。
その河原には、石を積み上げてできたいくつもの石の塔が、不安定なバランスの中で立っている。
何の儀式なんだろう。
「……あっちまで、渡るのか?」
嫌そうな顔をして、東雲君が確認する。それは僕も同じだった。
流れる川が境界線みたいに、川を挟んであっち側の景色とこっち側の景色はまるで違う。
地面には花々の代わりに人骨が転がっており、それをカラスみたいな魔物が啄んでいる。
「わ、渡るにしてもどうするの? あそこにある船を使うの?」
そう言って、30メートルほど向こうの岸に繋がれている、木製の渡し船の方を見る。
木製とは言え、3人ぐらい乗ってもなんともないぐらいに、頑丈そうに見える。
「正式にはあれを使うけど、色々と手順が面倒だし今回はパス。代わりに近道を使うから」
そう言いながら、引き抜いたロングソードを川の水面につける……や否や、川面が音を出して氷だし、一瞬にして向こう岸まで続く氷の橋が完成した。
「すっご」
そのお手並みを初めて拝見したため、東雲君は短く感想を述べる。確かに、凄いとしか言いようがなかった。
「さ、ここを渡ろ」
「いや渡ろうって……大丈夫なのか? 滑りやすそうなんだけど」
恵南さんはその疑問に答えるように、氷の橋へと一歩踏み出そうとしている東雲君の背中を強い力で押し出す。
勿論耐え切ることはできず、その押された勢いのまま、滑るようにその橋を渡っていく。
「いやいやいやいやいや!!!!」
東雲君の懸念通り、その橋は物凄く滑るみたいで、後少しで向こう岸に着きそうといったところで、バランスを崩して倒れる。
川へと大きな音を立てて落下する未来を幻視したけど、そうはならずに済んだ。
倒れる直前、東雲君一人分だけ横に伸びた氷の橋が、川へと落ちゆく彼を受け止める。
つまり、盛大な音を立ててずっこけた。
「ふざけんな! 危ねぇ!」
そのまま滑り落ちそうになるところを、なんとかしがみつき、不安定な足場で立ち上がって怒りをぶつける。
「ほら、延壽」
そんな叫びを無視して、僕の方に手を差し伸ばしてくる。
なので僕も東雲君を無視して、その手をとった。
◇◇◇
辺りに響く、幼い泣き声に眠っていた意識を覚醒させる。
何が起きたの、という疑問はすぐに消えた。即席で作られたバリケードの囲いに、集められた少女たち。
詳しくはわからないけど、ヤバい状況ってことはよくわかった。
「お前は、泣き叫ばないんだな」
背中から聞こえてくる、大人の男の声に思わず距離を取る。
腰まで伸ばしている長い黒髪が特徴的な、奇妙な男だった。
「親にでも捨てられてたのか」
「あんたには関係ないでしょ」
つい、強い口調で返してしまう。
今置かれている状況を考えれば、悪手だった。
「そうだな。うん、関係ない」
が、その男は私の態度に目くじらを立てることもなく、引き下がってその場から立ち去っていく。
なんだったんだ、一体。
改めて周りを見回す。
両親の名前を必死に呼ぶ少女や、未だ事態がつかめていない少女。歳の近い妹を抱き抱えながらあやす少女など、どこを見ても少女、少女、少女しかいない。
人攫いにしては、よくもこれだけ集めれたものだと感心していると、ある一点で目が止まる。
赤、青、灰色の少女たち。
その髪色もさることながら、纏っている雰囲気や醸し出している余裕が、周りの女の子たちとは違って見える。
「アンタたち、やけに余裕そうね」
近づいて、声をかける。使えそうだと思ったから。
「余裕ですか……確かに、無いとは言えませんね」
私の問いかけに、灰色の髪の子が答える。その、なんともまわりくどい言い回しに、眉を顰める。
「アンタたち、私に協力しなさい」
顔を見合わせる3人、どうするべきか悩んでるみたいだった。
「協力って何するの?」
「勿論ここから脱出するの。幸い、私たちは縛られていない。逃げるなら、今しかないでしょ」
そう、どういうわけか私たち含め、ここにいる全員は誰一人として、縛られてはいなかった。
「あまりお勧めできませんね。敵の全容が掴めない今、軽率に行動するのは。それに私たちが自由の身であったり、見張りを誰も立てていないことが、全て敵の慢心だと思うんですか? それは少々、楽観的かと」
正論のナイフでグサグサ刺される。
衝動的に手が出そうになってしまうけど、コイツの言っていることはどれも正しくて。
どうやら、自分でも知らないうちに焦っていたみたいだった。
(……延壽)
心の中に、その原因を思い浮かべる。
たった数日の間で、心の中でとても大きな存在となった男の顔を。
そんな弱い思いを、振り払うように頭を振るう。
頼りになる彼なら、助けに来てくれるかもしれないけど、待っているだけの自分でいるのは嫌だった。
「アンタたち、私に協力しなさい」
再度、同じ言葉を繰り返す。
今度は苦虫を噛み潰したような嫌な顔をされたので、不敵に笑ってやった。




