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「え? 地上に戻る?」
「はい。ちょっと、トラブルが起きまして……とにかく、ここにいたら危ないんですよ!」
鬼気迫ると言った表情で、僕に迫ってくる。その最中も、油断なく辺りを警戒していて、何か起こっているのは間違いないみたいだ。
「だとしても、何で僕たちだけで」
「そんなことは良いですから。さっさとここを抜けましょう、ね」
そう言って無理矢理に引っ張られてしまう。
僕よりも小柄で、明らかに前衛を張るタイプではないのに、普通に力任せに引っ張られる。
シーカーだからなのか、僕が貧弱だからなのかは、判断に迷うところだった。
「あの、ちょっと良いですか?」
「駄目です。後でいくらでも聞くので、心配でしょうけど今は黙ってついて来てください」
「い、いや、階段ならこっちを抜けた方が近いですよ」
その言葉にキョトンとする桐生さん。今は時間がないらしいので、逆に手を引いて案内する。
「こっちです」
「あ、ありがとうございます……その、道を覚えているんですか」
「チラッと地図で見た範囲だけですけど。昔から暗記だけは取り柄だったんで」
出てくる魔物を対処しながら、なんとか先へ進む。
そして何回か坑道内の曲がり角を過ぎた頃に、やっと階段のもとまでたどり着くことができた。
「あ、本当に階段のところまで来た……」
「疑ってたんですか?」
「はい……申し訳ないですけど良からぬことをするものとばかり」
またしても、お互いに微妙な空気が流れる。
「はぁ……怒りますよ」
「そ、そうですよね。そんな失礼なことを考えて」
「襲われるかも、と思っていたのなら、何でノコノコついて来ちゃうんですか? 本当に襲われたらどうするんですか」
「あ、そっち……ですか」
そりゃ、そっちだよそっち。
後、言わせてもらえるなら、僕は女性を襲うほどクズでもないし、シーカーを襲うほど命知らずでもない。
「釘抜さんのおかげで、早いとこ階段にも着けたので、さっさと上がっちゃいましょう。ここを抜けさえすれば、後は……」
そこで言葉が途切れる。
なぜなら後方から、地鳴りのような音が響いてきたからだ。
「な、なんでしょう。まるで人の足音のような……まさか!」
そう言うと、桐生さんは先ほどよりも強い力で引っ張ってくる。
僕はその力に耐えきれず、前にツンのめってしまう。
「あ、ごごめんなさい」
「い、いえいえ、こちらこそ」
再び微妙な空気になる中、音は段々こちらに近づいてきている。
嫌な予感しかしなかったけど、思い切って後ろを振り向いた。
「ちょっと! あんた達、邪魔よ!!」
「おい押すなって、壁にぶつかっちまう!!」
「死にたきゃ、勝手にやってろ! 生きたいやつの邪魔すんな!」
シーカーの群れ群れ群れ。
何十というシーカーが、狭い通路で他人を一切に押し退けて、我先にと階段に向かっている。
当然、その進行方向には僕たちもいるわけで……
「は、速く!」
「はい!!!」
手を引かれるがまま、無我夢中で走る。走る走る……
が、どこまでいっても一般人だ。
階段まで後数メートルとはいえ、それだけの距離があれば、余裕でシーカーたちに捲られてしまう。
端的に言うと、余裕で僕たちはそのシーカーの群れに巻き込まれて埋もれてしまった。
◇◇◇
悪い予感が当たってしまった。
どこからか、クジャが出たとの情報が漏れてしまったんだろう。その情報を聞きつけたシーカーたちが、一刻も早くこのフロアから抜け出そうと列を成したんだ。
まぁ、これで報告するという任務は達成されたわけだ。
文字通り踏んだり蹴ったりだったけど、後は日下部君を上のフロアへ連れて行くだけで良い。
その後は、私も心おきなく杏香ちゃんたちの下に行ける。
「散々だったね。釘抜く……ん……」
そんな希望はあっさりと打ち砕かれる。
「釘抜君?」
縋るような疑問符が、一人寂しくなった通路を駆け抜けていく。
◇◇◇
「ここは、どこ……?」
身体中に痛みを感じながら、辺りを見回す。そこは、綺麗な鉱石で囲まれた空間だった。
「確か、階段前にいたはずじゃ」
思い出そうとすると、またしても身体全体に痛みが走る。そうだ、僕は確かシーカーの群れに押し潰されて。
「と、とにかくここを出なきゃな」
この独り言の多さは不安の現れだった。あれだけ念を押されていたのに、今は一人になってしまっている。
合流を最優先にしたかった。
出口に向かおうと歩き出すと、一歩目でこけてしまう。
普段からドジだドジだとは思ってたけど、何もないところで転ぶなんて……流石に恥ずかしい。
と、思いながら足元を見ると、何か鎖のようなものを巻き付けられているのに気がついた。
気がついてみると、さっきまで気が付かなかったことが嘘みたいに足に激痛が走った。
「ま、巻き付けられるだけでなく締め付けられている!? それに何より、引っ張られている!!」
足元から伸びる鎖を、目で辿る。
そこには肉食動物を思わせるほどの牙を生やし、宝石で装飾された宝箱が口を大きく開けていた。
鎖は、そこから伸びている。
「食われる! 食われる!」
口元へと引っ張られる中、そう叫ぶ。足掻けば、足掻くほど引かれる力は強くなっていく。
「モミジ!!!」
「お任せ!」
ポケットのタロットから出てきたモミジが、手にした刃物を宝箱に向かって躍らせる……が、
「なっ!? こいつ、固っ!!」
ガキンッ!!
という良い音を残して、攻撃が弾かれてしまった。
そして、体制を立て直そうとしたところを、口元から伸びてきたもう一本の鎖に捕まってしまう。
「くそっ!! 離せ!!」
空中で捕まってしまったせいか、上手いこと抵抗することもできず逆さ吊りにされ、口元へと運ばれる。
「おい! やめろ!!」
「ホルダーさーん!!!」
助けを求めるように伸ばした手も虚しく、それだけを残して後は宝箱に食べられる。
大きな歯で噛み砕いているのか、繊維が千切れる音、骨が砕ける音が、絶叫とともに漏れ出てくる。
滴る血液とともに、臓器の切れ端がその口からこぼれ落ちてくる。
「あ、あ、あ、」
その光景を僕は目に焼き付けてしまった。
人が生きたまま食べられてしまう。それ以上の恐怖がこの世にあるだろうか。
涙や尿を垂れ流す中、お構いなしとばかりに引きずっていく宝箱。
開けた口にはもう何も残っておらず、それがより一層、恐怖を引き立てていた。
「あ、あ、あ、」
ガチガチと、歯を鳴らす不快な音が目の前まで迫る。
「ーー、あ」
上半身が宝箱の中にスッポリと入り、その中の、何もない空間を僕は目視した。
◇◇◇
「まったく。キョンちゃんってば、行き先も言わずに一人で走り去っていきやがって」
一人その場に残されたので文句を言う。彼女は養成所の頃からそうだった。
でも、あそこまで必死なのも久しぶりに見た気がする。
「つか、寒っ!! 温度くらい戻してから行けよ!!」
冷える肩を必死に手で摩りながら、叫ぶのだった。
◇◇◇
「ごめん。遅れた」
その声とともに、宝箱の口から引っ張り出される。
間一髪と言った感じか。空をきったその牙は、恨めしげに、僕を救った恵南さんの方へと向けられていた。
「待ってて、今片付けるから」
そう言うと恵南さんは、そのロングソードで切るわけでもなく、何事もないようにただ宝箱を凍らした。
一瞬すぎる一瞬。
口から出した鎖ごと、完全に凍らされている。
さっきまで強敵だったのが、嘘のように沈黙している。
これが恵南さんの、二つ名を手にした者の力……
これは一目を置かれるわけだ。
「大丈夫? 立てる?」
そう言って、手を伸ばされる。
僕はその手を掴もうとしたとき、
異変は起こった。
「嘘!? まだ、生きてるっ!!」
氷漬けにされていたはずの宝箱が動き出し、氷を打ち破った。
報復とばかりに、僕の鎖に繋がれた足を、さっき以上の力で思いっきり引っ張ってくる。
「早く手を掴んで!!!!」
僕は差し伸ばされた手を、
思いっきり振り払った。
宝箱に食われる中、驚愕に彩られる顔が鮮明に映った。
◇◇◇
「あ、ホルダーさん!!」
目を覚ますと、目の前には心配そうにこちらを覗き込んでいる。モミジちゃんの姿があった。
今いる場所は知らない場所だけど、宝箱の姿はない。
やっぱりさっきのあれは幻覚だったのか……
「危なかった……話を聞いてなかったら、普通に騙されていたよ」
心の底で安堵する。
もし、あの手を掴んでいたら……そう考えるだけでゾッとする。
「目覚めてくれて良かったー! でも、なんであの子が敵の幻覚だってわかったの?」
「え? あの幻覚見えてたの?」
「まぁ、ホルダーさんの所有物だし? 視覚を共有するなんてわけないよね」
そういうものなの?
「いや、別にあれが幻覚だって見破ったわけじゃないよ」
「えっ」
「そりゃ、食べられそうになったときはヤバいと思ったし、助けてくれたときは死ぬほど感謝したけど」
あの瞬間、宝箱が再び目覚めるまでは、あの恵南さんが本物だと信じていた。
「でも途中で幻覚のことを思い出して、迷っちゃったんだよね」
「それほどまで似てたんですか?」
「うん、似てた。細部までそっくり」
まるで僕の記憶を流用したのかってぐらい。でも、僕の知らない『異能』を使っていたから、多分違うんだろうな。
「でも、気づいたんだ。幻覚って普通、向こうからこっちに干渉してくることはできないでしょ? それが本物だって、脳が錯覚して幻覚に引き込まれるわけだから」
「……だから?」
「僕自身が拒否すれば良いだけだよね」
そう言うと目をパチクリさせるモミジちゃん。
「そ、それで幻覚じゃなかったらどうするの?」
「そのときは恵南さんが助けてくれるよ」
実際、あのとき宝箱に呑まれた瞬間にそれが幻覚だと気づけた。
彼女はいつだって、僕の中のヒーローだったから。
「あ、あの状況でそんな決断をできるとは……」
「いや決断っていうより、無責任な信頼の方が正しいと思うけど」
と、モミジちゃんの言葉を否定した瞬間。
ポケットの中で何かが光る。
その光は、ポケット越しにカードのような外形を映し出していた。
「え? モミジちゃん!?」
「私じゃないですよ。第一、今は人型ですし」
「じゃあ、これは」
その疑問にモミジちゃんが答えてくれる。
「認められたんですよ。資格を」
「え? 資格? 英検?」
僕の渾身のボケが、ボフンという音とともに遮られる。
「初めまして……あの、魔術師のカードです。ホルダー様」