天国!?
「………!!」
目の前に広がる幻想的な雰囲気に、少女は声も出せずにいる。
空中に浮かぶ雲の地面にかかる虹の橋、見上げるような青空から差し込む天なる光は、心が現れるようで。
転落事故がよく起きそうなそこは、大阪にある2つの超常型ダンジョンの一つ。『天国』と呼ばれる場所だった。
「どうした? 感動したか?」
「……っ! うるさい!」
ニヤニヤしてそう尋ねる東雲君をそう一蹴する。
も、頬は上気していて、それが図星だったことは明白だった。
「で? 延壽、この子は? 隠し子?」
「そんなわけないでしょ」
恵南さんが、最初からずっと気になっていたであろうことを聞いてくる。
発想が東雲君と全く一緒だ。シーカーは倫理観がないのかな?
「そういうあんたは、こいつの彼女?」
「……そう見える?」
「全然」
何やら険悪な雰囲気が漂う。思った以上に、2人の相性は悪かったみたい。
「私、この子のこと嫌いかも」
「そう。奇遇なこともあるのね」
大人気なく恵南さんが嫌悪感を露わにして、それに呼応するようにお嬢様もツンツンモードに戻ってしまった。
「あまり滅多なこと言わない方が良いぜ。恵南」
恵南さん相手に、気後れすることなく忠告する東雲君。
勿論、『麗姫』の存在は知っていたようで、交友を持っていた僕にどういう関係か聞いて来たけど、幼馴染と言ったらすぐに納得してくれた。
東雲君にとっての女子とは、近藤さんか、それ以外なんだ。
「どういうこと?」
「そいつの苗字、『連』なんだからよ」
「……それ、本当? 連 九葉に妹がいるなんて話、聞いたことないけど」
「……その名前を口にしないで」
余程、因縁があるんだろう。
その名前を聞いた途端、忌々しげに顔を歪めた。
「好きで口にしてらわけないじゃない。あんな男の名前」
「………え?」
「あれの妹? あんたも、苦労したのね」
恵南さんとお嬢様は無言で見つめ合うと、ギュッと握手する。
いつの間にやら、お互いにあった諍いは無くなったらしく、その展開の速さに舌を巻くばかりだ。
「連 九葉って?」
「連の一人息子で、いけすかないクソ野郎。前に一度あったことがあるけど、この日のことは思い出したくもない」
恵南さんがそうボロクソに言うと、追従するようにお嬢様も、うんうんと頷く。
「で、なんでそんな子があんたと一緒にいるの」
「誘拐されたから」
僕が答える前に、答えてくれる。
それは嘘偽りのない、真実だった。
「誘拐って……大丈夫なの?」
「大丈夫じゃなかったら、今こんなところにいないよ」
あれから大阪へ新幹線で移動するまでに、悲しいことに追っ手の姿は影も形もなかった。
「これ、食べれるの?」
「食べれるけど……あまり、お勧めはしない」
ダンジョン内に積み上げられた雲の塊と、横に立てられた飲食可という看板を指差して、そう尋ねる。
「ど、どんな味なのかしら」
そして他の人がやっているみたいに、雲の塊におそるおそる、直接かぶりつく。
「あ、美味しい……」
「そう。それも、このダンジョンが一般人にも人気な理由」
恵南さんの言う通り、ここ一層には決してシーカーには見えない人がたくさんいて、皆んながみんなカメラを構えている。
恵南さんの話では、シーカーでは無くとも、免許を取れているなら対処可能なレベルの敵しか、一層には現れないらしい。
「あ、本当だ。甘い」
お嬢様に倣って、僕もかぶりつく。
口に入れた瞬間広がる、バニラのような風味に濃厚なコク。商品として売り出せるくらい美味しかった。
だからこそ、不思議に思う。
甘味が好きな恵南さんが、頑なに手をつけようとしないことに。
物欲しげにチラチラと見てはいるけど、自分を自制するように手を固く握りしめ、目をギュッと瞑る。
「……いや。食べ始めたら、止まらなくなるし」
問うようなこちらの視線に気づいたのか、恥ずかしそうに、小声で小さく理由を説明する。
その反応を見るに、依存性があるとかいうわけではないみたい。
「……ああ。前に太ったって言ってたもんね」
なんとなく察して一人で納得していると、恵南さんからビンタが、お嬢様に脛の辺りを蹴られてしまう。
「本当、最低ね」
「…………死ねっ!!!」
知らず知らずのうちに、2人から反感を買ってしまった。これで仲良くなってくれるなら、本望だよ。
「あ! あの、『麗姫』さんですよね!! サインください!」
「ああ、はい」
4人で一層を見て回っていると、またまたそう声をかけられる。
これで6人目だった。
一応大阪とは言え、念のためにも変装は必要と言っていた意味がよくわかる。
僕たちが思っている以上に、『麗姫』というネームバリューは強烈なものだった。
「……彼女。あんたとじゃ、釣り合いそうもないわね」
「そんなこと、嬉しそうに言わないでよ」
「は、は!? 嬉しそうになんて、してないし! バカ!」
バカは余計じゃないと思いながらも、甘んじて暴言を受け入れる。
隣で小さく、『お前の方がもっと釣り合わないけどな』という、東雲君の言葉が聞こえて来た。
「うわー……ふかふか」
そう言ってお嬢様は、辺りをぴょんぴょんと跳ね回っていたモコモコの毛皮のついたウサギの魔物を捕まえて、執拗に撫で回している。
見た目はとても愛くるしいとは言え、腐っても魔物だ。
凶暴性もあるし、なんならゴブリンより危険な魔物なんだけど、今はそれを見る影もない。
恵南さんに威嚇されて、円形脱毛症になるんじゃないかってぐらい怯えていた。
「私、動物にふれるの初めて……」
たまに出る発言に、少女の悲しい過去が見えてくる。
今見せている心からの笑顔に、少女がずっとこんな人並みの人生を願い続けて来たんだと、わかった。
「どうすりゃ良いんだろうな。これから」
「……何が?」
小声で聞いてきた東雲君の問いかけに、僕は惚けたフリをする。
「このまま、誘拐したままにはできないだろ。かと言って、こいつを元いた場所に帰すのも……なんか、違うんじゃねぇか」
「そうだね」
彼女が今いる現実を、見ないフリをしたかった。
けど、少女の抱える重荷の一端を知ってしまったからこそ、東雲君はそう言わずにいられなかったんだと思う。きっと。
「でも、僕たちにはどうすることもできないよ」
「そうだな」
そう言って、悔しそうに歯噛みする。
僕だってこの子にあんな悲しい顔をさせた、連の家の連中にムカつきはするけど、どうしようもない。
貴族階級の、頂点に君臨してるようなやつらだ。
例えこの少女の事実を日本中に発信させたとして、それで市井が僕たちに味方をしてくれたとして。
それでも彼らの権力は揺るがない。
日本が、8つの家で成り立っていると言われる所以だった。
「おい、急に皆んな引き上げてくぞ。どうなってんだ?」
東雲君の言う通り、シーカー以外の一般人と思われる方々はみんな揃ってダンジョンの出口へと向かっていっている。
「もうすぐ、夜になるから」
「夜になる?」
「辺りが暗く包まれて、現れる魔物の生態も変わる。要するに、危険になるってこと」
その話を聞いて、あからさまに嫌な顔をするお嬢様。
これから何を言われるか、理解したみたいだ。
「ほら、帰るぞガキ」
「やだ! 帰らない!!」
モコモコの羊の魔物の毛に必死に掴まりながら、そんな子どもみたいな駄々をこね始める。
閉園前の動物園にいるような、気持ちになった。
「仕方ねーな……釘抜、出番だぞ」
「いや。出番って言われても……」
「良いから手を差し出しときゃ良いんだよ。ほら」
東雲君に促され、言う通りにする。
チラッとこっちの方を見たかと思うと、羊から手を離して本当にか弱い力で、僕の手を握ってくれた。
「………は? 何これ?」
「まあまあ、落ち着けよ恵南」
「何が? 無理なんだけど」
なぜか不機嫌な様子の恵南さんの剣幕を、東雲君が代わりに受け止めてくれる。
その間も僕はお嬢様の手を引いて、出口へと向かっていた。
「ん? なんだろう」
前の方が騒がしい、このダンジョンに観光に来ていた一般の人たちが、揃いも揃って青空の方を指さしている。
「「…………!!」」
2人して声が出なかった。
指差す先に飛んでいたのは巨大な白い鳥。
どの既存のたらとも違った見た目をしたその魔物は、眩い光を纏いながら、僕たちの横を一直線に突き抜けていく。
その飛んでいった後に、飛行機雲のように虹の軌跡が出来上がる。
その虹はどこまでもどこまでも続いていき、飛んでいったあの鳥と同じく、視界の果てで消えていった。
「……ブルーバードね」
珍しく惚けたような表情で、いつの間にか後ろにいた恵南さんがあの魔物の名前を教えてくれる。
「このダンジョンじゃ、滅多に見られない魔物。名前の由来は、『幸せの青い鳥』から来ていて、その見た目の美しさと希少性から、見たものに幸せが訪れると言われるほど」
「……詳しいね」
「……私も、気になってたから」
恵南さんも、あの魔物を初めて見たんだろう。珍しく、興奮を隠しきれずにいるようだった。
「私。将来は、シーカーになるわ」
少女は小さく、そう決意する。
それを祝福するかのように、爽やかな風が吹き抜けた。




