誘拐!?
「ふふ……久しぶりに満足した。でも、まだ足りない」
「………え?」
「残念だったわね。また明日も期待してるから」
ポカンとしている僕をよそに、靴についた砂を落として、お嬢様はビーチから去って行く。
「えーっと、えっと……気を落とさないでください。期待されてると言われたので、間違いなく進歩はしてますから」
この人はそれで、僕を励ましてるつもりなのかな?
いや、諦める気はないけどさ。ちょっとばかり、挫けたけど。
「取り敢えず、こいつらを病院に運ばないとな」
「そうだね」
砂浜に死屍累々と倒れ伏している男たちを見て、東雲君の意見に同意する。
これでまた、あの子たちに説教することが増えた。
◇◇◇
浜に打ちつける波の音が、夜の港に寂しく響く。
僕はただ、月に照らされてキラキラ光る海を、港から眺めていた。
「面白いこと、面白いこと……」
そう答えを求めるように、何度も呟いてみる。
彼女の求めているものを、探しているフリをする。
奥底では既に答えは出ていた。ただ、リスクを恐れていた。
けれども、最初から怯える必要は無かった。悲しいことに。
「あの子。幸せになって欲しいな……」
同情からそんな言葉が漏れてしまう。僕は偽善者かも知れない。
「サムッ!」
「………寒いです」
「……いえ。私はまだ大丈夫です」
「そうだね。帰ろうか」
「あ、SPさん。ちょっと良いですか?」
「SPさん……私のことですか?」
家に帰るとすぐに、3階への階段の前に立ち塞がっていたSPさんに声をかける。大事な用事だった。
「ーーーーー、」
「……承知しました」
僕のお願いを、SPさんは思った通り快く引き受けてくれた。
「おやすみなさいませ。釘抜様」
「おやすみなさい」
そう言って、部屋へと戻る。
「……何してるの?」
「見てわかんないのかよ、荷支度だよ荷支度。明日帰るからな」
「またそう言って……と言いたいところだけど丁度良かった」
東雲君は手を止め、不思議そうな顔を向けてくる。
「僕も今から荷支度するからさ」
「お! 遂にお前も諦めたか! そうだよな、あんな我儘娘」
「いや、そういうわけでもないんだけどさ」
煮え切らない僕の言葉に、ますます眉間に皺を寄せる。
「そうだ。東雲君に頼みたいことがあったんだよ」
「なんだよ。改まって」
促されたので、お願い事の内容を話す。
「ーー、え? 大丈夫なのかよそれ」
「任せてよ。きっと上手く行くから」
心配そうな顔をする東雲君をよそに、荷支度を続ける。
根拠のない自信だけど、上手く行く確信はあった。
◇◇◇
「……わかってる? 今日が期限ってこと」
「はい。それは勿論」
「そう。なら早くお願い。私、待つの嫌いだから」
朝食の時間、お嬢様にそう脅されてしまう。
昨日、期待してると言ったのは嘘だったのか。そう思うばかりの冷たさだった。
「で、こんな所に連れてきてどうするつもり? 今から、イルカショーでも始めるの?」
港に連れてこられて、不機嫌そうなお嬢様。
港にはただ船がいくつか溜まっているだけで、特に変わったところもなく、ハナから期待なんてしていない様子だった。
「それはすぐにでもわかりますよ」
「……期待外れ。言った通り、私の気は長くないから。それじゃ」
そう言って、帰ろうとするお嬢様の腕をガッと掴む。
人を射殺せるような目線を、至近距離で向けられる。
「離して」
「いいえ、離しません」
着いてきていたSPさんたちが今にも飛び掛かろうとしてくる。
僕はそれを嘲笑うように、お嬢様を抱き抱えた。
「キャッ!!」
「貴様!!!」
年相応の可愛らしい声を上げるお嬢様。
その様子に、下手人を捕まえようと突撃してくるSPさんたち。
逃げるように僕は抱き抱えたまま、港を走る。
そこにチャーターしていたボートがタイミングよく、到着した。
「乗れよ!!」
「うん」
そう叫ぶ東雲君の指示に従って、ボートに飛び移る。
それを確認すると東雲君は、最高速度を出して港から離れていく。
「お嬢様ーー!!!」
遠くの方で、SPさんの叫ぶ声が聞こえた。
「ははっ! 上手くいったぜ。しかし、良くこんなの借りれたな」
「うん。女のSPさんに頼んでね」
「へー! あの人も、協力してくれたんだな」
楽しそうに話す僕と東雲君の姿を、何か言いたげに見つめてくるお嬢様。少女は、見るからに怒っていた。
「あなたたち……何してるか、わかってるの?」
「誘拐ですよ。見た通り」
悪びれもしないその言いように、更に怒気を強める。
「……やったわね。私の苗字、知らないわけでもないでしょうに」
「ああ。お飾りの苗字ですね」
その言葉に口をつぐむ。
悔しくても、何も言い返せずにいるようだった。
「それ、俺も気になる。本当に誘拐して大丈夫だったのか?」
「大丈夫だよ。あのSPさんたちは追ってくるだろうけど、それ以外に追っては増えないから」
自信満々に言い切る姿に、首を傾げる。
「でも、警察とかに電話されたら」
「多分、圧力がかかって警察も動かないんじゃないかな」
「圧力って……誰の?」
「この子の親の」
驚いて一度東雲君はお嬢様の方を向くが、当のお嬢様は悔しげに視線を逸らした。
それが殆ど、答えみたいなものだった。
「なんで親が、圧力かけるんだよ。普通逆だろ」
「察し悪いな。この子は親に嫌われてるんだよ、それも尋常じゃないぐらいに」
言いにくいことを本人の目の前でズバズバ言う。
どうせ誤魔化しても意味がない。この子が一番、それを自覚しているんだから。
「だからなんだよ。それと警察に通報しないことの関連性は?」
「もし、この子を捜索するために警察を頼ったら、それは警察に恩を受けたってことになる。つまり、自分の嫌いな娘のせいで警察に借りを作ることになる。それは対外的にもよろしくない」
僕のメチャクチャな発言に、目をパチパチさせる。まだ、話についていけてないみたいだった。
「……意味わかんないけど、警察は駄目なんだな? じゃあ、警察に頼らなかったら? 八色なんだから、自分の兵隊ぐらい持ってるだろ?」
「それもない。理由はとても単純で、自分の兵を娘のためなんかに使いたくないから」
「それ全部、憶測だろ?」
首を横に振る。残念だけど、憶測なんかじゃない。
この子は嫌われている。
それを決定づけるようなヒントは、今までいくつもあった。少し考えれば、簡単に気づけるほどに。
「そんなゴミなのか? こいつの両親は」
「お母さんを悪く言わないで!!!」
東雲君の言葉に、ヒステリックにそう叫ぶ。
息は荒く肩を震わせて、眼光が更に鋭くなり、可愛い顔が台無しになっていた。
この子にとっての地雷は、お母さんか。
「悪いのはあいつよ!! あのクソ野郎!!! あいつが、あいつが、私のお母さんを……!!」
猛禽類のように釣り上げられた目から、涙が溢れる。
その嗚咽混じりの悲痛な叫びは、胸に深く突き刺さる。
「…………」
あの東雲君でも、何かを察したのだろう。いつもの軽口も身を潜め、険しい顔をしていた。
目線が合った東雲君に、ジェスチャーで促される。それを察せれない、僕でも無かった。
「やだ!! 来ないでよ!!!!」
乱暴に振り回される手を掴んで、ハンカチを渡す。
「いや、違うだろ」
後ろからそんな呆れたような声をかけられるが、無視無視。
と思っていたけど、本当に違ったみたいだ。
お嬢様は渡されたハンカチを見ると、フルフルと肩を震わせて、ハンカチを床に叩きつける。
そんなに気に食わなかった? ハンカチを渡すのが礼儀じゃ?
「胸ぐらい、貸しなさいよ!!」
そんなことを叫びながら、混乱している僕の胸に突進してくる。
知った風に後ろで頷く東雲君にイラッとしながらも、ギュッとしがみつかれている現状に、どうすることもできずにいた。
◇◇◇
「お? ようやく泣き止んだか?」
「うるさい!!」
かけられる野次に、そう叫んで返すと僕をドンと突き飛ばす。
目は腫れているけど、東雲君の言う通り涙は止まっていた。
「あはは! 耳まで真っ赤じゃねぇか」
「うるさい! 死ね!」
東雲君の軽口に、少ない語彙力で罵倒する。さっきから、どうも子どもっぽい反応が多くなってる気がする。
というか東雲君には怖いものがないのかな?
「……それで? これから私をどこに連れていくの?」
「大阪だよ」
「……それって」
「言ってたじゃん。ダンジョンに行きたいって」
僕の言葉にコクリと頷く。また、やけに素直だ。
「でも、良いの? 危険だって」
「僕たちがいれば危険じゃないよ」
「お、言うじゃねえか。釘抜」
正しくは、恵南さんもいるから……だけど。
用事、空いてると良いな。
「でも、どうして」
「どうしてって言われても……そう、依頼されたからとしか」
面白いことを見たいって言ったのは、この子だ。
「真面目だねー。こいつ、そんなつもりで言ったわけじゃないと俺は思うけどな」
「違う!! そう言うつもりで言った! あんたは黙ってて!」
不思議なことに、2人ともなんだかんだ仲良くなってる。
達観したような外面を捨てて、こんな風に子供らしく言い合いをしているお嬢様の姿に、暖かい気持ちが胸の中へと流れた。




