捨て猫
「君は誰? それ、君がやったの?」
怯えながらも、友好的に手を振ってくる少女に声をかける。自分でも、命の恩人に対して、失礼な物言いだとは思う。
「そう、私がやったの。褒めて褒めて」
嬉しそうにこちらに近寄ってきて、頭を押し付けてくる。香ってきた、血生臭さに思わず引いてしまった。
「え、偉い偉い。で、君は誰なの?」
「私? 私は誰なの?」
至極純粋に尋ねてきた。大丈夫かな? この子。
「名前、付けてよ」
ねだるように上目づかいで聞いてくる。わけがわからないよ。
「いや、親御さんにつけてもらった名前があるでしょ?」
「? ううん。まだ付けて貰ってないよ?」
……話が進まないので、少女に乗っかることにした。
「じゃあ、モミジとか?」
「モミジ! 覚えた、私の名前はモミジだ!」
モミジ、モミジ、モミジと嬉しそうに何度も呟く少女の姿は、とても演技には見えなかった。
「で、モミジちゃん。君はもしかしてシーカーかな?」
「シーカー?」
「ダンジョンを攻略する人たちのことだよ」
「違うよ?」
ううん、違うことはないよ。
あのトロールの口に思い標識をぶっ刺すなんて、シーカーにしかできないよ。
「私はダンジョンで生まれたの」
「……ダンジョンで?」
病院、まだ診察を受け付けていたかな?
「そう言えば、質問に答えてなかったっけ」
「え?」
「私はモミジ。数字はゼロ、愚者を暗示する始まりのカード」
カード? カードって一体……
慌てて、自分のズボンのポケットをまさぐる。確かに入れていたはずのタロットカードは影も形もなく消えていた。
「これから末永くよろしく。ホルダーさん」
「い、いやです」
それだけ言うのが、精一杯だった。
◇◇◇
「おー! ここがホルダーさんの部屋ー!」
「お願いだから静かにね。母さんにバレたら殺されるから」
気分はまるで捨て猫を拾った子供のように、いや、今の状況はそれ以上に逼迫している。
側から見れば、幼児連れ込み。完全に児保案件。
紫の上を連れ込んだ、光源氏と言った方が正しいのが泣けてくる。
「一先ず、カードの姿に戻っててくれる?」
「えー……あの中、狭っ苦しくてきらーい」
狭いんだ。モンスターボールの中みたいな感じなのかな?
「うーん、なら仕方ないか。母さんたちにはバレないように気をつけなくちゃな」
そう意思を固めていると、横からグーという音が鳴った。
おそるおそるそちらの方を見ると、恥ずかしそうな表情でお腹のところを抑えていた。
「……食事するの?」
「うん!」
必要ないよね、という言葉は飲み込む。
例えカードだとしても、今は人間の女の子なんだ。見捨てておくのは、流石に忍びない。
「菓子パン、食べる?」
「うん!」
袋に入っていたクリームパンが全て消えた……僕の分。
「で、落ち着いたところ聞きたいんだけどさ」
「何?」
「結局君は、どういう存在なのかな?」
そう聞くと、纏っていた雰囲気を一変させる。無邪気で子供っぽい一面が消え、色んな意味が含まれる笑みを浮かべた。
「あなただけの『力』だよ」
「それって、『異能』のこと?」
『異能』とは、高純度の魔石を体内に取り込むことで、顕現させることができる力。
その須くは人為らざる力であり、街中で無闇に使うことを固く禁じられている。
シーカーで食っていくにあたって、必須級の要素だ。
ただ、残念なことに僕は高純度の魔石なんて持ったことがない。
魔石を使わず『異能』を手にした例外もあるみたいだけど、僕にその例外が適応されるとは思えないんだよな……
「呼び方は様々だったよ。スキルと呼ばれることもあれば、天啓と呼ばれることもあった。共通しているのは、その人だけのオリジナルな力ってだけだよ」
「それってどういう」
「今まで私たちは、様々な形で所有者のもとに顕現したってこと。ここじゃない、別の世界でね」
い、異世界?
「ホルダーは、様々な形で力を持つ資格を認められたとき、新たな力を開くことができる」
「新たな……力……」
「私以外のカードを手に入れれるの。それを最後まで手に入れたとき、人は神にだって成れる」
どうしよう、どんどん話が壮大になってきた。
全部この子の妄想だった、みたいなオチはないかな?
「で、僕はそれを集めなくちゃいけない義務とかあるの?」
「ううん。でも、集めていた方が色々と便利だよ」
「モミジちゃん一人で充分だよ」
そう言うと、顔を赤らめ急にしおらしくなる。
「………嬉しいな」
食費的にも、これ以上増えられたら困るってだけです。
「延壽、入るわよー」
「やばっ!」
ノックもなく入ってきた母さんの視界を塞ぐように立つ。
いや、無理か。
「どうしたのよ、腕なんて広げて。隠したいことでもあるの?」
「え!? ………いや、別に」
慌てて後ろを振り向くも、そこに人影はなく。ただ、愚者を暗示するタロットがベットの上に転がっていた。
(ナイス! バレないようにって、言ったからかな?)
「まあ良いや。アンタに電話よ、杏香ちゃんから」
「わかったよ」
嫌々ながら、母から受け取った電話に出る。
「もしもし、恵南さん?」
『杏香。延壽、私と一緒にダンジョンに潜らない?』
「やだけど」
速攻で断りを入れる。やっぱり、ろくな要件じゃなかった。
「じゃ、切るね」
『待ってよ! 別にシーカーに誘おうってわけじゃないって!』
「本当に?」
半信半疑で問うように聞く、電話口の声は必死にそれを肯定した。
『ほんとほんと。強要するのはやっぱりよくないし。今日電話したのは、あんたに手伝って欲しいからなの』
「手伝うって?」
『ダンジョンで、ドラゴン石の鉱脈が発見されたの。でもやっぱり貴重だから、一人で採れる量にも限りをつけられていて、だからあんたにも頭数として来て欲しいわけ』
なるほど、お一人様一個限りに、自分の子どもにも同伴させるみたいなことか。
「でもなんで僕なの? それこそ、西原君とかで良いじゃん」
『私にだって選ぶ権利はある』
思わずドキッとする。
そういう思わせぶりな発言、いけないと思うんだけど。
『それに同じシーカーじゃ、角が立つでしょ。後私、アイツのこと嫌いだし』
「ふーん……まぁ、わかったよ」
『え!? 良いの!?』
良くないの?
『でも、ほら、あんたにメリットもないし』
「良いよ。そんなこと」
『……そう。あんたはそういうやつ。じゃ、明日9時に広場で待ってるから』
どこか不機嫌な感じで、一方的に切られてしまう。
「お出かけ?」
急にモミジちゃんに話しかけられ、心臓が一瞬止まるほど驚く。
「う、うん。一応君も連れてかなくちゃな。カードでの形で」
「えー!? 折角のお出かけなのに!?」
不満を言われるけど、駄目なものは駄目だ。いらぬ誤解を、与えてしまう。
妹や姪と誤魔化すにしたって、恵南さんがいるんだ。嘘だとバレて邪推されるのは目に見えている。
「延壽、ご飯できたわよー」
「今、行くよ!」
一階の母へと大声で返事すると、モミジちゃんに言い聞かせる。
「良い? 部屋は物色しちゃ駄目だから。じっとしててね」
「わかった!」
そう言って何度も頷くモミジちゃん。
色々と不安だが、モミジを部屋に残し一階へと降りていった。
◇◇◇
鈍臭いと呼ばれるいつものスピードの、3倍もの速さで夕食を食べ、風呂に入り、二階へと駆け上がる。
少し不審がられはしたけど、何とか誤魔化せ通した。
そして、覚悟を持って部屋の扉を開ける。
「あ、やっと来た」
「………君、ずっとそこにいたの?」
「? 当たり前じゃん」
そこ、つまり一階に降りる前の元いた位置に、じっとモミジちゃんは座っていた。
部屋を物色した気配がないどころか、そこから動いた気配がない。1時間あまり、何もせず、ただじっと動かなかった。
僕の命令通り。
「どうしたの? ホルダーさん」
今になって、無性に怖くなった。
きっとこの子は、俺が死ねと言ったら命を絶てる。そう確信じみた何かを、今の少女から感じとれてしまった。
「もしかして、どこか痛いとか?」
「ううん。今思ったら、別に母さんに隠す必要なかったっなって」
「なんで? 駄目だよ」
誤魔化すために適当なことを言うと、なぜか否定された。
仮にモミジちゃんが見られたとして、僕の『異能』なんだとただ本当のことを言えば良いだけ。
この子がカード化したら、流石の母さんでも信じるだろうし。
と、思っての発言だったけど、お気に召されなかったみたいだ。
「どうして? 君、ご飯を食べるんでしょ? なら尚更、母さんには打ち明けとかないと」
「なら、食べるのを我慢する。だからホルダーさん、ホルダーさんの能力は他人に言うべきじゃないよ。身内でも」
その有無を言わさぬ表情は、その行為がタブーだと言わんばかりだった。
「言ったでしょ、ホルダーさんを守るって。今までのホルダーさんのことはあんまり良く覚えてないけど、死に際だけは覚えてる」
過去を悔いるように、その手は握り締められる。
「皆んな皆んな後悔してた。私たちのことを、誰かに教えたことを。家族、恋人、親友、全員に全員に裏切られてた」
その面持ちは非常に鎮痛で、見ているだけで痛々しい。
「わかったよ、約束する。なるべく人にはバラさない」
「……うん。お願いね」
しんみりとした空気になる。
それを打ち破るように、明るい感じでモミジちゃんは言った。
「じゃあ、そろそろ寝よっか! ホルダーさんと!」
そう言うとすぐさまベットに横たわるモミジちゃん。ベットが占拠されてしまった。
「……そうだね。早いところ寝床を作らなくちゃね」
「まだスペース、空いてるよ?」
「空いてないよ。ベットは使って良いよ、僕は床で寝るから」
例えカードとは言え、見た目は美少女だ。一緒に寝るのは、精神衛生上あまりよろしくはない。
それなら固い床で寝る方がまだマシだと思いながら、ゆっくりと瞼を閉じた。