麗姫
「よ。杏香、待ってたぜ」
「馴れ馴れしく名前で呼ばないで」
探索協会支部に行くと、変な男に絡まれる。
勿論私は、こいつの名前を知らない。よく付き纏われているので、辛うじて顔に見覚えがあるくらいだ。
つれないこと言うなよー、とか意味のわからないことを薄ら笑いを浮かべながら宣ってくるのを無視して、受付カウンターに行く。
「これでいくらくらいですか?」
ざっと、カウンターに今日の釣果を置く。
野次馬たちはザワザワしているが、慣れているのかカウンターの人は一々取り乱したりはしない。
「そうですね。8万円くらいでしょうか?」
「じゃあ、5万円は斉藤さんの治療費に充てて」
「はい。承りました」
これは延壽からの頼みでもあった。いや、彼に直接的に頼まれたわけじゃないけど。
逐一延壽の行動を教えてくれる親切な受付嬢さんの弁では、延壽は探索で得た釣果を、その斎藤さんという方の入院費に充てているらしい。
怖いので延壽にはまだ聞けていないけど、彼が頑張っているなら私が頑張らない道理はない。
少しでも、延壽の負担を軽減する必要があるのだから。
「斉藤さんって誰? 教えてよ」
「………」
気色の悪い男が、私たちの会話に割り込んでくる。
当然無視するけど、私から聞き出すのは不可能と悟ったのか、今度は受付嬢さんの方に詰め寄る。
「守秘義務がありますので」
が、すげなくあしらわれ、目に見えて不機嫌な顔を浮かべる。
……死ねば良いのに。
「ねぇ、見てあれ! 『麗姫』様と、『皇帝』様よ!」
「本当に絵になる2人よね」
目が腐っているのか、ギャラリーたちはそんなことを言い出す。
勿論、こいつは二つ名なんて貰っていない。皇帝とかいう厨二病全開の二つ名は、この男の自称だった。
「全く、外野がうるせぇな」
その上で、ヤレヤレ困ったぜ、みたいな感じを醸し出す。こういうところが、本当に嫌いだ。
「杏香。うるさいから、早く行こうぜ」
「勝手にどっか行けよ」
「人前だと、お前はいつもそうだよな」
無駄に大きな声で、事実無根なことを宣うクズ。
その言葉に踊らされ、ギャラリーは一際大きな歓声を上げた。
その間に受付嬢さんは暴行許可証を発行してくれている。
早くして欲しい。でなければ、我慢できそうになかった。
「おいおい三嶋。良い加減にしとけよ」
「あ、鳴神さん」
本名を呼ばれ、そちらの方を睨みつけようとするが分かりやすく萎縮する三嶋とかいう人。
それも、相手が本物の二つ名持ちのことを考えれば当然だった。
鳴神 優吾。
年齢は20歳後半ぐらいで、いつもヤニ臭い。
常に草臥れた服を着ていて無精髭を生やしているので、そんなに凄い人には見られない。
けれど、『雷音』という二つ名を冠しており、シーカーとしては超が付くほどの一流。
それ以外は、駄目であることは変わらないけど。
「……どうして、あんたがここに」
「知らないの? 俺、シーカーだよ?」
三嶋とかいう男の疑問ももっともだった。
二つ名持ちには色々と問題があるヤツが多いけど、この人は心配になるぐらいの怠け癖があるんだから。
ここ数年、ダンジョンに潜ってないとの噂も聞く。
「今日は依頼だよ、依頼。俺の家の近くにダンジョンができちまってよ。一日中うるさくて敵わないんだわ」
「だから攻略してくれと、依頼をしに来たと?」
「そうそう、そういうこと」
受付嬢さんが重いため息を吐く。
言いたいことはわかる。わざわざ依頼として持ってくるな、自分でなんとかしろ。
受付嬢さんの顔にはハッキリとそう書いてあったし、自分もまた同じ気持ちだった。
「でも丁度良かったわ。嬢ちゃんに頼むことにするよ」
「ええ……」
「そんな顔すんなって、報酬ははずむからさ」
それを聞いて顔が綻ぶ。
延壽のためにも、今は少しでもお金が欲しかった。
「ありゃ? 珍しいな、嬢ちゃん。何か入り用なの?」
「鳴神さんには関係ないですよ」
「厳しいなー……あ、加藤ちゃん何か」
「守秘義務ですから」
そう言われ、『そりゃ、そうだよな』とあっさりと引き下がる。この時点で格の違いがハッキリと現れていた。
「じゃ、そういうことで場所は」
「待った! 俺も着いていく」
3人してポカンという顔をする。何を言っているんだ?
「危険なダンジョンに行くんだろ? そんなところに、杏香一人で行かせるわけねーじゃん。俺が」
再びワッと歓声が起こり、格好良いとかいうわけのわかんない感想が辺りから飛びまくる。
それに満足げにしている顔を、今すぐにでもぶん殴りたくなった。
「ちょっと待てって三嶋。俺は嬢ちゃんに頼んだんだぜ?」
「だから? 一人より二人の方が良いに決まってるだろ」
馬鹿かコイツ、と言った顔で鳴神さんを見る。
その反応に鳴神さんと顔を見合わせて頷いた。
この男は、10層より先に進んだことが無いんだと。
「あのな。その理論が通じるのは、ビギナーまでなんだよ」
その言葉が図星だったのか、顔を真っ赤にさせて怒り出す。
ビギナーとはここら辺のシーカーにおける蔑称で、この地域の4大ダンジョンと呼ばれるダンジョンで、10層以上から先に進んだことのないチキン野郎に使われる言葉だ。
10層から上と下では、見える景色がかなり違う。
単純な数で攻略できるのは10層より上まで。それ以降になると、量より質を求めれることになる。
ということで、そんな発言した時点でコイツがビギナーなのは確定している。
「はっ! そんなこと言って、どうせ報酬を多く払うのが嫌なだけなんだろうが!!」
どうやら民衆を味方につける作戦に切り替えたらしい。そしてコイツの狙い通り、それは上手くいった。
鳴神さんのことをよく知らないのか、批判する声があちこちから上がってくる。
それで良い気になって勝った気でいる三嶋に、鳴神さんは可哀想なものを見るような目を向けた。
私も同じ目を向けていたと思う。
「わかったわかった、2人に頼むことにするよ。勿論報酬もキチンと2人分払う。ただし、途中で逃げ出さなかったらな」
「ふんっ、最初からそう言っとけば良いんだよ」
そう言うと、三嶋の見ていないところで、鳴神さんが手を合わせて謝ってくる。
別に構いはしない。足手まといの1人や2人。
地図を受け取って、現場へと急行する。その後ろから、三嶋が必死なって着いてきた。
◇◇◇
「久しぶりだよな。こうして一緒にダンジョンに入るの」
以前にも経験はあったのか。全く覚えていなかった。
そう考えると、不思議に思う。
こんなに不快感を感じる相手。例え忘れようとしていても、ムカついて中々忘れることなんてできないのに。
「ほら、来いよ」
そう言って私の前に立ち、手を差し伸ばしてくる。
コイツは何がしたいんだろう。私の名前は、知らないわけじゃないだろうし。
「ちぇっ、ちょっとは素直になれよ」
その手を無視して先に進むと、そんな背筋が寒くなるようなセリフを言ってくる。
ここで殴っても、正当防衛にならないかな。
「おらよ!」
大袈裟な音を立てて、魔物を切り倒す。
当て付けのようにロングソードを扱うその姿は、私を酷くイラつかせた。武器が可哀想になってくる。
「なんだよ。脅かす割には、雑魚ばっかじゃねぇか」
「あんまり、舐めてたら死ぬよ」
わざわざ私に話を持ってきたことの意味さえ、あまり理解して無さそうな態度に思わず言ってしまう。
「愛の忠告として、受け取っとくよ」
そんなムカつく返答が返ってくるのは、目に見えていたのに。
◇◇◇
「は! こんなもんかよ!」
男らしさを見せつけるため、わざと派手に相手を倒す。やろうと思えばもっとスマートに倒せるけどな。
が、肝心の杏香はこちらを見てすらいない。
何か別のことに執着しているのか、しきりに辺りを探索していた。
だがそれが、照れ隠しということは知っている。
自分で言うのもなんだが、俺は顔が良い。あのアビスにさえ、取り上げられたこともあるほどだ。
そんな俺に釣り合う女なんて、コイツぐらいしかいない。容姿という面でも、実力という面でも。
付き合ったら、2年間は関係を続けても良いとさえ思っている。
しかし、杏香は中々俺に女を見せない。
焦らしているのか、照れ隠しをしているかは不明だけど、俺に媚びるような真似を一切しないんだ。
そんなところも、気に入っている。
けど、流石に我慢するにも限界が来ている。
ボスを倒した後で疲弊しているところを、無理矢理迫っても良いな。野外みたいな感じで、ダンジョンでやるのもメチャクチャ興奮するし。
都合が良いことに、汗もかいてるだろうしよ。
ダンジョンでの情事というアブノーマルなプレイに、拒む杏香の姿を想像して、一人興奮する。
そんな俺の思惑を知ってか知らずか、ボスのいるエリアに足を踏み入れる杏香。
ここから出てくるときは、コイツとヤってるんだよなと思うと、更に興奮してしまった。
「あん? 何もいねぇじゃねぇか」
ボス部屋に入るもボスの姿はない。
俺がそのことに愚痴を言っていると、杏香は一人、天井の方を見上げていた。
「上になんかいるのか?」
見た瞬間、俺は背筋が凍る思いをした。
胴体から生えた8本の足、毛むくじゃらの身体。そして複数存在する目玉。
そこにいたのは、間違いなく蜘蛛だった。
ただ、その大きさだけが異常だった。
「………は?」
その足は長く、人間の身体なんてバターでも切るように切断するだろうし、その外骨格は、こんなオンボロのロングソードで到底太刀打ちできるものじゃ無かった。
つまり、勝ち目なんて万に一つもなかった。
「殺される……殺される!!」
俺はただ走った。その現実から逃げるように。
小便が漏れるのも気にしなかった。生き残るのに必死だった。
杏香を置いていくことについて、何の躊躇いもなかった。
◇◇◇
氷の彫像となって固まった蜘蛛の死骸の前で、撮っていた動画を確認する。
その動画に映っている男性は酷く間抜けで、我ながら上手く撮れたものだと、非常に満足した。
「さ、帰ろ帰ろ」
ピシピシと氷の彫像が、音を立てて崩れる。
それを合図に、このダンジョンの機能は完全に停止した。




