けるべろす
「ま、そう来るよね」
100メートル先の通路を徘徊する化け物に、思わず愚痴る。
おかしいとは思っていたんだ。失敗率の高さや、この最下層の構造やら何から何まで。
あれ以外の魔物や、トラップまでこの層にはなかった。これで、警戒するな。という方が無理がある。
「でもこれ、立派な犯罪だよ……」
間違いなく天然のものではないその姿形に、恐れ慄く。
体長は4メートル。首が3つ胴から生え、それぞれの首で辺りを窺っていて、まさしくケルベロスを想起させる。
堂々と歩く姿はトラップをハナから考慮しているものではなく、このダンジョンのため作られたのは明らかだった。
「これは……情報が出回らないわけだ」
法律として禁止されている魔物の生成。よくぞここまで、と思ってしまう。
ギリギリの綱渡りをしすぎだ。
「この距離は大丈夫と」
バックに双眼鏡をしまい入れながら、移動を開始する。
犬みたいな見た目をしているところから、鼻は良いはずだ。そんなヤツから逃げながら探し物をするなんて、無理ゲーにも思える。
「かと言って、倒せるとも思えないしな」
あのワンちゃんが一箇所に止まらず、移動し続けてくれているのは幸運なのか不運なのか。
あまり判断はつかなかった。
細心の注意を払いながら、一先ず移動する。
最下層は他の階層のような複雑さはない。簡潔に言えば、田んぼの田のような構造をしている。
外側を囲むように通路があり、その中に十字の通路。一辺ごとの距離は長いけど、探索は難しくない。
実際、あのワンちゃんを避けながら、十字路まで全ての道を既に僕は通っている。
なのに、目的の物は見つからなかった。
「ヒントはあるはずなんだ……」
この壁のどこかに隠し扉や、抜け道でもあるとか。
でも通路を通る最中、壁もきちんと調べていた。勿論漏れはあるだろうけど、なんとなくそれが正しいと思えなかった。
「一階から五階までに、何かヒントが?」
いや、それもまたない気がする。それだと、何度も挑戦することが、前提となってしまう。
これは願望だけど、回数を重ねることが試験の一番の攻略法というのは、試験として終わっているし。
それに何より、恵南杏香さんという前例があるんだ。
「そう考えていくと一番可能性があるのが、あそこなんだよな」
ただその想像が正しかった場合、そこは一番可能性のない場所とも言えてしまう。
何しろ、そこから生えている3つの立派な首が常に油断なく辺りを探っているんだから。
「更に最悪なことに」
3つの首、それぞれで発達している器官が違う。
真ん中の首は目。他の頭より首を高く上げ、落ち着きなく目線を首ごと動かし続けている。
そして左側は耳。他の首よりも遥かに大きな耳が、ピンと立っている。微かな音や振動も捉えていた。
残った首はおそらく鼻。見た目には現れていないけど、消去法で。
「全部の首を一度に機能停止にするのは、骨が折れるよね」
バックから、閃光玉と音爆玉、こやし玉を取り出した。
ある会社が対魔物ように作り出したもので、名称はどれも古いゲームからとっているらしい。
それぞれ、目と耳と鼻の器官を怯ませることができ、扱うのにもまた専用の免許が必要だったりする。
ダンジョン外では使えないし、一般人は所有するのも禁止される。
僕もまだシーカーじゃないけど、仮免は持っているし、何よりここはダンジョンだから、バレたとしても厳重注意で終わる。
そう思い持ってきたけど、正解のような不正解のような……
読みは当たっていたけど、あの魔物が枠から外れてしまっていた。
「裏をかかなきゃな」
今、できることを考える。僕の予想が当たっているにしろ、外れているにしろ、近づかなきゃ始まらない。
バレないように、と深く頭を巡らせる。
それから10分くらいたっただろうか。
閉じていた目を開き、強い意志を持って立ち上がる。
「誤魔化すとしら、鼻だよね」
そう言うと、作戦を実行するため階段を駆け上がった。
◇◇◇
「………?」
目の前に現れた凄惨な光景に、首を傾げるワンちゃん。
さっきまで無かった複数隊の魔物の死体が、突如として壁際に積み上げられるようにして現れたんだ。
知性を手にした魔物が、無視するなんて有り得ない。
(……というか臭い。吐きそう)
死体の山に埋もれながら、不快感に顔を顰める。
僕は今、魔物の死体の中に隠れることで自分の臭いを誤魔化す作戦に打って出ていた。作戦とは呼べないくらい運頼りだけど。
しかし、失敗だった。
呼吸もしづらいし重いしで、環境は最低に近い。勿論目線も確保されておらず、死骸の隙間からしか外の様子を窺えない。
調子に乗って魔物の死骸を積みすぎた。
(あのワンちゃんがすぐそこにいるのはわかるけど、肝心なところは何も見えない……)
焦ったくなって、魔物の隙間を少し広げる。
も、頭の一つと目が合って、すぐに顔を引っ込めた。
(バレてないバレてないバレてないバレてない)
目は合ったけど、真ん中の首じゃなく右の首だった。目は良くないはずだ。目は良くないはずだけど、あの距離だ。見つかっていてもおかしくはない。
そんな相反する思いが頭の中でループする間に、ドシドシと魔物が遠ざかっていく声が聞こえてくる。
幸い、バレてはいなかったみたいだ。
ホッとして、死骸の中から這い出てくる。
あいつに気づかれないほどゆっくり、近づきワンちゃんの後ろ姿を確認する。が、お目当ての物は見つからなかった。
思わず漏れた微かな舌打ちが、風に乗ってヤツの耳に届く。
ピクピクッと発達した耳が動いたかと思うと、真ん中の首が左の首から届いた信号を受け取り、背後を振り向く。
瞬前に、前方の方で巨大な音が鳴った。
魔物はその音に釣られ、背後には目もくれず走り去っていく。
リモコンを手にした僕は再び、ホッと息をつくのだった。
遠隔式音爆玉。
恵南さんの妹、杏奈ちゃんが作ってくれたものだ。
貰った当初は、あんな物騒なもの困るだけだったけど、こうして役に立っているんだから感謝してもしきれない。
「でもこれで、僕の目処は外れたことになる」
てっきり、あのワンちゃんに取り付けられているものだと思っていただけにショックはでかい。
いや? 難易度は鬼畜じゃ無かったと喜ぶべきか。
ただ、あては無くなってしまった。
もう既に7時間を切っている。
ここにたどり着いたときは制限時間の半分も経っていなかったから、案外余裕だと思っていた自分をぶん殴りたい。
「……決断は速い方が良いよね」
ここから全ての階層をあてもなく調べていく労力を思い、ヤケクソ気味にブザーに手をかける。
どうせ無理なら、迎えに来させてやるとか。少しでも向こうに迷惑をかけてやろうという、わずかばかりの抵抗だった。
本当にそれだけだった。
「………ブザー?」
何かが引っかかって、ダンジョン前の、このブザーを受け取ってからダンジョンに入る前までの試験官の発言を全て、洗いざらい思い出す。
時間は経っているが、鮮明に思い出すことができた。
「あのとき、確か……」
そうだ、間違いなくそうだ。
あの時のアレは、答えだったのかもしれない。
◇◇◇
ワンちゃんに鉢合わせないように、ゆっくりかつ迅速に、六層内に水を撒いていく。
まずは周囲の通路を、その後に十字路内を、そんな風に全ての床に丁寧に撒き散らしていった。
「はっ……はっ……最後の一本も使い切った」
でもまだ全ての床に水を撒き終わっていいなかったし、目当てのものも見つかってなかった。
ので、六層内に持ってきてほっといといた死骸たちを再利用する。
まだわずかに死んでない物を見繕って、血を流出させることで、水に代用する。
赤くて見えづらくはなったけど、何度もやった僕からしたら、誤差の範囲でしかなかった。
「これで違ったら、終わりだ」
どうにでもならとばかりに、ただ撒き散らし続ける。
制限時刻は残り、二時間半を切っていた。
◇◇◇
「……自分で自分が嫌になる」
後悔の色を多分に含む言葉を、膝に手をつきながら息も絶え絶え、口に出す。
まったく、無駄なことをした。
「最後の最後で当たりを引くなんて、運が悪すぎる」
散々走り回った挙句、最後の最後に訪れた通路の床。そこに浮き出てきた真四角状の変な切れ目に、言わずにはいられなかった。
(でも良かったよ。憶測が当たっていて)
最初に試験の説明を受けたときの、あの教官の発言。
『君に今から行ってもらう6層あるダンジョンの最も深い場所に、この球と同じものが設置されてある』
それを思い出して、もしや? と思ったけど、まさか当たっているなんて……床より下に隠されていたんだ。
そしてまた後悔する。
最初に壁を確認したとき、床の方も確認するべきだったんだ。
あのワンちゃんが堂々と歩いていることで、落とし罠の類は無いものと決めつけてしまい、そして罠を避けるばかりに床に注意を払わなかった。
完全に僕のミスだった。
この最後の仕掛けは、真に僕たちが罠を見分ける力があるかどうかを試している。
僕のように、今までの罠を魔物を使ってゴリ押しで解いて来た人を、自力で罠を見つけれるかどうかの篩いにかけたんだ。
辺りを見渡してスイッチを探す。
床には無いとして、壁、もしくは天井……あ。
プラーンと垂れ下がる蜘蛛を見つけた。余程しっかりとした蜘蛛の糸なのか、自然に千切れ落ちてくる様子はない。
その蜘蛛目掛けて、パチンコを飛ばす。3発目にしてやっと、ヒットすることができた。
「後、2時間……もないくらい。まだ余裕があるくらい」
思わずニコニコしてしまう。数少ない一発合格者の中に、名を連ねることができるのだから。
それから数秒後。
スイッチが押されたことにより仕掛けが作動し始める。ゆっくり、非常にゆっくりと、非常に大きな『ゴゴゴッ』という音を伴って、床にできた仕掛けが開いていく。
気づけば汗がダラダラと流れ、この試験の難易度の高さを改めて思い知らされるのだった。
◇◇◇
「最後の、最後で、身体能力求められるとかっ!!」
次の言葉を繋ぐことはできなかったか。
後ろから迫ってくる足音。4本の足で、しっかりと床を蹴っている分、当然人間より走るのは速い。
そして僕はただの一般人。逃げきれるなんて最初から、万に一つも有り得なかった。
「うわっ!!」
背後から前足で踏みつけられる。
ここまで来たのにっ!!
そんな無力感と脱力感が体内を満ち溢れる。
ケルベロスもどきにつけられた首輪が怪しく光る。
その目は、一歩も逃がさないと言外に語っているようだった。
『そして、続行不可能な状態に陥る』
今になって失敗の条件に、わざわざそんな項目が入っていた意味を知ることになる。
制限時間やリタイア制度があるのに、そんなに細かく分ける必要はなかったはずなんだ。
(でもそれは、この化け物に続行不可能な状態にさせられるからってことだよね……)
おそらく気絶程度で済むとは思うけど、痛いのは嫌だな。
前足が振り下ろされる中、そんな考えが頭によぎった。