本番
実技試験当日。
僕は一人、教室に座らされていた。
今から試験が始まるのだろうか。だとしたら、なんで僕はここに一人なのか。もっと他にも、試験を受ける人がいていいはずなのに。
そんなことを悶々と考えていると、予定の時刻になり、試験管の方が入室してくる。
「今から、実技試験の説明を始めます」
そう言うと、ポケットから赤く丸い、ゴルフボール大の大きさの球を取り出した。
「君に今から行ってもらう6層あるダンジョンの最も深い場所に、この球と同じものが設置されてある。試験内容は簡単、制限時間までにそれを持ち帰れれば、君は合格だ」
その言葉に思わず、お尻が浮く。
「ただ、勿論不合格になることもある。不合格になる条件は3つ。制限時間を超える、ダンジョンの外に出る。そして、続行不可能な状態に陥る」
そう一方的に告げると、防犯ブザーを手渡してきた。
市販の良くある、紐を引っ張ると甲高い音が鳴るやつだ。
「リタイアするときは、それを鳴らせ。すぐに迎えに行く」
そう言われて、改めてブザーを見る。
いやらしい仕掛けだ。
子ども用の防犯ブザーのため、少しの力で紐が抜けてしまう。ということは、その気はなくとも事故で鳴ったらその時点でアウト。
つまり、爆弾を手渡されたみたいなものだ。
「質問はないか?」
あるわけがなかった。これ以上ないくらい、単純明快なルールだ。
「ではダンジョンへと移動しよう。着いてこい、そのダンジョンはここの地下にある」
◇◇◇
試験管の先導でエレベーターに乗ること3分。チン、という音ともに目の前の扉が開いた。
「この先がダンジョンへ繋がる階段になっている」
映画館とかで見かける、豪華そうな感じの扉の先を指差す。何の変哲もない扉が、とてつもなく巨大に見えた。
「この先のダンジョンは、私たちのお手製でな。魔物やトラップの配置など、本物ダンジョンに限りなく近づけている」
費用どれだけかかるんだろうとか、それは最早ダンジョンと呼ばないんじゃないかとか、雑念が頭の中を飛び交う。
「制限時間は10時間。それまでに、私の元へ球を持って帰って来れれば、晴れて君は合格だ」
しつこいぐらいに、球をきちんと持って帰ってくることを強調してくる試験官殿。裏がある。
「それでは、心の準備ができたら扉を開けてくれ。その時点から、試験は始まる」
心の中で、287、カウントを数える。
その間に呼吸を整え、心を落ち着かせる。
「ーー、行きます」
「ああ。当たって砕けろ」
そんな不安な声援を背に、重厚な扉を開けた。
ずっと先まで続いている階段を、僕は一歩踏み出した。
◇◇◇
「まずは、トラップの類はなしと」
ぶち撒けたペットボトルの水から、そう判断して先へ進む。えぐい初見殺しは用意されていなかったみたいだ。
最近、やっとトラップを見分けられるようになってきた。
ただ難点としては、ペットボトルの水を使うので荷物が嵩張ることぐらいだろう。
今だって、ここに持ってきているのは2リットルのペットボトル4本分だけ。ペースを考えなければ、すぐに尽きてしまう。
「で、早速敵が出てくるのね」
意図的に魔物を配置したというのは本当なんだろう。だって、最初に現れた敵がゴブリン2体なんだもん。
道は右と左に分かれていて、右の方にゴブリン2体が。左の方にゴブリンのいない道がある。
そこで、思い出した。
『安心してよ。こっちの方が、間違いなく早く合格できるから』
「あれって、こっちの道が階段へと繋がってるってことかな?」
敵に見つからないよう動くのではなく、敵を倒して進む。
もしくはーー、
「ぐぎゃああああぁぁぁ!!」
ゴブリンを反対の通路の方に突き飛ばすと、罠が作動して、ゴブリンが落ちていく。
その穴を覗くと、下にクッションが敷き詰められていた。
「なるほど……続行不可能な状態ってこういうことね」
それと同時に、ここの攻略法も思いついた。
「ぐぎゃ!!??」
これで三度目となる罠にゴブリンが引っかかる。壁から飛び出してきた鎖が足をがっしりと掴み、その場に釘付けにした。
その光景をよそに、もう一体のゴブリンを連れて先へ進む。
当然ゴブリンは前、僕は後ろ。
自分でも、残虐非道に思えてしまった。
「あからさまな宝箱……」
間違いなく罠だとは思うけど、ここまで隠されたところに置いてあると、疑いたくもなってくる。
更に言えばここは行き止まり。割に合わない気もする。
「……いや、ここは開けるべき!」
そう覚悟を決めて宝箱に手をかけた。
ヒリヒリする頬を摩りながら、地図を手に二層を進む。
あの宝箱に仕込まれていたパンチングマシーンは、ひどく的確に僕の顔面を狙ってきた。
あの中にコンパスと地図が入れられていなかったら、今頃キレ散らかしていたところだった。危ない危ない。
「危ない危ない……え?」
ビー、ビーと足元で耳障りな音が鳴り響いた。
嫌な予感、というか冷や汗が止まらない。
四方八方から聞こえてくる大量の足音に、僕はそこから無我夢中で逃げ出した。
「こんな……ものか?」
若干強がりにも聞こえるような言葉を、宝箱の影に隠れて、魔物をやり過ごしながら呟いた。
息は上がっているけど、余裕は結構ある。
というのに、既に4階層の終盤。帰りもあるとは言え、このペースで行けば2時間なんてゆうに切れるだろう。
この難易度なら、試験を受けた人の8割方は合格できているはず。
「絶対に何かある」
そう確信めいた何かを持って、5層へと降りていく。
◇◇◇
「経過はどうだろうねー」
「そんなに気になるのか?」
僕のなんとはなしに出した呟きに、正面に座った彼女は義足の部分を弄りながら反応してくれた。
「そりゃ、僕が担当してたからね。あ、僕コーヒー」
「私はオレンジジュースで」
「君の舌って見た目に似合わず、お子様だよね」
その言葉にムカついたのか、グラスに入っていた氷をガリガリと噛み砕きながら、剣呑な視線を向けてくる。
「他は知らないが、罠に関しては心配しないで良い。ヤツの記憶力は化け物並みだ」
「……なんだか悔しそうだね」
「私が半年かけて覚えたものを、あいつは半月足らずで暗記した。好意的に見ろという方が不可能だな」
ストローでグラスをかき混ぜる。氷がカランカランと、気持ちの良い音を立てた。
「……合格、できるかな?」
「なんなら、賭けるか?」
「…………君はどっちに賭けるの?」
「そりゃ勿論、不合格の方に決まっているだろ」
その言葉に、ヤレヤレと首を振る。
「駄目だね。それじゃ、賭けにならないよ。あの試験には、文字通り魔物が住んでいるからね」
せめて3回目で合格させてあげたいと願いながら、追加注文をするのだった。
◇◇◇
「キョンちゃん。キョンちゃん!」
「……っ! え? 何?」
「何じゃないって! ずーっとぼーっと、ぬぼーっとしてさ!」
買い物袋を横に高く積み上げた由香が眉を吊り上げ、プリプリと怒ってくる。
「別に、なんでもないよ……」
「杏香ちゃんって、そんなに嘘つくの下手だったっけ」
「嘘じゃないって」
隣の席でパンケーキに夢中だった陽菜が、食事をやめてまで私に突っかかってきた。
「由香ちゃん。どう思う?」
「うーん。一つ言わせてもらうなら、心配したところでどうせ不合格の結果は変わらないってことかな」
「なっ!」
こちらの憂いを的確に突いてきたかのような、言葉に思わず身を乗り出してしまう。
「ど、どうして、そのことを?」
「見てればわかるでしょ? そんなこと」
うっ……舐めていた。由香の感の鋭さをを。
「……まだ不合格って決まったわけじゃない」
「決まってるって。キョンちゃんは日下部君に期待しすぎなの。それも、日下部君が可哀想になるぐらい」
日下部君はキョンちゃんじゃない。
パフェを口に運びながら、そう言葉を続ける。
「……あいつのことを知らないだけ」
「知らないからこそ、わかることもあると思うけどね」
由香と私ののっぴきならない空気に、陽菜があわあわしている。
「万に一つも、日下部君が合格するなんてあり得ないよ」
「そこまで言うなら、覚悟はできてるんだよね」
返答する代わりに、カモでも見るような目を向けてきた。
ちなみに今まで由香に、賭け事で勝ったことはない。
「もち。合格でもしようもんなら、何でもしてあげるって」
「なら、何をしてくれるの」
「日下部君へのキスとか」
隣で、甲高い口笛の音が聞こえた。
「は? そんなの駄目に」
「もし不合格だったら、キョンちゃんがするんだよ」
「……………は?」
それって? それってそれってそれって……それって?
「さ、帰ろはるるん。暫く動けないだろうし」
「うん」
◇◇◇
「はい、チンチン……結構自由度があるんだ」
主人がその命令を解くと、階層内に大きな音が響く。
命令した本人はピクリとも眉を動かすことなく、手にしたデータをノートに書き記していた。
「もしかして、私の脳内を読みとってるのかも……どう思う?」
振り向き、背後にいたもう一人の人影に声をかける。
が、無気力なのか、返答は返ってくることはない。その事実に、仕方ないとばかりに肩をすくめた。
「……楽しみ。これで復讐が果たせる」
子どものように無邪気で残酷な笑みを浮かべ、愉しむように次々と命令をくだしていく。
指揮者のように腕を大きく動かすごとに、何かが砕ける音と血の匂いが、辺りに充満する。
「やっぱ異能は、どんどん使うべきね」
満足そうに頷くと、積もる死骸を餌として食べさせるのだった。