中山裕介シリーズ第6弾
「ユースケ君久しぶりだね」
屈託のない笑みを浮かべる若い女性の名は浜家珠希。
二度と顔を見ないと思っていた彼女が放送作家事務所にいる。
果たして浜家珠希とは何者?
「オレ、社長辞める事になったから」
突然発表された坂木舞社長の言葉。
放送作家事務所<マウンテンビュー>は解散か――
「何でオレがお前の責任に付き合わされなきゃいけないんだよ」
うんざりとするユースケ。彼が今回課せられた仕事とは一体――
「放送業界も汚い世界だからな」
苦笑するユースケ。
「汚い世界」とは、一体何があったのか――
「ユースケ君久しぶりだね」
珠希は屈託のない笑みを浮かべて言った。
「何だ、お前ら知り合いだったのか? まあ知り合いだったら話は早いな。お前、彼女の教育係遣ってくれ」
坂木社長から威令が下された。
「えっ? オレが?」
「宜しくね」
邪心なく笑う珠希。
「社長、何で彼女を雇ったんですか」
「何でってどういう意味だよ?」
「来春に作家養成スクールが開校されるのに、その時考えれば良かったじゃないですかって意味です」
嫌でも声が震えてしまう。
「お前顔色悪いけど大丈夫か? 彼女の「どうしても作家に成りたいんです!」って熱意に根負けしてな」
坂木社長が微苦笑を浮かべる。
珠希との出会いは三年前の夏まで溯る。
東京都府中市にある、消費者金融会社を襲った『五億円強奪事件』が発生した。彼女はその実行犯の一味だったのだ。
ある番組のロケの為、大阪に新幹線で向っていたオレや友人の多部亮ディレクターらは、ひょんな事から珠希と遭遇。新大阪駅では珠希の兄で実行犯の竜も登場した。
その犯行動機が拙劣というか、身勝手なものだった。
二○○六年十二月に成立し、翌年十二月十九日に施行された改正貸金業法により、消費者金融の利用方法は変わる。借りられるのは収入の三分の一まで。それを超えると消費者金融では返済のみとなり、新たな借金は出来ない。
無収入の妻や夫には、必要書類が揃っていても貸さないという方針を取っている。
彼らはそこに目を付けた。
初め兄妹は、
「政治家のセンセイ達に対する注意喚起。低賃金で金に困っている人は、消費者金融くらいにしか借りられるとこなかったのに、それは出来なくなった。多重債務者をこれ以上増やさない為とか言っているが、雇用の対策はグズグズしてるにそういう事だけはサッサと決めて、ちぐはぐしてる。そういう問題点に、国会のセンセイ達にもっと目を向けて欲しかった。「このままグズグズしていたらどうなると思いますか?」って。だから困窮している人達を救いたかった。安月給の派遣やバイトの人は健康でも困窮しているっていうのに、持病を抱えたりしたら治療費まで嵩んで火の車に拍車が掛かる」
と言っていたが、
「仕方なく借金している奴が周りに結構いるんだよ。別にギャンブルに遣っていた訳でもねえのに、本当に利用しなきゃヤバい人間が借りられねえのっておかしくね? そんな奴らを助けたかった」
要は侠盗面した、只の利殖願望が強いだけの犯行だった。
その証拠に竜は、
「盗んだ金を困ってる連中に平等に配ってんだよ」
と本音を漏らす。
二○一八年に成立した働き方改革関連法や、同年に改正され、翌年春から施行された出入国管理及び難民認定法などで、雇用の問題は何かと注目されてはいるが、改正貸金業法も雇用問題も、自分達の仲間を救うだけでは意味がない。多部も「根本的な解決にはならなくね?」と指摘し、二人は根幹を突かれて閉口していた。
当然、オレ達は自首する事を勧めたが、二人は「自首する代わりにスタッフとして働かせて欲しい」と要求。時間稼ぎである事は容易に推測出来たが、多部ディレクター殿は二人を信じ、竜には照明係を、珠希には音声係をそれぞれ任せた。
オレ達が帰京して暫くした後、二人は大阪府警に自首。警視庁府中警察署に移送される。
新大阪駅で別れる際、珠希が言った台詞。「私、ユースケ君の事務所に入ろうかな」まさかそれが現実となるとは……。
そんな三年前の出来事が頭を過る。だが、社長の威令は断固として拒絶したい。ていうか、彼女とは関わり合いたくないのが衷心。が……。
「社長、マジでオレが珠希ちゃんの教育係遣んなきゃいけないんですか?」
「マジでって何だよ?」
坂木社長の怪訝な顔。
「いや、ちょっと自信がないものでして」
「お前ももうベテラン作家だろ。もっと自分に自信持てよ」
「そうですね……」
結局、拒絶出来ないので候……。ここが、オレの弱い所。
「ユースケ君が教育係なら私も心強いよ!」
珠希の顔。嬉しそうな顔しやがって。
「じゃあ決まりだな。所で面接の時から気になってたんだけど、浜家珠希って何処かで聞いたような名前だなあ……」
坂木社長が首を傾げる。
珠希が逮捕された当時の年齢は二十歳。従って新大阪駅から東京駅に移送された際、東京駅には新聞やテレビ局の記者とカメラマンが大勢集まり、マスコミに大々的に報じられた。だからって社長、思い出すなよ。
「昔一緒に仕事した人の中で、似たような名前の人がいたんですよ」
「そうかなあ。浜家なんて奴と仕事した事あったっけなあ……まあ良いや。そういう事にしておこう」
よっしゃ! 回避出来た。
「それより重大な発表があるんだよ」
「今度は何ですか」
珠希の教育係担当決定ってだけでもぐったりしているのに、まだ何かあるのか……。
「♪ 何が出るかな、何が出るかな」
珠希、嬉々としている場合じゃない。それにその番組、とっくに終了したし。
「オレ、社長辞める事になったから」
「えっ!?」
何の前触れもなく、唐突に発表された坂木舞社長の言葉。
因みに社長は名前と身体は女性。しかし心と服装、口振りは男性。所謂トランスジェンダー。だからオレや他のスタッフ達も男性として接して来た。が、ここは社長の説明をしている場合ではない。
「社長が辞めるって事は、うちの事務所(<マウンテンビュー>)は解散って事ですか?」
「私まだ入ったばっかなのに」
「お前ら、誰が解散するなんて言った? 新社長はもう決まってるよ」
「新社長って、まさか……」
とは思ってみたものの。
社長はオフィスエリアのドアを開け、声高に新社長の名前を呼ぶ。そして休憩エリアに出て来た人物は……。
「新社長の陣内美貴です。宜しく」
「っあ、こちらこそ宜しくお願いします」
珠希が軽く会釈する。
「やっぱりな。陣内さんじゃないかって思いましたよ」
陣内さんは事務所創立時からの古参のスタッフである。そしてオレを坂木社長に紹介してくれた恩人。この人のおかげで<マウンテンビュー>に所属する事が決まり、作家成り立ての頃は陣内さんがオレの教育係だった。
「中山君、私が社長に成ったからには今までよりびしびし行くからね。覚悟しときなさいよ」
「今までだってびしびしでしたよ」
「陣内はオレより手強いからな」
「扱き遣われろ!」
社長も珠希も嬉々としやがって。
「珠希ちゃん、あんたもオレと同じ立場なんだからね」
「そうよ。珠希ちゃんも覚悟しときなさい」
陣内新社長の不敵な笑みに対し、
「あっ、そうか。忘れてた」
おいおい……珠希は軽い口振りで返す。陣内さんの怖さをまだ知る由も、ない。
「社長が代わる事は分かりましたけど、所で坂木社長はこれからどうするんですか?」
「オレは会長に就任する。でも少し休みたいから、全国の温泉を回ったり海外旅行もしてみたいな」
「なるほど」
休養しながらも給料は確り貰うって訳ね。でも作家事務所の社長って、そんなに儲かるのか? そういや社長の給料を知らない。
「中山君も早く坂木社長みたいになりたいでしょ? その為にもどんどん仕事を回して行くからね」
陣内さんは顔は笑っているが目は真剣。本気だ。
「お言葉ですけど、今まで遣れと言われた仕事は地道に遣って来たつもりですが」
特に『DEPARTURE』の脚本は辛苦だった。
『DEPARTURE』とは、人気女性小説家の夕起さんの処女作で五万部を売り上げた。
夕起さんとは同じ定時制高校に通っていた頃からの友人で、元人気風俗嬢という異色の経歴の持ち主。その為、作家デビュー前から雑誌などメディアへ露出し、本には風俗嬢時代の事が主に書かれている。
『DEPARTURE』は映画化されるのは決まったものの、脚本を誰が書くかは最後まで難航したらしく、夕起さんの方からオレに脚本を執筆してくれとお鉢を回して来た。
坂木社長から言明された時、「勘弁してくださいよ」と抗ってはみたものの、当然社長の命令の為断れる筈もなく、作家の仕事をこなしながら、ある時はテレビ局のスタッフルームで。またある時は半同棲中の彼女、チハルの自宅マンションのリビングで、時間を見付けてはそれこそ寝る時間も削って脚本を何とか締め切りまでに書き上げた。
その後、社長はご褒美にと二日間休みをくれたが、チハルの話によると、丸二日間、トイレ以外は昏々と眠り続けていたという。
そして三日後、やっと目を覚まして髭を剃ろうと鏡の前に立つと、何と顎鬚が二本白くなっていた。
その後、髭は時間が経つと黒に戻ったが、それ程ハードな日々だった事が良く分かるだろう。
「私が社長に成るからにはもっと地道にね」
陣内さんは意味深な笑みを見せる。正直、この人が社長になるのは怖い……。
事務所での珠希の教育係の命令と新社長の発表が終わり、珠希を車で青山一丁目駅まで送る事になった。
駅出入口付近の路肩に停車し、暫し二人で会話。
「まさか本当にうちの事務所に来るとはね」
何が何でも今日一番の衝撃。
「だって言ったじゃん。ユースケ君の事務所に入ろうかなって」
「それはそうだけど、そうまでして放送作家に成りたかったの?」
「三年前のユースケ君の仕事振りを見て興味を持ったの」
珠希は破顔。
「そりゃどうも。でも珠希ちゃん」
「珠希で良いよ。「一応」ユースケ君の方が先輩なんだし」
「一応」じゃなくて「絶対」なんだけど。
「じゃあお言葉に甘えて珠希、うちの事務所をよく見付け出せたね」
「簡単よ。東京中の放送作家事務所をネットで検索して、「中山裕介」ってスタッフ名を見付ければ良いんだから」
「地道な作業をご苦労さん」
呆れるしかあるまい。彼女が遣った事はストーカーも同然。何と恐ろしや。
「所で差し支えなかったら訊いても良い?」
「何?」
珠希が身構える。
「裁判の方はどうなったの」
一番気になる点を訊くのを忘れていた。事件から三年。自由な身でいられるという事は……。
「ああその事。懲役三年、執行猶予四年を食らっちゃった」
「妙に明るいトーンで言うね。って事は、今は執行猶予中の身なんでしょ。罪を償う心構えはあるのかい?」
「あるよ。だからこそ放送作家って厳しい世界に身を置こうと決めたんじゃん」
「なるほどね」
物は言い様です。
「所で兄貴の方はどうなった?」
「兄貴は懲役五年の実刑を食らって、今は府中刑務所にいる」
珠希はまた明るいトーンで言う。旅行にでも行っているつもりなのだろうか? 事件の重大性を全く分かっていないご様子。
「事件を起こしたのも府中市。拘置されているのも府中市って、何とも皮肉な話だね」
「そうかもね。アハハハハッ!」
珠希、笑っている場合か。
「話は変わるけど、今まで何処で仕事してたの?」
「今、花魁居酒屋でアルバイトしてるの」
「花魁居酒屋? 花魁と居酒屋って結び付かないけどなあ」
「でも結構繁盛してるよ。女性スタッフが花魁のコスプレしてサービスするの。そこで働き始めて一年は経つかな。結構人気あるんだよ、私」
珠希は得意そうに言う。
「そうなんだ。それだったら……」
翌日の午前中、府中刑務所では――
「「作家に成らずにそこでアルバイト続けてたら」って言うんだよ。ユースケ君、無表情でさ」
兄の竜に面会に訪れた珠希は愚痴っていた。
「存外きつい事言うな。ユースケ君も」
竜は「ハハハッ」と笑う。
「笑い事じゃないよ。せっかく作家に成れたのに」
「でも前持ち(前科)がバレずに採用されたんだから良かったじゃないか」
「それはそうだけど、ユースケ君ってSなのかな」
「SとMの間にNタイプってやつがあるそうなんだよ。ユースケ君はそっちのタイプじゃないか。所謂掴み所がない」
「Nタイプって初めて聞いた。でも確かにそうかもね。何を考えてるのか分からない」
最後は兄妹揃って嗤い合った。
年が明けて元日の夜。南青山(港区)の事務所で細やかな新年会が開かれた。
その席で坂木社長は正式に会長に。陣内さんは社長に就任する。
三月に引き継ぎを遣れば良いのに、何も正月じゃなくても……坂木会長はよっぽど早く旅行に行きたいんだな。
一方の陣内新社長はというと、
「皆、私が社長に成ったからには今までよりびしびし行くからね。マイペースにのんびりなんて言ってらんないよ!」
ニヤリとする陣内社長。アルコールのせいもあるんだろうけど。
またそん事言って、半分冗談だろうけど、僕は今まで通りにマイペースに行かせて頂きますから。
「覚悟しといた方が良いぞ。皆」
坂木会長は嬉々としちゃって。お気楽なもんだ。
「オレ、あんたの下で働く自信ないぞ!」
声高に野次を飛ばしたのは、オレより半年後輩の大畑新。こいつは酒に弱くてビール一缶で顔は真っ赤。
「じゃあ辞めたって良いんだよ、別に」
陣内社長が応戦する。
「いや、辞めるつもりはないけど……」
大畑が気弱になった。最初の威勢の良さはどうした?
「辞めないけど(陣内社長の下で)働く自信はない。どういうこっちゃ」
苦笑するしかない。
「陣内さんが社長に成るって聞いた時、突然ズバッと後ろから斬られた感じがしましたよ」
「何よその感想」
陣内社長も苦笑。
「それ、里見浩太朗さんの言葉だろ?」
坂木会長も然り。
「良く覚えてましたね会長。『水戸黄門』が打ち切られる時の会見の言葉を」
「お互いスポーツ紙の記事覚えてて良かったな」
「誰も覚えてないと思ってた」
大畑は突っ込まれて安心したのだろう、はにかんで笑う。一か八かのボケなら言わなきゃ良い。
「あの人いつもあんな感じなの」
珠希は声を落として訊く。
「そう。いつもあんな調子。ちょっと変わってんだよ」
ちょっとというか大分かな。
四日間の正月休みが終わり事務所に出勤すると、珠希は既にデスクに座り、陣内社長から企画書の作成のレクチャーを受けている。
「おはようございます」
二人に向けて挨拶すると、「おはよう」ユニゾンの返事が返って来た。
「企画書の書き方、大体は私が教えるけど、細かい点は中山君お願いね」
「分かりました」
「宜しくね」
珠希の言葉を聞きながらオレも自分のデスクに座り、スポーツ紙を広げる。
すると、芸能欄の下の方に、『『土曜ゴールデンではやってはいけないTV』が去年一杯でひっそりと打ち切られていた』という見出しの記事が、それこそひっそりと掲載されていた。
『――やってはいけないTV』は去年十月、土曜二十時枠で大物芸人同士がタッグを組み、「予測不能のバラエティ」と銘打って、収録中に番組タイトルを決め、会見で正式発表されるという異例の事態となり、それこそ鳴り物入りで番組はスタートした。
しかし、蓋を開けて見れば初回視聴率八・六%(関東地区)。その後も五%前後をうろうろし、事実上の最終回となった回は三%と散々なものだった。
その為、前番組のスペシャルなどでごまかしていたと記事にはある。
番組の数字(視聴率)が低い事は友達のディレクターから聞いて知ってはいた。
だが当然の結果かもしれない。大物芸人同士といっても、片方は後輩である場合が殆ど。当然後輩の人は先輩の人に気を遣い、本来後輩の人が持っている持ち味を活かせない事がある。
大物芸人同士の番組は話題にはなるが、その反面、高視聴率を取るのは難しいのだ。
三日後の昼間。多部から『夜に会えないか?』と電話が入った。
四月からスタートする新番(組)の会議や打ち合わせ、他のレギュラー番組の会議も重なり忙しい中、何とか時間を作って指定されたTVヒーローズ(テレヒロ)一八階にある社食へ、珠希を伴って向かう。
「テレビ局の食堂って初めて。落ち着いてて眺めも良いね」
珠希は入るなり目を輝かせて興味津々。
オレはまた仕事が一本増えるのではないかと不安一杯。
社食の中を進んで行くと、多部がオレ達を見付けて手を振って来た。そして隣にはTVヒーローズの平田菜水アナもいる。二人は窓際の席に座っていた。
「待ってたぞ」
微笑を浮かべる多部に対し、
「お忙しい中態々済みません」
平田アナは立ち上がり丁寧に頭を下げる。
オレ達を呼び出した多部亮。制作会社<ワークベース>の社員で、何を隠そう、この男こそが『土曜ゴールデンではやってはいけないTV』のディレクターの一人だった。
「多部君、久しぶりだね」
珠希が破顔する。
「えっ、確か珠希ちゃんだったよね? 本当に放送作家に成ったんだ」
多部は拍子抜けしたように目を丸くする。
「そう。うちの会長が採用しちゃったんだよ。オレが教育係を遣らされる羽目になった」
「「採用しちゃった」と「羽目になった」は酷くない? 一生懸命勉強してるのに。とにかく宜しくね」
笑顔を崩さない珠希に対し、
「ああ、こちらこそ」
多部は戸惑い気味に答える……しかないだろう。
「さあ挨拶も終わったし本題だよ。平田さんがいるという事は仕事の話だろ?」
「相変わらずハイスピードだな、お前は」
多部は呆れて笑う。
「だってそれしか考えられないだろう」
「本題の前に平田ちゃんから発表があるんだよ。ね」
多部の問い掛けに、平田アナは小さく頷く。
「実は私、三月一杯でテレヒロを退社してフリーに転身する事が決まりました」
「へえ、そうなんだ」
多部の「発表がある」という言葉で大体予測は着いていた。
「売れっ子アナになったのにまたどうして?」
平田アナはぶりっ子キャラで人気に火が点き、好きな女子アナランキングの上位にランクされ続けている。
が、ぶりっ子が災いし、女性が選ぶ嫌いな女子アナランキングにも上位にランクされている。
だがTVヒーローズの看板アナウンサーとして、週にレギュラーを五本も持っている。そんな彼女が何故フリーに?
「アナウンサーとしての自分の可能性を試したいんです。仕事の範囲も広げてスキルアップしたいっていう気持ちがとても強くて」
平田アナの眼光が鋭くなる。
「平田ちゃんは四月から始まる、週一の報道系情報番組のキャスターに決定してるんだよ」
多部は真顔でさらりと言う。それ絡みの仕事だな。
「そうなんだ。いつ頃に退社する事を決めたの?」
「去年の秋です。上司にフリー転身を相談しました。何度も慰留されましたけど、最後は自分の意思を貫穿しました」
TVヒーローズにとっても看板アナの退社は痛手だろう。
「つまり今の自分の立場に満足してないんだ?」
「実は私、入社以来、報道志望だったんです」
平田アナがやっと普段テレビで見せる笑顔になった。気持ちは晴れ晴れとしているのだろう。
平田アナにとってはアイドル的な脚光の浴び方が、本来持っていた報道志向と懸け離れて行ったのも、フリー転身の要因だったようだ。
「ここで本題だ。その新番の構成に、ユースケも参加して欲しいんだよ」
やっぱりな。
「そんな事だろうと思ったよ」
「私の方からもお願いします!」
平田アナはいつものぶりっ子キャラに戻って頭を下げる。
「毎回だけど、お前は事務所を通す前に仕事を振って来るよな」
「良いじゃんユースケ君。報道番組かあ、どんな現場だろう」
珠希はやっと口を開いたかと思えば、目を輝かせ興味津々。何にでも興味を持って、若いって素晴らしいって事か……。
「『――やってはいけないTV』が大コケしちゃったからさ、その責任を取らされる形になっちゃったんだよ。新番のタイトルも『NEWS YOU』に決定してる。「最新のニュースをあなたへ送る」って意味が込められてるんだよ」
「それは分かったけど、お前もオレもバラエティの制作にしか携わった事ないんだぜ。そんな奴らがいきなりニュース番組なんか出来ると思うか?」
「それは遣ってみないと分からない。だからスタッフには何人か情報番組経験者を入れる。それで多分大丈夫だろう」
能天気な奴。
「編成制作局長に、「今度の新番は絶対に成功させろ」って発破を掛けられてるんだよ。桝谷さんも情報制作局に移動する事が決まってる」
桝谷由恵プロデューサー。長年バラエティ制作センターに所属していた局P(放送局社員のプロデューサー)。
この人こそが『――やってはいけないTV』のチーフプロデューサー(CP)だった。
勿論、過去にはディレクターやプロデューサーとして当たった番組も何本かあるが、最近はプロデューサーとして携わる番組は低迷が続いていた。
今回、情報制作局に移動する事になったのは、多部ディレクター同様、『――やってはいけないTV』の失敗の責任を負わされる形となった訳であろう。
「情報制作局の番組って事は、ニュースを織り交ぜた情報番組って事だな」
「そうなんです。報道番組じゃないじゃーん! って一瞬思ったんですけど、ニュースが読めるって分かったんで嬉しいです!」
平田アナ、そのキャラのまんまでニュースを読む気か?
「それで放送日時は?」
「『――やってはいけないTV』と同じ時間。前番組を枠移動させて土曜一九時からの二時間番組になる」
「なるほどね。話は分かったけど多部、何でオレがお前の責任に付き合わされなきゃいけないんだよ」
「良いじゃねえかよ。旧交を暖めるって事でさ」
旧交というより腐れ縁の方が正しい気がするんだけど。
「嫌だね」
「そんな冷たい事言うなよ「先生」」
「胡麻擂ったって駄目だよ」
と拒否はしてみたものの、仕事を事務所に回されたら相手は陣内社長である。オレの中で諦めの気持ちが交る。
「何とか頼むよユースケ!」
「私からも再度お願いします!」
「ユースケ君、仕事を受けるべきだよ。報道の現場を勉強させてください!」
多部、平田、珠希の順で勢い良く頭を下げられ、「NO」とは言えない雰囲気が作り上げられて行く。そして――
「……分かりましたよ。遣れば良いんでしょ、遣れば。その代わり高視聴率は保証出来ないからな」
出た。オレのネガティブ発言。しかし――
「恩に着るよユースケ。お前なら受けてくれると思ってた」
多部、調子良い事言っちゃって。最初から受けさせるつもりだったくせに。
「中山さんが構成に就いてくださったら百人力ですよ」
平田アナも然り。
「うちのユースケは良い仕事しますよお」
珠希も、然り。全員の頭を一発ずつはたいてやりたい衝動に駆られた。が、ここは気持ちを入れ替えて。
「それより多部、新婚生活の方はどうだ?」
別の話題を振ってみる。
多部は去年の十一月にフリーアナウンサーと結婚したばかりだ。
「ああ、そっちの方はラブラブだよ。もうクラブにも合コンにも行ってないしな」
多部はクラブや合コンで女性と触れ合うのが趣味みたいなものだった。だから業界では「チャラ男D」と呼ばれていたのだけど。
「多部君って結婚したんだ。いつ?」
珠希が食い付く。
「去年の秋にね」
「そうだったんだ。おめでとう」
「ありがとう。でもユースケ達、披露宴で態と別れの歌ばっかり歌いやがって参ったけどね」
多部の言う通り、披露宴にはオレの他に作家四名に夕起さん、チハルも出席。「歌の贈りもの」として、MISIA の『BELIEVE』やSILVAの『ヴァージンキラー』を女性に歌って貰った。皆は「沢山の女に三こ擦り半で手を出して来た、餞だよ!」と言っていたっけ。
「お前は「チャラ男D」だからな。過去の清算をして貰いたかったんだよ。でもクラブや合コンにもう行ってないってのは凄いな。痩せ我慢か?」
「痩せ我慢じゃないよ。チャラ男が一人の女性を愛しちゃ駄目か」
「駄目じゃなくて素晴らしい事だけど、男の塊だった奴がね。ちょっと驚いた」
「結婚したら男の人も変わって貰わないとね」
平田アナが閉める。
「そういう事」
多部はしみじみとした口振り。「チャラ男D」ここに消滅――
そして翌日の午前中、TVヒーローズから<マウンテンビュー>に、正式に報道系情報番組『NEWS YOU』の構成を依頼する仕事が通達されて来る。
場合にもよるけど、作家に仕事がオファーされて来るのは、今回のように放送局からの事もあるし、番組サイドから、制作会社からの事もあり、ケースバイケースだ。
「テレヒロから新番のオファーだよ。承諾しても良いよね?」
有無も言わせぬ口振り。そして、陣内社長は意味深な笑顔。これが正直怖い。
「昨日の話だね」
珠希は満面の笑みで言う。
「そうみたいだね。昨日多部から散々説得されましたよ」
「なら話は早いね。中山君報道を扱った情報番組は初めてでしょ。色々と勉強して来なさい」
「まだ受けるとは言っていませんが」
陣内社長にはね。
「こら! また消極的な事言って」
社長はオレの左肩を『パシン!』と若干強くはたく。
「昨日は「遣れば良いんでしょ」って言ってたじゃん」
珠希!
「何だ。もう自分で承諾してるんじゃない。だったらもう何も言う事なし。十四時から初会議があるらしいから早速行ってこい! 珠希ちゃんも良く勉強するんだよ」
「心得ております」
珠希は一見神妙にして社長に会釈する。
オレはというと、陣内社長の他に「珠希」という天敵が出現した感じだ。
十三時半、某キー局のバラエティの打ち合わせを終え、車でTVヒーローズへ向かう為、珠希を助手席に乗せて出発する。
「車でレインボーブリッジ渡るの初めて。こんな景色なんだ」
珠希はウキウキ。改めて、若いって素晴らしい。
「歩いて渡った事はあるの?」
「ない」
「何だい。渡るの自体初めてなんじゃないか」
苦笑するしかない。
意外と知られていないが、レインボーブリッジには遊歩道がある。南北の二つのルートに分かれていて、ノースルートからは都市の高層ビル群が、サウスルートからはお台場から富士山までを望む事が出来る。
テレヒロ内、A6会議室。
二十人は入ろうかというこの大会議室で、ADも交えた初構成会議が開かれる。
オレ達が室内に入ると、桝谷プロデューサー始め多部ディレクターなど数名のスタッフが集まっていた。
「桝谷さんお久しぶりです」
「ああユースケ、久しぶりだね。今回は急なオファーをごめんね。また宜しく」
「こちらこそ」
「隣にいる子は?」
「新人作家の珠希です。宜しくお願いします」
「「タマキです」って、キャバじゃないんだから」
「浜家です。オレが教育係を任せられてます」
フォローすると桝谷さんは眉間にしわを寄せ、
「ハマヤタマキって、何処かで聞いた名前よね」
ヤッバ! 思い出すなよ。
「きっと昔一緒に仕事した人で、似たような名前の人がいたんですよ」
これで回避出来るだろう。が――
「そんな名前の人いたっけなあ。ハマヤって珍しい苗字じゃない? それだったら直ぐに思い出す筈なんだけど……」
桝谷さんの眉間のしわが更に深くなる。駄目か?
「ああ! 思い出した。府中で起きた『五億円強奪事件』の犯人!」
駄目だったか……。
「同姓同名です。私も辟易してます」
流石は珠希。回避の仕方を心得ている。
「そうよね。強奪犯がこんな所にいる訳ないもんね。ごめんね、嫌な思いさせちゃって」
桝谷さんはやっと納得した表情を浮かべる。よっしゃ! 今回も回避出来た。
「あんたと桝谷さんのおかげでまた情報番組に戻る羽目になったじゃん。せっかくバラエティに行けたのに」
「だから「ごめん」って謝っただろ。力を貸してくれよ」
多部が平身低頭する女性。制作会社<プラン9>のディレクターで多部と同期の下平希。オレは数回だけバラエティのスペシャルで一緒に仕事をした関係。
この下平ディレクター殿、元ヤンキーにして元読者モデル出身という、夕起さんみたいな異色の経歴の持ち主。
「私も謝ったじゃない。もう一度謝った方が良い? この度は本当にごめんなさい」
桝谷Pも平身低頭。まるで大物プロデューサーに接するような態度。
「あんまり桝谷さん達を苛めるなよ下平」
「ああ、ユースケ久しぶり。あんたも餌食にされたんでしょ?」
「まあ餌食っちゃあ餌食だろうけど」
「はいはい。私達がわるうございました」
桝谷さんはうんざりしたのだろう、投げ遣りな口振りに変わる。
「下平、もうその辺で気が済んだだろう」
声がした後ろを振り返ると、野瀬修一チーフプロデューサー(CP)が微笑を浮かべて立っていた。
長年、情報制作局に所属している局P。体育会系な人でとにかく熱い人だと聞く。が、そこが返って暑苦しいという悪評も、聞く。
今回、野瀬さんがCPを務めるという事は、桝谷さんは只のプロデューサーに降格となった訳で――
「はーい。納得しました」
下平、まだ過半数以上は不服だろう?
「野瀬さん、作家の中山とこっちは新人の浜家です。宜しくお願いします」
「お願いします」
珠希と共に深々と頭を下げると、
「君がユースケ君か。噂は下平や多部君から聞いたよ」
「どうせ陸な事は言ってないでしょう。あの二人は」
「何でも急に(仕事を)オファーした方が仕事を躍起になって遣るらしいね」
ほらね……。
「確かに今回も多部から急に言われましたね」
苦笑で返すしかない。
「二人共、今回の番組は絶対に成功させよう! 宜しく!!」
まだ会議は始まっていないのにもう熱さ全開。この人の下で仕事を遣って行けるのだろうか? 自信がない。
「そろそろ会議を始めたいんだけど、あれ、虎南さんがまだか」
野瀬さんが会議室を見渡す。
「良いですよ。あのおじさん来る前にとっとと始めちゃいましょうよ」
と下平。ヤンかディレクター、態度は堂々とし、正直口は悪い。
「そうはいかないよ。あの人も情報番組経験者なんだから」
「もう少し待ってみよう」
微苦笑を浮かべる桝谷さん。
「しょうがないですね」
不服満面の下平。
「野瀬さんの熱さと下平さんの態度に唖然としてますね」
笑顔で語り掛けて来たのは作家仲間の沢矢加奈さん。放送作家事務所<vivitto>に所属。将来の目標は秋元康さんという野心家。
彼女とは別のバラエティでも一緒に仕事をしている。沢矢さんも報道を扱った情報番組経験者の為、オファーされたのだろうて。
「沢矢さん、今年も宜しく」
「こちらこそ」
「『TERA』の売れ行きは順調?」
「ええ。そこそこ売れるようになって来ました」
嬉しそうな沢矢さん。
『TERA』とは、うちの事務所<マウンテンビュー>と沢矢さんの事務所<vivitto>がアライアンスして発刊している、放送作家の仕事振りや番組の裏話、作家養成スクールの情報などを特集したWEBマガジンである。
タイトルはテレビとラジオをローマ字にして、頭の二文字をつなげただけ。
勿論オレも制作に携わっているが、WEBマガジンの為、ギャラは一万円代と低額だ。
「そうなんだ。それは何より」
オレも沢矢さんに向け笑みを見せると――
「遅くなってごめん。前の打ち合わせが押し(時間が長引く)ちゃってさ」
遅れて虎南さんが登場。
そして何故か隣には大畑新の姿が。
「大畑、お前もオファーされたの?」
「ああ、昨日な。急で参っちゃったよ。突然ズバッと後ろから斬られた感じ」
「だからそれは里見浩太朗さんの台詞。それしかネタがないのかよ」
大畑もバラエティしか経験がない。
「野瀬さん、こんな素っ頓狂な奴が報道系情報番組の構成に携わって大丈夫なんですか?」
「マウンテンビューから二名欲しいってお願いしたんだよ。その素っ頓狂な所が彼の魅力なんだろ? 大畑君、宜しくな!」
「任せてください!」
自信たっぷりに答える大畑。「魅力」というより「汚点」だと思うのですが……。
それはそうと、大畑も有無を言わせず餌食にされたか。だが彼はどうでも良い。
「これはこれは「江戸川」さん、ご無沙汰しています」
「だからその「コナン」じゃねえよ! 「虎」に「南」と書いて虎南だオレは!」
虎南さんはオレより十年上の先輩。
だがイジられキャラで面白い人。だから「江戸川さん」と呼ぶ遣り取りは他の若手作家も遣っている定番ギャグある。
「これは失礼しました」
「お前のせいで毎回言われるよ。いい迷惑だよ、ったく」
そう。「江戸川コナン」ギャグは初めて虎南さんと仕事をした時に言ったオレの台詞。それが作家業界全体に広がるとは思ってもみなかった。
「今日ここにいらっしゃるという事は仕事ですか? 見学ですか?」
「オファーがあったから仕事に決まってるだろ!」
「本当にオファーがあったんですか?」
「あったわ!」
虎南さんは顔は笑っていないが目は優しい。この遣り取りがスキンシップだと理解してくれているからだ。
「野瀬さんに幾らか払ったんじゃなくて?」
「しつこい奴だな、払ってねえよ! オファーがあったんだよ!!」
「この人ってこういうキャラなの?」
珠希がオレの左耳に耳打ちして来る。
「そう。この遣り取りが楽しいんだよ」
オレも珠希の右耳に耳打ちした。
「なるほどねえ」
「お前ら何こそこそ話してるんだよ」
「いいや、別に。仕事の話です」
「お楽しみの所悪いんだけど、「役者」は揃ったんだしそろそろ(会議)始めない?」
下平はうんざり顔。
「そうだな。それにしてもユースケ君、先輩に失礼だぞ」
野瀬さんに窘められても、だって面白いんだもん。
「虎南さん、今回は(オファーを受けて頂いて)ありがとうございます」
野瀬さんは慇懃に頭を下げる。
「良いんだよ野瀬君。全力で仕事するから」
「心強い限りです!」
野瀬さんの嬉しそうな顔。
言動から分かる通り、野瀬CPより虎南さんの方が一、二年業界歴は長い。
「さあ、気合を入れて会議を始めよう!」
野瀬さんの号令により、TVヒーローズのプロデューサーが野瀬さんと桝谷さん含めて七人、ディレクターが六人。<ワークベース>のプロデューサーが一人にディレクターは五人。それに<プラン9>のディレクター四人。オレを含めて作家五人が集まり、やっと会議が始まる。
「キャスターは平田菜水の他にフリーの山下由香利、天気コーナーは「イケメン過ぎる気象予報士」として評判の久保淳で決まっています。主要キャストを若手にした通り、僕は番組の方向性を若者向けにしようと思っています。裏はNHKの『ニュース7』です。『ニュース7』に勝つにはどういう番組にしたら良いのか、皆さんには存分に知恵を絞って頂きたい」
ここで野瀬さんが「ハッ」とした顔付きになる。
「どうかしたんですか?」
「ごめんなさいね。オレだけベラベラ喋っちゃって」
「良いですよ別に」
「番組の方向性は大事だからさ。決まってるんなら話は早いよ」
オレも虎南さんも苦笑。
「後で嫌でも黙ってて貰いますから」
下平はバッサリ。
「あらそう……」
野瀬さんは意気消沈。
「若者向けという事は、コメンテーターも若手の評論家や随筆家の人にオファーするつもりですか?」
「そう思ってる」
野瀬さんの意気が蘇った。
「なるほど……」
それにしても毎回思うのだが、「○○すぎる○○」とは、一体誰をボーダーラインにしているのだろうか? 謎だ。
「若者をターゲットにするならオリコンのCDランキングとか、新曲紹介とか音楽情報を充実させるのも一つの手だよね」
「デートスポットとかお取り寄せ出来るグルメ紹介のコーナーもありだよね」
次々に意見を出して行く下平と桝谷さん。でも、「デートスポット」、「お取り寄せグルメ」は他局の夕方の番組でも扱っている。完全にデフォルメだ。かといって、兎角オレに妙案がある訳でもないんだけど――
「今の時期だと就活中の大学生とか新入社員を特集したコーナーがあっても良いですよね」
とは沢矢さんの意見。
「ああ、それもそうだね。楽しいコーナーばかりじゃなくて現実も取り扱わないとね」
桝谷さんはしみじみと言う。
「これで大体決まりね。二十時台は社会派のコーナーからグルメ、音楽コーナーにする事が」
「大方大綱は決まったな」
以外と満足げな桝谷さんと野瀬さん。こんなにすらすら決まって良いのだろうか気になるけど、両プロデューサーが「良し」とするなら何も言うまい。
「音楽コーナーはCDランキングと今の時代、レコチョクランキングも追加した方が良いかもね」
「ああ、それ良いと思う」
下平ディレクターから賛同を得た。
「何位から発表する事にする?」
「それは十位くらいからで良いんじゃないかと思うんだけど」
「月一でアルバム売上トップ10もあった方が良くないか?」
テレヒロの男性ディレクターが乗っかって来る。
「それも良いね。音楽コーナーが充実するし」
下平が大きく頷く。
「ちょっと良いですか?」
珠希が手を挙げる。
「何新人?」
桝谷さんが尋ねた。
「お天気コーナーのBGMは決まってるんですか?」
「いいや。まだだけどどうして?」
「新鋭の若手アーティストの曲を使ってみるっていうのはどうでしょうか?」
「新人、中々良い提案するじゃない」
桝谷さんが爪弾きした。
「それなら月ごとに曲を変える事にした方が良いね」
大畑がやっと口を開く。
「大畑、珍しく良い提案するじゃない」
「「珍しく」は余計でしょう。オレだって真剣に会議に参加してますよ」
大畑がふざけてムッとした顔付きをする。
「じゃあ二十時台のコーナーはこれで決まりね」
「後は十九時台の報道をどう観せるかだな」
桝谷さんと野瀬さんが話を切り上げようとしたその時――
「皆、オレの意見も聞けよ」
今まで黙っていた虎南さんが口を開く。
「これは済みませんでした虎南さん」
野瀬CPが慇懃に頭を下げる。
「桝谷ちゃんもそうだけど、シモダイラも訊かなきゃ駄目だろ!」
「あたしシモヒラなんですけど!」
下平が食って掛かる。
「まあまあシモダイラ、あんまりカッカするなよ」
「だからシモヒラだって言ってんだろ!」
「ごめん。それで「江戸川」さん、何かダメ出しがあるんですか?」
「だからその「コナン」じゃねえって言ってるだろ! ダメ出しじゃないけど、つまり十九時台は報道にして二十時台はワイドショー的な番組にするって事だな?」
「はい。その方向で話は進んでますね」
野瀬さんはあっさりとした口振りで認める。聞いてりゃ分かるだろ……。
「肝心なのは前半のニュースをどう伝えるかだよ」
「それを今から話し合うんじゃないですか。珠希、虎南さんに何か言葉を掛けてやんな」
「おじさん、頑張って行きましょう!」
「誰がおじさんだよ! お前誰だ!?」
「新人の浜家珠希です」
「新人なのにもう「おじさん」呼ばわりか。ユースケ、お前どういう教育してるんだよ」
「オレもまさかおじさん呼ばわりするとは思ってませんでしたよ」
珠希も中々言うね。
「お前がオレの事イジるから真似するんだろうよ」
「それよりニュースの観せ方ですよ、「江戸川」さん」
下平……。
「だからその「コナン」じゃねえって言ってるだろ! 「虎」に「南」と書いて虎南!」
「それはさっき聞きましたけど」
「だったら間違うなよ。ユースケのせいでディレクターもオレをイジり出しただろうよ!」
「それは済みません。でも下平、どっちかにしようよ。先に進めたいんならイジらないでさ」
「ユースケの真似しただけだよ」
何処となく楽し気な下平。イジってみたかったようだ。
「ニュースの観せ方っていったら、週末の放送だし一週間のヘッドラインニュースも必要ですよね」
「それをVTRにして一遍に観せるか、平田ちゃんと山下ちゃんの二人が読み上げるかがポイントだな」
虎南さんがビジネスモードに戻る。
「僕は二人に読ませた方が良いと思います」
とは野瀬さんの提案。
「最新のニュースを先に読ませるか、ヘッドラインを先に持って来るか」
とは下平の意見。
「それは、一週間のニュースが先の方が良いんじゃないか」
「ヘッドラインを頭に持って来て、特に注目すべきニュースをコメンテーターに振るっていうので良いんじゃない」
桝谷Pがオレの意見に被せて来た。
「最新のニュースもそのテイストで取り敢えず良いだろう。皆さん、この調子で後二ヶ月煮詰めて行きましょう。宜しく!!」
野瀬CPの威勢の良い掛け声で初日の会議は終了。が――
「『力の限りゴーゴゴー!!』ですね」
大畑……。
「古い番組を……」
『力の限りゴーゴゴー!!』。一九九九年十月から二○○二年九月まで放送されていた、ネプチューンMCのバラエティ番組。皆さんご記憶にありますか?
珠希を助手席に乗せ、TVヒーローズを後にする。
「どうだった? 初会議は」
一応感想を訊いてみる。
「長かったけど楽しかった。ああやって番組は作られて行くんだね」
珠希はウキウキしている様子。
「楽しかったのなら何より。でももっと長い事もあるんだぞ。覚悟しとけよ」
「ご心配なく。番組作りって楽しいって学んだから」
珠希はまだまだ余裕。その余裕がいつまで続くかな?
「オレも新人の頃はそうだったかなあ」
「ユースケ君会議嫌いなの?」
「拘束時間が長いんだよ。だから新人の頃よりかはしんどくなってる」
「そうなんだ。でももうベテラン作家なんだから仕事を楽しんだ方が良いよ」
「まあね」
見習い作家から励まされる。珠希は大物になるかも――
翌日、平田菜水アナのTVヒーローズ退社と春からスタートする報道系情報番組のメインキャスターを務める事が報道された。
スポーツ紙では『平田菜水アナ、ニュースキャスターに初挑戦!』などと各紙一面を飾り、ネットニュースでも大々的に報じられる。
それに合わせ、同日夕方の十六時から平田、山下両アナが揃ったキャスター発表会見が開かれた。
「念願だったキャスターに就ける現在の心境はいかがでしょうか?」
男性記者の質問に対し平田アナは、
「まるで夢見たいです。新人のような真っ白な気持ちで頑張りたいです」
と抱負を語り、山下由香利アナも、
「私も目標だったキャスターに抜擢して頂いて本当に光栄です。今まで培ったものを全部活かし全力で頑張ってまいります」
と語った。
「平田さんは五月で二九歳になられますが、「女子アナ三○歳定年説」についてどのようにお考えでしょうか?」
女性記者の質問に、
「女性にとって三○歳という年齢は女子アナに限らず、一つの転機だと思っています。「女子アナ三○歳定年説」、私はあると思います。その時私がどうなっているのか、何が出来るのか想像しています。楽しみです」
と、いつもの「菜水スマイル」を見せて語った。
記者に交じって会見の模様を後ろの方で見ていたが、二人共期待に胸を膨らませているのは十分分かる。その期待が何処まで持続するかは、放送が始まるまで推測出来ない。
TVヒーローズ関係者は、
『局としても昨年秋からの平田アナの気持ちを考慮すると、心機一転すっきりした気持ちでスタートする方が良いと考えたようです。スタッフ一丸となって新しい平田アナを盛り上げて行こうという事でしょう』
と言っているそうだから、上層部の期待も相当高いに違いないだろう。
二月初旬の五回目の会議での事。
「お天気コーナーのアシスタントと音楽コーナーの担当は若手の女子アナで良いと思うんだけど、スポーツコーナーの担当がまだ決まってないのよね」
桝谷Pが頬杖を突いて漏らす。
それを聞いて、曾てテレヒロが制作していたあるバラエティ番組を思い出した。
その番組はある大物芸人がMCの冠(番組)で、現在アナウンス副室長の村岡由起アナが、「TVヒーローズの女性アナウンサーをもっと知って貰いたい」と、番組に企画を持ち込んだのだ。
村岡アナは六人の後輩を引き連れてスタジオに登場。その中に東大卒で才色兼備の奥村真子アナがいた。
番組の中盤、MCの大物芸人が女子アナ達に目を伏せさせた状態で、「自分の事をかわいいと思ってる人挙手して」と振った所、六人中三人が挙手したのに対し、奥村アナは手を挙げなかった。
MCが「何で手を挙げなかったの」と尋ねた所、奥村アナは、「私はかわいいじゃなくて奇麗だと思います」と自然体で解答。確かに奥村アナはミス東大に選ばれた程のルックスだ。
しかし彼女の自信発言はこれだけに留まらなかった。
「私に見合う男性がいないんです」や、「年収二千万円は稼いでくれる男性じゃないと結婚したくはないですね。私は結婚したら子供を産んでこれまでのキャリアを捨てるんだから、当たり前ですよ」といった発言を連発。
他にも、「私、そんなにモテないんです」といった消極的な発言をして、MCに「分かる分かる」と突っ込まれスタジオは笑いに包まれたが、一部の男性視聴者からは、「性格悪過ぎじゃね?」という批判があった事も事実。
オレはその番組を自宅アパートで観ていたが、キャラ作りではなく素で言っている彼女にムカつく事はなく、「面白い人だなあ」と思って観ていた。だから――
「スポーツ担当は奥村真子アナに頼んではどうでしょうか?」
奥村アナを推薦した。
しかし桝谷Pは、
「奥村? あの子メインの平田より一年上よ。しかも表情が暗くて滑舌も悪いから上層部は起用法に頭を悩ませてるっていうし。それにあの子も報道志向でプライドも高いのよ。それでスポーツ担当になったら「私は平田の添え物じゃない!」って不満を爆発させるかもよ」
こう言って渋い顔で難色を示す。が、
「だからスポーツの時だけ登場して、後は姿を消す。ちょっと特別扱いにしたら彼女のプライドも傷付かなくて済むんじゃないですか」
「特別扱いねえ……」
「もしプライドが傷付いたとしても、与えられた仕事はそつなくこなすタイプだと思いますよ」
オレはごり押しした。
「確かにそうかもしれないけど……」
「そんなに奥村ちゃんを推すって事は、お前彼女の事狙ってるな」
多部Dが茶々を入れる。
「狙ってねえわ。別に」
「じゃあ何で奥村アナなの?」
下平も然り。
「前に奥村アナが出てた番組を思い出して面白い人だなって思ったからだよ」
「ふーん。それだけ?」
「それだけだよ」
「ねえ、どうする?」
桝谷Pは戯言には参加せず、真面目な表情で野瀬CPに振る。
「オレはユースケ君の案で良いと思うよ」
野瀬さんはさらりとした口振りでGOサインを出した。
「分かったわ。アナウンス室と掛け合ってみる」
桝谷さんは渋々承諾。
先輩アナが後輩アナのサポートに徹する事が決まった。プライドが高い先輩アナはどういう反応を見せるか、推薦したオレが言うのも何だが、さてどうなる事やら――
三月に入り、平田アナと山下アナが出演する『私達、変わります。TVヒーローズと共に』との台詞が入るテレビCMが頻繁に流れるようになった。
駅構内や中吊りにもCMの惹句と同じ文字が書かれた番宣ポスターが貼り出され、テレヒロの玄関付近の掲示板にも番宣ポスターが三枚貼り出された。
しかも屋上から同じデザインの巨大ポスターまでもが吊るされ、局の番組に対する力の入れ具合が嫌でも伝わって来る。制作スタッフは嫌でもプレッシャーだ。
平田アナもニュース読みの練習を本格的に始める。
しかし彼女はどうしても最後に笑ってしまう癖があり、その度、多部から「笑うな!」と注意されていた。少しかわいそうな気がしないでもないが、報道系情報番組キャスターの使命だろう。
構成も煮詰まり、一週間のヘッドラインニュースは番組冒頭に持って来て平田アナと山下アナが読む事、お天気コーナーのアシスタントは入社二年目の宮下紗香アナが担当し、音楽コーナーは入社三年目に入る森井真夜アナが担当する事。
そして、二十時台は社会派の特集の他、グルメやファッションの特集も入れ、新たにエンタメニュースも入れる事が決まった。こちらは森井アナと同期の高倉優アナが進行を担当する。
番組ホームページも立ち上げられ、
『この度『NEWS YOU』のメインキャスターを務めさせて頂きます、平田菜水です。ニュースをお伝えする番組は、ほぼ皆無に等しいので、連日緊張・新しい分野に踏み込んだことへの気概のない交ぜです。
ですが、そんな私にも、どうお伝えしたら皆さんに分かり易く通俗なニュース番組になるのか。こういうお伝え方をしたらどうだろう。と、頭の中ではどんどんアイデアが浮かんでいるのも事実です。
まだまだ未熟者の私がどのように成長していくのか、そしてなにより、皆さんに「NEWS YOUって面白いニュースショーだね」と思って頂けるよう、日々精進してまいります』
平田アナのコメントが、満面の笑みの写真と共に掲載されていた。
彼女としては懸命に勘考した文章なのだろうが、読みようによっては大見得を切ったように思えなくもない。
各出演者との打ち合わせも本格的になって来た。
そんな中、多部と珠希も加わり、TVヒーローズ近くのカフェで山下由香利アナと打ち合わせをした時の事。
約九十分後、
「じゃあその方向で宜しく!」
多部が打ち合わせ終了の合図を出し、全員が席を立つ。
その刹那、
「ユースケさん、この後時間ある?」
山下アナが誘って来た。
「モテモテだなお前」
多部がにやついて茶化す。
「私も付き合った方が良いのかな?」
「今日の仕事はこれで終わりだから、珠希は帰っても良いよ」
「本当? この後バイトだから良かった。楽しんで来てね」
バイトって、例の花魁居酒屋ね。
「タクシーで移動するんだろ。はい、タクシー代」
珠希に一万円を渡す。
「ありがとう」
珠希は笑顔で受け取る。
その様子を黙って見ていた山下アナは軽く頷く。
「楽しんで来てね」
多部がオレの右耳に珠希の口真似をして囁く。楽しそうな顔しやがって。
しかしオレだけ誘われたって事は、山下アナはオレに何の用があるのだろうか?
「じゃあ行きましょう。ユースケさん」
山下アナは何食わぬ顔でカフェから出て行く。
オレは車をTVヒーローズの地下駐車場に残し、山下アナと二人でタクシーに乗り移動する。
連れて行かれた場所は、渋谷区道玄坂の雑居ビル。
「このビルの二階に行きつけのバーがあるの」
山下アナの後ろに付いて行き、エレベーターで二階に上がる。正面にある店名が書かれたプレートが提げられた鉄扉を山下アナは押し開けた。
「いらっしゃいませ!」
男性バーテンダーの威勢の良いユニゾンの挨拶が飛ぶ。一見普通のバーだが、入店した瞬間、つんと鼻腔を刺激する香りが漂っている。
「びっくりしたでしょう。ここハーブを扱ったバーなの」
「ハーブ……」
でも普通のハーブではないな。山下アナは常連とだけあって慣れているようだが、オレは頭がボーッとして来た。
これはもしや……数年前、スペシャルの情報バラエティ番組で「脱法ハーブ」を製造する工場を取材した事を思い返す。
脱法ハーブはハーブに化学薬品を混ぜる単純な製法だと、製造している男性は語っていた。
住宅街にあるアパートの一室。ドアを開けるとハーブの強い匂いが漂う。玄関の右手には湿度計の付いたプラスチック製の箱が二十個以上置いてあり、細断された枯れた植物のような物がびっしりと入っていた。
「商品としてパックに小分けされる前の脱法ハーブだよ」
男性はこう説明する。
押し入れや戸棚にはカモミール、ローズマリー、ジャスミンなどが仕舞われていて、
「世界各国で売られている物をインターネットで輸入しているんだよ」
と男性は言う。
フードプロセッサーで砕いた複数のハーブを混ぜて「ブレンドハーブ」を作り、溶剤で溶かした化学薬品を加える。後は縦五十センチ、横三十センチ程のアルミ製容器に入れ、三、四時間乾燥させるだけだという。
換気には気を遣うらしく、エアコンと空気清浄機だけではなく、吸引力の強い掃除機でこまめに粉塵などを吸い取らなければ、従業員が化学物質を吸い込み健康に異常をきたすと説明された。
最後に男性は、
「私は合法的に作った物を売っている。後は客の自己責任だよ」
こう正当性を強調していた。
バーの中の年齢層は二十代前半から三十代前半といった所。という事は、このバーは「ぶっ飛びたい」という若者達の巣窟となっているのだろう。
「脱法ハーブ」と呼ばれていた当時、覚醒剤や麻薬などの規制薬物を使用していない為、「合法」と称されていたが、それも今や昔。成分は違法薬物とほぼ変わらないし、吸引して意識障害やけいれんを発症した使用者が、自動車事故を引き起こす事例が相次ぎ社会問題となった。
厚生労働省は「脱法ハーブ」に使用されている化学物質を次々に指定薬物として行き、今や「脱法ハーブ」という名称は消え失せ、「危険ドラッグ」と呼ばれている時代。その事実を、まさかこれからニュースキャスターを務める山下アナが知らない筈はあるまい……というより言わせない。
取り敢えず山下アナはカクテルを、オレはビールを注文し、「一応」乾杯した。
「山下さん、何でオレをこんな「違法バー」に招待してくれたの?」
「私の息抜きの場所なの。ユースケさんは口が硬いって思ったから」
「口が硬いねえ……」
というより見縊られているだけの気がするんですけど……。
「唐突だけど私、今回の番組に賭けてるの。絶対成功させるってね。ユースケさんもそうでしょう?」
「まあ初めての報道系情報番組だし、多少の期待と不安もあるけど、あまり肩肘張らない方が良いと思うよ」
特にあなたの場合は。
「どうして?」
「いや、肩の力を抜いた方が自分の力を発揮出来るんじゃない」
「確かにそうかもね。気を付ける」
山下アナは笑みを浮かべてカクテルを飲む。その笑みは危険をはらんでいるような気がして胸騒ぎを覚えた。
この人、何か仕出かすな……要注意人物だと率直に思った。
「もう十分癒された」
と言い訳を付け、山下アナを残して一時間でバーを出た。
「癒された」は勿論嘘。本当は危険ドラッグの刺激臭が限界だったからだ。
「ラリった」状態でタクシーを拾い、そのまま練馬区内のチハルのマンションに帰る。
因みにチハルの職業はキャバ嬢。彼女は数年前までAVの企画女優(単体では売っていない女優)のアルバイトもしていた。
新人作家だった頃、ある番組の取材の為、AVの撮影スタジオを訪れたオレは、チハルにあるいたずらをした。
内容は捲りで覆われたパネルの後ろに全裸の女性が立ち、一般的には簡単なクイズが出題されて行く。不正解の場合は捲りが一、二枚ずつ剥がされて行き、正解数に応じてイケメンの男優、不細工、又は中年の男優とSEXするという内容だった。
「関ヶ原の戦いで、徳川家康と争った武将の名前は?」
チハルは答えられず、オレは側にあったスケッチブックに大きく小栗旬と書いて見せた。「そんなアホな!」という答えだが、彼女は真に受けて不正解。
でも最終的には、チハルはイケメンの男優とSEXする事が出来たのだが――
憤ったチハルは撮影終了後、「お詫びにデートに誘え!」と推測不能な要求をして来た。一応約束は果たしたが、それ以来、未だに腐れ縁……いや、芳縁が続いている。
オレの自宅アパートは東京郊外の為、もっぱらチハルのマンションに入り浸っているのが実情だ。
マンションに着くと、チハルは今日は仕事が休みで「おかえり」と出迎えられた。
「ただいま」
挨拶も素っ気なく返し、直ぐさまリビングのソファに倒れ込んだ。
「水くれる」
「どうしたの? 身体の具合でも悪いの? 顔色悪いよ」
チハルがミネラルウォーターをコップに注いで持って来てくれる。
「仕事仲間とバーに行ったんだよ」
「バー一店だけ?」
「うん」
まさかそこで危険ドラッグを吸ったとは言えますまい。
「飲み過ぎたんじゃないの?」
「かもしれない」
「「酒は飲んでも飲まれるな」って言うじゃん。自分の身の程を考えなくっちゃね」
「うん。気を付ける」
その日はそのまま寝てしまった。
翌日、やっと気分が良くなったと同時に、昨日の事を野瀬さんか桝谷さんに報告した方が良いのか悩む。新番で期待度も高い番組のキャスターが、開始前にスキャンダルを起こしたら一大事だ。
しかし「口が硬い」オレは何も言い出す事が出来ず、様子見のまま、四月上旬土曜日の第一回目の放送日を迎える。
正午より主要出演者、主要スタッフ、三人の記者が集合した全体会議がスタッフルームで開かれた。
ここまでで山下アナが違法バーに通っているという報道は、何処のスポーツ紙も週刊誌もすっぱ抜いていない。少し安心する。
「皆さん、今日がいよいよ運命の初回放送日です。気合入れて行きましょう!!」
野瀬チーフプロデューサーは拳を固く結んで檄を飛ばす。一番肩の力を抜かなきゃいけないのは山下アナではなく、野瀬CPなのかもしれない。
今日の最新ニュース収穫の為、野瀬さんが逸速く届いた夕刊を広げ、一通り目を通した後、
「西谷君はこれで行こう」、「石川さんはこのニュースをお願いね」、「清水君はこのニュースを頼むよ」と三人の記者に指令を出して行く。
会議ではニュースのネタの優先順位や取材体制、取材の方向性などについて話し合いをし、その日のニュース内容などを決定して行く。
一週間のヘッドラインニュースは他の報道番組が取材済みの為、VTRなどの素材を借りるが、一週間の内に結末を迎えたニュースの場合、改めてニュースの現場に記者を向かわせる事もある。
だが取材済みであるとはいえ、番組独自の二ュース原稿を作成しなければならない為、一週間分の新聞に目を通す事も必須だ。
三人の記者は担当ディレクターと共に、早速現場へ向かう為にスタッフルームを出て行く。
「次行くよ。今日は社会派の特集です。テーマは「新人社会人の脆さと図太さ」。V流すよ」
下平Dが声高に告げる。
スタッフルームの26インチのテレビに事前に取材したVが流された。本番でキャスター達が何処まで自分の言葉でコメント出来るかが見ものだ。
Vのナレ原(ナレーション原稿)は昨日までに下平が書き上げ、後はナレーターが本番中にブースで読み上げるだけ。Vは完パケ(完成パッケージ。完成したVTR)の状態だ。
撮影は四月一日の入社式から昨日までの三日間、TVヒーローズから他社の新社会人に密着している。
「自分の言葉で正しく情報をお伝え出来るアナウンサーになりたいです」。テレヒロの新人女子アナ。
「上司から頼りにされる逞しい社員になりたいです」。他社の男性社員。
他にも数人が抱負を語った後、新入社員の研修風景へとVは流れて行く。
「あなた達みたいな出来の悪い社員は初めてです!」。テレヒロの女性アナウンサーの叱咤に泣き出してしまう女子アナ。
数分後、「さっき何故泣いていたんですか」。男性記者の問い掛けに、「出来ない自分が悔しくて。私はこんな事も出来ないんだって」。泣いた理由を神妙な面持ちで語った。
これはオレにも泣きはしなかったけど経験がある。「こんな事も言われなきゃ分からないのか……」と落胆したり、「企画書をもっと分かり易く書け」と言われる度、書くこっちの方が分からなくなって行ったり……。新人時代は苦労と悔しさの連続だ。
「私も研修中に同じような事があったなあ」
平田アナが懐かしそうに呟けば、
「テレビ観てこの人は優しいだろうなと思った人に限って、案外厳しかったりするのよね」
と山下アナも新人時代を懐かしんでいる様子。
二人が新人時代を懐かしんでいる内に、約一五分間のVは終わった。
「さあ、本番までにコメントを考えておいてね」
下平の呼び掛けに、平田アナと山下アナは「分かりました」と答える。
十五時。取材を終えた二人の記者が局に帰って来た。もう一人の記者は現場から生中継する予定だ。
オレ達作家は記者も交えて一週間分の新聞、今日の夕刊に目を通してニュース原稿を作成して行き、平田、山下アナは下読みをして行く。
記者は自分が取材したニュースを原稿にする。
例えば――
Q二月十二日金曜日のニュースです。
Q北朝鮮は、日本が北朝鮮に対する独自制裁を決めた事に反発し、日朝合意に基づく日本人に関する包括的な調査を全面的に中止し、特別調査委員会を解体すると宣言しました。
Q北朝鮮は日本の独自制裁について、「極度の嫌悪感と沸き立つ憤怒を禁じ得ない」と非難。「我々に対する全面的な挑発だ」とし、二○一四年五月のストックホルム合意について、「破棄を公言した」と決め付けました。
Q日朝両政府は二○一三年末頃から秘密接触を開始。二○一四年五月の合意で、日本が北朝鮮に対する制裁を一部緩和する事と引き換えに、北朝鮮が拉致被害者を含む日本人の再調査の実施に応じました。
Q日朝双方は、北朝鮮が二○一四年秋頃までに最初の調査結果を日本に通報する方向で調整していましたが、依然、実現していません。
二○一六年二月十二日の新聞より
コメントを求める場合――
今月七日に北朝鮮は長距離弾道ミサイルを発射させた訳ですが、日本人拉致問題の解決を目指した日本政府に対する報復措置とみられているようですね。
といった具合となる。
「珠希、じっくり読んでたら時間なくなるぞ」
「分かってるけど普段新聞読む事ってないからさ」
珠希が「キッキッキ」と笑う。
珠希は新聞が物珍しいようで、原稿にならない部分の記事も読んでいるから作業は遅れがち。
最近の子達はネットニュースが主な情報源だからな。仕方がないといえばそれまでだけど、
「かわいく笑たって駄目だぞ。もっとスピードアップしろ」
虎南さんにも発破を掛けられ、
「はーい。おじさん分かりました」
珠希がやっと作業に集中する。
「だから「おじさん」は止めろってんだよ! 「虎南さん」と呼べ」
「まあまあ「江戸川」さん、後でちゃんと教育しておきますから」
「だからその「コナン」じゃねえよ! ったく、お前にも教育が必要だな」
虎南さんはニヤリとして作業に戻る。
虎南さんの左隣で作業をする沢矢さんも「フフンッ」と鼻で笑う。
やっぱり「江戸川さん」ネタはまだまだ鉄板だ。
約二時間掛けてニュース原稿とスポーツ、エンタメニュースの原稿とナレ原を書き終えた後は、お天気コーナーアシスタントの宮下、音楽コーナーの森井、エンタメニュースの高倉アナ、スポーツ担当の奥村アナとの打ち合わせだ。
「よし、終わったね」
「ご苦労さん」
TVヒーローズ二階でVTR編集をしていた、下平と多部がスタッフルームに戻って来る。二人は早速ナレーターとの打ち合わせの為、ナレ原を持ってそれぞれの担当の楽屋へと出向いて行く。
お天気コーナーは虎南さんと沢矢さん。音楽コーナーは大畑。オレと珠希はエンタメニュースとスポーツの担当。
オレが奥村アナをスポーツ担当に推薦した為、押し付けられた恰好だ。
早速担当ディレクターと三人で202の高倉アナの楽屋へと向かう。
「やっぱり初回は緊張しますね。大役を任されてちゃんと伝えられるかなあ」
高倉アナは苦笑する。
「入社三年目なんだから自信持って」
「そうですよ。リラックスリラックス」
珠希と共に高倉アナを励ます。
「エンタメはナレーションも入るからそうカチカチにならないで、落ち着いて原稿を読めば大丈夫だよ」
「表情は明るめにな」
男性ディレクターが念を押す。
「はい。分かりました」
高倉アナは快活に返事をした。
約二十分の打ち合わせが終わり、残るは奥村アナとの打ち合わせ。スポーツ担当のディレクターに電話で高倉アナとの打ち合わせが終わった事を告げ、206の奥村アナの楽屋前で落ち合った。
「ユースケさん、今回は私をスポーツ担当に推薦してくれたんですってね。ありがとう」
挨拶を交わした後、開口一番に言われた言葉がこれ。
こう言う奥村アナだが、顔も目も全く笑っていない。男性ディレクターと目が合うと、「それ見た事か」と目で嗤う。
奥村アナとオレは生まれた年は一緒だけど、彼女は早生まれで学年は一つ上。まるで先輩から皮肉を言われているようで冷や汗ものだ。
「不服な事は分かってる。けど仕事はそつなくこなす人だと思ったからさ」
「そつなくねえ。ありがとう。今日私が読む原稿はこれ?」
奥村アナはこれ以上の皮肉は押さえて淡々と打ち合わせを進めて行く。
「そう。お願いします」
「表情は柔らかくね」
今度は珠希が念を押す。
「あなた新人?」
「はい。新人の浜家珠希です」
眼光鋭い奥村アナに珠希は委縮する。
「分かったわ。笑えば良いんでしょう」
淡々と返す奥村アナ。だがやっぱり顔も目も笑っていない。その表情が本番でどう変化するのやら――
本番一時間半前、出演者、スタッフに弁当が配られた。
初回のコメンテーターはフォトジャーナリストの林裕二さん。既にディレクターとの打ち合わせは済んでいる。
林さんは若手ながら世界四八ヵ国の現場を巡り活躍している実力派だ。
これから十分で弁当を食べて出演者達は衣装に着替え、整髪、メイクと済ませて行く。
弁当は仕出し、ロケ弁で有名な店の幕の内弁当。
「野瀬さん、随分と奮発しましたね」
「番組も弁当も気合入ってるだろ!」
野瀬さんは白い歯を見せてガッツポーズを決める。これだけ気合を入れて数字が低かったらえらい事だ。とは、何があっても口には出せますまい。
「珠希、味わって食べてたら時間なくなるぞ」
「ユースケ君食べるの早くない? 皆もそうだけど」
「この業界の人達は皆早いのよ」
沢矢さんが優しい笑顔で告げる。
「そうなんだ。私も早くしよ」
珠希がご飯を頬張った。
「だからって無理しなくて良いんだよ。それより大畑、森井さんの様子はどうだった?」
何故こいつに態々確認したのか。大畑の事だから陸な事は言ってないだろうと判断したからだ。
「かなり緊張してたけど、得意のギャグで和ませたよ」
「どうせ下ネタだろ?」
得意そうに話す大畑だったが――
「まあな。チ○コギャグっていうやつ」
「やっぱりな……」
しかも女性にいきなり……。
「それで、どんなギャグなんですか」
沢矢さんは呆れながらも興味津々で訊く。
「森井真夜は男性器と同じだって言ったんだよ」
「何でだよ? それに無礼な」
「だってどちらも良いアナ(穴)目指してるからな」
沢矢さんは失笑。オレと珠希は苦笑。
「勿体ぶって言うギャグじゃないし、下品且つ大して面白くない」
「そうか? 結構自信あったんだけど」
「それで真夜ちゃんの反応はどうだったんですか」
沢矢さんが訊く。
「勿論笑ってたよ。「緊張がほぐれました」ってな」
「緊張がほぐれました」はお世辞で笑いは苦笑で間違いない。やっぱり大畑は素っ頓狂。そしてデリカシーがない。
「お前達戯言言ってないで早く食えよ」
虎南さんが渋い顔で注意する。
「はい」
「分かりましたー」
沢矢さんは笑みを浮かべたまま明るく答えた。
十八時五十分。いよいよ本番の為、平田、山下両アナ、林さんがセット内の席に着席する。
林さんの衣装はスーツではなく、自前のTシャツにジージャン、迷彩柄のパンツ姿。しかも足元は雪駄という出で立ち。この恰好でニュースのコメントをするのだから、ある意味凄い……としか形容しようがない。
山下アナは落ち着いているが、平田アナは開始ギリギリまで原稿の下読みに余念がない。
「本番十秒前でーす!」
フロアディレクターの甲高い声がスタジオに響く。
平田アナが大きく深呼吸する。
オレ達作家は全員サブ(副調整室)へ移動し、本番を見守る事になった。
「八、七ー、六、五秒前ー、四、三……」
フロアディレクターのカウントが終わり、タイトル画面が流れる。そして画面はスタジオへと移った。
「こんばんは」
平田アナの第一声に続き、山下アナも一礼する。
「時刻は夜七時になりました。今日からスタートしました『NEWS YOU』。皆さんに分かり易く丁寧に情報をお伝えして行きます。どうぞ最後までお付き合いください。本日のコメンテーターはフォトジャーナリストの林裕二さんです。宜しくお願いします」
「お願いします」
「皆様どうぞ気楽にご覧ください」
山下アナは自然な笑みで番組をアピール。
「気楽に観られるニュース番組って良いですね」
林さんが早速、番組に花を添えた。
「はい。私達はそういった番組を目指していますから。それにしても林さん、今日は随分ラフな格好ですね?」
山下アナは食い付く。
「そうですね。では早速、今週のヘッドラインニュースからです」
平田アナの進行により、山下アナも「ニュースモード」へと変化する。
「山下ちゃんはアドリブが利くけど、平田ちゃんには焦りが見えるな」
虎南さんがモニターを見詰めて言う。
「虎南さんの言う通りだね。笑顔が引きつってるし、先を急ごうとしてる」
桝谷Pもモニターを見詰めたまま言い、
「まあ遣ってく内に慣れて行くだろう」
野瀬CPは苦笑した。
平田アナにとっては新人の頃ストレートニュースを任されて以来、初めて本格的にニュースを読む仕事。
だが場数を踏んで行けば、野瀬CPが言うように笑顔も進行も自然となって行くだろう。
ヘッドラインニュースは平田アナから山下アナと交互に読んで行き、
「では次に、最新のニュースをお伝えします」
最新のニュースも同様に番組は進んで行く。
途中途中で林さんにコメントを求め、ニュースの現場から記者の中継が入る。ここまでは順調だ。そして――
「では今週の特集です」
「初回の今夜は「新社会人の脆さと図太さ」に密着しました」
山下アナのV振りにより、会議中に観たVが流れる。さあ前もって観た成果は活かされるか。
Vが終わり、画面は再びスタジオのスリーショットへと切り替わった。
「私もさっきの彼女みたいに、「何でこんな事も出来ないの」ってめそめそしちゃった事があるんですけど、でもそれを乗り越えてプロになって行くんですよね」
平田アナのコメント。
「そうなんですよね。試練を乗り越えればあっという間に自分が指導される立場から、指導する側になってるんですから、大丈夫ですよ」
山下アナのコメント。
「林さんはどう思われましたか?」
平田アナが振る。
「新人の頃ははったりを言っても良いと思うんですよ。出来なくても下手でも遣ってく内に上達するのが人間なんですからね」
「はい。冒険的なコメントを頂きました」
山下アナはリラックスしている割にはあっさりと流す。
「別に普通じゃない? あたしも新人の頃は色々冒険したし」
下平が振り返ってジロッとオレと目を合わせる。
「悪かったな。自分から冒険出来なくて」
下平は「フンッ」と鼻で嗤ってモニターに向き直った。
自覚している通り、オレは消極的な性格で、「冒険する」より「冒険させられる」立場。今回の番組もそうだ。
「では続いて今週のスポーツです。奥村アナウンサー、お願いします」
平田アナの言葉でBGMが流れ、カメラの奥でスタンバッていた奥村アナが颯爽とセット内に入り、モニター横の席に立つ。
後輩の平田アナは座っているのに対して、奥村アナは立ったまま原稿を読む。これだけでも彼女にとっては屈辱に違いないと思う。だがここは勘弁して貰うしかない。
「今週のスポーツをお伝えします」
「奥村さん笑顔だよ。良かったね」
珠希がオレの背中を『バンバン』と叩く。
「あれがプロってものよ。別に珍しい事じゃないから」
桝谷Pが落ち着いた口振りで言う。
「そうそう。嫌な仕事でも楽しそうに笑顔でこなすのが、メディアに出る人の宿命なんだよ」
とは言ったものの、本心は堅い表情で出て来るのではないかと内心冷や冷やしていた。
「それもそうだよね」
珠希は納得して落ち着いた口振りで言う。
その後も奥村アナは終始笑顔を崩さず、
「以上、今週のスポーツでした」
役目を終えると再び颯爽とセット内から出て行った。
奥村アナだけではない。
「では続きまして、今週のCDランキングとレコチョクランキングです。森井アナウンサーお願いします」
4カメが森井アナのアップを撮る。
「はい。音楽コーナー担当の森井真夜です。宜しくお願いします」
頭を下げる森井アナも、
「続きましては、今週のエンタメニュースです」
「はい。では早速お伝えします」
高倉アナも、
「では最後にお天気です」
「はい。気になるお天気、久保さんとお伝えします」
「宜しくお願いします」
宮下アナも久保気象予報士も、皆自然な笑顔で仕事をこなして行く。
「今日は良く晴れて絶好の行楽日和でしたね?」
「そうでしたね。ですが明日から天気は西の方から下り坂となって行きます」
因みに「イケメンすぎる気象予報士」の久保淳さんは、少し面長ではあるがきりっとした顔立ち。少し水嶋ヒロに似ている。これが久保さんが「イケメンすぎる」と呼ばれる所以だ。
「確かにイケメンだな」
虎南さんが腕組をして言う。
「ですね」
先輩が言うなら否定する訳にはいくまい――
山下アナと林さんも同様に自然な笑顔。最後まで笑顔が強張っていたのは平田アナだけ。彼女が一番緊張しているのだろう。そしてエンディングも――
「無事に初回放送が終わりますが、林さんはどうご感想をお持ちですか?」
「本当に気楽に観られる番組なんだなあって思いました。楽しかったです」
「目標に近付けて私も嬉しいです。皆さんはどうでしたか?」
山下アナが着席した森井、高倉、宮下アナに振る。
「私達も楽しく情報をお伝えする事が出来ました」
「初回で緊張していたんですけど、何とかこなす事が出来ました」
「とちるかなって思っていたんですけど、無事に終われて今日は満足です」
三人共、今日の放送では手答えを感じている様子。
ここでフロアディレクターから巻きが入る。
「社会派の特集があったかと思えば、音楽コーナーがあったり内容が若者向けで充実してますよね」
林さんのヨイショは止まらない。
「若い方達をターゲットにした番組作りを心掛けていますから」
山下アナがにこりと笑う。
「ありがとうございます。では『NEWS YOU』、この辺でお別れの時間です。林さん、どうもありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました」
「ではまた来週お目に掛かり……」
一同が一礼したが、番組は平田アナの挨拶の途中で終わってしまった。
「ああ! 切れてるう」
平田アナが両足をバタつかせる。
「終わっちゃった?」
「もう少しだったのにね」
林さんと山下アナは平田アナの言動を見て苦笑。他の三人も同様。
「あれ程ぶりっ子は封印しろって言ったのに」
桝谷Pがモニターを観て舌打ちした。
「まあまあ。あれも彼女の持ち味の一つなんですから。それに本番後ですし」
「でもニュースを読むのよ。「新しい平田アナウンサーをお見せします」って宣伝しちゃってるし、変わって貰わないと困る!」
桝谷Pは眼光鋭く言明した。
本番終了後、林さんを除く出演者、主要スタッフがスタッフルームに集まり、さっき放送されたばかりの番組のプレビューが始まる。
プレビューとは業界用語で、オフライン編集(ディレクターが編集したVTR)をチェックする作業の事。
この作業で番組の改善点などを見付けて行き、バラエティの場合は面白いか面白くないかを判断して行く。勿論、今日流されたVもプレビューが行われている。
通常はプロデューサー、ディレクター、作家などが参加し、本番前に行われる作業だが、今日は初回の為、本番後に出演者も交えて行う事になった。
「ガチガチですね、私。あれじゃ視聴者に伝わっちゃいますよね」
平田アナが苦笑しながら呟く。
「サブでもその話出たんだけど、でも大丈夫だよ。その内慣れて行くだろうからさ」
優しく笑みを作ってフォローした。
「奥村以外は全員板付き(番組が始まった当初から、出演者が定位置にいる状態)でも良いな」
野瀬さんが顎を右手で撫でながら言う。
「そうね。一々カメラの後ろでスタンバッてる必要はないかもね」
桝谷さんは頷きながら同調した。
「それから平田、せっかくイメチェンする努力をしたんだから、ぶりっ子はプライベートだけにしなさい」
桝谷さんは再び眼光鋭く平田アナに申し付ける。
「済みません。気を付けます」
平田アナは神妙に頭を下げた。
CMを飛ばしながら番組を見返す事一時間四十分。
「よし終わった。後は数字が出るのを待つだけだな」
野瀬さんの言葉でプレビューは終わった。
「そうですね。後はリアルタイム(生)とタイムシフトがどうなるか」
タイムシフト視聴率とは、二○一五年から実施されている視聴率統計の事。
DVDやブルーレイに録画して視聴する世帯が増えている現状を踏まえ、放送日から七日以内に再生して視聴された番組を統計としてまとめたものである。が――
「報道系情報番組を録画して観る人がどれだけいるか」
桝谷さんは渋い顔付き。
「平田ちゃんファンなら録画してますよ、絶対」
まさか大畑にフォローされるとは……。
奥村アナはオレが最初に提案した通り、なるべく彼女のプライドを傷付けないよう、ある種特別扱いだ。
二四時(深夜零時)、やっと現場から解放され地下駐車場に停車していた車に珠希と共に乗り込んだ。
ハンドルを握るのは勿論オレだ。
「こんなに拘束時間が長いんだね。これじゃ花魁居酒屋で働けない。シフト変えて貰わなきゃ」
珠希は疲れきっている。
「初回の会議じゃ楽しかったって言ってたじゃん」
「それはそうだけど……」
「拘束時間も長いから覚悟しとけよとも言ったよね」
「それもそうだけど、こんなに長いとは思わなかった」
「「番組作りって楽しいって学んだから」とも言ったんだぞ」
「まあね……」
珠希の余裕はここに来て崩壊。初回で終わってしまったか――
「じゃあ辞めるか?」
「またそんなきつい事を無表情で言っちゃって。絶対辞めないからね、私」
「でも拘束時間が長いのは苦なんでしょ?」
「それはね。どうにかならないかなあって思ってるけど」
「作家とは拘束時間が長いのが常です。それが嫌なのなら……」
翌週月曜日の午前中、府中刑務所では――
「「作家は諦めて他の仕事見付けたら」って言うんだよ。また無表情でさ」
竜に面会に訪れた珠希は、また兄相手に愚痴っていた。
「またきつい事言われちゃったのか」
竜は苦笑するしかない。
「でも拘束時間が長い事は覚悟してたんだろ?」
「面接の時にも社長に言われたし、多少はね。でも十二時間だよ」
「今回ばかりはユースケ君の言ってる事の方が正しいかもな。珠希、前持ちがバレなくてせっかく放送作家に成れたんだぜ」
「まあ、それはそうだけど」
「頑張って行こうぜ! オレも罪を償いながら刑務所での仕事頑張るからさ」
「……そうよね。私も罪を償うつもりで厳しい放送作家の世界に身を置いたんだしね」
物は言い様である。
「そうだろ。人生は我慢も必要だぜ」
「うん」
何はともあれ、珠希に笑顔が戻った。服役中の兄の励ましによって――
『NEWS YOU』放送日の翌日、数字の結果が出た。
第一部の十九時台が関東地区で六・○%。第二部の二十時台が七・五%という結果。
ニュースコーナーの部分は、『NHKニュース7』が十七%とNHKに軍配が上がった。ある程度予想はしていたが低調なスタートである事は間違いない。何とかタイムシフトで、平田ファンが録画していてくれている事を願うばかりなり。
翌週木曜日の構成会議では、少し重苦しい雰囲気が流れていた。
「やっぱ『ニュース7』は強かったか。悔しいけど結果を重く受け止めるしかないな」
「私達は地道に番組が定着するように遣って行くしかなくない?」
桝谷さんは少し楽観した表情。
番組は始まったばかり、プロデューサーが希望を捨てて貰っては困る。
「そうだな。オレ達が気落ちしてちゃしょうがない。皆、地道に遣って行こう!」
野瀬さんに笑顔が戻った。体育会系は気持ちの切り替えが早い事。
「なあ、珠希ちゃんからもプロデューサーの人達にエールを贈ってやれよ」
大畑が振る。
「そうですねえ……ねえユースケ君、野瀬さんの下の名前って何ていうの?」
珠希が左耳に耳打ちして来た。
「修一」
オレも珠希の右耳に耳打ちで返す。
「「珍一」おじさん、桝谷のおばさん、頑張って行きましょう!」
「こら珠希!」
何か嫌な予感はしていたが――
「オレは「珍一」じゃなくて修一だよ!」
「何だそうでしたか。随分変わった名前だなと思ったんですよ」
「ちゃんと「修一」って耳打ちしただろ」
「それよりオレをおじさん呼ばわりしたかと思ったら、プロデューサーにまでかよ」
虎南さんは呆れ笑い。
「そうよ。ユースケ、どういう教育してるの?」
桝谷さんは顔も目も笑っていない。そりゃ唐突におばさん呼ばわりされたら誰だって驚くだろうな。
「済みません。こんなキャラな子とは思ってもみなかったもので。ちゃんと教育しときます」
「頼んだわよ。全く」
今度は桝谷さんが苦渋に満ちた表情になってしまった。
「オレもまさかおじさん、おばさん呼ばわりするとは思ってもみなかったよ」
大畑は苦笑。お前が振ったんだから責任を取って貰いたい所だけど、珠希の教育係はオレだからな。
「でも改めて見ると散々な数字だよね」
こら下平! せっかく和んで来た雰囲気をぶち壊すな。
「思い出させるなよ」
ほらね。野瀬さんはまた渋い顔となってしまう。
「でも『視聴率の時代は終わった』とも聞くけどね」
大畑が珍しく真面目な顔で言う。
「どういう事?」
下平がこれまた珍しく大畑の話に興味を示す。
「前に雑誌で読んだんだけど、長引く不況で労働時間はどんどん伸びてるって」
「それで?」
「だからどうしても録画した番組しか観れない人が増えてるんだってさ」
「だから?」
下平は先を急がせようとする。
「まあ落ち着いて聞けって。ハードディスクも大容量で長時間の録画が出来るだろ?」
「まあ確かにね」
「だから取り敢えず観たい番組は全て録画して、後でまとめて観る人も増えてるそうなんだよ」
「早く結論を言ってよ」
「だから、視聴率の観測方法だけではなく、テレビ番組を観る環境の変化が視聴率という数字に変化をもたらしていると推測出来るんだとさ」
誇らしげな表情を浮かべつつ、大畑の解説は終わった。
「何だそういう事か。ユースケが言ってたタイムシフトって事じゃん」
今度は下平が渋い表情となる。
「「何だ」って何だよ? 人がせっかく解説して遣ったのに」
大畑がこれまた珍しくムキになる。
「まあ、タイムシフトはタイムシフトとして、会議を始めようぜ!」
野瀬さんが苦笑いを浮かべて仲裁に入る。
「何ですか、その締め方」
大畑はまだ興奮冷めやらぬ。
「平田のファンが録画して観てくれてるって事だよ」
「そのやっつけみたいなコメントはどういう意味ですか!」
大畑は素早く立ち上がる。
「まあ大畑座って。さっきも言ったけど、まだ番組が浸透してない事もあるだろうから、一ヶ月は様子見ね。その後は編成制作局長に言われた八%を目指すわよ」
桝谷さんから発破を掛けられた。
「そうだな。よし! 改めて会議を始めよう!」
野瀬さんの号令により、下平と大畑は不服満面のまま会議はやっと始まった。
今日の議題は勿論、「番組をもう一度俯瞰して観てみよう」野瀬さんが言うように、どうすれば数字が上がるかだ。
八日後、タイムシフトの統計が出た。結果は三・四%。リアルタイムと合わせれば一○%ちょい。
平田ファンに期待したオレが間違いだったか……とも思ったが、視聴者は案外、「ニュースを読む」平田アナより「ぶりっ子」な平田アナが好きだったのかも……しれない。
番組開始から一ヶ月。
新たに社会部記者の経験がある安藤明キャスターを投入し、ニュースを読むキャスターを三人体制にする梃入れをしたものの、数字は相変わらず六~七%台をうろうろしている。だがそれより困った事態に――
金曜日の深夜、友達の作家から飲みに誘われ、チハルのマンションへ帰宅するとそのままリビングのソファに横になり、寝息を立てた頃、ガラステーブルに置いたスマホが着信音を鳴らし目を覚まさせられた。
見ると桝谷さんからの電話。
「もしもし」
『もしもしユースケ、大変な事になっちゃったのよ。山下がやらかしちゃったの』
「やらかしたって何をですか?」
一瞬、違法バーの事が頭を過り悪寒が走る。
『サッカーの山本選手と路上キスしちゃったんだって。明日の『SATURDAY』に写真が掲載されるわ』
サッカーの山本選手とは日本代表にも選ばれた事もある、実力派で妻子ある山本新一選手の事。そして『SATURDAY』とは写真週刊誌の事。
「要するに不倫スキャンダルを起こしたって事ですね」
違法バーの事ではなかった事に、何故か安心してしまう。
『そういう事。今から緊急ミーティングよ。来られるわよね?』
「今からですか……」
『そりゃそうよ。明日が放送日なんだから』
「……分かりました。酔ってますけど何とか。珠希も呼び出して今から行きます」
『頼んだわよ』
電話を終え、着の身着のままでチハルのマンションを出た。
直ぐに珠希に電話したが留守電になっていて出ない。恐らく花魁居酒屋でバイト中なのだろう。
練馬区内でタクシーを拾い、六本木にあるという花魁居酒屋を目指す。こんな事態もあろうかと、住所と電話番号は事前に教えて貰っている。
男性運転手に行き先を告げ、タクシーの中で花魁居酒屋に電話。
すると3コールで男性店員が出た。
「浜家珠希さんは今日出勤されてますでしょうか?」
『はあ。どちら様でしょうか?』
男性店員が不審がる。
「ああ済みません。私、中山と申しますが、別の仕事で浜家さんの教育係を遣っている者です」
『ああそうでしたか。浜家は今接客中でして、掛け直させましょうか?』
「いえ、今そちらに向かってますので、浜家さんには中山から電話があったとお伝えください」
『分かりました。伝えておきます』
「後少しでそちらに着きますんで、着いたら直ぐに会えるようにして頂けますか」
『分かりました。そのようにしておきます』
「それからあのう、一応お名前を伺っておいても良いですか」
『私は高橋と申します』
「分かりました。ありがとうございます」
電話を終えた後、五分で居酒屋が入る雑居ビルの前に着いた。
料金を支払いタクシーを降り、いざ三階に入る花魁居酒屋へ。
エレベーターを降りるなり、
「いらっしゃいませ! ようこそ花魁居酒屋へ」
威勢の良い男性店員に出迎えられた。
「あのう、僕客じゃないんですけど」
「お客じゃない? どういう事ですか?」
「高橋さんをお願いします」
「ああ、別件ですね。少々お待ちください」
男性店員は少し不審がりながら店の奥へと向かう。
間もなくして高橋と名乗った店員が出て来た。
「さっきお電話した中山です。浜家さんをお願いします」
「はい。少々お待ちください」
高橋さんも一旦奥へと引っ込む。
時を待たずして花魁姿の珠希が出て来た。高橋さんはオレが頼んだ通りにしてくれていたようだ。
「へえ、そういうコスチュームな訳ね」
メイクは派手だが花魁メイクではない。だが両肩がはだけた真紅の着物が目に眩しい。
「それよりユースケ君、どうしたの急に? お店にまで電話して来て」
「どうもこうもないよ。これからテレヒロで緊急ミーティングだ。山下さんが不倫騒動起こしちゃったんだとさ」
「不倫騒動!? それヤバいじゃん」
「そうだよ。まだ見習いとはいえ一応作家なんだから。(局の)入館証持ってるんだろ」
「バッグには入ってるけど……そうだよね。分かった。店長に言ってみる。着替えるからちょっと待ってて」
「良いよそのままの恰好で。着物から着替えるのって時間掛かるだろ」
「この恰好のまま!? ちょっとマジで言ってるの」
「マジだよ。だって緊急だって言ったじゃん。オレも着の身着のままなんだから」
「でもユースケ君は私服じゃん。それにこの着物脱ぎ易くなってるから大丈夫だよ。襟の所なんかマジックテープだし。だからちょっと待っててよ」
「でも帯の部分はマジックテープじゃないんだろ?」
「そりゃそうだけど……」
珠希が訥弁になった。オレのいたずら心の火は紅蓮の状態。着物姿の方が緊急性があって面白い。
「な。諦めて店長に「緊急なんです」って告げて許可貰って来な。本当に着替える時間ないんだよ」
「分かったよもう。早退したい事とこの着物のまま出なきゃ時間がないんですって店長に伝えれば良いんでしょ」
「そういう事」
珠希は不服満面で店の奥へと向かう。
約五分後、花魁姿にバッグを下げた珠希が、スニーカーを持って現れた。
「(衣装を)汚さないようにだって。案外あっさりOKしてくれたわ」
珠希は諦めの表情。
「汚すような事しないから大丈夫だよ」
急いで居酒屋を出て大通りでタクシーを拾った。
深夜という事もあり人通りも少なく、珠希に好奇な目を向ける人も少ないが、タクシー運転手はオレ達の服装の違いを見て目を丸くする。カジュアルと着物ではそりゃミスマッチだよな。
「やっぱ恥ずかしいよ、この恰好」
「今日だけだから我慢しろ」
「またバイト中に緊急ミーティングがあったらどうするの?」
「その時はその時で」
「他人事だと思ってもう」
珠希は脹れっ面になる。
「済みません。TVヒーローズまでお願いします」
「はい。分かりました」
行き先を告げ、いざテレヒロへ。
その道中、スマホが着信音を鳴らす。見るとまた桝谷さんからの電話。
『ユースケ、今何処にいるの?』
「六本木です。もう直ぐ着きますんで」
『もう皆集まってるのよ。出来るだけ早くね』
「了解です」
約十五分後、やっとTVヒーローズの玄関前に着いた。タクシー代は勿論オレが払う。
受付で入館証を提示すると、受付係の女性は珠希に好奇な目を向ける。が、
「バイトの衣装なんです」
「ああ、そうでしたか」
珠希は慣れたのだろう、平然と入館証を提示する。
入館手続きが終われば、後はスタッフルームに向かうだけ。中に入ると、野瀬さん、桝谷さんの他プロデューサーと、多部を始めディレクター達、虎南さん始め作家達がテーブルや応接セットにぎゅうぎゅうに座っていた。
「遅くなりました」
「本当、結構時間掛かったわね」
「済みません」
桝谷さんの嫌味を聞きながら、空いているソファに珠希と腰を下ろす。
「所で珠希ちゃん、何なのその派手な着物は」
野瀬さんの言葉に全員の視線が珠希に集まる。
「バイトの衣装です。どうぞお気に召さらず、修一おじさん」
「そうだったのか。それは迷惑掛けたね。でも「おじさん」呼ばわりは止めてくれよ。まだまだ「ヤング」のつもりなんだから」
「ヤングって……」
それが「おじさん」なんじゃないですか?
「っさ、皆集まったし、ミーティングを始めましょう。問題の記事がこれよ」
桝谷さんが山下アナの所属事務所からFAXされたと思しき、A4判のコピー用紙を二枚テーブルの上に置く。みんな一斉に立ち上がり記事を覗き込む。
「青山(港区)の路上で山本選手と路チューしたのをスッパ抜かれたの」
桝谷さんは溜息交じりに言う。
違法バーに連れて行かれた時から、山下アナは何かやらかすとは思っていた。他のスタッフがどう思っていたかは知らないけど、まさか妻子あるサッカー選手と路チューとはこれ如何に――
「メインキャスターがえらい事してくれたな」
虎南さんも溜息を吐く。
「それで山下さんはどうなるんですか?」
「無期限の謹慎処分だってさ。さっき事務所から連絡があった」
野瀬さんも渋い表情。
「そうですか……」
当然といえば当然の処分だろう。
「それで明日の放送をどうするかよ」
桝谷さんが気持ちを入れ替える。
「取り敢えず平田と安藤で行くしかないよな」
野瀬さんも然り。ここからが本題だ。
「山下ちゃんには謝罪文を書いて貰うっていうのはどうだろう。一日あれば書けるだろ」
「それを平田ちゃんが番組冒頭で読み上げるとか」
虎南さんの提案に、大畑が被せた。
「そうね。私もその方が良いと思う。その方が数字につながるかもしれないし」
桝谷さんがニヤリとする。この業界は人より数字。
「笑ってる場合じゃないだろ。これはバラエティじゃないんだぞ。でも謝罪文を書いて貰うっていうのは良いと思う。メインキャスターな訳だからな」
野瀬さんは険しい表情のままだが同調した。
「山下さんは降板するんですか?」
突然、珠希が調子外れな事を言う。
「事が事だからな。降板も視野に入れて考えた方が良いかもしれない」
野瀬さんは天井を見上げながら言った。
「明日私と情報制作局長が山下の事務所に出向いて、今後の事を協議する予定よ」
桝谷さんは優しく微笑みながら言う。が、その微笑みには明らかに疲れが滲んでいる。急きょ飛び込んで来たメインキャスターの不祥事。さっきは数字の事でニヤリとしいたけど、そりゃ疲れるわな――
オレは違法バーの事じゃなくて少し安心したけど、ひょっとしてこれを機にバーの事も明るみになるのではと考えると、改めて背中がゾッとする。
「おばさん疲れてますね」
「だから珠希、「おばさん」は止めてよね!」
「おばさん頑張れー!」
珠希……本当に怯まないな、お前は。
「だから止めなさいって言ってるでしょ! ユースケ、本当にどういう教育してるの」
「プロデューサーを「おじさん」「おばさん」呼ばわりしろとは教育していませんよ。でも根は真面目ですから」
一応フォローする。
「根は真面目ねえ。だったら後で別室で説教よ」
「出た。テレヒロ名物の「後で別室で」が」
沢矢さんがニヤリとする。
「別に名物じゃないわよ」
桝谷さんは苦笑。大人だから本気で怒る訳はない。珠希も「おじさん」「おばさん」呼ばわりするのがスキンシップなのだろう。
取り敢えず明日の放送は平田アナと安藤キャスターで行く事。それに当の山下アナには謝罪文を書いて貰う事で全員が合意し、ミーティングは終わった。
二六時(深夜二時)、珠希と共にTVヒーローズを後にする。
タクシーを拾うと、また運転手が珠希に好奇な目を向ける。構わずに乗り込んだ車中で、
「本当に緊急ミーティングってあるんだね」
珠希は疲れた表情。初めての事だからな。
「生番組は特にね。収録番組も収録の前日に台本の手直しを頼まれたり、局から呼び出しを食らう事もあるよ」
「収録番組も!? そうなんだ」
「そう。覚悟しとけよ」
からかうように言ってやった。
「何そのニヤリとした顔。でもユースケ君、今度から緊急ミーティングがある時は、連絡をくれるだけで迎えに来てくれなくても大丈夫だから」
「何で?」
「今日は吹っ切ったけど、やっぱり着替えの時間は欲しいからさ。でも私、まだまだ金銭的に苦しいからタクシー代だけは恵んでね」
珠希は甘えて笑みを見せる。
「そうか。やっぱりその恰好は派手だからな。メイクもだけど」
「自分がそのままの恰好で良いって言ったくせに」
「まあな」
適当にごまかした。
「タクシー代ねえ……オレも別に裕福じゃないけど良いよ。作家成り立てだからな」
ああだこうだ言っている内に、チハルのマンション前に着いた。
「じゃあまた明日な。いつも通り駅まで迎えに行くから」
珠希にタクシー代の一万円を渡して降車する。
「お釣りは?」
「取っといて良いよ」
「ありがとう」
破顔一笑の珠希と別れた。
さあ、明日は忙しくなるぞ。色んな意味で――
翌日。山下アナと山本選手の路チュー写真が掲載された『SATURDAY』が刊行された。
早くもネットニュースでは『『NEWS YOU』山下アナ、妻子あるサッカー山本選手と路上キス!』という記事が踊り、ネット上では「山下アナウンサーがやりよったー」、「妻子ある人と路チューってありえなくない?」とのコメントもバンバン出ている。
だがオレ達スタッフはいつも通り正午から会議だ。
野瀬さんを始め、皆いつも通りの顔を取り繕ってはいるが、やっぱり重苦しい雰囲気は否めない。
桝谷さんは午前中から情報制作局長と山下アナの所属事務所に出向き、今後の事を話し合っている。
会議が始まって三時間後、
「山下から謝罪文が届いたぞ。平田、目を通しておいてくれ」
「はい」
自宅謹慎中の山下アナからスタッフルームに謝罪文がFAXされて来た。さてどんな内容なのか――
その直後、桝谷さんがスタッフルームに戻って来る。
「どうなりました」
ニュース原稿作成中の手を止め、思わず興味本位で訊いてしまう。
「ユースケ、手を動かしながら聞いて。皆もね」
「済みません」
作業に戻ると、隣の珠希が「フフンッ」と鼻で嗤いやがった。先輩が注意されたのを喜ぶなんぞ憎たらしい。でもオレも興味本位だったからな――
「山下は降板を申し出てるみたいなの」
やっぱり……桝谷さんは溜息交じりに言う。
「遣った事が遣った事ですからね。降板が正式発表されるのも時間の問題ですね」
沢矢さんは作業を続けつつ、しみじみとした口振り。
「そういう事ね。メインキャスターが番組に泥を塗った訳だし。事務所の社長は、「今回はうちの山下がご迷惑をお掛けして申し訳ありません」って、終始平身低頭してたわ。局長も「降板は仕方ないだろう」って、諦めの表情だった」
「せっかく作った『私達、変わります。TVヒーローズと共に』のポスターも一ヶ月でおじゃんかよ」
虎南さんも作業を続けたまま、苦々しげに言う。
「公明正大が求められるニュースキャスターが妻子ある人と路チューですからね。もうニュースを読んでも説得力がないでしょう」
「皆、山下の降板の件は暫く他言無用だからな。そのつもりで」
野瀬さんは悔しさを滲ませながら言う。無理もない。肝煎りで始める事になった番組にせっかくキャスティングしたキャスターに裏切られた訳だから。
やがて本番の十九時が近付き――
「はい本番十秒前ー!……八、七ー、六、五秒前ー、四、三、二……」
甲高いフロアディレクターのカウントが終わり、画面には番組テーマ曲と共にタイトルが表示される。
その直後、番組は平田アナのアップから始まった。今日の平田アナはデスクの前に立った状態。いつもは平田が「こんばんは」と挨拶し、山下アナ、安藤キャスター、宮下、森井、高倉アナとコメンテーターも全員座った状態で一礼するのだが、今日は特別だ。
「こんばんは」
挨拶して一礼する平田アナは、いつにも増して緊張した面持ち。
「ご覧の通り、本日は山下さんはお休みです。本日発売の『SATURDAY』をご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、山下さんには無期限の謹慎処分が下されました。本人から謝罪文が届いています」
平田アナが大きく深呼吸した。
「『この度は世間をお騒がせしてしまい、大変申し訳ありません。
私のとった軽率な行動により、多くの皆様にご迷惑をお掛けする事態となってしまいました。
この行為を猛省し、もし許して頂けるのならば、仕事に復帰出来ました暁には、より一層仕事に精進して行くつもりです。
この度は誠に申し訳ありませんでした。
山下由香利』以上です。私達も山下さんの早期復帰を願っています。ではいつものように今週のヘッドラインニュースからお伝えします」
平田アナがデスクへと戻る。
「はい。お伝えします」
今日は安藤キャスターからニュースを読む事になった。
「昨日謹慎処分を食らったばっかなのに、もう「復帰出来ました暁には」って、あれで反省が伝わったと思うか」
虎南さんが渋い表情で言う。
「今後の山下さんを見守るしかないですよね」
沢矢さんは真顔で言った。それしか返す言葉が見付からなかったのだろう。他のスタッフも黙ったままだ。
「続いては奥村さんからのスポーツニュースです」
カメラの後ろでスタンバッていた奥村アナがセット内にフレームインし、番組は何事もなかったかのように進行して行く。しかし最後に――
「では最後に、番組冒頭で平田さんからもありましたように、当番組の山下キャスターとの不倫スキャンダルが報じられました、サッカーの山本新一選手がチームを通じてコメントを出しましたので、ご紹介します。『この度はわたくし事で世間の皆様をお騒がせしてしまい、本当に申し訳ありません。
私がとってしまった軽率な行為を深く反省し、今後は試合で良いプレーが出来るよう、より一層練習に力を入れて行く所存です。
山本新一』以上スポーツでした」
カメラは平田アナと安藤キャスターの二人のアップに切り替わり、奥村アナはセット内から出て行く。
「山本選手も今後の事を言ってるね」
珠希が素朴な表情で言う。
「犯した事は犯した事として反省してるんだろうけど、山本選手はお咎めなしですか……」
「その分、世間や家庭の中ではお咎めがあると思うけどね」
桝谷Pはオレ達の方を振り返り、苦笑して返した。
翌日、昨日放送された番組の数字が出た。何と、皮肉にも一○・○%と初の二桁を記録する。
が、きっかけは不倫スキャンダルによるものなので、手放しで喜ぶ事は出来なかった。他のスタッフも多分同じだろう。
その二日後の火曜日。桝谷さんは再び情報制作局長と共に山下アナの事務所に出向き、話し合いの場を持った。
その日の夜。気になったので自分から桝谷さんに電話してみる。
「どうでしたか?」
『どうもこうもないわよ』
桝谷さんは呆れた口振り。桝谷さんの話を集約すると――
自宅謹慎中の山下アナだったが、今日は本格的に話し合う為、事務所に来ていたそうだ。
「この度は本当に申し訳ありませんでした」
山下アナは神妙に頭を下げたという。
「本当、えらい事してくれたわね」
桝谷さんは意地悪っぽく言う。
「でも数字は稼げたけどな」
局長は終始穏やかだったらしい。
「本当に済みません」
最初こそは神妙にしていた山下アナだったが――
「でも元気そうじゃない。その点では安心したけど」
「身体の方は何とか」
「ご飯はちゃんと食べてるの?」
「ええ。三食きちんと。それより男性不信に陥っちゃって」
「おい山下!」
社長の制止も聞かずニヤニヤしている山下アナを見ている内に、桝谷さんの怒りの導火線に火が点く。
「ちょっと山下! あんた自分が犯した事分かってるの!? 火種を点けたのは自分でしょ!」
「そうだな。男性不信はおかしいよな」
局長は至って冷静。
「仰る通りです。山下、本当に反省しているのか」
社長は至って平身低頭。
「済みません。冗談のつもりだったんですけど」
山下アナがやっと真顔になる。
「今は冗談を言ってる場合じゃないでしょ! それで、降板の意思は変わりないの?」
「はい。今の私にはニュースを読む権利はないと思います」
「まあ、遣った事が遣った事だからな」
局長は諦めの表情。
「済みません」
「本当にごめんなさい」
最後に社長と山下アナは深々と頭を下げたという。
こうして、山下アナは番組開始から一ヶ月で番組を降板する事で事務所と合意した。
「やっぱり降板ですか……」
『仕方ないわね。明日正式に発表する予定よ』
桝谷さんは溜息交じりに言った。
翌日。TVヒーローズは正式に山下由香利アナウンサーが、『NEWS YOU』を降板する事を発表した。
早くもネットニュースでは『不倫スキャンダルの山下アナ、『NEWS YOU』正式降板』との記事が踊り、翌木曜日の構成会議の日もスポーツ各紙では、『路チュー山下アナ、『NEWS YOU』降板』との記事が彩っていた。
「これでメインキャスターは平田だけになっちゃったな」
野瀬さんはがっくりと肩を落とす。
「週刊誌に記事が載ってから予測してた事でしょ。チーフプロデューサーがそんなんじゃ困るわよ」
桝谷さんは野瀬さんの右肩を『ポン』と叩く。
「そうだな。気持ちを切り替えて地道にやって行こう!」
出た。「地道に」。野瀬さんに笑顔が戻る。
「問題は今週放送する数字がどうなるかだな」
虎南さんは腕組をし、渋い顔で言う。
「先週は山下さんの話題もあって二桁を記録しましたけど、いつまでも「山下効果」は続かないでしょうからね」
「虎南さんもユースケもそんな弱気でどうするの」
「そうですよ、虎南さんもユースケ君も。山下はもう降板したんです! いつまでも「山下効果」に期待するのは止めましょう!!」
桝谷さんと野瀬さんから檄を飛ばされた。
しかし野瀬さんは声も大きいしとにかく熱い――
「修一おじさんも桝谷のおばさんも元気だね」
「だから「おばさん」は止めなさいって珠希。ユースケ、ちゃんと教育してるの?」
「してますけど、これは彼女の人間性でしょうね」
こう答えるしかなく、苦笑するしかない。
「人間性で片付けられる事と片付けられない事があるわよ」
「そうだぞ珠希ちゃん。「おじさん」は止めてくれ。この前も言ったけど「まだまだヤング」のつもりなんだからさ」
出た。「まだまだヤングのつもり」――
「はーい。気を付けます」
珠希、気を付ける気なんかさらさらないだろう。動じないやっちゃ。
でも珠希のような子はプロデューサーに顔と名前を覚えられ易く、徳でもあるんだけど。
呆れた所で会議開始。
今日の会議は、山下アナが降板したからといっても番組のフォーマットは変えずに、番組が定着するまで様子を見る事。
それと、山下アナの穴埋めは色んな人の名前が挙がったが、結局、平田アナと安藤キャスターで様子を見る事で決着し、会議は終わった。
それにもう一つ。山下アナには番組降板に関してコメントを出して貰う事でも合意。
そして運命の土曜日。
会議中、先週のような重苦しさはないものの、会議に出席している全スタッフが、今日の数字がどうなるか気にしている様子。
先週は初の二桁を記録したものの、それは何度も言うが「山下効果」だからであり、山下アナが番組を去った今、山下ファンも去って行くだろうし、また数字がダウンするのではないかと野瀬さんを始めやっぱりヒヤヒヤものだ。
野瀬さんは「気持ちを切り替えて地道にやって行こう!」とは言っていたものの、表情はいつもより硬い。熱いけど正直な人――
本番二時間前。
スタッフルームのFAXが受信を始めた。
「おーい。山下からコメントが届いたぞ」
野瀬さんがFAX用紙をスタッフルームのテーブルに置く。オレ達も一応目を通したが、内容は後程。
野瀬さんが男性ADにFAX用紙を平田アナの楽屋へ届けるよう申し付ける。平田アナは弁当を食べながらコメントをチェックする事になるだろう。
そして本番――
画面にはテーマ曲とタイトルが表示され、数秒後にスタジオに切り替わる。
「こんばんは」
今週も平田アナはデスクの前に立った状態。
「ネットのニュースや一昨日のスポーツ紙をご覧になった方も多いかと思いますが、山下由香利キャスターは当番組を降板致しました。山下キャスターから直筆のコメントが届いておりますので、ご紹介します。『わたくし山下由香利は、先の騒動の責任を取り、『NEWS YOU』のキャスターを降板させて頂く運びとなりました。
私は軽率な行為により、視聴者の皆様、関係者の皆様、そして『NEWS YOU』のスタッフの皆様を裏切ってしまいました。
自分が犯した行為を深く反省し、また皆様に信頼して頂けるよう、日々精進してまいりたいと思っております。
改めて、今回は本当に申し訳ありませんでした。
山下由香利』以上です。私も今回の一件は非常に残念に思っておりますが、襟を正して番組に精進して行きたいと思っております。ではいつものように今週のヘッドラインニュースからです」
平田アナがデスクへと戻る。
「はい。お伝えします。まずは日曜日のニュースからです」
今週も安藤キャスターからニュースを読む事になった。
その後も番組は滞りなく、今日土曜日の最新ニュース、スポーツ、今女性に人気のグルメを紹介する特集、エンタメ、音楽、天気情報と続いて行き、
「明日は全国的に晴れるようですね」
平田アナが久保気象予報士に問い掛ける。
「そうですね。絶好の洗濯日和だと思います」
「ではまた来週お会いします。皆様良い週末を」
平田アナの挨拶で全員が頭を下げ、番組は終了した。
後は出演者、スタッフ達が気にしている、明日の視聴率表を待つのみだ。
開けて運命の日曜日の午後。他の番組の打ち合わせを終えて珠希と共に事務所に出勤すると、
「昨日の『NEWS YOU』の数字が出たよ」
陣内社長が笑みを浮かべて、TVヒーローズからFAXされて来た視聴率表を二枚渡して来た。笑みを浮かべているという事は、そんなに悪い数字ではなかったという事か?
二枚の視聴率表には、一枚目には他の番組も含めた全体の数字が載っていて、二枚目には『NEWS YOU』の毎分の数字が載っている。
毎分とは、標本世帯からオンラインで送られて来た視聴率記録を元に算出した、一分ごとの数字の事。通称「毎分」とか「分計」と呼ばれている。
まず全体の数字を見てみると、八・五%と、『ニュース7』には勝てなかったが、テレヒロが目指していた数字を記録していた。
「ユースケ君凄いじゃん! 編成制作局長に言われたっていう数字に達してる」
隣で視聴率表を覗き込んでいた珠希が満面の笑みで騒ぐ。
「まだはしゃぐのは早いぞ珠希。毎分の方も見てみないと」
毎分視聴率を確認すると、やっぱり平田アナが山下アナのコメントを読んだ時間帯が一番高かった。
「「山下効果」絶大だろ」
「でも他のコーナーで極端に下がってるって事ないじゃん。そんなに気にしなくても大丈夫だよ」
「楽観的だな珠希は……」
「昨日の数字を維持して行かなきゃね。頑張れ!」
陣内社長も満面の笑み。この人も楽観的か――
だが木曜の構成会議でも――
「皆も確認したと思うけど、先週の放送で八・五%を記録した。編成制作局長も喜んでたよ。皆、この数字を維持出来るようにこれまで以上に頑張って行こう!」
野瀬さんは笑顔でガッツポーズを決める。
「でも毎分を見たら平田ちゃんが山下ちゃんのコメントを読んでる箇所が一番高かっただろ。数字を維持するのは絶対条件だけど、オレは素直には喜べなかったな」
虎南さんは渋い表情で言う。
「オレもそう思ったんですよね」
「私もそう思いました」
沢矢さんも真顔で言う。
「何だよあんた達、せっかく目標の数字が取れたっていうのにしけた顔しちゃって」
「そうそう」
大畑も多部も笑顔。ここにもいたか、楽観者が……。
「分かってます虎南さん。でも他のコーナーで極端に下がってなかったんで、今週も八%台を取れるように頑張りましょう!」
野瀬さんはとにかく熱い。でも言っている事は珠希とほぼ同じ。
「そうね。他のコーナーでも極端に数字が下がらなかったという点は、番組が定着して来たって受け止める事も出来るし」
と桝谷さん。虎南さんと沢矢さん、オレの憂いはプロデューサーには全く通用しない様子。この二人も楽観者か――
「ね。私が言った通りでしょ?」
珠希は得意げな笑み。彼女は正真正銘の楽観者だ。
しかしオレ達の憂いに反して――
今週の放送では九・三%。その翌週は八・三%と、二桁までには行かないものの、平田ファンの後押しもあってか、数字的には八~九%と推移して行くようになる。これは怪我の功名か。
構成会議でも、
「皆、二桁まで後少しだ。でも『ニュース7』は手強い。『ニュース7』のスタッフ達に対して「今に見てろよ!」という気持ちで、皆気合い入れて遣って行こう!!」
野瀬さんが檄を飛ばす。
「相変わらず熱い人ですね」
沢矢さんがオレの左耳に耳打ちする。
「あそこまで行ったら暑苦しいだけだよ」
オレも耳打ちで返す。
「ほらそこの二人、何ヒソヒソ言ってるの」
桝谷さんがオレ達を睨む。
「いや、別に。只の下世話ですよ」
「どうせまたオレが「暑苦しい」とか言ってたんだろ。中、高、大学とずっと野球部に所属していたから、こればっかりはしょうがないんだよ」
野瀬さんの目は「我慢してくれ!」と訴えている。バレてたか――
「分かりました」
「済みません」
沢矢さんと共に「一応」頭を下げた。
会議終了後、TVヒーローズの地下駐車場に停めたオレの自家用車に珠希を乗せる。するとエンジンをかける前、
「この前、菜水さんと話したんだけどさ、週刊誌とか見ないようにしてるんだって」
助手席の珠希が少し心配そうに言う。
「数字が上がったとはいえ、『平田では二桁に行けない』とか『期待外れ』とか色々書かれてるからな」
「そう。新聞とかに週刊誌の広告が載ってるじゃん? あれを見て「ほう」と思ったら新聞を『パチン!』と閉めるんだって。「(雑誌を)読むと泣いちゃうから」って言ってた」
「平田さんも感受性が強い人っぽいもんなあ」
ここまでしか感想が出ない。メディアに出る人達は、マスコミから持ち上げられる時は持ち上げられるだけ持ち上げられ、逆に落とされる時はとことんまで落とされる。何とも因果な職業だ。
五月最後の放送日。いつものように正午から会議を始めていると、
「どうだ。会議は順調か?」
「あっ、局長。おはようございます!」
野瀬さんが素早く立ち上がり、慇懃に頭を下げる。
編成制作局長がスタッフルームに陣中見舞いに訪れたのだ。
「局長、おはようございます」
桝谷さんも立ち上がり頭を下げる。
オレ達他のスタッフも無視する訳にはいかず、一時作業中の手を止め、立ち上がって「おはようございます」と続けた。
「おはよう。そんなに畏まらなくても良いから作業を続けてくれ」
「はい」
野瀬さんと桝谷さんを除いた全員が返事をし、オレ達は作業に戻る。
「そこにいるニットキャップを被った青年がユースケ君?」
局長がオレを指差す。
「はい。そうですが」
また作業の手を止める羽目になった。
それにしても、何故、編成制作局長ともあろう人が、しがない作家の名前を知っているのか?
局長は物珍しげにオレを見ながら、
「噂は聞いてるよ。何でも仕事を急にオファーした方が躍起になって遣るらしいな」
「はあ……」
返事のしようがない。「はいそうです!」と快活に答えるのもおかしい気がするし――
だが誰だ? 余計な情報を局長にまで吹き込んだのは。
そこに編集作業中だった下平が戻って来た。
「あ、局長、おはようございます」
下平も深々と頭を下げる。
「おはよう。下平君、この青年だろ。急にオファーした方が躍起になって遣ってくれるっていう、作家のユースケ君は」
「そうなんですよ。今回も多部を通じて急にオファーしちゃいました」
下平がオレを見てニヤリとする。貴様だったのか……。本当に余計な事を吹き込みやがって!
でも、編成制作局長という上層部の人に顔と名前を覚えて貰う事は放送作家として得な事なので、憎たらしいけど怒る気にはなれない。
「今回も躍起になって頑張ってくれよ」
局長が笑みを見せる。
「はい。一生懸命遣らさせて頂きます」
これ以外どう返しようがあるものか。
「頼んだぞ。それより野瀬、今の数字をキープしてくれよ。じゃなきゃオレの首も飛ぶんだからな」
「はい。分かってます。あわよくばもう一度二桁を取れるように、番組制作を心掛けます」
「あわよくばじゃなく絶対に」
野瀬さんの言葉に桝谷さんが被せる。
「そうだな。絶対にまた二桁を取ってみせます!」
「頼もしいな。頑張れよ」
「はい!」
野瀬さんも桝谷さんも平身低頭としたまま、局長は満足げに去って行った。
「皆、局長に誓ったんだ。絶対にまた二桁を取ろう!」
野瀬さんはまたガッツポーズを決める。オレ達は手を動かしながら、「はい!」これ以外返事のしようがあるものか。
「頑張りはするけどでかい事言っちゃったな」
虎南さんは苦笑。この人だけは素直に感想を言う。
正直にいうと、今の数字を保つだけで精一杯なのが現状なんだけど――
因みにこの日の数字は二桁に一%足りない九・三%。二桁への道はまだまだ遠し。
六月に入り、珠希は作家見習いから正式に放送作家と成った。
事務所や作家にもよるが、今回のように教育係が就く場合もあれば、早くに独り立ちする者、または誰かのサポートに就く者と、こちらもケースバイケースだ。
『NEWS YOU』を始め、オレが担当する他の番組でも、エンドロールに「浜家珠希」の名前がクレジットされるようになる。見習いから半年で、珠希は六本のレギュラーを持つ作家と成ったのだ。
「これから責任が大きくなるよ。頑張りなさい」
陣内社長もガッツポーズでエールを贈った。
「はい! 名刺まで作って貰ってありがとうございます」
名刺を手に出来るのは、作家に成った特権だ。
名刺には「放送作家 浜家珠希」という肩書と、<マウンテンビュー>の社名と電話番号、その下に珠希のパソコンのメールアドレスが印刷されている。
オレも見習いから正式に作家に成った時、エンドロールに名前がクレジットされた事、「放送作家 中山裕介」と印刷された名刺を手にした時、気持ちが浮かれて一人で悦に入ったものだ。その証拠に珠希も嬉しそうな顔をしている。
「やっと正式に作家に成れたんだあ」
名刺を見入る珠希に対し、
「さっきも言ったけど、これからが苦労の連続よ。色々考える事も多くなるからね」
陣内社長は笑みを浮かべてはいるが、釘を刺す事も忘れない。
「はい。頑張ります!」
そうは言いながらも、珠希は悦に入ったまんま。オレは釘を刺すのは社長に任せて、静かにその光景を見守る事にした。
今日は午後からキー局で打ち合わせが入っている。その移動中の車内での事。
「作家に成れたのも、名刺を作って貰えたのも、テレビに自分の名前が出る事も嬉しいんだけど、まだまだ花魁居酒屋の方が実入りが良いんだよね」
助手席の珠希がぼやく。
「新人とはそういうものなんだよ。オレは郊外に安いアパートを借りて自活を始めたけどね」
「でもチハルちゃんのマンションに入り浸ってるんでしょ? 多部君が言ってたよ。「あいつは彼女のマンションが自宅みたいなもんだ」って」
「「チハルちゃん」って、何でオレの彼女の名前知ってるんだよ?」
「だって私達が初めて会った時、チハルちゃんも新幹線に乗ってたじゃん」
「ああ……」
そういやあの日チハルも、「大阪にいる友達に会いに行く」と言って、オレ達と同行してたんだっけ――すっかり失念していた。
「都心に引っ越そうか考えてるけどね。でもレギュラー六本もあったら自活は出来るだろ」
「それはそうだけど、今のギャラじゃコンビニの時給より低いからなあ」
「コンビニの時給ねえ……そういやオレもある特番で三十万のギャラ貰った事あるけど、会議やら打ち合わせとか拘束時間を考えたら、「見合わないなあ」と思った事あるよ」
「でしょ? 放送作家はもっと儲かる職業だと思ってたんだけどさ」
珠希よ、前科の罪を償う為に作家に成ったんじゃなかったのかい?
「作家一本で儲けてる人はほんの一握りだよ。でも新人でレギュラーが六本もある事はありがたいんだよ。普通なら一から遣り直しの場合もあるんだから。そっちの方を感謝しないと」
見習い期間が終われば、一旦切られる場合もある。そのまま雇ってくれるプロデューサーもいるけれど、残れるかはプロデューサーの判断次第。
因みにオレが「独り立ち」した時に残ったレギュラーは、テレビ番組が一本と、FMの番組が一本だけだった。それ以外の番組は「卒業」という形である。
如何に面白いセンスを習得するか、自分が得意なジャンルを見出し、勝負して行かなくてはならい生業が放送作家。そういった意味では、シビアな生業――
「そうだよね。その事は凄く感謝してる」
珠希の口からやっとぼやきが消えた。
今回、珠希が切られなかったのは、六番組全てのプロデューサーが「こいつは面白い」と判断してくれたからであり、誠にありがたい事。
「それよりさ、さっきチハルちゃんのマンションに入り浸ってるって言ったけど、チハルちゃん元気?」
「ああ。おかげさまで頗る元気だよ」
「久しぶりに逢いたいなあ」
「だったらチハルが休みの日にマンションに招待してあげるよ」
「招待ってチハルちゃんのマンションでしょ」
珠希は苦笑しながら突っ込む。
「まあね。確かにそうだけど」
「でもありがとう。招待してくれて。楽しみだなあ」
珠希は破顔一笑。
何だかんだ喋っている内に、車はキー局の地下駐車場に滑り込んだ。
翌週の火曜日。チハルが休みのこの日、珠希のご希望通り練馬のチハルのマンションに珠希を招待する事になった。
チハルに珠希が逢いたがっている事を告げると、
「珠希ちゃん本当に放送作家に成ったんだ」
チハルは感慨深げな笑みを浮かべる。そういえば、チハルには珠希がオレの事務所に入った事を言っていなかった。
そして、
「私も久しぶりに逢ってみたい。月、火どっちが都合が良いの?」
チハルは月、火と休みを取っている。
「バイトが休みの日は火曜て言ってたから、火曜だな」
「火曜日ね。分かった」
チハルはあっさりとOK。
その事を珠希に告げると、
「休みの日が被ってて良かったあ。逢うの楽しみにしてるって伝えといて」
こちらも感慨深げな笑み。
「分かった。伝えとく」
「逢うの楽しみにしてるってさ」
「私も楽しみだよ。そろそろ駅に着くんじゃない?」
「そうだな」
言ってる側からスマホがメールを受信した。見るとやっぱり珠希。
『練馬駅に着いたよー』
とのメール。
「ちょっと迎えに行って来るわ」
車で珠希を練馬駅まで迎えに行く事にした。
一八時、チハルのマンションに到着。合鍵を使って中に入り、そのまま六階のチハルの部屋を目指す。
エレベーター内で、
「ああ、何だか緊張する」
珠希が興奮している。
「自分から逢いたいって言ったんじゃん」
「そうだけど、三年ぶりだからさ」
「何も変わってないからリラックスしな」
そうこうする内に六階に到着。
珠希が興奮冷めやらぬまま、
「連れて来たよお」
六○三号室のドアを開けてチハルに知らせる。するとチハルが玄関まで迎えに
来た。その瞬間――
「珠希ちゃん久しぶりー。元気だった?」
「こっちこそご無沙汰ー。凄い元気だよ」
二人は破顔し、抱き合いながら再会を喜ぶ。
「さあ入って。珠希ちゃんの為に特上寿司をデリバリーしといたから」
「特上寿司!? ありがとう。私特上は食べた事なかったから楽しみ」
珠希がまた興奮する。
一時間後、その特上寿司が到着し、まずはビールで乾杯。すると珠希はいきなりとろから箸を進めた。
「ヤバい! 直ぐ溶けるう」
「幸せそうに食べるな」
「だって本当に美味しいんだもん。この醤油もヤバい。醤油だけずっと舐めてられる」
珠希は割り箸に醤油を付けてペロペロ舐める。
「醤油が足りなくなっちゃうよ」
チハルは苦笑して言う。
「だって本当に美味しいんだもん。この醤油神だ」
「醤油を堪能しないで寿司を堪能しろよ」
「分かりました」
珠希は仕方なくといった感じで醤油を舐めるのを止め、次に鮪に箸を伸ばす。
「ヤバい!」
「何でも一言目は「ヤバい」かよ」
「だって本当にヤバいくらい美味しんだもん。幾らでも嚙んでられる。こういうグミがあったら良いのになあ」
「グミ?」
「そう。コンビニとかにお寿司味のグミとかあったら絶対買っちゃう」
寿司味のグミ。逆に不味い気もするけど。
「ああそう。珠希って以外とおバカキャラだったんだな」
「何それ? 失礼な」
「本当に。何を突然に」
チハルも笑みを浮かべたまま白い目を向ける。
「だって醤油が神だとか寿司味のグミがあったら良いとか言ったじゃん」
「まあね。お酒飲むとね。ちょっとおバカキャラになっちゃうみたい」
「ちょっと」どころか大分だと思うんですけど。やがて食事が終わり――
「ユウお風呂入るでしょ? 今から洗うからちょっと待ってて」
チハルが立ち上がる。すると、
「それ私に遣らせて」
珠希も立ち上がった。
「良いよ。私が遣るから」
「今までのお礼として、私がお風呂洗ってあげるね」
珠希はオレと目を合わせてにっこり微笑む。
「そう。じゃあ頼むよ。チハル、お願いしな」
「そんなに気を遣わなくて良いのに」
「ユースケ君は私の教育係だったの。これからもお世話になるだろうけど、取り敢えず半年間のお礼として」
「そう。じゃあお願いね。お風呂はこっち」
チハルは納得して珠希をバスルームまで案内する。
「張り切って遣るから任せといて!」
珠希は歩きながら腕捲り。
珠希をバスルームまで案内し、洗剤の置き場とか風呂の使い方とかを教え、チハルはリビングに戻って来た。
「お風呂洗うだけなのにかなり気合入ってたよ」
チハルは失笑。
「義理堅い奴だよな。まったく」
暫くするとシャワーの音がして、珠希は風呂洗いを始めた模様。しかし――
「一時間半くらい経つのにまだ終わらないのか」
「ピカピカに磨いてるんじゃない」
チハルは気にしていない様子。
「でも随分長い事掛かってるぜ。様子を見に行こうかなあ」
「止めときなって。張り切って遣るって言ってたんだから」
「そりゃそうだけど……」
仕方なくもう暫く待つ事にした。
そして風呂洗いを始めて二時間、やっと珠希がリビングに戻って来る。
「かなり長い時間掛かったな」
「入念に洗ったからね」
珠希は意味深な笑みを見せた。
「そんなに汚かった? ごめんね」
「いや、そういう訳じゃないの。感謝の気持ちを込めて洗ったからこんなに時間が掛かっただけ」
珠希は右手を左右に振った。
「じゃあユウ、早く入っちゃいな」
「そうするか」
着替えとタオルをバッグから取り出してバスルームへ向かう。
服を脱ぎバスルームのドアを開けると、シャンプーの香りが漂っている。
「あいつまさか……」
訝しく思いながらバスタブの蓋を開けると、やっぱり縮れた毛が一本プカーっと浮いていた。さっきの意味深な笑みはそういう事か。
合点が行き、入浴を始める。
約三十分の入浴後、頭を乾かしリビングに戻ると追跡開始。
リビングではチハルと珠希が談笑中だった。楽しい時間を悪いけど。
「おい珠希」
「何?」
「入念にバスルームを洗ったって言ったよな」
「うん。本当に入念に洗ったよ。まだ汚い所があった?」
「そうじゃないんだけど、バスタブに縮れた毛が浮いてたぞ。入念に洗ったんならそんな事ある訳ないよな」
オレが言い終わるか終らないかの刹那、途端に珠希の表情が変わる。
「ごめんなさい! 先に入っちゃった」
だろうな――
頭を下げる珠希をよく見ると、確かに髪が濡れている。入浴前まで気付けなかった。
「ハハハハハッ!」
チハルは爆笑。オレも釣られて吹き出す。
「良いじゃない、そのくらい。私は珠希ちゃんがリビングに戻って来た時に直ぐ気付いたけどね」
「何で?」
「だってトリートメントの香りがしてたじゃん」
「ごめんね、ユースケ君」
真顔で謝る珠希。
「別に怒ってる訳じゃないから良いよ」
「ほんと? 良かったあ」
珠希は破顔。気持ちの切り替えが早い事――
オレより先に入浴する、ここはチハルのうちだが、どっちが新人なんなんだか。
「でも入浴後にまた同じ下着付けたんだろ? 着替えた方が良いんじゃないか」
「そうよ。私のを貸そうか?」
チハルと珠希の背格好は大体同じ。
「良いよ。帰ったら即着替えるから。それよりシャンプーとトリートメントと石鹸を勝手に使ってごめんね」
今更かい。
「良いの良いの。それは大丈夫なんだけど、本当に着替えなくて良いの?」
「うん。大丈夫。私が勝手に入ったんだから」
「そう」
チハルは納得した様子で、それ以上何も言わない。
その後もチハルと珠希は談笑を続け、二四時(深夜零時)、
「ああ、もうこんな時間。私そろそろ帰るね。お邪魔しました」
「そう。今日は楽しかった。こっちこそありがとう」
「私の方こそご馳走になっちゃって、ありがとう」
「じゃあ大通りまで送って行くよ」
「また来てね」
「うん。ありがとう」
チハルも珠希も名残惜しそうにしている。
チハルのマンションを出て、二人で大通りを目指す。
「ユースケ君、今日は本当にありがとう」
「良いよ。こっちも「色々と」楽しかったし」
「やっぱりお風呂の事怒ってるでしょう」
「だから怒ってないって。それもひっくるめて楽しかったよ」
「本当? じゃあ次の機会もまた先に入っちゃおうかな」
おいおい――
「それならそれでも良いけどね」
歩く事約十分。大通りに着いた。深夜というだけあって人通りも疎らだ。
「はい、タクシー代」
財布から一万円を抜き出し珠希に渡す。
「ありがとう。でもごめんね、仕事でもないのに」
「良いよ気にしなくて。お釣りも返さなくて良いから」
「ありがとう」
珠希がタクシーを拾い乗り込む。
「じゃあまた明日」
「うん。気を付けて帰れよ」
お互い手を振って別れた。
マンションに戻ると、
「本当に面白い子だよね、珠希ちゃんって」
チハルは思い出し笑い。
「面白い奴だからレギュラーを六本も貰えたんだよ」
「六本も!? 凄い売れっ子作家じゃん」
チハルは目を丸くする。
「ありがたい事だよ。それが珠希の徳」
「でも珠希ちゃん花魁居酒屋でバイトしてるんでしょ? 時間取れるのかな」
「六本もレギュラーがあれば、会議やら打ち合わせで拘束時間が長くなるから、そのうち辞めると思うけどね」
「そうよね。これから忙しくなるだろうし」
チハルは納得して頷いた。
山下アナが番組を去って二ヶ月後の土曜日。
あれからスキャンダルも起きず、番組は何事もなかったかのように平田アナと安藤キャスターがニュースを読み、数字も八~九%を維持している。
が、その放送終了後。
「高倉、今日の表情は堅かったわよ。エンタメニュースなんだからもっと表情は柔らかめにって言われてるでしょ」
「済みません。いつも以上に緊張してしまって」
桝谷さんのダメ出しに、高倉アナが頭を下げる。
「四ヶ月も遣ってるのにまだ緊張してるの? もう新人じゃないんだからいい加減慣れなさい」
「済みません」
高倉アナはペコペコ。
「奥村もそうよ。幾らスポーツ担当が不服だからって、表情をもっと柔らかく出来ないの」
嫌味なダメ出し。
「ごめんなさい。気を付けます」
奥村アナも頭を下げたが、こちらは本当に反省しているのかどうだか――
「まあダメ出しはその辺で良いだろう。よし、今日の打ち合わせは終わりだ。皆、来週も頑張ろう! お疲れ様」
野瀬さんが打ち合わせ終了の合図を出した。これでやっと解放される。と思いきや――
いつものように打ち合わせが終わり全員解散となった所で、奥村アナがオレに近付いて来た。
「ユースケさん、この後時間ある?」
「あるっちゃあるけどどうかした?」
「たまには飲みに行きたいなと思って」
奥村アナがニヤリとする。愚痴られるな。
「飲みに行くのは良いけど、二人だと不味いから誰かもう一人誘おう」
「良いよ。私は何人でも。でもアナウンサーは止めてね」
アナウンサーではいけない。となると――
「おい多部、この後どうする?」
「どうするって帰るけど何だよ?」
「奥村さんが飲みに行きたいんだってさ。二人だと写真に撮られる恐れがあるから付き合って貰えないか」
「別に良いけど、三人でも同じだと思うぜ」
「ディレクターと放送作家なら、仕事の話をしてたって言い訳すれば多分大丈夫だろ」
「まあそうかもしれないな。珠希ちゃんはどうするんだよ? うちの近くまで送るんだろ」
ああそうだった。
「珠希、今から奥村さんと飲みに行くんだけど来るか?」
一応誘ってみる。
「奥村さんと? 行きたい!」
珠希は破顔一笑。奥村アナに興味を持っているようだ。
「でも今からバイトに出るんじゃないのか? 休むの」
「ああ、バイトなら大丈夫。先月で辞めたから」
「辞めたの? 全然知らなかった」
「レギュラー六本も貰ったし、放送作家は拘束時間が長いでしょ? 時間取れなくなっちゃって」
「まあ健全な判断だとは思うけど、この前「コンビニの時給より低いからなあ」って愚痴ってたじゃん。今のギャラで生活出来るのか? 自宅は都心のマンションだろ」
「「自活は出来るだろ」って、ユースケ君言ったじゃん。切り詰めて行けば何とかね」
「そう。確かに言った記憶があるな」
本人がそう言うんなら、これ以上は何も言うまい。
「お二人さん、話はついた?」
「色々喋ってたみたいだけど、結果はどうなった?」
奥村アナと多部が近付いて来た。
「奥村さん、珠希も行きたいって言うんだけど良いかな?」
「私は別に構わないよ」
「よし、決まりだな。四人で行こう」
多部が柏手を打った。
「あんた達、飲みに行くのは良いけど、週刊誌には気を付けなさいよ」
「せっかく山下の一件が落ち着いた時期なんだからな」
桝谷さんと野瀬さんが釘を刺す。
「ああ、その辺は大丈夫です。万が一直撃されても「仕事の話をしてただけ」って言い訳しますから」
多部、それオレが言った台詞だろ。別に良いけど。
「そう。ちゃんと準備が出来てるんならそれで良いわ」
「くれぐれも気を付けてな」
桝谷さんと野瀬さんも納得した様子。
「そういう事ですから、ちょっと行って来ます」
早くも奥村アナは出入口を目指す。
「じゃあ行って来ます」
オレ達も後に続く。
「西麻布に行きつけの居酒屋があるの」
廊下を歩きながら奥村アナが言う。
「それじゃあタクシーで行こう」
多部が提案した。
「じゃあオレの車は駐車場に置きっぱなしだな」
コインパーキングは高くなるし、テレビ局の駐車場に車を置きっぱなしにするのはこれで何度目だか――
四人でTVヒーローズの北玄関から出て大通りを目指す。
大通りに出て程なくして奥村アナがタクシーを拾った。四人なので二台に別れて分乗する。
「オレ達も直ぐにタクシーを拾うから。西麻布に行けば良いんだね」
「そう。大通りで待ってるから」
奥村アナと多部はタクシーに乗り込み、先に出発する。
男女ペアで大丈夫だったかな。珠希と一緒に乗せるべきだったと反省するのはオレだけか。
二人から遅れる事約五分。
「あのタクシー空車だよ」
珠希がオレのTシャツの右袖を掴み手を挙げた。
タクシーに二人で乗り込み、「西麻布まで」と運転手に行き先を告げていざ西麻布へ。
約十分で西麻布に到着し、
「ここで降ります」
代金を支払ってタクシーを降りた。
多部に何処にいるのか確認の電話をする。
『まだ大通りにいるよ。見えないか?』
よく見ると、通りの向かい側で多部が左手を大きく振っていた。
「見えたよ。直ぐそっちに渡るから」
歩道橋で向かいに渡り、二人と合流する。
「思ったより早かったね。居酒屋はこっち」
奥村アナの誘導で路地に入り居酒屋を目指す。
「ここ」
歩く事約十分で居酒屋に着いた。
早速中に入り四人掛けの席に奥村アナと珠希、多部とオレが隣合わせで座る。
「ああ、やっと座れた」
「じゃあ飲み物とつまみを注文しようぜ」
奥村アナは両腕を大きく広げて伸びをし、多部はメニュー表を手に取った。
奥村アナはウーロン杯、珠希はメロンサワー、多部とオレはビールを注文。つまみは串焼きの盛り合わせと焼きそばなどを注文し、まずは「お疲れ様ー」と乾杯。
「奥村ちゃん、今日さ、桝谷さんから表情が堅いって注意されたじゃん。でも気にする事ないよ。真顔で淡々と仕事をこなすのが奥村ちゃんの個性なんだからさ」
多部がフォローする。確かに良く言えば個性。悪く言えば不器用か。
「私だって自分の表情が堅い事くらい自覚してるよ。新人研修の時、「明るい話題のニュースはもっと明るく読むように」って、何度も指摘されたんだから。それで最後の最後に「新人らしい明るさがない」って言われて悔し泣きしちゃったの」
「奥村さんでも泣く事あるんだ。クールな人だと思ってたのに」
珠希が興味深げに訊く。
「悔しい時だけね。嬉しい時とか悲しい時には涙は出ないんだけど。でも悔し泣きが私の持ち味なんだって開き直る事が出来たような気がする」
奥村アナは自然な笑みを浮かべて言う。別に笑う事が出来ない訳ではないんだ、この人。
「そうだよ。そう思って行けば良いんだよ」
と多部。だが楽しい酒はここまで――
「でもさ、頑張って仕事しても全然報われないんだよね、私」
奥村アナから笑顔が消えた。瞬時にオレも含めて他の皆も真顔になる。
「そんな事ないって。頑張って遣ってればいつかは報われるよ」
多部がフォローするも、
「でも朝の情報番組でニュースを担当してたけど降板させられちゃったし。私、報道志望なんだけどなあ」
奥村アナは表情を変えない。今度は社内人事の事まで愚痴り出す。
「それは重々承知しております」
「じゃあユースケさん、何で先輩で東大出の私がスポーツ担当で、私立出の平田がニュースキャスターなの? 私、平田の添え物?」
やっぱり愚痴られた。桝谷さんの言葉が思い出される。だから後輩アナウンサーは呼ぶなと言われた訳か――
「いや、そういう意味でスポーツ担当に推薦した訳じゃないんだけど……」
奥村アナの眼光の鋭さに思わず訥弁になってしまう。というか、それしか答えようがない。
「ユースケさん、私をスポーツ担当に推薦してくれたんでしょ? 今回も山下さんの後釜としてニュースを読めるように、桝谷さんに言って貰えるとありがたいんだけどなあ」
奥村アナの表情がやっと変わった。但し、ニヤリと。その表情のまま、奥村アナはジーっとオレと目を合わせ続ける。
「そんな顔で見詰められても……オレにそこまでの権限はないよ。オレじゃなくて多部に言うべきじゃないか?」
「いやユースケ、お前の方が説得力があるよ。彼女の願いを叶えてやれ」
「ディレクターがそんな事言うか。オレは作家だぞ。キャスティングはディレクターの方が力持ってるだろ?」
「いや、お前の方が誠実さがあるし上手く行くと思う」
そんな事言って、キャスティングはディレクターやAPの仕事だろうが……。要するに面倒臭い事を丸投げしただけだろ?
「そうだよユースケ君、奥村さんの希望を叶えてあげて」
珠希までニヤリ。ああどいつもこいつも他人事のように――
「そういう事だから、ユースケさんお願い!」
奥村アナはオレの方に両手を合わせ、深々と頭を下げる。オレは神様か?
でもこの人がこんな言動に出るなんて珍しい。だがそれだけニュースを読みたいという熱意は伝わって来る。そこまでされちゃしょうがない。
「嫌だ」とも言えず、
「分かったよ。言ってみる」
と根負けしてしまった。
「ありがとう、ユースケさん」
奥村アナは破顔。その笑みを本番で見せられないものか――
「頑張れよ、ユースケ」
多部は言い終わるなりビールを一口。全くお気楽なものだ。
「ユースケ君ファイト!」
珠希はガッツポーズを見せる。こいつも多部と然り――
「他人事だと思いやがって!」と二人の頭を一発ずつはたきたい衝動に駆られたが、グッと堪える。
奥村アナに根負けした事も、多部と珠希の頭をはたく事を実行出来ない事も、オレの弱いとこ。
飲み始めて二時間後、ほぼ奥村アナの独壇場のまま、飲み会はお開きとなった。代金は新人の珠希を除いて三人で割り勘にする事になる。
「皆さん、ごちそうさまです」
珠希がペコリと頭を下げた。
「良いんだよ。まだ食べて行くだけで精一杯だろ? 出世払いで良いから」
多部が優しく微笑む。
「そうだよ。いつか社食でも良いから奢ってね」
奥村アナも然り。何度も言うが、その微笑みをプライベートだけじゃなく本番中でも見せて欲しいものだ――
店を出て四人で大通りに向かう。大通りに出て奥村アナは空車のタクシーを拾った。
「じゃあユースケさん、「あの件」お願いね」
タクシーに乗り込む前、奥村アナは捨て台詞を残す。もう願いが叶うと決め込んでいるようだ。まだ始まってもないのに。
「分かったよ。でもあんまり期待しないでね」
期待大だと困る。
「じゃあ今日はありがとう」
奥村アナはタクシーに乗り込み自宅へと帰って行く。
「あのタクシーも空車だな」
多部も手を挙げてタクシーを拾う。
「プライドが高い人だからな奥村ちゃんは。ユースケ、何とか粘れよ」
「重々承知してる」
他人事のアドバイスを残し、多部も帰路に着いた。
「さあオレ達もタクシーを探すか」
「うん」
二人から遅れる事約五分。やっと空車のタクシーを拾う。二人で乗り込み、オレ達も帰路に着いた。
その車中での事。
「本当、プライドの高い人だね、奥村さんって。何で東大出の私がスポーツ担当で私立出の菜水さんがニュースキャスターなの? って言ってたし」
珠希が今日の出来事を振り返る。
「ああ、やっぱ東大出身者は鼻が高いよな」
二人で笑うしかない。
「東大の理系出身なんでしょ?」
「そうらしいな」
「でもユースケ君に両手を合わせて拝むように頭を下げたのは意外だった」
「うん。それはオレも然り。それだけニュースに対して拘りを持ってるって事だろう」
「拘りかあ。私にはまだないかも」
珠希は溜息を吐きながら呟く。
「その内出て来るさ。根拠はないけど」
約二十分後、オレの方が先に練馬区内に着く。
「ここで良いです」
運転手に告げ車を止めて貰う。西麻布から練馬までの代金を支払い、
「今日はこれで足りるだろう」
珠希に五千円を渡す。
「ありがとう」
珠希は笑顔で受け取る。嬉しそうな顔しやがって――今日もさようなら、樋口一葉さん。福沢諭吉さんもだけど――
「ユースケ君、大仕事頑張ってね」
珠希は我関せずといった口振り。こいつは――
「一応頑張ってみるけど、珠希にも協力して貰いたいな」
「私も!? 自信ないなあ」
こうなりゃ巻き添えだ。
「大丈夫だよ。珠希は乗りが良いから。協力してくれた方が上手く行くと思う」
「確かにそうかもしれないけど……でも率先するのはユースケ君だよ」
「分かってる。そういう訳だから、また明日」
強引に話を切り上げ、
「じゃあお願いします」
運転手に告げてドアは閉まり、珠希と別れた。
そして運命の木曜の構成会議。
「珠希ちゃん、やっと見習いの期間が終わったんだね。おめでとう」
大畑が珠希に祝福の言葉を贈る。
「珠希ちゃんも男性器と同じだね」
出た。また女性に対して下品な……。
「何で私が男性器と一緒なの?」
珠希は苦笑。合点が行くはずは、なし。
「だってさ、どちらも毛が生えたてだろう?」
会議室内が失笑に包まれる。
「まあ当たってるっちゃ当たってますね。素人に毛が生えたようなものですから」
冷静に返した珠希は偉いと思う。
それはそうと、オレ達は会議序盤で一仕事だ。
「あのう、桝谷さん」
「何ユースケ? あんたも贈る言葉があるの」
「違います。奥村さんがニュースを読みたいって言ってるんですよ。何とか山下さんの後釜としてキャスティングして貰えないでしょうか」
「ははーん。やっぱりこの間の飲み会はそういう話だったのね」
桝谷さんはオレを睨む。だがここは負けじと。
「彼女はニュースに対して凄い拘りを持っています。何とかならないでしょうか」
「桝谷のおばさん、何とか奥村さんの願いを叶えてあげてください!」
約束通り珠希も援護して来た。
「だからおばさんは止めなさいって! でも奥村が番組の顔ねえ……また新たなスポーツ担当を探さなきゃいけないじゃない。どう思う?」
桝谷さんが野瀬さんに振った。
「オレ達も奥村が報道志向な事は承知してる。でもどうかねえ、AP」
野瀬さんが男性APに振る。
「平田にだけ番組の顔として負担を掛け続けるのもかわいそうだから、一応考えてみる」
とAP。
「何卒宜しくお願いします」
「私からもお願いします!」
珠希と共にAPに深々と頭を下げる。
「何でオレ達がここまでしなきゃいけないんだ?」とは思ったものの、奥村アナの熱意を考えたら仕方がない。
「そこまで慇懃にしなくて良いよ。もう十分分かったから」
APは苦笑した。
これでオレ達の仕事は終わった。後はAPの判断次第だ。
「あんた達も大変だね。奥村の為にそこまでしなくちゃいけないんだからさ」
桝谷さんはからかいを含んだ笑み。
「元々はオレが奥村さんをスポーツ担当に推薦したんで」
「私平田の添え物? とか言われたんじゃないの?」
「はい。言われちゃいました」
「やっぱりね。アハハハハッ!」
桝谷さんは高笑い。何か屈辱。珠希も多分そうだろう。
「でも今の状態じゃ平田の添え物って言われても仕方ないよな」
野瀬さんがフォローしてくれた。
「よし! 奥村の事は分かった。本格的に会議を始めよう」
野瀬さんが号令を出す。
「やっと肩の荷が下りたな」
小声で隣の珠希に言う。
「でも万が一奥村さんがニュースキャスターに成れなかったら、ユースケ君また責められるよ」
珠希も声を落とし、心配そうに言う。
「まあその時はその時で何とかなるだろう。約束は果たした訳だし」
「こらそこの二人。何こそこそ話してるんだ」
野瀬さんがオレ達を指差す。
「いや別に。他の番組の話です」
「今は『NEWS YOU』の会議中なんだよ。そっちに集中してくれないと困るだろ」
「済みません」
「ごめんなさい」
珠希と共に頭を下げた。
「良いなあユースケと珠希ちゃんは。レギュラーが六本もあってさ」
「本当。羨ましい限りですよ」
大畑と沢矢さんは茶化す。
「あんた達だって五本、七本持ってるだろ!」
負けじとレギュラーの数で応戦した。大畑は五本、沢矢さんに至っては七本も抱えている。二人共売れっ子作家なのだ。
「あのさ、レギュラーの数は分かったから、そろそろ会議を再開しても良い?」
桝谷さんは呆れている。
「済みません。どうぞ」
またオレが頭を下げる結果となってしまった。
因みに、多部はやっぱり一言も喋らず、オレと珠希に任せっきりだった。本当に軽薄なやっちゃ――
約三時間の会議終了後。多部と珠希と一緒にTVヒーローズの廊下を歩いていると、前から奥村アナが歩いて来る。
「今日の事を訊かれるだろうな……」そう思っていると、
「お疲れ様です。ユースケさん達、今日は会議だったんでしょう。「あの件」桝谷さんに言ってくれた?」
やっぱりな――
「ご希望通りお願いしといたよ。APも考えとくだってさ」
「本当? ありがとう。良かったあ」
奥村アナは、もう自分がニュースキャスターに成れると決まったかのような笑顔。
「あのさ、飽く迄もお願いしといただけだから。APも「一応考えてみる」って答えただけだし、何も決まってないから」
一応釘を刺しておく。じゃないと他の人が採用されでもしたらまた愚痴られるだろうから。
「分かってる。でもユースケさんにお願いしといて良かった」
奥村アナは尚も笑顔。本当に分かっているのだろうか?
「私もAPさんにお願いしますって頭を下げといたから、多分大丈夫ですよ」
「珠希ちゃんもお願いしてくれたの?」
「はい。ユースケ君は「何卒宜しくお願いします」って言ってましたから。ね?」
「確かに言いわしたけどさ……」
こら珠希! 奥村アナの期待を煽るんじゃない。
「それに深々と頭下げてたしな」
だから多部、これ以上煽るなって。
「そこまでしてくれたんだ。じゃあもう決まったも同然だね。ああ、早くニュースが読めるようになりたい」
ほら見ろ。もう決まったも同然でいるじゃないか。もし他の人が採用されてもオレは知らないからな。
「じゃあ期待してるから」
笑顔のままの奥村アナと別れた直後、
「なあユースケ、ちょっと時間あるか?」
多部が言う。
「これから他局で会議なんだけど、少しなら。どうかしたか?」
「昨日友達のディレクターと飲んで、会社の車をテレビ局の駐車場に置きっぱなしにしたんだよ。だからその局まで送ってくれないか」
多部、お前もそんな事したのか――
「別に良いけど少し遠回りになるな。今日はテレヒロまで何で来たんだよ」
「電車で来た」
「そう。じゃあ珠希、<ワークベース>の車がある局まで後ろに乗ってくれるか」
「私は別に良いよ」
「良いよ良いよ。オレが後ろに乗るからさ」
「そうか。じゃあそうしてくれ」
三人で地下駐車場まで降り、オレの車に三人で乗り込む。
駐車場を出た所で、カジュアルな服装をした男性がオレの車に近付いて来た。年齢はオレ達と同じくらい。
「何だろう?」と窓を開けてみると、
「私、こういう者です」
男性が名刺入れから一枚抜き取り、オレに差し出して来た。見ると写真週刊誌の名が。
やっぱりこの前の飲み会の様子が撮られていたか――瞬時に奥村アナの事だろうと分かった。
「奥村真子アナウンサーとはどのような関係ですか?」
ほらね。
「どういう関係って、只一緒に飲んだだけですけど」
「本当にそれだけですか?」
男性記者の目は嗤っている。慇懃無礼。
すると透かさず多部は窓を開け、
「只の仕事仲間です。後は面白おかしく書いといてください」
とそっけなく答える。
「本当に仕事仲間という関係だけですか?」
更に追及する記者。
それに対し、
「ユースケ、窓閉めて出発しろ」
多部が命令を下す。
「そうだよユースケ君。これ以上話しても埒が明かないよ。そういう訳ですから失礼します」
珠希も援護して来た。確かにそうだ。
「じゃあそういう事ですので」
オレも窓を閉めて出発する。
「ああ、ちょっと待ってください!」
記者は止めに入るも、構わずに振り切った。
「それにしても何でオレの車が分かったんだろうな?」
「前からはってたんだろう」
「まあそうだろうな」
多部の言葉に納得する。
その後、「ここで良いよ」オレは多部を局の駐車場の出入り口まで送り、オレ達はキー局の会議に向かった。
だが放送日の土曜日の会議前。
来週火曜日に発売される写真週刊誌の記事がTVヒーローズにFAXされて来た。
オレ達の顔にはご丁寧にモザイク処理が施されていたが、真ん中に立って颯爽と歩く奥村アナの姿が写っている。
「あんた達遣ってくれたわね。あれ程気を付けなさいって言ったのに」
「只楽しく飲んでただけですよ」
多部が弁解する。
「何処がよ」
桝谷さんがオレ達三人を睨む。
記事を読んでみると、『TVヒーローズの奥村アナ「愚痴だらけの」週末居酒屋デート』とある。『頑張って仕事をしても報われない』、『社内人事の事まで愚痴り出す』とまで書いてあった。
という事は、写真誌の記者は客の振りをして居酒屋の中まで入って来ていたという事か。
他にも『奥村は局内で浮いちゃってる存在。同僚の女子アナでまともに話せる
のは先輩の青田智子アナくらい。同期の久保直子アナとは「入社以来二回くらいしか喋った事がない」と言っているとか。
とにかく奥村は報道志向でプライドが人一倍高く、友達が少ない』(TVヒーローズ関係者)とある。
確かに奥村アナはプライドも高く友達も少ないようだが、「TVヒーローズ関係者」とは、一体誰なのだろうか?
そして最後は、『スポーツ担当を逆手にとって、過去の女子アナみたいにスター選手を掴まえて寿退社すれば良い』と締め括られていた。
「奥村も、不満があるんなら私達に直接言いなさいよ」
「はい。済みませんでした」
奥村アナは「一応」頭を下げる。全く反省してないな。
「そうだな。ユースケ君に頼む前にまずオレに言って欲しかったな」
APも頷く。
「とにかく、この情報が出回る前に、奥村、あんたも今日からニュースを読みなさい。良いわよね?」
桝谷さんは野瀬さんに振る。
「そうだな。今回は仕方がない。ご希望通りにしてあげよう」
野瀬さんは穏やかな表情で言う。奥村アナの報道への拘りを熟知しての判断だろう。
「本当ですか!? ありがとうございます」
奥村アナの嬉々とした顔な事――念願叶ったんだから仕方ないといえば仕方ないか。
「ユースケさんもありがとう」
「いや、オレは別に何もしてないから」
と答えたものの、思わず照れ笑いしてしまう。
「後奥村、明るいニュースは明るめに。今の笑顔を本番でも見せなさい。それが絶対条件よ」
桝谷さんが注文を付ける。
「はい。気を付けます」
奥村アナの表情がやっと落ち着く。
こうして奥村アナはニュース兼スポーツ担当キャスターになった。
十二時からの会議と打ち合わせを終え、弁当も食べ終え、出演者達が衣装に着替えヘアメイクも済ませたらいざ本番へ。
出演者達が次々と席に着席して行く。奥村アナの椅子は急遽用意された間に合わせの物。
平田アナを中心に、画面から見て左側に奥村アナ、右側に安藤キャスターが座る。ニュースを読む順番は平田、奥村、安藤キャスターの順で決まった。
当然ながら奥村アナは普段板付きではない為、三人の他に宮下、森井、高倉アナとコメンテーターが着席すると、テーブルはぎっちぎちだ。
因みに今日のコメンテーターは、若手弁護士で家族間トラブルに精通している青山由紀さん。
「テーブルをもっと長くすべきだな」
野瀬CPがモニターを見詰めてぼやく。
「そうね。あれじゃ混雑してる立ち飲み屋と変わらない」
桝谷Pは苦笑。
「立ち飲み屋って、もっと例え方があるでしょう」
多部Dは桝谷Pの例えを聞いて苦笑。
「じゃあどんな例えをすれば良いのよ」
「牛丼屋とか定食屋のカウンターとか」
別の女性Dが答える。
「あんたも飲食店じゃない。私の例えと変わらない」
「やっぱ飲食店くらいしか例えるものないかあ」
多部ディレクター殿は諦めて大きく伸びをする。満員電車とかある気がするけど。
その光景を後ろのテーブルで聞いていたオレ達作家集団。桝谷プロデューサー殿と女性ディレクター殿の生活習慣が少し分かった気がした。
「桝谷さんもあんた達も戯言言ってないで、もう直ぐ十九時だよ」
下平Dがけしかける。
「分かってるよ」
「ごめんなさい」
多部Dと女性Dは謝ったが、桝谷Pは我関せずといった態度。後ろ姿だけでも平然とした表情をしている事が分かる。
後半は下巻に続く――