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眠れない世界に、最愛の子守唄を

作者: 奈良ひさぎ

「……ああ。なかなか興味深い世界だった。まず絶望という人間の感情が分かりやすく可視化される世界でな。……」


「一度絶望に苛まれると、二度と立ち上がれないとされている。だからみながその状態を恐れているんだ。ディストピア、という言葉は聞いたことがあるか? まさにあれを体現したような世界だ。……」


「私はそれでも諦めない、わずかな希望でも迷わず手を伸ばす人間たちと協力して、一つの都市を救ったんだ。救ったといえば、なんだかおこがましいが……でも、あの世界は間違いなく、一歩進んだんだ。明るい方にな。……」



「……んぅ」


 どうにも聞いたことのある話が頭の中に流れ込んできて、夢だと気づいた。ぼくはいつの間にか、書斎の椅子に座って居眠りをしてしまっていた。時刻はちょうど短針がてっぺんを回り、日付が変わった頃。今からシャワーを浴びるのも面倒だし、このままちゃんとしたところで寝て朝にしようと決めた。


「(ぼくがリサの夢を見るなんて……久しぶり、なのかな。でもどうにも、昨日会ったばかりのような気分だ)」


 リサと別れてしまって、もう何十年にもなる。しかし夢に出てきた時は、彼女の声が驚くほど鮮明に聞こえる。間違いなく彼女のものだと分かる声質。向こうは普通の人間と同じように年老いているはずだから、確実にぼくの知っているよりしわがれた声をしているのだろうけれど。


「(絶望捜査官……か。凛紗じゃなければ、力になれなかったかもしれないな)」


 ぼくと凛紗に明確な違いがあるとすれば、それは人懐っこさだ。分かる人には分かるが、分からない人には一生分からない。

 彼女が初対面の人にも既知の人にも構わず取る不遜な態度は、もちろんわざとやっているわけではない。一日一日生きるに従って凛紗は感情を獲得していて、表現もより複雑になっている。獲得する感情も日に日に細分化されて、そのうち並の人間より感情豊かになるだろうと思えた。それでも、根底は変わらない。つい、疑ってかかるような態度を取ってしまうのは、彼女がプログラムされた時からのもので変えようがないらしい。凛紗はそれを逆手に取り、その程度で忌避する人は最初から仲良くなどなれない、気も合わないと考え諦める。逆にそれでもコンタクトを取ってくる人は積極的につながりを保とうとするそうだ。そこまで来れば不遜な態度というのも故意でやっていそうなものだが、彼女はあくまで意識の外でやってしまうと言って譲らなかった。


「(……もう少し、声を聞いておきたかったな)」



 もう大昔の話だ。ぼくはアヤカシと呼ばれる存在が人間に憑依して生まれた妖獣が暮らす世界に行った。そこが抗おうとしてもなかなか難しい運命と共にあるということを知った。それでもあの喫茶店に集っていた女の子たちはすごく強くて、何とかして運命を変えられないかともがいていた。それも、普通の暮らしという歯車に乗りながら。

 ぼくは少しだけ、その世界に貢献することができた。少しずつ血を分けてもらって、別の医学が極度に発達した世界で医者に見てもらった。結局はあの世界の人たちに任せるしかなかったが、ヒントを得ることはできた。世界そのものにかかった呪いが、ある遺伝子と別のある遺伝子を掛け合わせることで解けるかもしれない。それが分かっただけでも収穫だった。

 その知見を伝えた後、あの世界がどうなったかは分からない。運命のいたずらというやつか、ぼくは以来あの世界には行けていないからだ。凛紗はそのうち行きたい並行世界を指定して行けるようになる、と言っていたけれど、ぼくが知る限りでは上手くいっていない。


「ゆいせんせー……」

「うん? どうしたの」

「ねむれなーい……」

「一緒に寝てあげるよ。ちょっと、待ってね」


 ぼくが面倒を見ている子どものうち、特に気にかけている女の子が、目をこすりながらぼくの元へやってきた。ぼくが今まで見てきた人たちの中でも特に怖がり、臆病で、三日に一度はこうして助けを求めてやってくる。いつの間にか、ぼくが一緒に寝てあげるのが普通になっていた。

 凛紗が絶望捜査官の世界から帰ってくるのには時間がかかったが、それからも凛紗としばらくいろんな世界を渡り歩く日々が続いた。しかしある時、また並行世界に移動する装置の故障で別々の世界に飛ばされてしまい、しかも修復不可能なレベルで装置が使い物にならなくなってしまった。その時、ぼくは凛紗と再会するための手段をほとんど失った。あの時ほど、もう少し凛紗から知識を得ておけばと思ったことはない。今いるこの世界に、並行世界という概念はあるが、技術は全くと言っていいほど発達していない。そもそもその方向の研究に全く興味のないらしい世界だった。


「ゆいせんせー」

「なあに?」

「ゆいせんせーはどうして、おばあちゃんなの?」

「どうして……どうして、だろうねえ」


 ぼくは人間ではないから、外見を自由に変えることができる。弓依が弓依のままだったらおばあちゃんの歳だが、少女の外見を装うこともできる。しかしぼくは、そうしなかった。弓依が歳をとればこうなるだろう、という外身を作り出し、その皮を被った。ぼくも生物である以上、いつかは死ぬ。人間的な言い方をするなら――ぼくはこの世界に骨を埋める覚悟をもって、姿を変えることを選んだのだろうか?


「りかおばさんがいってたの。にんげんはがんばって、まんぞくにいきたらやさしいおじいちゃんおばあちゃんになれます、って。ゆいせんせーは、やさしいおばあちゃんなの?」

「やさしい、おばあちゃん……」

「わたしは、ゆいせんせー、やさしいおばあちゃんっておもうよ? だってやさしいもん」


 今でもぼくは、これまで自分がしてきたことの数々を突発的に思い出す。眠りにつこうとしている時でも、畑仕事をしている時でもお構いなし。そうして、ぼくの行為、選択した行動は本当に正しかったのか、今のぼくに問うてくるのだ。

 主観的に語るのならば、ぼくは正しいことをしたと思う。思いたいだけかもしれないが、ぼくなりに知恵を絞ったり、人助けをしたり。元の世界にいたあの頃よりは、人間の力になれたと思う。そう思ってなければ、ぼくは今いるこの世界でひっそりと人間たちが平和に暮らしていけるよう、見守り続ける意思を固めてはいない。


「おまたせ、もう大丈夫。一緒に寝ようね」

「うん……」


 ぼくは誰か一人にでも、ぼくのやってきたことを正しいと、言ってほしかったのだろうか。凛紗でさえ、「そんなものは私たちが死んでから何十年も経った後に、初めて不特定多数の人間によって下される判断だ」と言いそうなのに、ぼくはどうにも答えを求めてしまう。ぼくは安心したいのだ。もちろん間違っていたと言われたくもないが、かといって何も言われず見過ごされるのも嫌だ。わがままだということも分かっている。それでも、誰か理解者の存在が欲しかった。唯一理解者になってくれそうな凛紗は、もうどこか遠くの世界へ離れてしまったにも関わらず。


「(……それでも、不思議と。凛紗に何が何でも会いたいって気持ちは、ないなあ)」


 凛紗がいなければ何もできないほど、ぼくも頼りないわけではない、と思いたい。だがいれば心強いのには間違いない。


「(……凛紗なら、ぼくよりもずっとたくさんの世界を救って、たくさんの人から感謝されているんだろうな。……感謝されてると、いいな)」


 凛紗もぼくと会えなくなったと分かってから、複雑な気持ちを抱えたに違いない。もしかすると彼女が経験したことのない感情だったかもしれないが。

 目を閉じてぼくに身体を寄せる少女に、ぼくはそっと子守唄をうたう。他ならぬ彼女自身に教えてもらった、優しい唄。

 どんな世界であろうと、いつかは終わりが来る。それが人間の滅亡によるものか、それとも自然環境の変化か、他の世界からの侵略者によるものかは分からない。だが永遠に続く世界というものは存在しない。ぼくたちのような別の世界から来たひとにできるのは、少しでも世界を幸せにすること、あるいは少しでも世界の終わりを遅らせることだけ。


「……おやすみ、おやすみ、やさしいこよ……おやすみ、おやすみ、つよいこよ……」


 ぼくが来たことで、この世界は安らかに眠ることができるだろうか。そうだといいなと思いつつ、ぼくは目を閉じて少女とともに眠る。


『お前と私ならば、確実に私の方が先に死ぬだろう。私の方が、より人間に近いのだからな。だが気にするな。イユ……お前はもう、私などいなくとも、十分に人を笑顔にさせられる存在だ。そのことさえ忘れなければ、お前も、お前の周りの人たちも、きっと幸せになれる』


 元の世界で、夜空に輝く星を眺めながら、ぼやくように凛紗が言ったのを思い出しながら。

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