第三話 幸せを掴む為に 前編
分けます。
悪夢の様な1日だった。
あんな所に伊集院を置き去りにしてしまった。
いくら俺が人を信じられないからといっても、して良いわけが無い。
掛かって来た電話にすら、ちゃんと答えられなかった。
伊集院は謝っていた。
俺の方が謝らなくてはいけなかったのに...
疲れ果て、自宅のドアを開ける。
日曜の夕方なのに両親はまだ帰ってない。
この町に来て4年、父さんは再起を賭けて再び商売を始めた。
身を粉にし働いている。
そんな父さんを支える為に母さんも頑張っている。
父さんは母さんの実家から資金援助を受けている。
まだ銀行からの融資は受けられない。
今も資金繰りは決して楽じゃ無いだろう。
それでも俺に不自由な真似はさせられないと、苦しい中、お小遣いや携帯電話まで持たせてくれている。
校則違反だけど家計の足しにバイトをしたいと俺は父さんに言った事がある。
『馬鹿な事を言うな!
せっかく特待生で今の学校に入ったんだ。
ここの事情を知った上で偏見無く、お前を暖かく迎えてくれたんだ。
信用を裏切ってはいけない』と。
「...人を信じろか」
由美香の言葉に打ちのめされ、塞ぎ込んでいた時も父さんは言ったな。
どうしてだろう?
今までなら嫌悪感しか感じなかった言葉なのに。
結局伊集院にメールをしないまま、その日は寝た。
とにかく疲れていた。
翌日、いつもの様に起きると両親が揃って俺がテーブルに来るのを待っていた。
真剣な眼差しに緊張が走る。
「正太、昨日実家に行ったそうだな」
「....どうしてそれを?」
父さんはなぜ知っているんだ?
「昨日の夜、兄貴から電話があった。
お前が女の子とホテルに入る所を偶然川合さんと歩いていた昌夫が出くわしたとな」
「なんだって?」
話がめちゃくちゃだ。
俺が伊集院とラブホテルに?
「止めようとした昌夫の腕を捻り上げ、川合さんを突き飛ばし、女の子を置いて1人逃げたと言ってた」
「...ふざけやがって」
怒りが込み上げる。
確かに昌夫の腕を捻り上げたが、無理矢理由美香をラブホテルに連れ込もうとしていたからだ。
やはり止めない方が良かったんだ。
「心配するな」
「え?」
「あんな奴の言葉なんか信じられるか」
「そうよ正太」
父さんと母さんは静かに頷くが、気持ちは晴れない。
「学校に黙っててやるから金を寄越せだと」
「はあ?」
「おそらく、また商売に失敗したんだろ。
実家も売り飛ばしたアイツは今、金に困っている、そんな所だな」
「あの人達は救いようがないわね」
「全くだ、乞食から金を盗ろうとはな」
父さんと母さんは苦笑いしながら俺を見た。
何を聞きたいか、もちろん分かっている。
「伊集院さんとじいちゃんの家に行ったのは本当なんだ。
俺の生まれた街を見たいって」
「まだお前は伊集院さんを下の名前で呼ばないのか?」
「この前まで栞って呼んでたでしょ?」
「それは...」
なんなんだ、問題がすり変わってないか?
俺が伊集院と付き合ってる事は両親も知っている。
最初は栞と呼んでたが、あの日から伊集院になったんだけど。
「正太、栞さんは信用出来る人だ。
お前が人間不信に陥ってしまったのも分かるが、本当に大切な人まで信じられないのは栞さんに対して失礼だぞ」
「本当に」
「......」
父さん達の言ってる事は分かる。
考えるまでも無い。
伊集院...栞は何事にも一生懸命な人。
俺の事をいつも考えていた。
クラスの奴等が言っていた嘘告の話だって本当の筈が無いんだ。
「話はそれだけだ。
さあ早く朝御飯を食べて学校に行きなさい」
「うん」
父さんの話が終わり朝食を食べるが、味なんか分からなかった。
「おはよう正太」
学校に着くと、いつもと変わらない様子で栞が声を掛けた。
昨日の事があったにも拘わらず、自然な笑顔だった。
言いたい事や聞きたい事はは山程あるだろうに。
「...おはよう栞」
「え?今なんて?」
「なんでもない」
一瞬呆気に取られていた栞。
次の瞬間弾けるような笑顔で俺を見る。
さっきの笑顔と違う、本当の笑顔に恥ずかしくなった。
『俺も変わらないとな』
そう心に誓い、いつもの日常に戻った。
出来るだけ自然に、心に張り付いてしまった仮面を脱ぎ捨てる。
クラスのみんなは最初こそ驚いた様子だったが、
『そっちの方が良いぜ』
『そうね、もう一回告白しようかしら?』
評価は上々だった。
でも告白は勘弁してくれ、栞の焼きもちが大変だ。
栞は駅で俺を待つ様になった。
しかし平和な日々は1ヶ月後、突然終わりを告げた。
いつもの様に学校へ着くと校門前に人集りが出来ていた。
「なんだろね?」
「さあ?」
栞と人集りの中に入ると一枚の張り紙が校門に括り付けられていた。
「...なんだよこれ」
「酷い...」
それは商売に失敗した過去。
そして根も葉もない誹謗。
後は、俺が栞とラブホテルを歩いていたとする告発だった。
犯人は直ぐに分かったさ。
「なんだ?」
「何よこれ?」
聞き覚えのある声。
同じクラスの人だ。
また4年前と同じ目に遭うのか...
絶望から動く事が出来ない。
「くだらねえな」
「本当、こんな事する筈無いわ」
「大体正太の家族は関係ないでしょ?」
「...みんな」
「気にするな、俺達は仲間だろ?」
「ああ...」
暖かな言葉に涙が止まらない。
こんな素晴らしい事が起きるなんて。
先生が張り紙を剥がす。
騒ぎは瞬く間に終息した。
俺と栞は指導室に呼び出されたが、事情を話すと直ぐに解放された。
「許せない」
指導室を出た栞が呟いた。
「先に手を出したのは向こう、口実を与えるなんて馬鹿な奴等ね」
「栞?」
怒りに震える栞は目に涙を溜めていた。
「正太も犯人は分かってるでしょ?」
「もちろんだ」
糞伯父は脅しに屈さない父さんにこんな嫌がらせを。
栞まで巻き込みやがって。
「もしもし、お父さん?」
栞は携帯電話を取り出すと話を始めた。
「うん、分かった。
正太の家族もね、伝えるわ」
短い通話が終わり、栞は俺を見た。
「栞、お父さんって?」
「正太、ご両親を呼んで。
徹底的に潰してやる」
栞のただならぬ様子。
俺は直ぐ父さんに電話を掛けるのだった。